俺と航太は、ここ”藤の丸”へ引っ越してきてからの出来事を夜通し、話し続けた。
狭い布団の中だけど限られた時間を、少しでも二人の思い出に残したかった。
しかし、さすがに夜明けになると、大人の俺でも眠たくなってきた。
「航太……悪い、少し寝てもいいか?」
「いいよ。オレもまだおっさんと話したいから、10分後に起こすよ」
「ああ、頼む……」
~10分後~
たった、10分間寝ただけなのに、ずいぶんと頭がスッキリした。
瞼を人差し指でこすりながら、隣りに寝ている航太の方へ視線を向けると。
「あれ、航太?」
隣りに寝ていた航太の姿が、見当たらない。
ひょっとして、トイレか?
そう思った俺は起き上がって、キッチンの方へ向かう。
「航太~? トイレか?」
そう叫んでも、家の中は静まり返っている。
俺以外、人の気配を感じない。
まさかと思い、壁にかけてある時計を確認すると。
時計の針は、午前10時を過ぎていた。
「なんでだ!? どうして、起こしてくれなかったんだ、航太っ!」
気がついた時には、もう遅かった。
航太のやつ、俺に気を使ったな……。
でも、まだ午前中だし、ひょっとしたら、隣りの美咲家にいるかもしれない。
そう思った俺は、裸足のまま家を飛び出る。
ペタペタと音を立てて、アパートの廊下を走り、隣りの家の扉を力いっぱい拳で叩く。
「美咲さん! まだいますか!?」
しかし、いくら待っても中から声は聞こえてこない。
それでも、俺は扉を叩き続ける。
「航太っ! いるんだろ? 開けてくれよ!」
うそだろ……こんな別れ方、最悪だ。
※
10分以上、美咲家の扉を叩いて叫ぶ男がいる……とアパート内で噂になっていたらしい。
苦情を聞いた大家さんが、二階まで上がってきた。
「黒崎くん、なにしてるの?」
振り返ると、そこには頭の薄い中年の男が立っていた。
学生時代からお世話になっている、大家さん。
しかし、今はそれどころじゃない。
航太がどこにいるか、知りたいんだ。
「大家さん! ここにいた……美咲さんはどこへ行ったか、知りませんか!?」
「え、美咲さんのこと? 昨日、引っ越したでしょ」
「昨日? ウソでしょ!? 俺はこの家の子供、航太と一晩を一緒に過ごしましたよ!」
「航太くんと黒崎くんが、一晩を一緒に……?」
いかん、興奮のあまり、誤解を生むような発言をしてしまった。
「いえ、そう意味じゃなくて。俺は母親の綾さんとも、昨晩一緒に話をしました」
「はぁ……ああ、なるほど。それなら、あれじゃない? 昨日、引っ越し作業と手続きをして、今朝早くに出て行ったとか。身軽にして出たいでしょ」
そう言われたら、俺たちの住んでいるアパートは前から、そんな感じだった。
学生向けに建てられたアパートだし、あまりご近所と仲良くなることもない。
引っ越してきたからと、わざわざ挨拶に来たのは、美咲家が初めてだ。
「じゃあ、もう……あいつは、航太は出て行ったんですね」
「うん。そんなに仲が良かったのなら、あとから連絡でも来るんじゃない?」
「!?」
大家さんに言われるまで忘れていた。
そうだ。航太は昨晩、こう言っていた……。
『長崎にも来てよね? 住所と連絡先、あとで送るし。でも、おっさんは貧乏だから無理かな』
それを思い出して、少し安心した。
※
航太が引っ越してから、三ヶ月が経った。
しかし、彼から連絡が来ることは一切、無く……。
引っ越し先の住所や電話番号も知らない、俺からは何も出来ない。
後悔だけが残る。
あの時、航太が俺に言った言葉は、本気だったのじゃないか?
『お願いだから、オレを誘拐してよっ!』
なら……、あのまま航太を連れてどこかへ。
そんなことを毎日、考えては悔やみ、己の弱さに苛立つ。
胸に大きな穴が開いてしまったようだ。
たった数ヶ月の関係だが、俺にはすごく大きな存在なんだろう。
まるで、失恋した男みたいだ。
いや、今感じている喪失感こそ、失恋なのかもしれない。
元カノの未来と別れても、こんなにダメージは大きくなかった。
まだ何も気持ちを伝えられていないのに……。
彼が居なくなっても、仕事はいつものように依頼される。
編集部の高砂さんから、頻繁に電話が掛かってくるが……。
『SYO先生、まだ原稿を書けてないんですか?』
「すみません……」
『あのロリもの、人気なんですから、早く書いてくださいよっ!』
彼をモデルにしたロリものエロ漫画だが、単行本で発売され人気だそうだ。
でも、俺は続きを書く気が無かった。
ノートパソコンなんて、もう一ヶ月以上、起動した覚えがない。
毎日、安酒を浴びるように飲み続けて、酔いつぶれる。
目が覚めると、激しい頭痛が待っているが、それでも飲まずにはいられない。
そんな生活をずっと送っているから、昼夜逆転してしまう。
でも、近所には24時間営業のコンビニがあるから、すぐに酒を調達できてしまう。
もう春が近い。
俺が愛用している半纏も、もう必要ないかな。
ゆっくり布団から、起き上がると、キッチンへ向かう。
ふと、冷蔵庫へ目をやると……。
『おっさんへ。別れの挨拶がさびしいから、ごめん。バイバイ』
とぐしゃぐしゃになった、メモ紙が貼られていることを思い出す。
引っ越したあとに見つけた航太からの手紙だ。
「挨拶ぐらいしていけよ……」