「ふぅ〜っ」

 部活動紹介が終わった後のステージ裏で、壁にもたれ掛かりながら息を吐く。
 本当ならすぐに機材の片付けに入らなきゃいけないんだけど、もうしばらくは無理そう。

 初めてやった、人前での演奏。大勢の視線。
 決して長い時間じゃなかったのに、終わった今、すっかり疲れて力が抜けてしまっている。
 けどその疲れは、嫌なものじゃなかった。

 それは三島も同じみたいで、目を合わせると、どちらからともなく小さく笑いあった。

「おつかれ。よく頑張ったな」

 そんな二人に労いの言葉を掛けてきたのは、戻ってきたユウくん。
 ユウくんは演奏が終わった時、誰よりもたくさんの拍手をくれて、それからすぐに、こうして私たちのところにやってきた。

「ごめんな。始まる前に、急にいなくなったりして」
「ううん。ステージに出る時にはちゃんと戻ってきてくれたし、気にしないで」

 そのせいで三島と一悶着あったんだけど、それを言ったらユウくんが気にしちゃう。
 三島も、わざわざそのことを言う気はないみたい。

「それより、私達の演奏どうだった?」

 誰かに演奏の感想を聞くなんて初めてで、しかもユウくんは経験者。
 なんと言われるかなって緊張するけど、ユウくんはにっこりと微笑んだ。

「良かったよ、凄く」

 それを聞いて、心がパッと明るくなるけど、そこで三島がすかさず口を挟む。

「凄くってことはねえだろ」

 う〜ん、確かに。
 私も、良かったと言ってもらえたのは嬉しいけど、凄くっていうのは言いすぎな気がする。

 演奏自体は、もしかすると昨日の練習よりも良くなっていたかもしれない。
 すっごく緊張したけど、その分曲に集中できた気がするし、それまでちぐはぐだった三島との息も、少しは合ってたんじゃないかなって思う。

 それでも、まだまだ未熟なことに変わりはないし、悪いところなんて探せばいくらでも出てきそう。

 だけど、それでもユウくんはさっきの言葉を取り消さなかった。

「上手くなるのなんて、これからいくらでもできるだろ。それより、二人ともすごく楽しそうだったからな。楽しんでできたなら、それが一番いいと思うぞ」

 楽しそうだったなんて、真顔で言われると何だかこそばゆい。けど、確かにその通りなのかも。

「二人こそ、実際に初めて人前で演奏してみてどうだった?」

 聞かれて、さっきの演奏を振り返る。そうして浮かんだ感想はこれだった。

「やっぱり、もっと練習しておけばよかったって思う。でも、楽しかった」

 ユウくんの言ってたことをマネしたわけじゃないけど、振り返ってみたら、一番に思ったのはやっぱり楽しいって気持ちだった。

 決して完璧って思えるような演奏じゃなかった。
 けど、弾いている時に感じたあのワクワク感は、今もまだ残っている。

「三島はどうだった?」
「まあ、俺も楽しくはあったな。けど次にやる時までには、もっと上手くなるからな」

 三島は、早くも次のことを考えているようだが、それはそれで良いことなんだと思う。

 こうして、私たちの初めての演奏は終わりを迎えた。
 それぞれが感想を言い終えたところで、ようやく機材の片付けに入る。

「そう言えばユウくん。さっきはいったいどこ行ってたの?」

 片付けをしている途中、聞いてみる。
 結局、ユウくんがどこへ何をしに行ったのかは、わからないままだ。

「あの時、人混みの中に知っている人がいた気がしたんだ。それで、つい本人か確かめたくなった」
「それって先生?」

 普通に考えるならそうなるよね。
 だってユウくん優斗の同級生や友達なら、みんなとっくに卒業してるもん。
 けど先生なら、ユウくんが生きてたころから今までずっと残っている人だって、何人かいてもおかしくない。

 けどユウくんの答えは、なんだか曖昧だった。

「まあ、先生って言ったら、先生かな」
「どういうこと?」
「もう少ししたら、ちゃんと話すと思う」

 もう少し?
 どうして、今すぐじゃなくて、わざわざもう少ししたらなんて言うんだろう?

