キュートアグレッションな彼氏と弱虫彼女~聞き取り下手な彼女に捧ぐくせ強な愛言葉~

更に時間は過ぎていき、人通りの多いお土産屋さんの立ち並ぶ道を歩く。

まっすぐに歩くのも困難なほどににぎわう場所で、私は小走りになんとか並んで歩くことが出来ていた。

京都は観光のために出来た場所のようなもので、観光地となると海外の人でいっぱいだ。

日本語ですら異国の言葉を聞いている錯覚をしてしまう。

もともと言葉を拾うことが困難なため、班の会話は聞き取れていない。

時々彼が気づかって声をかけてくれたが、反応できずに笑って誤魔化すしかなかった。


大きめのお土産屋さんに入ると、食べ歩きを楽しめるものも売っていた。

せっかくの旅行だと腹の空き具合を気にせずにみんなが好きなものを買って食べ始める。

莉央と杏梨もソフトクリームにタピオカと手を伸ばしており、私もあわせようと注文に向かう。


「おーーーすかぁ?」


しかし店員さんの言葉が聞き取れない。


「あ、もう一度いいですか?」

「あーーーーとーーがありーーーーーー?」

(どうしよう、聞き取れない)


ダラダラと汗が額からにじむ。

店内のため、外に比べればそこまで騒がしいわけではないのに。

声が言葉にならない。

音だけを拾って、言葉として認識しベストな返答をする。

それが私には難しい。

私にはそう聞こえているのに、他の人は難なく会話をする。

普通はどう聞こえているのか。

日常に大きな支障はないが、小さな歪はやがて違和感へと変わっていく。


「味。抹茶、美味しいよ?」


不思議がる店員と、無言になる私。

その状況に気づいたのは杏梨だった。

ソフトクリームを片手に指さし、見本となるメニューへと誘導する。


(味を聞かれてたんだ……)

「ま、抹茶で!」


それから抹茶のソフトクリームを入手し、先に食べていた杏梨のもとへと駆ける。


「う、上原さん! あ、ありがとう!」

「別に。お礼言われるようなことはしてないから」

そっぽを向いてしまい、私は俯いてソフトクリームを口に含む。

杏梨は物事に良く気づく。

周りが気づかない些細なことにも目を配り、違和感があれば状況把握のために前に乗り出す。

それが杏梨のやさしさだ。

ただ優しく、自然に行っているだけのこと。

罪悪感を感じているのは私の勝手だ。

そうしてじめっと考えてしまうことは、不和を呼ぶことも知っていた。
集合時間になり、私たちは宿泊する旅館へと戻り、夕食後に入浴する。

部屋に戻った私たちは浴衣を着て、部屋に敷かれた布団の上に座り込んだ。


「お風呂気持ちよかったねー」

「うん。久しぶりにあんな足伸ばしたかも」

大の字に寝ころぶ莉央の豪快さは見ていて気持ちがよい。

ポカポカに温まった身体が冷えないよう、足元だけ布団の中に入れる。

そうしてくつろぎの時間を楽しんでいたが、杏梨は隅に移動された木製の座椅子で膝を抱えていた。

こちらには一切目を向けることなく、いつもより大きめの声で質問を投げてきた。


「あのさ、武藤さん。聞きたいことあるんだけど」

「な、何でしょうか?」


杏梨からピリッとした空気を感じる。

大きめの声は威圧的で、反射的に肩を震わせてしまう。


「武藤さんって耳悪いの?」

「あ……」


その直球な問いに肝が冷える。


「ちょっと杏梨、やめなよ」


莉央が勢いよく身体を起こし、杏梨を睨みつける。

そこでようやく杏梨はこちらに目を向け、ふてくされた様子を見せた。


「だって気になるんだもん。武藤さん、会話する気あるのかなって」

「杏梨! そういう言い方よくないよ!」

「だって全然話聞いてないじゃん! 話振る度に聞き直されたらさすがにわかるよ!」

「周りがうるさいと聞こえないこともあるでしょ!? 杏梨って周りに厳しすぎなんだよ!」

「なによ! 私が悪いって言うの!?」

「やめて……」


こうして不穏な空気は大きくなって、破裂する。

私が原因となり、問題が大きくなって混乱へと繋がってしまう。


(なんで、こうなるの?)

