あれから数日経った。
俺が童貞じゃなかったのが、よっぽど悔しかったのか。
航太は怒って、俺の家に近寄るどころか、アパートの廊下にさえ現れない。
一体なにが悪かったのだろうか?
やはり、あれか。中学生ぐらいだと劣等感から、非童貞の俺がムカつくのかな。
何度かコンビニで肉まんを購入し、アプリで当たったという噓で、彼の機嫌を取ろうとしたが。
家から全然出て来ない。
仕方ないので、自ら肉まんを頬張っていると、スマホが鳴り響く。
誰かと思ったら、編集部の高砂 美羽さんだ。
たぶん、この前の原稿の件だろう。
「もしもし?」
『あ、今よろしいでしょうか? SYO先生』
SYOという名前は、俺のペンネームだ。
本名の翔を、ローマ字に変えただけだが。
「いいですよ」
『前回の原稿について、ちょっとお話したいのですが、1時間後にいつもの“ライム”でいかがですか?』
「大丈夫です」
電話を切った瞬間、腹がぐぅっと音を鳴らす。
ライムという名前を聞いただけで、例のメニューが頭に浮かんできた。
学生時代から利用している喫茶店。
あそこはナポリタンが美味いんだよな……。
※
約束した時間より早く、現地に着いてしまった。
喫茶店、ライム。オープンしてかれこれ30年以上経つと聞く。
学生時代から通っているが、昔ながらの喫茶店というスタイルが好きだ。
今のご時世、喫煙者はどこも嫌われる。
自分が住んでいるアパートでさえ、ベランダでタバコを吸っていたら、一斉に窓を閉められるし……。
喫煙所も少ない。コンビニの駐車場か、このライムぐらいでしか落ち着けない。
店のドアを開けると、鈴の音が鳴り響く。
カウンターに立っていた初老の男性が、俺の顔を見てニコリと笑う。
「あ、翔ちゃん。久しぶりだね」
「ういっす。マスター」
「全く、まだそんな格好をして……”未来”ちゃんが見たら怒るよぉ~」
「この半纏が一番、暖かいんすよ。あと、“あいつ”とは別れたって言ってるじゃないっすか」
「そうだった。ごめんごめん……好きな席いいよ」
「ちっす……」
あいつの名前を出されて、つい動揺してしまった。
もう別れて、3年近く経つのに……。
店の中は俺以外、客が3人ほど。
平日だし、午前だものな。
マスターが持ってきた灰皿を受け取ると、一服させてもらう。
天井に浮かぶ白い煙を眺めながら、ふとこの街に引っ越してきた頃を思い出す。
俺の住んでいる区域、藤の丸町は、主に単身者向けのアパートやマンションが多い。
それは、近くに大きなキャンパスがあるから。
大勢の学生が、大学近くの寮やアパートを探す。
俺は県外から引っ越して下宿する学生たちとは違う。実家は同じ福岡市内だし、頑張れば通える範囲だ。
しかし、偏差値の高い国立大学への受験に失敗し、適当に受けた私立大学に入学すると両親に報告したら、猛反対された……。
面倒くさくて逃げるように、この街で一人暮らしを始めた。
それが約10年前のこと。
卒業したら、さっさと出て行くつもりが、ダラダラとこの街に住み着いてしまった。
まあ住み始めると、居心地が良いし。
タバコを一本、吸い終える頃。
店内の入口から、鈴の音が鳴る。
「あ、SYO先生。お待たせしました!」
息を切らして店に入ってきた若い女性。
この人が俺の担当編集、高砂 美羽さんだ。
まだ出版社に入社して間もない、新人。
多分、就職活動からそのまま使っているのだろう。
黒い無地のジャケットに、スカートを履いている。
「お疲れ様です」
「いえいえ! こちらこそ、呼んでおいて遅刻してしまうなんて……」
眼鏡をかけ直して、大きなトートバッグの中を漁り始める。
落ち着きの無い人だ。
「俺が早めに来たんすよ。気にしないで下さい」
「そうでしたか……なら、打ち合わせを始めてもいいですか?」
「ええ」
ここまでは、愛いらしい新人の女性なのだが。
創作の話になると、性格が激変する。
「実はですね……SYO先生が書いている『ムチムチ、コスプレイヤー』なんですが。今回の連載で、一度休載にしたいのです」
「え、どうしてですか?」
「ちょっと表現し辛いのですが……もっと背徳感を感じられる若い……。いや幼い女の子をめちゃくちゃにするエロマンガが、私的には好ましいのですっ!」
「……」
高砂さんはゴリゴリのロリコンだった。