 首をかしげたその時、こっちに向かって一人の先生が近づいてきた。この部活動紹介への参加を進めてくれた、あの先生だ。

 何の用かはわからないけど、私たち以外の人の前で、幽霊であるユウくんと話をしているのはまずい。
 話を中断して、先生の方を向く。

「よく頑張ったな。中々よかったぞ」
「ありがとうございます」

 会釈しながら返事をすると、そこから先生はさらに続けた。

「そうそう。軽音部の顧問が決まったんだ」
「本当ですか?」

 顧問って言っても、今まではほとんど指導らしいことはやっていなかったって聞いてる。
 けどそれでも、決まったんだって聞くと、一歩前に進んだような気がした。

 すると後ろから、もう一人別の先生がやってきた。
 それは、若い女の先生だった。髪はショートヘアで、顔の形の整った綺麗な人。

 その先生は私たちの前に立つと、まずは自己紹介をはじめた。

「この度、軽音部の顧問を務めることになった、大沢泉です」

 まだ入学したばっかりの私は、全部の先生の顔なんて覚えてない。それでも、この先生の顔には見覚えがあった。

 っていうのも、この前あった全校集会で、新任の先生として紹介されたから。
 確か、社会の先生。それに、大学を卒業したばかりの新人だって言っていた。

「どれだけ役に立てるか分からないけど、出来る限り力になれるよう頑張るから。よろしくね」

 大沢先生は、にこやかに笑いながら、私と三島に向かって挨拶をする。

「はい。よろしくお願いします」
「お願いします」

 それから、私たちも自己紹介をしたところで、大沢先生を連れてきたもう一人の先生が言う。

「大沢先生は、軽音部の顧問ならやりたいと自ら希望したんだ」
「そうなんですか? ありがとうございます。でも、どうして?」

 希望してくれたっていうのはとても嬉しかったけど、うちの軽音部って実績があるわけじゃないし、そもそも廃部寸前だったよね。
 そんな部活の顧問をわざわざ希望してするなんて、なんで?
 すると大沢先生は、笑いながら答えた。

「私、この学校の卒業生で、元軽音部だったの。だから、当時の経験を少しでも活かせられたらいいなって思ったのよ」
「つまりお前達の先輩というわけだ」
「先輩!?」

 びっくりしたけど、それなら納得。

 でも、ちょっと待って。
 今の話を聞いて、それから、大沢先生の顔を改めて見て、何かが頭の中に引っかかった。

(あれ? 大沢先生って、なんだかどこかで見たことあるような気がする)

 全校集会で紹介された時じゃない。
 それよりも、ずっと昔のことのような気がする。

 すると隣にいたユウくんが、大沢先生を見ながら小さくわらってた。それを見て、何故かよりいっそう、頭の中の引っかかりが強くなる。

 そして、ユウくんと大沢先生の二人を交互に見回した時、ようやく記憶の糸が繋がった。

「ユウくんと一緒に演奏してた、ドラムの人!」
「えっ?」

 叫ぶ私を見て、大沢先生が目を丸くする。

 慌てて口を押さえるけど、今度は大沢先生が、ハッとしたように言って。

「ユウくんって、有馬優斗くんのこと? あなた、もしかして藍ちゃんなの?」
「私のこと、知ってるんですか?」

 私の名を呼ばれたことに驚くけど、それで、これまでもしかしたらって思ってたことが、一気に確信に変わっていった。

 ユウくんが何度か話してた、彼が軽音部だった頃の部活メンバーは、全部で三人。そのうちの一人が、大沢先生だった。

 大沢先生は、昔ユウくんの同級生だったんだ。