聞き直さなくてもよいのならそうしたい。

それが出来ないから悔しいし、悲しい。

何度も隠れて涙し、なんでもないふりをしてヘラヘラと笑った。

そうして人と距離を取ることが傷つかないための処方箋だった。

私が悪いと、何度も言い聞かせていく中で呪わしい気持ちも大きくなる。

不快なそれに飲み込まれないよう私は必死で逃げていた。


(本当のこと言ってもみんな理解したふりをする)


最初は理解を示すふりをして、笑って受け入れてくれる。

だが繰り返していくうちに、周りの表情は険しくなった。

めんどくさがって、人は離れていく。

誰も自分の嫌な一面は見たくない。

きっと私に対して苛立ってしまう人もいて、その感情が嫌だからと離れた人もいる。

これは仕方のないことだと頭の中では理解していても……心が追い付かなかった。
「二人とも、喧嘩しないで」

「「ご、ごめん……」」


困らせるくらいなら身を引く。

傷つくくらいならば私から離れよう。

私がいなければ誰も悲しい思いをしなくて済むのだから。

心なんて……かき消してしまえば何も怖くない。

笑っていれば、そういう子なのだと安心して離れていってくれるから。


「私、聞き取りが上手くできないの。だから……意見とか聞かなくていいよ?」

「は……?」

「別に、聴力に問題があるわけじゃないから」


にっこりと笑うことで、壁を見せる。


「不愉快な思いをさせてごめんなさい。でもどうか、喧嘩しないでください」


立ち上がって、私は距離を取る。


「武藤さ……」

「気にかけてくれてありがとう。私、しばらく席外すね」

「武藤ちゃんっ!!」


もう聞きたくない。

もう見たくない。

一人でいれば何も起こらない。

人の顔を見るのが怖い。

言葉が難しくて、私は普通ではないと思い知る。

みんなにとっての当たり前は、私にとっての困難だった。


走って走って、追いつかれないところまで逃げていく。

浴衣姿では何度も足がもつれて、スリッパが脱げそうになる。

それでも私は走ることをやめなかった。


(あーぁ。またやっちゃった)


勢いだけで走り、旅館のロビーにたどり着く。

私は零れ落ちそうになる涙を拭い、ロビーの隅にあるソファー席に座った。

膝を抱えて顔を埋める。

言葉を聞き取ることが困難。

それが卑屈な私へと繋がり、和を乱すことが多かった。

明るくなろうとして背伸びをしてみても、染み付いたネガティブから脱するのは難しかった。

本音を言っても言わなくても結果はいつも同じ。

最初はみんな理解を示そうとしてくれるが、だんだんと顔が険しくなっていく。

苛立った様子でこちらを見る目がつらい。

だったら最初から人と関わらなければ最小限で済む。

気を使わせないで済むのだと、私は人を遠ざけることを覚えた。

前を向いた行動が出来るならば苦労はしない。

自己肯定感なんて言葉は考えれば考えるほどに、ぐちゃぐちゃに絡まるものだった。
(少し、優しくされたからって根本は変わらない。私、勘違いしちゃってたんだ)


彼に愛情をもらったことで忘れていたのかもしれない。

現実は、私にとって冷たいものだ。

周りと同じように歩んでいきたいだけなのに、背中を追いかけるばかり。

後ろからは追い抜かれてばかりだった。


「武藤さんっ!」


赤褐色の光が見える。

にじんだ視界の中でもやっぱりキラキラしていて、焦がれる。


「鈴木くん……」


私の好きな人は、全力で愛を示してくれる。

それに応えられる器ではないとわかっていても、手を伸ばしたかった。


「その、まっつーから連絡があって。話聞いて、居ても立ってもいられなくて……」

「……みんなが理解あるわけじゃないから」


本当に、可愛げのない。

笑っていればいいというのに、私は物わかりのいいフリをしたくなかった。

他人のせいにする自分が大嫌いだ。


「上原は話せばわかってくれるヤツだよ?」

「そうだね。でも、いつまで許してくれるの?」


自分が変わるしかない。

そんなことはわかっている。

頑張って頑張って頑張って、そして傷ついて。

立ち直ることが難しいなかで他人を責めたくなるのはそんなに悪いこと?

自分が悪いのだと戒めて、卑屈になるのは間違っている?

正論だけで生きていけるなら、私はこんなにも”普通”に焦がれない。


「世の中はそれ、通用するの?」

「武藤さん……」


あぁ、ダメだ。

飲み込まれる。

私は、どうして普通にコミュニケーションがとれないの?

