信が咲耶の部屋に着いたのは、夜見世が始まる少し前だった。
化粧を終えて髪を結いあげた咲耶は、鏡越しに部屋に入ってきた信を見るとゆっくりと振り返った。
「急に呼び出して悪かったな」
咲耶は信に座るよう促すと、棚の引き出しに入れておいた手紙の束を取り出した。
「何かあったのか?」
信が静かに口を開く。
咲耶は信の前に腰を下ろすと、手紙の束を信に差し出した。
「今日、同心がここに持ってきた手紙だ。私の署名はあるが、私が書いたものではない。おそらく私の元に届くようにこんなかたちをとったんだろう」
信は手紙を受け取ると、再び咲耶は見つめた。
「どういうことだ?」
「見ればわかる。暗号になっているんだ。おそらく字変四十八。おまえなら読めるだろう?」
咲耶は信を見つめ返した後、少しだけ目を伏せた。
「前に妹を助けてほしいと言っていた男が、死んだようだな」
信はわずかに目を見開くと、ゆっくりと手紙を開いた。
「よくわかったな……」
信が小さく呟いた。
咲耶は少しだけ微笑む。
「三年前や二回目なんて具体的な数字を、普通はそんなに細かく手紙に書かないからな。それに字変四十八は私が書物で読んで知っていたくらいだから、案外有名な暗号だ。同心も手紙が暗号だとわかっていれば、おそらく気づいただろう」
字変四十八は戦国時代に武将が使っていたといわれる有名な暗号だった。
二桁の数字でひらがな一文字を伝えられるようになっている。
信は手紙の文字を丁寧に目で追っていた。
すべての手紙に目を通すと、信は咲耶を見た。
「わかったか?」
「ああ」
信は短く答えた。
「橘家か?」
「ああ」
手紙の数字は『たちはなけ』と読むことができた。
「最後の『さき』というのは何だと思う?」
咲耶は疑問に思っていたことを聞いた。
「おそらく妹の名だろう」
信は咲耶を見る。
「そうか……。橘家は江戸の中でも何軒かあるはずだ。どうやって探す?」
「俺が以前から探っていた家のひとつに橘家がある。そこに『さき』という女が住んでいたら、おそらく間違いないだろう」
「そうか……」
咲耶は目を伏せた。
「ただ……」
信は珍しく何か考え込んでいるようだった。
「俺はすでに警戒されている。顔もわからない人間を屋敷の中から探すとなると……」
(そうか……)
咲耶は信が言いたいことを理解した。
屋敷の誰かを捕まえて『さき』という女のことを聞けば屋敷にいるかどうかはすぐにわかるが、警戒されて最悪の場合『さき』が殺されてしまう可能性がある。
最初から屋敷に押し入ってそのまま『さき』を見つけて連れ去ることもできるかもしれないが、その場合、信の狙いである刺青の男は逃げる可能性があった。
(かといって、グズグズしている時間はない……か。もともと『さき』の命が危ういから、あの男は信に頼んできたのだろうしな……)
咲耶はひとりの男の顔が浮かんで、思わず苦笑する。
「最近いろいろ頼んでばかりで申し訳ない気もするが……、あいつに頼んでみるか……」
信は咲耶を見つめる。
「あいつか?」
「ああ。幸いにも僧侶だしな。出入りはしやすいだろう」
咲耶は叡正の顔を思い浮かべる。
浮かんだ叡正の顔のほぼすべてが困惑した表情であることに気づき、咲耶はますます申し訳ない気持ちになった。
(今度何かお礼の品を贈ろう……)
咲耶はそう心に決めると、信を見た。
「それでいいか?」
信は静かに頷いた。
二人がそんな話をしていると知らない叡正は、遠くの寺でひとり小さなくしゃみをした。
化粧を終えて髪を結いあげた咲耶は、鏡越しに部屋に入ってきた信を見るとゆっくりと振り返った。
「急に呼び出して悪かったな」
咲耶は信に座るよう促すと、棚の引き出しに入れておいた手紙の束を取り出した。
「何かあったのか?」
信が静かに口を開く。
咲耶は信の前に腰を下ろすと、手紙の束を信に差し出した。
「今日、同心がここに持ってきた手紙だ。私の署名はあるが、私が書いたものではない。おそらく私の元に届くようにこんなかたちをとったんだろう」
信は手紙を受け取ると、再び咲耶は見つめた。
「どういうことだ?」
「見ればわかる。暗号になっているんだ。おそらく字変四十八。おまえなら読めるだろう?」
咲耶は信を見つめ返した後、少しだけ目を伏せた。
「前に妹を助けてほしいと言っていた男が、死んだようだな」
信はわずかに目を見開くと、ゆっくりと手紙を開いた。
「よくわかったな……」
信が小さく呟いた。
咲耶は少しだけ微笑む。
「三年前や二回目なんて具体的な数字を、普通はそんなに細かく手紙に書かないからな。それに字変四十八は私が書物で読んで知っていたくらいだから、案外有名な暗号だ。同心も手紙が暗号だとわかっていれば、おそらく気づいただろう」
字変四十八は戦国時代に武将が使っていたといわれる有名な暗号だった。
二桁の数字でひらがな一文字を伝えられるようになっている。
信は手紙の文字を丁寧に目で追っていた。
すべての手紙に目を通すと、信は咲耶を見た。
「わかったか?」
「ああ」
信は短く答えた。
「橘家か?」
「ああ」
手紙の数字は『たちはなけ』と読むことができた。
「最後の『さき』というのは何だと思う?」
咲耶は疑問に思っていたことを聞いた。
「おそらく妹の名だろう」
信は咲耶を見る。
「そうか……。橘家は江戸の中でも何軒かあるはずだ。どうやって探す?」
「俺が以前から探っていた家のひとつに橘家がある。そこに『さき』という女が住んでいたら、おそらく間違いないだろう」
「そうか……」
咲耶は目を伏せた。
「ただ……」
信は珍しく何か考え込んでいるようだった。
「俺はすでに警戒されている。顔もわからない人間を屋敷の中から探すとなると……」
(そうか……)
咲耶は信が言いたいことを理解した。
屋敷の誰かを捕まえて『さき』という女のことを聞けば屋敷にいるかどうかはすぐにわかるが、警戒されて最悪の場合『さき』が殺されてしまう可能性がある。
最初から屋敷に押し入ってそのまま『さき』を見つけて連れ去ることもできるかもしれないが、その場合、信の狙いである刺青の男は逃げる可能性があった。
(かといって、グズグズしている時間はない……か。もともと『さき』の命が危ういから、あの男は信に頼んできたのだろうしな……)
咲耶はひとりの男の顔が浮かんで、思わず苦笑する。
「最近いろいろ頼んでばかりで申し訳ない気もするが……、あいつに頼んでみるか……」
信は咲耶を見つめる。
「あいつか?」
「ああ。幸いにも僧侶だしな。出入りはしやすいだろう」
咲耶は叡正の顔を思い浮かべる。
浮かんだ叡正の顔のほぼすべてが困惑した表情であることに気づき、咲耶はますます申し訳ない気持ちになった。
(今度何かお礼の品を贈ろう……)
咲耶はそう心に決めると、信を見た。
「それでいいか?」
信は静かに頷いた。
二人がそんな話をしていると知らない叡正は、遠くの寺でひとり小さなくしゃみをした。