見た目は花で、心は雨。
いつもそうだ。
まるで溺れているみたいで、息ができない。
本音は胸三寸に納めて、トモダチは2の次。
家族が、大事。
でも、心にそう言い聞かせる度に、海に溺れていく。
光はどこにあるのだろうか。
色々な心に触れても、それは私の心じゃない。
本当の私は、どこだろう?

◇◇◇

〜学校 2年1組〜

ウグイスの澄んだ鳴き声が耳に届く。
私は、ずんだ餡のような綺麗な色の体を持った鳥を想像する。
校庭は空に知られぬ雪の如く、舞い散る桜の花びらで埋め尽くされていた。
美しく清らかなこの世界に、私は似合わない。

「吉月! ……吉月? どうした?」

担任の先生から名前を呼ばれて、顔を上げる。
そうだ。まだ、出欠の確認をしていたんだ。

「あ、大丈夫、なんでもないです」
「そうか……なら、大丈夫だ」

先生はそのまま、次の子の名前を呼び始める。

「あぁ……輪梨は、今日も休みだ」

先生は歯切れが悪そうにそう言った。
輪梨というのは、私の1つ後ろの席の男子。フルネームは、輪梨翼だっただろうか。
すると、“輪梨”に反応して、教室がざわつき始めた。

「輪梨、今日もサボりかよ〜」
「マジで学校来いよな。学校が嫌なのは俺らも同じなんだし」
「男子さー、輪梨くんのこと悪く言い過ぎでしょ」
「そうだよ! 人にはジショウってものがあるんだから!」

輪梨くんを悪く言う人もいれば、適当な言葉で労う人もいる。
その輪梨という男子は、女子に人気があるようで、いつも恋バナばかりしているような女子も、次々に口を開く。
ふざける男子の声も、甲高くて甘ったるい女子の声も、私は全て嫌い。
先生、早くこの状況を沈めて。

「おい! もう授業が始まるから、騒ぐのもいい加減にしろよー」

先生がそう言うと、喧騒は収まり、教室は静かになった。
すると先生は、続けてこう言った。

「吉月! クラスの代表で、輪梨の家にプリントを届けに行ってくれないか? 住所はあらかじめ教えておくから」

先生はそう言って、持っていた輪梨くんのプリントをヒラヒラさせる。
先生が私に頼むのは、私がクラス委員だからだ。
そうなると、断るわけにはいかない。

「……はい。わかりました」

私はそう言い、静かに頷いた。
一限目から下校まで、この日は普通だった。

〜放課後 輪梨家〜

インターホンを押すと、すぐに輪梨くんのお母さんらしき人の声が聞こえてきた。

『どなた様、ですか?』
「えっと……輪梨翼くんの同級生の吉月華雨です。プリントを届けにきました」
『あぁ、少々お待ちください』

しばらくすると、玄関のドアが開き、優しそうな女の人が出てきた。多分、輪梨くんのお母さんだ。

「わざわざ来てくれてありがとうね。翼の下の名前まで覚えてくれているし」
「はい。私、クラス委員なので」

私は空笑いを浮かべる。
中身のない、空白の作り笑い。
輪梨くんのお母さんにプリントを渡すと、作り笑いを浮かべたまま、お辞儀をした。

「……じゃあ、私は帰ります」
「そう、気をつけて帰ってね。 今日はありがとう」

手を振ってくれた輪梨くんのお母さんに、私はもう一度、軽くお辞儀をする。
日は西に傾き、空はオレンジ色に染まっている。
逢魔が時と言うべきか、黄昏時と言うべきかわからない時間帯だ。もしかすると、雀色時と言うのかもしれない。
簡潔にまとめると、夕暮れだ。
家に帰ると、疲れる。
私は、いつもよりゆっくりと歩いた。