トラウマが私の思考を奪う。

希望を壊していく。


『もう、ひなたと話したくない』

『疲れた。あたしが悪く言われるんだよ』


嫌だ。いかないで。

がんばるから。

もっと人の話に集中して、言葉を受け止めるから。


『お客さんからのクレームがあるのよね。注文の聞き返しが多いって』

『教えてもすぐに忘れちゃうし。メモとってで何で覚えないの? 覚える努力しないわけ?』


もっとがんばらないと。

人の言葉を理解したと行動で示さないと。

集中しても言葉は音のまま。

長くなればなるほど音がこぼれていく。


世界が遠ざかっていく感覚。

みんな、何を話してるの?

人の声が、コワイなんて……。

変なのは自分なのだと、黒く塗りつぶされていった。
それは人数の多いマンモス中学校でのこと。

新しい門出にドキドキしながら校門を潜り抜け、事前に連絡を受けていたクラスへと向かう。

途中、張り紙でもクラス分けが掲示されていたので記念に確認しようとする。

だが浮足立つのは他の人も同じことで、背の低い私は人に埋もれていた。


(諦めよう……)

がっくりと肩を落とし、トボトボ歩いていると突然背中に衝撃が走る。


「ひなーっ! おっはよー!」

「円香ちゃん!」


ツインテールに猫のような吊り目。

八重歯を見せて笑う元気っこな姿は一人でおどおどする私を勇気づける。

男子にも物怖じしない強気な女の子。

宮石 円香は小学校から同じクラスの友人だった。


「いやー、中学に入っても同じクラスメイトになったねぇ。すごくない?」

「ねー。小一の時からだから七年目だよ」

「卒業まで一緒だといいね!」


円香とは6年間同じクラスメイトとなり、高学年になって仲良くなった。

明るく、正義感の強い子で大好きな友達だった。

そんな私たちは示し合わせたかのように加入する部活動も同じになり、お互いに笑いあった。

見学を終え、正式に入部をすることとなり楽器を選ぶ。


「ひなはクラリネットかぁ。手、小さいけど届く?」

「ギリギリなんとか。早く上手くなりたいなぁ」

「アタシは花形のトランペット! トロンボーンと悩んだけどね!」


私の手は同い年の女の子に比べて小さく細っこい。

頑張れば指が長くなるのではないかと期待を込め、クラリネットを手に取った。

黒色の上に銀色が映えて、少し大人になったような気分になった。

それから毎日それぞれのパートで練習をするようになる。


「はじめまして、パートリーダーの前田です」

「よろしくお願いします」


クラリネットは人数が少なく、二年生の前田 心美がパートリーダーを務めている。

髪の毛を一つにくくったおっとりとした顔立ちの先輩だ。


「部活のルール、教えておくね。うちは結構、礼儀に厳しいから~」


そこで先輩への挨拶や部室の準備・後片付けといった部特有のルールを教わる。

私は必死になってメモをとっていくが、書く手が追い付かない。

だんだんと書くことに集中してしまい、途中で話の流れがわからなくなってしまった。
「今日ははじめてだし、各パートの人たちに挨拶して、その後楽器で音出しやってみようか」

「は、はい! よろしくお願いします!」


上下関係を意識するのはこれがはじめてだ。


右も左もわからない私は聞き取りが出来なかったことを相談することも出来ず、返事だけは一丁前にして心美の後を追う。

各パートに挨拶をしていき、最後に部長の属するトランペットの人たちに挨拶をした。

そこには円香もおり、目が合うと手を振ってにこにこする。


「よかったな、クラリネットに後輩が出来て」


部長の水谷 彩奈が心美と話し出す。

クラリネットは心美と他2人という少数で構成されていた。

吹奏楽の花形ともいえるトランペットにはお尻に0を足すくらいには多い。

女子の多い環境で私と円香は新しい日常を送ろうとしていた。


ーーーーーーー

それは入部してしばらく経ってのこと。

職員室に用があり、教室までの戻り道を駆け足気味に歩く。


(早く教室戻らないと)


授業が始まってしまうと私は慌てていた。

階段を昇る際に上の学年の女子生徒たちとすれ違ったが、急いでいる私は顔をちらりと見てそのまま通過する。

学年が上がるだけでずいぶんと華やかで大人っぽいと、私は憧れを抱いていた。


「さっきのって、一年よね?」

「うーん、まぁまだ入って3日だしなぁ」

「ふーん……」


それが吹奏楽部の先輩だとは気づいていなかった。

入部したてなので致し方ないことだが、問題がすでに起きていることに私は気づかずにいた。

授業を終え、部活動に向かう私はメモ帳を開きながら慌ただしくしていた。


(えっと、部活はじまるまでに色々やることがあって。あれとアレと……なんだったかな)


