叡正が渡されたものを持って帰ろうと立ち上がると、信がふいに口を開いた。
「これ以外に、残っていたものはなかったか?」
叡正とともに立ち上がっていた奉公人は、座ったままの信を見た。
「ああ……、燃え残ったものですか? そうですね……あとは、この屋敷の帳簿と……あ……!」
奉公人はそこで何か思い出したように声を上げた。
「そうです、思い出しました……。この屋敷のものではない……人の名前が書かれた、名簿のようなものがありました」
「この屋敷のものではない?」
叡正は首を傾げる。
「あ、はい……。旦那様も奉公人も見覚えがないと言っていました。先ほどお渡ししたものと同じところで保存していたはずなのですが、そういえば、見当たらなかったですね……。一度旦那様に確認してまいります」
そう言うと奉公人は足早に部屋を出ていった。
叡正はもう一度座ると、信を見た。
「どうしてほかにも何かあると思ったんだ……?」
信は叡正を見て何か言いかけたが、目を伏せると結局何も言わず畳に視線を落とした。
「いや……、理由はない」
信は淡々と言った。
「そう……なのか……」
信の様子は少し気になったが、叡正は静かに奉公人を待つことにした。
しばらくして戻ってきた奉公人は少し戸惑った様子だった。
「旦那様は動かしていないそうです……。それに、奉公人も誰も触っていないということでした……。一体どこにいったのか……」
「そうですか……。まぁ、そちらは茜……様が残したものではないかもしれませんし……」
叡正はそう口にしたが、奉公人が誰も知らないものなら、茜が持ち込んだものの可能性が高いことは叡正にもわかった。
(茜は一体何を持ってきたんだ……?)
叡正はちらりと信を見る。
信の表情からは何の感情も読み取れなかった。
「また見つかりましたら、手紙か何かでご連絡いたします」
奉公人は申し訳なさそうに言った。
「ありがとうございます。私は龍覚寺という寺におりますので……」
叡正は寺の名を告げると頭を下げた。
「はい、承知いたしました。見つかりましたら、必ずご連絡いたします」
叡正は礼を言うと信とともに、部屋の外に出た。
屋敷はとても静かだった。
庭や屋敷の手入れは行き届いていたが、人のいる気配があまりなかった。
「静かでしょう……?」
二人の後で部屋の外に出た奉公人は、どこか悲しげに微笑んだ。
「この屋敷は、あの火事の日からもうずっとこのような感じです。この家のお子様は佑助様だけですし、この家は旦那様の代で終わりだろうと言われています……」
「そう……だったのですね……」
叡正は静かな廊下を見つめながら言った。
「この笠本家も野田家も、なかなか子宝に恵まれずようやくお生まれになったのが佑助様であり、茜様でした……。両家がもともと親しかったのは、同じようにお子様のことで悩まれ、そして同じ時期にお子様を授かったからだったのです……。あの火事で茜様が亡くなり……、佑助様も屋敷を出ていかれました……。笠本家も野田家も……もう……」
奉公人の言葉に、叡正は何も返すことができなかった。
「あの火事で多くの奉公人がこの屋敷を去りました。理由はさまざまでしたが、茜様が亡くなったことも大きいのです。茜様はこの家の奉公人たちからも愛されていましたから……」
奉公人はどこか寂しげに言った。
「そうなのですか?」
叡正は奉公人を見る。
ほかの屋敷の奉公人に愛されるというのは、珍しい気がした。
「ええ。茜様は引きこもりがちだった佑助様を屋敷の外に連れ出してくれた、恩人のような方でしたから……。奉公人だけでなく、旦那様も茜様のことは大事にされていました」
「そうだったのですね……」
「はい。茜様が佑助様を褒めてくださったから、旦那様も佑助様を認めるようになったのです。剣術の稽古をサボりがちな佑助様に、旦那様が呆れていたときも『これからの平和な時代は、佑助のような優しい人間がつくっていく』と諭されたと、どこか嬉しそうに旦那様が言っていました。なので……あの火事で茜様が亡くなられて、傷ついたのは旦那様も同じなのです……」
三人の視線は自然と、今は何もない庭に向けられた。
「あの日から、この屋敷はすっかり変わってしまいました……。きっともう元に戻ることはないのでしょう……」
奉公人はそう言うと、静かに目を閉じた。
「それでは、参りましょうか。門までお送りいたします」
奉公人はゆっくり目を開けて小さく微笑むと、叡正と信に背を向け、廊下を歩き始めた。
日は落ち、辺りは暗くなり始めていた。
叡正の目には屋敷全体が闇に沈んでいくように見えた。
(茜が最期に残したもの……か……)
叡正は渡されたものに視線を落とす。
(佑助の心が少しでも救われればいいが……)