〜吉月家〜

「……ただいま」

そう言ってリビングに行くと、お母さんが夜ご飯の準備をしていた。

「おかえりなさい。遅かったじゃないの」
「うん。休みの子に、プリントを届けに行ってたの」
「そう。華雨は人の役に立てることができて偉いわね」

お母さんは、いつも通り笑顔だ。
笑っているのに……どこか怖い笑顔。私に、その笑顔の正体はわからない。

「今日の晩御飯はホワイトシチューよ。早く着替えて、食べましょう」
「うん。わかった」

常に浮かべるいい子スマイル。
私は2階の部屋に行くと、そのままベッドに倒れた。
……息が詰まるんだ。
いつもこう。
学校にいても、家にいても、どこか辛い。逃げ出したい。
私を優等生にする制服から、私をいい子にする普段着に着替える。
あんまりだらしない服を着ていると、お母さんに怒られてしまう。
大丈夫……お母さんは私の味方。私を1番に思ってくれている。
そう心に言い聞かせて、私は1階に下りた。


「シチュー、おいしいかしら?」
「……うん。おいしいよ」

私がホワイトシチューを口に運ぶと、お母さんが聞いてきた。
私はいつも通り答える。けれど、これは本当。お母さんは料理が上手だ。
……それからしばらく、沈黙。
これもいつものこと。私とお母さんの会話のレパートリーは極端に少ない。

「ご馳走様でした」

静寂を切り裂いたのは、そんな私の声だった。
お母さんはそれに「お粗末さま」と言い、また、にこりと笑った。


「……怖い」

2階の部屋に行った私の第一声は、それだった。
心の中は大雨。
手が震えてしまい、持っていたスマホを落としそうになる。
生きにくい。息ができない。
目から雨が溢れ出ていくのがわかった。
これは、私の心からこぼれ落ちた雨だ。
しばらく、雨は止む兆しを見せなかった。
……明日、学校行きたくないな。

〜翌日 学校〜

私はいつもより早く家を出た。
あまり眠れなかったから。
だから、あんまり遅く家を出ると、学校に行くのが遅くなってしまうかもしれない。
ふらつく足で学校に向かう。
少し頭が痛い。
おかしいな、今日の私。
そう思っていると、

「あれ………? 吉月、さん?」

誰かに名前を呼ばれた。
振り返ると、そこにはボサボサの髪をした一重の少年……輪梨翼くんが立っていた。

「輪梨くん……」
「朝早いな。どうしたんだ?」
「う、ううん。なんでも……ない」

私はいつも通りの作り笑いを浮かべる。
でも、上手く笑えていなかったのか、輪梨くんは首を傾げた。

「本当に大丈夫? 顔色悪いけど」
「大丈夫。本当に、大丈夫だから……」

私は焦りの色を隠せない。
大丈夫じゃない。体調が悪いし、今にでもどこか静かな場所へ向かいたい。

「……じゃあ私、学校行くから——っ!」
「⁉︎ 吉月さん!」

私が適当に話を終わらせようとしたら、ふらついて、転びかけてしまった。
転ぶ直前に輪梨くんが受け止めてくれたから、怪我ひとつない。けれど、学校に行く気力は完全に失せていた。

「……吉月さん、ちょっとついてきて」
「え? でも、学校は……」
「今日は学校休み! 担任には体調崩したって言っておけばいいからさ」

輪梨くんはそう言って、私の腕を強引に引っ張る。
私の足には力が入らなくて、争うことはできなかった。

〜公園〜

「さぁ! 着いた!」

着いたのは、大きな桜の木とブランコが置いてある公園だった。
途中に桜並木を通ってきたから、私たちが住んでいる街に近いのかと思ったけれどそうでもない。
そこは思ったよりも街と離れていて、半分森の中という感じだ。