階段を下りながら必死になって後輩の役割をこなそうとする。

だが不完全なメモではまず何から始めればよいのかわからず、メモを見ながらテンパっていた。


(書くことに必死で聞けてないところがあったからなぁ)


頭の中は一向に決まらない部活開始までの手順。

一日でも早く覚えなくてはと、私は焦っていた。


ーードンッ!


そのため、前方不注意となってしまい、階段を昇っていた生徒と衝突してしまう。


「いったー……」


階段で尻もちをついてしまった生徒を見て青ざめる。


「す、すみません! 大丈夫でしたか!?」

「あ……うん。……大丈夫だよ」


笑って大丈夫と言われたことに安堵した。


「よかったです……。すみません、前方不注意でした」

「気をつけなよー?」


それで事が済むほど現実は甘くなく、なかなか上手くいかなかった。
――私はすぐに人の顔を覚えられない。

面と向き合い、十分な会話したことない人は覚えてるまでに時間がかかる特性があった。
後日、校内を歩いていると以前ぶつかった生徒と出会う。
だがそれは私の勘違いで、まったくの無関係の生徒であった。


(この前ぶつかった人だよね……?)

「あの、先日はすみませんでした!」
深々と頭を下げると相手は立ち止まり、困惑の色をみせた。

「え?」
「……え?」

相手の反応をみて、私は謝るべき人を間違えたのだと気づく。

「えっと、ごめんね。 誰? 何かあったかな?」

(人違い……だ)

「す、すみません。 間違えました」
「大丈夫だよー。 気にしないでねー」

血の気が失せていく。
それがきっかけとなり、私はさらに臆病となってしまった。
人の顔がなかなか覚えられないことが歪となって、大きくなっていく……。

それは部活動の時間を終え、帰り際のことだった。
心美つてに部長に呼ばれ、静かな音楽室での出来事だ。

「なんで呼ばれたかわかる? 武藤さん」

腕組をした部長と副部長、そしてパートリーダーの心美がまわりを囲む。
心美は目を反らし、部長と副部長は険しい表情をしている。
この呼び出しが衝突事故に起因するとは想像もつかず、私は首を横に振った。
状況を理解しない私に部長の彩奈は額をおさえ、深くため息を吐く。

「少しね、自分は後輩ということを理解してほしいの」
「……チューバの佐藤さんが手を怪我したの。しばらく演奏は出来ない」

部長の言葉を心美が補足する。

「聞いたところによると、武藤さんとぶつかったとか。怒ってるわけではないみたいだけど、あれから謝りにも来ないって気にしてるわ」

そこまで説明を受け、ようやく何が起きたかを把握した。
あの衝突事故に罪悪感はあれど、相手の顔をはっきりと覚えていなかった。
いざ勇気を出して謝罪すれば人違い……。

それから恐怖が上回り、事を曖昧にしていた。
まさか怪我してたとまでは思わず、私は焦るばかり。

「すみません、すぐ謝りに」
「いいよ、あの子も怒ってないし。ただ先輩への配慮に欠けてるからその辺意識してね」

私に出来ることは謝ることだけだ。
とっさの言葉であったが、それを彩奈は一刀両断する。
怖気づいた私は俯き、喉の奥に詰まった違和感に戸惑っていた。


「あと、廊下で先輩にすれ違ったら挨拶すること。これ、当たり前だからね」
「すみませんでした……」

目に見えて落ち込む私に彩奈もばつが悪いのだろう。


「部長だから言わなきゃいかない私の身にもなってね。頼むよ」
 
(そうだよね。私が……)

