年が明けて間もない二日目に、それは起きた。
 お正月の空と言えば、静かなイメージが強い。
 もし天気が崩れたとしても、小雨か曇り、それか雪かな……。

 しかし、今年の天気はいつもと違い、かなり荒れている。
 夕方に近づくと、突然激しい雨が降り始めて、雷まで鳴っている。
 まるで、誰かが怒っているようだ。

 自室の窓を、しっかり閉めていることを確認すると。
 電気を消して、布団へ潜り込む。
 寒くて仕方ないからだ。

 この前、航太とクリスマス・パーティーで一晩中、夜遊びしたからな。
 電気代を節約しておかないと……。
 暖房がなくても布団に潜り込んで、酒を飲んでいれば身体は温まるさ。
 
 そう思いながら焼酎の瓶に口をつけようとした瞬間。
 玄関のチャイムが鳴る。

 なんだろう。”三が日”だってのに勧誘か?
 いや、まさかな……航太だって、正月に入ってから顔を出さない。
 きっと冬休みを家族で楽しんでいるのだろう。

「あほらしい……寝よ……」

 再度、焼酎を飲もうと試みるが、今度は自宅の扉を凄まじい音で殴られた。
 ドンドンっ! と何度も叩き続け、怒っているように感じる。

「まったく、人が休んでいる時に……」

 重い腰を上げて、ゆっくり玄関へ向かう。
 その間も相手はずっと扉を叩き続けている。

「はいはい……」

 鍵をあけて、ドアノブを回した瞬間。あちら側から無理やり扉を開けられた。

「おっさん! 早く開けてよっ!」

 そこには、ずぶ濡れの少年が立っていた。
 黄色のショートダウンを着ていたが、中の綿は濡れてしまい、保温性が失われている。
 デニム生地のショートパンツも同様だ。

 震えながら、涙目で俺を下から睨む。

「こ、航太……一体どうして?」

 俺の疑問を一切、無視して航太は叫んだ。

「何も聞かないで、オレの頼みを聞いてよっ!」
「頼み事?」
「そう……お願いだから、オレを誘拐してよっ!」
「なっ!?」
 
 どうして、俺がそんな犯罪者にならないといけないんだ?

  ※

 とりあえず、ずぶ濡れの航太を家に入れて、脱衣所で服を脱ぐようにと伝える。
 その間、俺は急いで自室のエアコンの電源をつけて、部屋を暖める。
 航太に貸せる着替えなど無いが……俺のスエットで良いだろう。
 前にも、着せたことあるし。

 スエットを持って脱衣所へ向かうと、航太が裸のまま突っ立っていた。
 目の前にある鏡をじーっと眺めて、一切動かない。
 いつもなら、その姿を見て動揺する俺だが、彼の顔を見れば、なんとなく気持ちは分かる。
 
 大きなブラウンの瞳から、涙を流しているから。

「航太。なにがあったか分からないけど、とりあえず服を着ろ」
「……」

 俺が声をかけても、反応がない。
 相当、ショックなことがあったのだろう。
 仕方ない。俺が服を着せてあげよう。


 相変わらず、俺のスエットじゃ、小さな彼の身体には合わないようで。
 ワンピースのようにして、着ている。
 暖房の効いた部屋で、航太を座らせ、濡れた髪をドライヤーで乾かす。

「おい、そろそろ話してくれても良いんじゃないか?」

 少し落ち着き始めたのか、何も言わず頭だけをこくりと動かす。

 髪が乾いたところで、ドライヤーのスイッチを切って、航太と向かい合って座る。

「さ、ゆっくりでいいから、話してくれ」
「……母ちゃんが、また引っ越すって」
「!?」

 俺はその言葉に耳を疑った。
 彼から、ようやく理由が聞けたのはいいが……。
 航太が引っ越すだと? 俺まで激しい痛みが胸に伝わってきた。

 それから、航太は淡々と話を続ける。

「母ちゃんさ。結婚するんだって……」
「け、結婚!?」
「うん。それで、今後の引っ越し先は福岡市内じゃなくて、長崎らしい」
「長崎!?」

 彼が説明する度に、俺の方がオーバーリアクションしてしまう。
 
 しかし、航太が俺の顔を見るなり「誘拐して!」と必死になるのも、分かる気がする。
 そういうことか……。

 
「だからさ……おっさん。オレのことを誘拐してよ! まだおっさんと一緒にいたい!」

 泣きながら、俺の腕を掴んで揺さぶる。
 本気なのか? 航太……。

「俺は、お前の親でもないし、兄弟でもない。もし、航太を連れてどこかへ行けば、捕まる……」
「だ、大丈夫だよ! オレが頼んだってことにすれば」
「無理だ。お前は未成年だし、俺は赤の他人だ」

 言っている俺の方が、目頭が熱くなる。
 泣きじゃくる彼を見て、平静を装うのに苦労する。

「そんな……じゃあ、もうおっさん家に毎日、来られないし、遊べないの?」
「今のような生活は、無理だろう」

 そう俺が言うと、航太は更に大きな声で泣き叫ぶ。

「うわぁぁん!」

 その姿を見て、俺は彼の身体を抱きしめた。
 少しでも航太の痛みが和らぐように、強く抱きしめる。
 俺の肩の上で泣き叫ぶ航太。
 耳元で叫ばれているが、うるさく感じない。
 
 航太の頭を優しく撫でながら、俺は憤りを隠せずにいた。
 綾さん、こんなのあんまりだ……。