「ここは自然の音しかしないから、すごく落ち着くんだ。鳥も沢山いるし」

輪梨くんはそう言って笑う。
確かに、ここで聞こえるのは風の音や、鳥の囀りばかり。
車のエンジン音や、幼い子供の騒ぐ声は聞こえない。

「吉月さんは、なんの鳥が好き?」

輪梨くんはブランコに座ってから、突然、私に聞いてきた。

「……ウグイスが好き。色が可愛い」
「え、ウグイス? ウグイスってこいつだよ?」

輪梨くんがそう言って私に見せたのは、見事に輪梨くんの人差し指に乗ったオリーブ褐色の鳥だった。

「え⁉︎ それがウグイスなの? この子じゃなくて?」
「それはメジロ。確かに仲間だけど、メジロはウグイスみたいに「ホーキョケキョ」とは鳴かないんだ」

私がスマホでずんだ餡のような色の鳥の画像を見せたけれど、それは違ったらしい。
私は輪梨くんの隣のブランコに腰を下ろした。

「……でも私は、ウグイスが好き」
「なんで?」
「ウグイスって、春告鳥とか歌詠み鳥とか、そういう別名があるの。綺麗でしょ」
「へぇ〜。知らなかった。綺麗だね」

私達はそう言って静かに笑った。

「逆に、輪梨くんが好きな鳥は?」
「え? 俺? うーんと……俺は、カワセミが好き」
「カワセミ……?」
「そう。カワセミって、漢字で書くと“翡翠”ってなるんだけど、その名の通りすっごく綺麗なんだ!」

私は頭の中で、青い光沢の羽毛を持った鳥を想像してみる。
それはすごく綺麗な鳥で、そこらのカラスやカモとは比べ物にならない。

「そんなに綺麗なら、私、見てみたい……!」
「お、いいね〜。燃えてるよ!」

私はこの時、数年ぶりに、心の底から笑っていた。
さっきまでの暗い気持ちは心から消え去り、私の心を軽くしてくれた。

「じゃあ、来週でもよければ、カワセミが見れる場所、教えてあげるけど」
「え⁉︎ いいの⁉︎」
「行くなら、ゆびきりげんまんしよ」
「え?」
「ほら。小指出して」
「う、うん」

私たちは、小指と小指を結んだ。
そして、歌い出す。

「「ゆーびきーりげーんまーん うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます ゆーびきった」」

まるで幼稚園児のようにゆびきりげんまんをした私たち。
そして、2人して笑った。

〜その日の夜〜

「……ただいま」
「あら、おかえりなさい」

今日もまた、静かな地獄への扉を開ける。
そこにはいつもの笑顔を浮かべたお母さんが立っていた。
でも、その笑顔がいつもより怖く感じて、私の笑顔が引き攣る。

「華雨、少し話があるの」
「は、話?」
「そう。服はそのままでいいから、着いてきなさい」

お母さんはそう言って、強引に私の腕を引っ張って行く。

「華雨。あなた、今日は学校を休んだみたいね」

私の肩が震える。
確かに、担任の先生に欠席することを伝え忘れていた。

「……ちょっと、体調が悪くなって」
「そう。なんでお母さんに言ってくれなかったの?」
「……お母さんに、心配かけちゃうかもしれないから、言えなかったの。ごめんなさい」
「そう。次からはちゃんと、お母さんに知らせてね」

お母さんはまた笑顔を取り戻して、にこりと笑った。
お母さんの口癖は「そう」だ。繋ぎ言葉として便利らしい。

「それじゃあ、晩御飯を食べましょう。冷めてしまうわ」
「……うん。着替えてくるね」

私はいつも通り、2階の部屋に向かった。
けれど、部屋に入った途端、踏ん張りが効かなくなってしまった。
「はぁ」と、大きなため息を吐く。
——息がし辛い。
この世のものはほとんど美しいのに、私は醜い。
私だけが、この世の規格外品。
生きている価値なんて、あるのかな。

その後の夜ご飯は、まったく喉を通らなかった。

〜翌日〜

この日は、雨だった。
台風が近づいてきているらしく、日本各地が大雨に襲われていると、天気予報で言っていた。
私の心も豪雨に襲われている。
昨日から、ずっと。
今日は昨日のような、鳥の囀りは聞こえない。
雨だとやる気がなくなるのは、鳥も同じみたいだ。
昨日と同じようなふらつく足で、学校に向かう。
水溜りの上を歩くと、思わず滑りそうになる。
けれど、あんなお母さんをもう二度と見たくないから、学校に行く。

