誰だって、知られたくないこと、触れてほしくないことの一つや二つあると思う。
ユウくんにとって、家の事情というのが、まさにそれだったんだろうな。
階段でのやり取りを終えて、部室に戻ってきた私たち。
だけど、その間に漂う空気は重いままだった。
そんな中、先に口を開いたのはユウくんだ。
「俺の家のことは、いつから知ってたんだ?」
「ユウくんが生きてた頃は、まだ全然知らなかった。だけど後になって、大人の人達が話しているのが聞こえてきたの」
聞こえてきた話。
それは例えば、ユウくんのお父さんが、まともに面倒を見ようとしていなかったとか。
息子のためにも貰ってくれないかと遺品を人に渡していたのは、単に処分する手間を省きたかったからだとか。
当時ユウくんの親権争いのため頻繁に戻ってきていたはずのお母さんが、そんなユウくんのお葬式には顔も出さなかったとか。
他にも、ユウくんの両親が離婚してからの家庭環境とか、亡くなる直前にあっていた喧嘩とか、色んな噂が、まだ小さかった私の耳にまで入ってきた。
最初それを聞いた時は、とても信じられなかった。
だってユウくんは、そんなの一言だって言ってなかった。
とても、そんな辛くて苦しい目にあっているようには見えなかった。
だけど嘘だって思うには、周りから聞こえてくる声は、あまりにも大きすぎた。
「そっか……」
ユウくんが、悲しそうに、寂しそうに、苦しそうにつぶやく。
その表情は、これまで私が一度だって見たことのないものだった。
それを見て、知らないふりをした方がよかったのかもって思った。
ユウくんが、このことを隠したがっていたのは、私にもわかる。
だからこそ、何も言わずにずっと黙っていたんだ。
なら私だって、嘘をついてでも、何も知らないことにしておいた方がよかったのかもしれない。
けれど、今さらそう思ってももう遅い。
「ねえ藍。俺のこと、軽蔑した?」
ユウくんが、急に弱々しい声で言う。
「えっ、なんで?」
どうしていきなりそんなことを言い出すのかわからない。
けどユウくんは、ゆっくりと続ける。
「だって、そんな大事なことをずっと隠してきたんだ。それに、昨日言ったよな。誰かを好きになるってのがよくわからないって。俺の家の事情を知れば、その理由もだいたいわからないか?」
「えっと……それってやっぱり、お父さんやお母さんの事が原因なの?」
話しながら、胸が苦しくなっていく。
ユウくんの心の中の、人には触れられたくない部分を、さらに暴いていってるんじゃないか。
そんな思いがどんどん広がっていって、申し訳ない気持ちになっていく。
けれど話を続けてくるのは、そのユウくん本人だ。
もちろんユウくんだって、こんな話をして平気なわけがない。
だけど一度話してしまった以上、もう止めることなんてできないのかもしれない。
「誰かを好きになるってこと、よくわからないって言ってたけど、本当は少し違うのかもしれない。好きになるのが怖いんだ。好きになっても、その後に仲がこじれたり、気持ちが変わったりするんじゃないかって思ってしまう。俺の両親だって、昔は仲が良かったんだ。だけど二人とも少しずつ気持ちにズレが出てきて、最後は愛情なんて欠片も残っちゃいなかった。二人とも、すっかり変わってしまった」
目の前で家族が壊れていくのを目の当たりにしてきたのなら、誰かを好きになるのが不安になるのも、無理はないのかもしれない。
だけど私は、それを認めるのが嫌だった。
何とか否定したくて、必死になって言葉を探す。
「で、でも、みんながみんなそうとは限らないじゃない。誰かを好きになって、ずっと変わらずに好きでい続ける人だって、たくさんいるもの」
私だってそうだ。
小学生の頃にはもうユウくんを好きになっていて、亡くなった後も、今だってその想いは変わらない。
好きって気持ち、変わる人だっているけど、ずっと持ち続けている人もいるんだって、わかってほしかった。
だけどユウくんは、それを聞いて首を横に振る。
「違うよ。俺が信じられないのは、俺自身。両親が離婚してしばらく経ったくらいかな。今は大切だって思ってる人も、いつかは心変わりして、嫌ってしまうかもしれない。そう思うようになったんだ」
「そんな、ユウくんはそんなことしないよ!」
叫ばずにはいられなかった。
そんなの、全然納得できない。
私の知ってるユウくんは、そんな簡単に大切な人を手放すようなことなんてしない。
「ああ。こんなの、バカみたいな妄想だろ。俺だって、ちゃんとわかってるよ」
ユウくんはそう言いながらも、依然として表情は暗いままだった。
「でも、俺だって変わるんだよ。昔は大好きだったはずの両親のことも、今はもう他人よりも遠くに感じる。自分でも冷たいってわかってるけど、きっともう家族だなんて思えない。俺だって、結局はあの両親と同じだって思ったよ。それ以来、何度振り払おうとしても、バカな妄想は消えてくれない。これが、俺が誰とも付き合わなかった理由、誰かを好きになるって言うのが分からなくなった理由だよ」
そこまで言ったところで、ユウくんは深くため息をついて項垂れる。
叫ぶことも、声を荒げることも無く、ただ静かに語っていただけなのに、酷く疲れて見えた。
「おかしいな。本当は、こんなところまで話すつもりじゃなかったんだ。聞いてて気持ちいい話じゃないし、何より藍には、俺がこんな奴だって知られたくなかった。けど、どうしてだろう。言わずにはいられなかった。ごめんな」
ユウくんの家の事情は、とっくに知ってた。
だけどいざこうして本人の口から語られた話は、想像していたよりも、遥かに重く感じた。
私じゃ決してわからないくらいの辛さや悲しみを、ユウくんはずっと心に抱えていたのかもしれない。
