引手茶屋までの道中を終えた咲耶が案内された座敷に上がると、色とりどりの反物(たんもの)が座敷いっぱいに広げられていた。
 三味線や踊りを披露している芸者たち以外は、反物を手に取り目を輝かせている。
「おお、咲耶ちゃん! 待ってたよぉ」
 上座で恰幅の良い男が満面の笑みで咲耶に手を振る。
「喜一郎様」
 咲耶も満面の笑顔で手を振り返すと、反物を踏まないように足元に気をつけながら、喜一郎のもとに向かう。
「みんなに新作の反物を見てもらってたんだ。意見を聞こうと思ってね。気に入ったものがあったら、それで着物仕立てるから言ってね。みんなにもそう言ってあるから」
 喜一郎はにこにこしながら咲耶に言った。
「いつもありがとうございます、喜一郎様」
 咲耶は喜一郎の隣に腰を下ろす。
「気になるのはあるかい?」
 喜一郎は咲耶をじっと見て聞いた。
「そうですね……」
 咲耶は座敷の反物をひとつずつ見ていく。
 これから夏になるにつれて好まれる青や緑の反物が多く広げられていた。
 咲耶はその中のひとつに目を留めた。
「あの白い反物……金魚の柄がとても綺麗ですね。尾ひれが見たことのない形です」
 その反物には、尾ひれの長い赤い金魚が描かれていた。
 白地に金魚だけでは少し物足りないが、薄い青の波紋が印象的に描かれており、色とりどりの反物の中でも品の良さが際立っていた。
「さすが咲耶ちゃんだね! 新しい種類の金魚らしいよぉ」
「そうなんですね。最近は町に金魚を売りに行く金魚売も出てきたと聞きますから、きっと流行りますよ、この絵柄」
 咲耶は喜一郎を見て微笑む。
「私も打掛に仕立てていただければ、道中のときに着てお披露目いたします」
 喜一郎は苦笑する。
「ただの贈り物ってことにして、株をあげたかったのになぁ」
 喜一郎は困ったような表情で頭を掻いた。
「咲耶ちゃんには敵わないよ」
「いえいえ、喜一郎様が商売上手なのはわかっておりますから。商売のお役に立てるなら光栄です」
 喜一郎は江戸で最も力のある豪商のひとりだった。
 呉服を主として店を大きくしてきたが、最近では海運業にも手を出しているという噂もある。
 恰幅のいい体型と人の好さそうな顔で一見おっとりとして見えるが、一代で店を大きくし、四十半ばで江戸一番の豪商といわれるまでに登り詰めた手腕は並大抵のものではなかった。
「いつもありがとう、咲耶ちゃん」
「いえ、とんでもございません」
 咲耶はにっこりと微笑んだ。

 喜一郎は咲耶の言葉に微笑むと、目の前にある酒杯に口をつける。
「ところで話しは変わるけど、玉屋は大丈夫なの?」
 咲耶は喜一郎を見つめる。
「大丈夫……とは?」
「見世に同心が来たって聞いたよ。しかも、あれだろう? 疑われたのはうちに手紙を持ってきてくれてる文使いって聞いたから」
(さすが……耳が早い……)
 咲耶はどのように話すか少し悩んだ。
「あ、勘違いしないでよ! 疑ってるわけじゃないからね! 本当に心配で聞いただけ!」
 咲耶はホッとして小さく息を吐いた。
「そもそも死んだのは、石川様だろう? どこで恨みを買っていても不思議じゃないし」
「直次様をご存じなのですか?」
 咲耶は喜一郎を見つめる。
「うちの店を贔屓にしていただいてたからね、先代に」
 喜一郎は遠くを見つめるように言った。
「あいつになってからはダメだね。褒めればすぐ舞い上がって何でも買うからお客としてはいいけど、あのままだったら家がダメになってたよ。娘さんもなんであいつが良かったんだか……」
「奥方ともお知り合いなのですか?」
「ん? ……ああ! むしろ娘さんの方が先! 娘さんって呼んでるのは先代の娘だからなんだ。あいつは婿養子なんだよ」
「そうなんですね……」
「先代が亡くなってから、一気に金遣いが荒くなってね。いずみ屋に通ってるのは有名だったけど、最近は岡場所の女に入れあげてたみたいだから、金は減る一方で……。あいつこそ、金魚でも売りに行くべきだったんだ」
 咲耶は目を伏せた。
(やはり直次様が死んだのは夕里とは関係なさそうだな……)
 咲耶が露草との話を思い返していると、咲耶の返事がないことに気づいた喜一郎が慌てたように口を開いた。
「あ、ごめんね! つまらないこと話して!」
「あ、いえ、そんな! 私こそつい物思いにふけってしまって、すみません……」
 咲耶は喜一郎を見て微笑んだ。
「喜一郎様、もう一杯いかがですか?」
 咲耶は酒の入った銚子(ちょうし)を手に取った。
「いただくよ」
 喜一郎もにっこりと微笑んで、酒杯を手に取る。
 酒を注ぎながら、咲耶はまた別のことを考えていた。
(信に頼んだ丑の刻まいりの方でも何かわかるといいが……)
 咲耶はゆっくりと息を吐く。
(まぁ、そううまくはいかないか……)
 咲耶は目を閉じる。
 今は目の前のお客に集中することにした。