〜学校 2年1組〜

教室の中にいても、雨が降る音はやまない。
出欠確認中も、雨で少し重苦しい雰囲気になっていた。

「輪梨は……」
「ハイハイ、休みでしょ〜」

重苦しい雰囲気を一変させたのは、クラスのおふざけ系の男子だった。

「マジで、あいつ身勝手すぎるんだよ」
「確かに。いつか忘れ去られそー」

その男子に続いて、別のクラスメイト達もコソコソと話し声が聞こえてくる。
私の心ではイライラが募る。
誰も輪梨くんのことを知らずにそんなことを言えるなんて、本人に失礼だと思わないのだろうか。
今の体調と相まって、すごく気持ち悪い。
教室のざわつきは、先生が3回くらい注意するまで、落ち着かなかった。

〜放課後 輪梨家〜

放課後は輪梨くんの家に行き、プリントを届けに行った。

「吉月さん、今日もありがとう」
「いいえ。輪梨くんにも、少しお世話になっているので」
「あら、そうなの?」
「はい。友達なんです」

私がそう言うと、輪梨くんのお母さんは、温かそうに、安心したように微笑んだ。
そしてそのついでに、輪梨くんのお母さんにとあることを聞いてみた。

「あ、あの……」
「ん? どうしたの?」
「デリカシーのないことを聞きますが……輪梨くんって、なんで不登校になっているんですか?」

心臓がバクバクとうるさい。
デリカシーやプライバシーについて触れてしまう質問をする時はいつもこうだ。
でも、私の心を軽くしてくれた彼のことを、何ひとつ知らないままでいるのは嫌だった。

「……いいわ。上がって」
「え? いいんですか?」
「ええ。息子の……翼の、初めてのお友達だもの」

断られるかと思っていたが、輪梨くんのお母さんは温かい笑顔を浮かべたまま、すんなりと受け入れてくれた。

リビングに案内されると、輪梨くんのお母さんは私に紅茶を出してくれた。
そして、輪梨くんのお母さんは、ゆっくりと輪梨くんのことを話してくれた。

「私の夫……つまり、翼のお父さんはね、翼が1歳の時に死んでしまったの」

その言葉に、私の心臓がビクリと跳ね上がる。
なぜだかわからないけれど、少し怖かった。

「それから、お父さんがいないことを同級生の子達に色々言われちゃったみたいで。それが嫌だったのか、よく喧嘩をしてたの。そしたら、中学校に行って、不良だって、避けられ続けちゃって……。人間関係に疲れたのか、不登校になってしまったの」

まるで小雨のように、ポツリポツリと話してくれた。

「ごめんなさいね。暗い話になってしまって」
「大丈夫です。私が知りたいと言ったので」
「……ありがとう」
「え?」
「翼の……友達になってくれて……ありがとう」

気がつけば、輪梨くんのお母さんは泣いていた。
さっきと変わらない微笑みを浮かべながら、瞳から溢れ続ける涙を拭う輪梨くんのお母さん。
私は、こんな風に感謝されるのが初めてだった。
涙を流しながらも感謝され、困惑よりも嬉しさが勝った。
そして、私も思う。

——輪梨くんと友達になれて、よかった。

〜1週間後〜

私は輪梨くんと共に、カワセミを見に行った。
まずは私が輪梨くんの家に行き、合流。
そうしたら、2人でバスを乗り継ぎ、森の中のバス停まで行く。
そこからは歩きだった。
かなりの森だったけれど、誰かが整備しているのか、道があった。
しばらく歩き続けると、輪梨くんが足を止めた。

「吉月さん! ちょっと降りるよ!」
「え⁉︎」
「ほら、こっち!」

輪梨くんが降りると宣言した場所は、ほとんど崖だった。
輪梨くんは私の手を引いて、すぐ横の急な坂道を駆け降りて行く。
私は転ばないように、一生懸命に足を動かす。
そして、坂を降りた先にあったのは、とても綺麗な湖だった。