叡正は祈るように目を閉じた。
「これ以外に、残っていたものはなかったか?」
叡正とともに立ち上がっていた奉公人は、座ったままの信を見た。
「ああ……、燃え残ったものですか? そうですね……あとは、この屋敷の帳簿と……あ……!」
奉公人はそこで何か思い出したように声を上げた。
「そうです、思い出しました……。この屋敷のものではない……人の名前が書かれた、名簿のようなものがありました」
「この屋敷のものではない?」
叡正は首を傾げる。
「あ、はい……。旦那様も奉公人も見覚えがないと言っていました。先ほどお渡ししたものと同じところで保存していたはずなのですが、そういえば、見当たらなかったですね……。一度旦那様に確認してまいります」
そう言うと奉公人は足早に部屋を出ていった。
叡正はもう一度座ると、信を見た。
「どうしてほかにも何かあると思ったんだ……?」
信は叡正を見て何か言いかけたが、目を伏せると結局何も言わず畳に視線を落とした。
「いや……、理由はない」
信は淡々と言った。
「そう……なのか……」
信の様子は少し気になったが、叡正は静かに奉公人を待つことにした。
しばらくして戻ってきた奉公人は少し戸惑った様子だった。
「旦那様は動かしていないそうです……。それに、奉公人も誰も触っていないということでした……。一体どこにいったのか……」
「そうですか……。まぁ、そちらは茜……様が残したものではないかもしれませんし……」
叡正はそう口にしたが、奉公人が誰も知らないものなら、茜が持ち込んだものの可能性が高いことは叡正にもわかった。
(茜は一体何を持ってきたんだ……?)
叡正はちらりと信を見る。
信の表情からは何の感情も読み取れなかった。
「また見つかりましたら、手紙か何かでご連絡いたします」
奉公人は申し訳なさそうに言った。
「ありがとうございます。私は龍覚寺という寺におりますので……」
叡正は寺の名を告げると頭を下げた。
「はい、承知いたしました。見つかりましたら、必ずご連絡いたします」
叡正は礼を言うと信とともに、部屋の外に出た。
屋敷はとても静かだった。
庭や屋敷の手入れは行き届いていたが、人のいる気配があまりなかった。
「静かでしょう……?」
二人の後で部屋の外に出た奉公人は、どこか悲しげに微笑んだ。
「この屋敷は、あの火事の日からもうずっとこのような感じです。この家のお子様は佑助様だけですし、この家は旦那様の代で終わりだろうと言われています……」
「そう……だったのですね……」
叡正は静かな廊下を見つめながら言った。
「この笠本家も野田家も、なかなか子宝に恵まれずようやくお生まれになったのが佑助様であり、茜様でした……。両家がもともと親しかったのは、同じようにお子様のことで悩まれ、そして同じ時期にお子様を授かったからだったのです……。あの火事で茜様が亡くなり……、佑助様も屋敷を出ていかれました……。笠本家も野田家も……もう……」
奉公人の言葉に、叡正は何も返すことができなかった。
「あの火事で多くの奉公人がこの屋敷を去りました。理由はさまざまでしたが、茜様が亡くなったことも大きいのです。茜様はこの家の奉公人たちからも愛されていましたから……」
奉公人はどこか寂しげに言った。
「そうなのですか?」
叡正は奉公人を見る。
ほかの屋敷の奉公人に愛されるというのは、珍しい気がした。
「ええ。茜様は引きこもりがちだった佑助様を屋敷の外に連れ出してくれた、恩人のような方でしたから……。奉公人だけでなく、旦那様も茜様のことは大事にされていました」
「そうだったのですね……」
「はい。茜様が佑助様を褒めてくださったから、旦那様も佑助様を認めるようになったのです。剣術の稽古をサボりがちな佑助様に、旦那様が呆れていたときも『これからの平和な時代は、佑助のような優しい人間がつくっていく』と諭されたと、どこか嬉しそうに旦那様が言っていました。なので……あの火事で茜様が亡くなられて、傷ついたのは旦那様も同じなのです……」
三人の視線は自然と、今は何もない庭に向けられた。
「あの日から、この屋敷はすっかり変わってしまいました……。きっともう元に戻ることはないのでしょう……」
奉公人はそう言うと、静かに目を閉じた。
「それでは、参りましょうか。門までお送りいたします」
奉公人はゆっくり目を開けて小さく微笑むと、叡正と信に背を向け、廊下を歩き始めた。
日は落ち、辺りは暗くなり始めていた。
叡正の目には屋敷全体が闇に沈んでいくように見えた。
(茜が最期に残したもの……か……)
叡正は渡されたものに視線を落とす。
(佑助の心が少しでも救われればいいが……)
叡正は祈るように目を閉じた。