あれから、数日が経った。
 毎日のように、俺ん家のチャイムを鳴らす航太が、消えてしまった。

 母親の綾さんは変わらず、毎晩家に男を呼んではどんちゃん騒ぎ……。
 それでも、航太は家から出て来ない。

 やはり、この前のスク水……お風呂での出来事が良くなかったのか。
 男同士とは言え、後ろから思いきり抱きしめてしまった。
 ショックだったのかな。
 俺みたいなアラサーの男から、抱きしめられたから。

 何回か、コンビニで肉まんを買っては、彼の姿を探してみたが。
 アパートで見かけることは無かった。
 中学校には通っているだろうと、コンビニの駐車場でタバコを吸って、待機してみる。
 
「ダメか……」

 今日も空振り。というか、嫌われたのかな?
 さすがに水着は刺激が強すぎて、トラウマになったとか。
 これでもう会えない……なんてちょっと後味が悪い。
 俺が謝って関係を修復できるのなら、そうしたいけど。

 今日はもう航太が現れないと思った俺は、吸っていたタバコを灰皿の中へ捨てる。
 いくら半纏(はんてん)を着ているとは言え、12月の夕方は冷える……。そう思った瞬間だった。
 目の前にある駐車場へ一台の車が停まった。

「あ、お釣りは良いので……」

 タクシーから出てきたのは、20代の若い女性。
 初老の男性運転手へ、一万円札を渡したのに。まさかの「釣りはいらない」と断言する。
 見ているだけでイライラする。
 こんな若い姉ちゃんが、親ぐらいのおじさんにチップを渡すとは。
 一体、どんな職業に就いていたら、そんな余裕ができるのだろう?
 どうせ、お水だろう……と背中を向けた時、その声の持ち主が俺を呼び止める。

「あ、あの……ひょっとして、翔ちゃん!?」

 聞き覚えのある声だった。
 まさかと思い、振り返ると……。

「お前……未来か?」
「うん、そうだよ」

 と、はにかむ女性。
 俺の元カノ、今泉(いまいずみ) 未来(みくる)。プロの漫画家だ。
 
  ※

「こんなところで会うなんて、驚きだね」
「おい……ここは、俺の地元みたいな場所だぞ?」
「そうだったね」

 と口元を手で隠して笑う。
 なぜそんな風に手で隠すのか? と昔、聞いたら「八重歯が気になる」らしい。
 コンプレックスからそんな笑い方をするのだが、俺はむしろ可愛いと思った。

 しかし、変わらないのはそんな仕草だけで……。
 以前の地味なマンガ好きな彼女は、どこかへ消えていた。

 学生時代は、眼鏡のショートボブで冴えない女子学生だったのに。
 今は髪を肩まで伸ばしているし、毛先に緩くパーマをかけている。

 着ている服も大幅にイメチェンしていた。
 ブラウンのチェスターコートを優雅に羽織り、中は白いニットセーターに、黒のパンツ。
 流行り物を取り入れながら、大人の女性へと成長していた。
 その証拠に、寒がりのくせして、足もとはくるぶしを出している。
 パンプスもピカピカに磨いてある。
 
 一体、この三年間に何があったんだ?
 
「……」
「翔ちゃん? どうしたの?」

 未来に声をかけられるまで、我を忘れていた。
 あまりの変貌ぶりに。

「悪い、あまりの化けっぷりにな……」
「酷くない? 私だってこの数年間、仕事とかで打ち合わせするから、ファッションとかメイクに気を使っているだけだよ」

 そうは言うが、ひょっとして……。
 新しい彼氏でも出来たのか?

「そんなことより、お前……なんで”藤の丸(ふじのまる)”に来たんだよ?」
「ああ、そうだった。実は大学に呼ばれてね。講師をやってきたの」
「講師ぃ?」

 思わずアホな声が出てしまう。

「うん、ほら。こう見えて私、”少年チャンプ”の漫画家だからさ」
「……それで母校に?」
「そうなの。もうタクシーで帰ろうとしたら、久しぶりに”あそこ”のドリアを思い出してさ」

 と鼻の下をかいてみる。
 なるほど、俺たちが学生時代によく通った喫茶店。
 “ライム”のカレードリアか。

 しばらく考えた後、気がつけば俺から彼女を誘っていた。
 
「なら……一緒に食うか?」
「え? いいの!?」

 俺たちはもう終わった関係だ。
 別にお互いを嫌っているわけじゃない。
 恋人から友人へ戻ったようなもの。
 なら食事ぐらい、良いだろう。

「うれしいなぁ~ 翔ちゃんとまた一緒に食べられるなんて!」

 胸の前で拍手して、喜んでみせる未来。

「別に、ただのドリアだろ……」
「それでも、私の中では大切な思い出なんだもん」

 そう言う彼女の横顔は、どこか寂しそうに見えた。
 しかし、次の瞬間。一気に現実に戻される。

「ていうかさ、翔ちゃん。まだその半纏を着ているの? ダサいよ?」
「俺はこれでいいんだ!」