「わぁ……!」
「すごいだろ?」
「うん! すごい……!」

私は子供のように目を輝かせた。
透き通る湖に、鳥の囀りも聞こえる。青々しい森の木々は、カーテンのような湖に柄を与えている。

「吉月さん、こっち!」

輪梨くんが手を振って私を呼んだ。
そんな輪梨くんが立っていたのは、小さな青いボートだった。

「輪梨くん、これ……」
「俺が知り合いから貰ったんだ。それを、ここに置いておいた」

輪梨くんはそう言って、ボートを漕ぎ始める。
しばらくすると、周りには、サファイアのような色をした鳥がやってきた。カワセミだ。

「これが、カワセミ?」
「そう。綺麗だろ?」
「うん……! すごく綺麗……」

私たちの周りには、沢山のカワセミが群れて集まっている。
これだけ集まっていると、この湖が、まるで宝石箱のように見えてくる。

「……吉月さん。やっといい笑顔になってきたね」
「え? 私、笑ってた?」
「うん。誰がどう見ても笑ってたよ」

無意識に笑っていた自分が恥ずかしくなる。
自分が笑っていることって、案外気づかないことなのかも。

「俺が出会った時は、吉月さん、あんまりいい顔してなかったから、少しでも笑って欲しかったんだ」
「そうなんだ。けど、なんで私なの? クラスが偶然一緒だっただけでしょ?」

私はそう言った。
私たちの学年には、私みたいに上手く笑えていない子が他にいるはず。なのに、なんで私を助けたのだろう。

「……さぁ? でも、吉月さんは……」

輪梨くんは、一度言葉を切ってから、一言、付け足した。

「吉月さんは、俺の——大切だった人に、似てた」

意味深な言葉を放った輪梨くん。
そんな輪梨くんの横顔が悲しくて、私は輪梨くんの“大切な人”について聞けなかった。

「ねぇ、吉月さん。華雨って呼んでもいい?」
「え?」
「俺、特別な人ができたら、名前呼びにするって決めたんだ。吉月さんも、俺のこと翼って呼んでもいいからさ」

そう言う彼の顔は、少し悲しそうで、今にも泣き出してしまうような顔だった。
そんな彼の誘いを、断るわけにはいかなかった。

「いいよ。よろしく、翼」
「……! うん! よろしくな、華雨!」

この日私は、輪梨翼という人間は、表情がコロコロと変わる人間だということを知った。

〜それからしばらくした、ある日〜

私は、翼に桜とブランコの公園に来てくれと言われ、桜並木を歩いていた。
前よりも桜の花びらが散っていて、本物の雪のようだった。

「あ……」

公園に行くと、ブランコに乗っている翼がいた。

「翼」
「お、やっときた」
「待った?」
「全然。数分だよ」

恋愛物語でお馴染みのセリフを交わす私たち。
そして、お互いに笑い合う。

「で、なんで私を呼び出したの?」
「あ、えっとねー……」

私がそう聞くと、翼は緊張した表情になった。本当に表情がコロコロと変わる性格だ。

「華雨に、渡したいものがあって」
「渡したいもの?」
「そう。……これ」

翼は私の手の上に、バレッタを手渡してくれた。
それも、桜の装飾が施された、綺麗な桃色のバレッタだった、

「えぇ⁉︎ いいの?」
「うん。俺からの気持ち」
「でも、お金とか——」
「あーもう。いいんだよ。それ、俺の父さんが作ったんだけど、「お前に本当に特別な人ができたらその人に渡せ」って言ってたから」

そう言う翼は、今まで見たことがないくらい穏やかな笑みを浮かべていた。
その笑みに、私の顔も綻ぶ。
私は翼のお父さんのことはしらないけれど、物凄く、素敵な人なんだなって思った。

「華雨は、桜が似合う」
「そっちこそ」

私たちは花のように笑う。
風が吹くと桜の花びらは、花雨のように舞い散った。

——彼といるときの私が、“本物の私”だ。