ユウくんにとって、家の事情というのが、まさにそれだったんだろうな。
階段でのやり取りを終えて、部室に戻ってきた私たち。
だけど、その間に漂う空気は重いままだった。
そんな中、先に口を開いたのはユウくんだ。
「俺の家のことは、いつから知ってたんだ?」
「ユウくんが生きてた頃は、まだ全然知らなかった。だけど後になって、大人の人達が話しているのが聞こえてきたの」
聞こえてきた話。
それは例えば、ユウくんのお父さんが、まともに面倒を見ようとしていなかったとか。
息子のためにも貰ってくれないかと遺品を人に渡していたのは、単に処分する手間を省きたかったからだとか。
当時ユウくんの親権争いのため頻繁に戻ってきていたはずのお母さんが、そんなユウくんのお葬式には顔も出さなかったとか。
他にも、ユウくんの両親が離婚してからの家庭環境とか、亡くなる直前にあっていた喧嘩とか、色んな噂が、まだ小さかった私の耳にまで入ってきた。
最初それを聞いた時は、とても信じられなかった。
だってユウくんは、そんなの一言だって言ってなかった。
とても、そんな辛くて苦しい目にあっているようには見えなかった。
だけど嘘だって思うには、周りから聞こえてくる声は、あまりにも大きすぎた。
「そっか……」
ユウくんが、悲しそうに、寂しそうに、苦しそうにつぶやく。
その表情は、これまで私が一度だって見たことのないものだった。
それを見て、知らないふりをした方がよかったのかもって思った。
ユウくんが、このことを隠したがっていたのは、私にもわかる。
だからこそ、何も言わずにずっと黙っていたんだ。
なら私だって、嘘をついてでも、何も知らないことにしておいた方がよかったのかもしれない。
けれど、今さらそう思ってももう遅い。
「ねえ藍。俺のこと、軽蔑した?」
ユウくんが、急に弱々しい声で言う。
「えっ、なんで?」
どうしていきなりそんなことを言い出すのかわからない。
けどユウくんは、ゆっくりと続ける。
「だって、そんな大事なことをずっと隠してきたんだ。それに、昨日言ったよな。誰かを好きになるってのがよくわからないって。俺の家の事情を知れば、その理由もだいたいわからないか?」
「えっと……それってやっぱり、お父さんやお母さんの事が原因なの?」
話しながら、胸が苦しくなっていく。
ユウくんの心の中の、人には触れられたくない部分を、さらに暴いていってるんじゃないか。
そんな思いがどんどん広がっていって、申し訳ない気持ちになっていく。
けれど話を続けてくるのは、そのユウくん本人だ。
もちろんユウくんだって、こんな話をして平気なわけがない。
だけど一度話してしまった以上、もう止めることなんてできないのかもしれない。
「誰かを好きになるってこと、よくわからないって言ってたけど、本当は少し違うのかもしれない。好きになるのが怖いんだ。好きになっても、その後に仲がこじれたり、気持ちが変わったりするんじゃないかって思ってしまう。俺の両親だって、昔は仲が良かったんだ。だけど二人とも少しずつ気持ちにズレが出てきて、最後は愛情なんて欠片も残っちゃいなかった。二人とも、すっかり変わってしまった」
目の前で家族が壊れていくのを目の当たりにしてきたのなら、誰かを好きになるのが不安になるのも、無理はないのかもしれない。
だけど私は、それを認めるのが嫌だった。
何とか否定したくて、必死になって言葉を探す。
「で、でも、みんながみんなそうとは限らないじゃない。誰かを好きになって、ずっと変わらずに好きでい続ける人だって、たくさんいるもの」
私だってそうだ。
小学生の頃にはもうユウくんを好きになっていて、亡くなった後も、今だってその想いは変わらない。
好きって気持ち、変わる人だっているけど、ずっと持ち続けている人もいるんだって、わかってほしかった。
だけどユウくんは、それを聞いて首を横に振る。
「違うよ。俺が信じられないのは、俺自身。両親が離婚してしばらく経ったくらいかな。今は大切だって思ってる人も、いつかは心変わりして、嫌ってしまうかもしれない。そう思うようになったんだ」
「そんな、ユウくんはそんなことしないよ!」
叫ばずにはいられなかった。
そんなの、全然納得できない。
私の知ってるユウくんは、そんな簡単に大切な人を手放すようなことなんてしない。
「ああ。こんなの、バカみたいな妄想だろ。俺だって、ちゃんとわかってるよ」
ユウくんはそう言いながらも、依然として表情は暗いままだった。
「でも、俺だって変わるんだよ。昔は大好きだったはずの両親のことも、今はもう他人よりも遠くに感じる。自分でも冷たいってわかってるけど、きっともう家族だなんて思えない。俺だって、結局はあの両親と同じだって思ったよ。それ以来、何度振り払おうとしても、バカな妄想は消えてくれない。これが、俺が誰とも付き合わなかった理由、誰かを好きになるって言うのが分からなくなった理由だよ」
そこまで言ったところで、ユウくんは深くため息をついて項垂れる。
叫ぶことも、声を荒げることも無く、ただ静かに語っていただけなのに、酷く疲れて見えた。
「おかしいな。本当は、こんなところまで話すつもりじゃなかったんだ。聞いてて気持ちいい話じゃないし、何より藍には、俺がこんな奴だって知られたくなかった。けど、どうしてだろう。言わずにはいられなかった。ごめんな」
ユウくんの家の事情は、とっくに知ってた。
だけどいざこうして本人の口から語られた話は、想像していたよりも、遥かに重く感じた。
私じゃ決してわからないくらいの辛さや悲しみを、ユウくんはずっと心に抱えていたのかもしれない。