私が圧倒的に悪いのだ。
怪我をして、それが同じ部活の仲間だった。
同じ目標をもって切磋琢磨するはずなのに、謝罪の言葉一つない。

罪の意識にのまれる私だったが、鬱蒼とした状態は更なる事態を引き起こす。
「あとクラリネット。もっと周りの音聞いてー」

全体練習でのこと。
なかなか全体との演奏がかみ合わず、私は焦っていた。

「他のパートとやってみる? 少数から合わせる練習しよっか」
「はい」

音が外れる原因は私にあった。
全体で色んな音を聞くと途端に私の耳は拾う音を選別できなくなる。
ごちゃごちゃにあふれ出す音の中で私は自分の演奏に必死になっていた。

「まぁ、合わせる努力しよっかー」

周りはやさしく、練習に付き合ってくれた。
まわりにやさしくされればされるほどに、気持ちは萎縮していく。

ソロで演奏は問題がなかったのが余計に悩ましかった。
人数が増えれば増えるほど、違和感が大きくなる。
合わせようと意識しているのに、音をうまく拾えない。
音を意識すると手がおざなりになる。
自分の演奏が精一杯で、周りの音を聞こうとすると指が止まっていた。

頭がいっぱいいっぱいな私をやさしさと厳しさが板挟みする。

「ねぇ、なんで挨拶出来ないの? 挨拶される先輩とされない先輩、分けたらダメだよ」

また人目を避けて部長と話し合いとなる。

「人数多いとはいえ、そろそろ覚えないとまずいよ? あと、ミーティングのとき、話聞いてないこと多いから気をつけて」
「……はい。すみませんでした」

教室で部員が集まり、話し合いをするとき、私は周りの声を聞き取れなくなる。
音として認識しても、言語にはならなかった。

そう、私は自分のことで頭がいっぱいになっており周りを見ることが出来ていなかった。
あれほど仲の良かった円香と距離が出来ていることに気づかなかった。
何かあれば円香に相談していたが、円香は私を励ますばかりで自分のことを話さなかった。
水面下で円香に起きていることを知らなかった。

「円香ちゃ……」

ついに円香にも愛想をつかれ、無視されるようになった。
この時すでに人との距離感に怯えていた私は円香を追いかけることが出来なかった。

そこで浮き彫りになったのは自分がいかに孤立しているかということ。
円香がいないと私はひとりぼっちだった。

だがそれは私だけの問題でないと、事が起きてようやく気付くのだった。
部活動が終わり、私は忘れものをして部室へと戻ろうとする。

その途中で人の話し声が聞こえ、息をひそめてのぞきこむ。

「アンタってほんと生意気! 先輩差し置いてソロやるとかふざけんなよ!」

「先生にはめっちゃ媚び売ってるし。ふざけてんの?」

(円香ちゃん!?)


先輩たちに囲まれ、怒声をうける円香がいた。

目に涙を浮かべ、拳を握って耐える姿に私はどう行動すべきかわからずに焦る。


(先生に言った方がいい? でも先輩たちからすると……)

「ってか、武藤ってアレだよねー」


そこで私の名前があがり、肩が跳ねて足が硬直する。

全身が心臓になってしまったかのように鼓動がうるさく、呼吸が出来ない。

冷たい汗が額からにじみ出して、こめかみを伝う。


「アンタ幼なじみなんでしょ? ちゃんと面倒見てあげなよ。結構あの子も立ち位置やばいよ? あんたなら要領よくやれるでしょ?」

「ひなはアタシに関係ないです。先輩たちの指導不足じゃないですか?」


円香は意地っ張りで気が強い。

先輩の前だからと物怖じしない性格だが、それは規律の厳しい部活動では足元を巣食う。

先輩の反感を買い、このようなことになっていると把握した。

苛立ちをおさえられなくなった先輩たちが円香を一斉に攻めだした。


「なにコイツ、ムカつく! 後輩なんだから先輩立てろよ!」

「二つ違うだけじゃないですか!」

「こっちは真面目にやってんの! アンタや武藤が部活乱してーー!」

「ーーおい、お前ら何してる!?」


そこに校内の見回りをしていた教師が騒ぎに気づいてやってくる。


「やば、逃げるよ」


先輩たちはちりじりになって逃げていく中、円香がひとり残される。


「おい、大丈夫か?」

「う……うわああああんっ! あああああっ!!」


先輩たちの前では泣かないと耐えていたが、教師に声をかけられたことで緊張が緩む。

とっくに限界を迎えていた円香は子どものように泣き叫ぶ。

私は見ているだけだった。

大好きな円香の危機にも関わらず、私の足は動かなかった。


(なんでっ……なんで円香ちゃんが大変な目にあってるのになんで!!)


震えて動けなくなった自分を憎らしく思った。

その後、今回の件が問題となり、吹奏楽部は活動を自粛。

ほとぼりが冷めるまでとなったが、一度ついた火はなかなか消えない。

円香への嫌がらせは悪化していた。