「それで、その後どうなったのですか?」
 座敷で喜一郎の話に耳を傾けていた咲耶は、じっと喜一郎を見つめた。
 喜一郎は咲耶の反応に満足げに微笑む。
「男は心を病んで奉公人を辞めたらしいんだが、皿を数える女の声はその後も聞こえ続けたらしいんだ。屋敷の中でも、これは本当に何かあるんじゃないかってことになって、奉公人たちで屋敷中を調べたらしいんだよ……。そうしたら、出てきたらしい……」
 そこで喜一郎は、咲耶を追い詰めるように顔を近づけた。
 喜一郎は目を大きく開き、声を低くする。
「出てきたんだよ……。屋敷の井戸の中から……女の死体が……!!」

「まぁ」
 咲耶はわざとらしく目を丸くし、口元に手を当てると喜一郎に寄りかかった。
「それは怖い」
 咲耶はそう言うと上目遣いで喜一郎を見た。

 喜一郎はまったく怖がっている様子のない咲耶に、少し残念そうな表情を浮かべながら、咲耶の肩を抱く。
「咲耶ちゃんはこんな話で怖がってくれないか……」
 喜一郎の言葉に、咲耶は微笑む。
「いえいえ、怖かったですよ。今のお話は本当にあったことなのでしょう? まるで怪談……播州(ばんしゅう)皿屋敷のようですね……」

「そうそう。五日くらい前に、割と大きい屋敷で本当にあったことなんだけどさぁ。未だに屋敷は騒然としてるらしいよ。よりにもよって播州皿屋敷みたいな話だし……」
 喜一郎は酒杯に口をつけると苦笑した。
「そうですね……」
 咲耶も銚子を手に取りながら苦笑する。

 播州皿屋敷は、昔から広く知られている怪談のひとつだった。
 お菊という名の女が、屋敷の主人が大切にしていた十枚の皿のうち一枚を失くしたという罪で、拷問の果てに殺され井戸に捨てられる話だ。
 それ以降井戸の中から、皿を数える女の声が聞こえるという怪談なのだが、物語の内容がなかなか複雑なのだ。

 お菊は屋敷の内情を探るために送り込まれた間者だった。
 屋敷の主人は、主君である将軍を亡き者にしようと企てており、その計画に気づいた将軍の忠臣が屋敷に潜り込ませたのがお菊なのだ。
 お菊の情報により将軍の暗殺は失敗に終わるが、情報が漏れたことで間者の存在に気づいた屋敷の主人が、間者を突き止めるためある男に奉公人を探るよう依頼する。
 男は間者がお菊だと突き止めるが、以前からお菊に想いを寄せていた男は、自分の妾になるのなら見逃すとお菊に持ちかける。
 しかし、お菊はそれを拒否。怒った男は、お菊が管理を任されていた皿を一枚失くしたという濡れ衣を着せ、お菊を殺して井戸に捨てるという内容だ。


(間者……か……)
 咲耶の脳裏に、一瞬だけ弥吉の姿が浮かんだが、咲耶はそれを消し去るように目を閉じた。

「井戸で見つかった女が、本当にどこかから送り込まれた間者だったというわけではないのでしょう?」
 咲耶はそっと目を開けると、喜一郎に聞いた。
「ああ。それどころか、誰も知らない女だったってさ。ただ……屋敷の主人が怪しい動きをしていたっていうところは播州皿屋敷と似てたみたいで……」

 咲耶は目を丸くする。
「本当に謀反の疑いがあったのですか?」
「まぁ、あくまで噂だけどな……。それに、あそこは本当に皿屋敷だから」
「皿屋敷……ですか?」
 咲耶は首を傾げる。

「お庭焼きで有名なんだよ、あの屋敷。遠くから腕のいい陶芸の職人を呼び寄せて、庭の窯で皿とか器とかを作らせてたんだ」
「ああ、それで皿屋敷……」
「そうそう。ただ、最近は何も作ってなかったみたいだけどな」
 
 喜一郎の言葉に、咲耶は何か考えるように目を伏せた。
「もしや……その皿が一枚なくなっていた、とか……?」

 喜一郎は咲耶を見て嬉しそうに笑う。
「さすが、咲耶ちゃん! その通り!」

 咲耶は苦笑した。
「それでは、これは完全に何者かが意図的に仕組んだことなのですね……。幽霊や妖といった類の話ではなく……」
「うん、生きてる人間が絡んでるだろうね。で、なんでこんな話を咲耶ちゃんにしたかっていうと……」
 喜一郎はそう言うと、咲耶の顔をじっと見つめた。

「その屋敷にさ、最近弥吉によく似た子が出入りしてるって聞いたんだ。文使いの仕事は休んでるって聞いてたけど、咲耶ちゃん何か知ってる?」

 咲耶は目を見開いた。
(弥吉……? どうして……弥吉が……?)

 咲耶の反応を確認すると、喜一郎はフッと笑った。
「知らない……か。今、あの屋敷いろいろ疑われてるからさ。あんまり関わらない方がいいよ。最悪、巻き込まれるから。お休みしてるなら弥吉に会う機会はないかもしれないけど、会えたらそう言ってあげて」
 喜一郎はそう言うと、にっこりと微笑んだ。

 咲耶は動揺を隠すように微笑むと、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。会えたときに必ず伝えます」

(弥吉……、おまえは今何をしているんだ……?)
 咲耶は頭を下げたまま、そっと拳を握りしめた。