とりあえず、彼の言う通り。扉の向こう側にいる綾さんと話をすることに。
「あ、あの……どうされました? 美咲さん」
『それがですね~ 航太がお鍋を持って出かけたみたいでぇ~ 私使いたいんですよぉ~』
綾さんの言っている鍋とは、航太が持って来たおでんが入っていた物だろう。
「それでしたら、航太くんがうちに持って来てくれたんですよ。今返しますんで……」
そう言って後ろに振り返ると、セーラー服を脱いだ航太が立っていた。
しかしまだ着替えている最中で、トレーナーワンピースを頭から被ろうとしているが。
慌てているのか、苦戦しているようだ。
その時、俺は見てしまった……。
小麦色に焼けた肌とは違う。ピンク色の小さな蕾を二つ。
「……」
こんなに綺麗な形は、生まれて初めて見た。
俺は人生で二人しか経験がないから、比較のしようがないけど。
男のものとは思えないぐらい、可愛い……。
気がつけば、我を忘れて自身の手を前に伸ばす。
しかし、既に着替えが終わってしまったようで、トレーナーから航太の顔がぴょこんと飛び出る。
「ぷはっ! お待たせ、もういいよ。おっさん!」
「え?」
「着替え終わったから、母ちゃん呼んでいいよ」
「そうだったな……」
なぜか落ち込んでいる自分に気がつく。
俺ってヤバいのかな?
長い間、女性と触れ合っていないから、航太に変な気持ちを抱くとか……。
※
「ここにいたんだぁ、航太。あのね、お鍋持ち出した?」
綾さんが慌てていたのは、息子のことではなく。
お鍋の方だった。
航太はそんな母親の姿を見ても、至って冷静で。
キッチンから鍋を持って、綾さんに手渡す。
「はい、これ。ちょっと、おっさんにおでんをおすそ分けしてたからさ」
「ふぅん、黒崎さんにね……」
綾さんが俺に視線を向ける。
顎に手をやり、不思議そうに見つめる。
ヤバい。何か疑われていないか?
セーラー服なら、洗濯機の中に放り込んでいるし……。
「ひょっとして……航太は、黒崎さんとお友達になったのかな?」
と首を傾げる綾さん。
天然だとは感じていたが、ここまでとはな。
「そ、そうなんですよ! 航太くんが色々としてくれて助かってます!」
無理やり話を合わせる。
もちろん、航太も。
「そうそう! おっさんは元カノに振られて、すごく引きずってんの。だからかわいそうで、オレが面倒みてやってるんだ」
ひでぇ……勝手に話を作りやがって。
俺が振られたことになってる。
「へぇ~ 黒崎さんって、彼女さんがいたんですねぇ……」
「まあ、3年も前の話なんですけどね。ははは」
「それは寂しいですよねぇ、うちの航太で良かったら、いつでも遊んでくださいな」
話題を変えて、どうにかその場を凌げたようだ。
※
綾さんは自宅で待っている男のために、鍋を使いたかったらしい。
酒のつまみでも、作るのだろうか。
息子の航太を残して、ひとりで帰ってしまった。
結構、薄情な人だな……。
「お、おっさん……」
「ん? どうした?」
「さっきの母ちゃんと話してたこと、本当にいいの?」
「綾さんと話したこと? なんだっけ?」
「オレがこれからも、この家へ遊びに来ること!」
「はぁ……別に構わんが」
「約束な!」
「うん」
なぜか嬉しそうに微笑む航太。
彼が小指を差し出してきたので、俺は黙って指切りする。
「じゃあ、おっさん。今度はもっと美味しいもんを食べさせてあげるよっ!」
「いや……毎度悪いよ。別に俺ん家へ来るからって、何か持ってくる必要ないから」
そう言って優しく断るつもりだったが。
彼の意思は固いようで、眉間に皺を寄せる。
「オレが作りたいから、やってんの! 大体おっさんはすぐにキッチンを汚くするし、食べ物はバランス悪いし……」
航太の死んだおばあちゃん仕込みってわけか。
こりゃあ、どっちが年上なんだか、わからなくなってきたぞ。
「わかったよ……好きにしてくれ」
「やった! じゃあさ、キッチンのことで質問があるんだけど、聞いてもいいかな?」
「ん? なんだ?」
「おっさんてさ。料理しないんだよね? なのに……調理器具とか、お皿が可愛いキャラクターで揃えられているんだよ。どうして?」
「うっ……」
元カノの未来が置いていった物だ。
「そ、それは“あいつ”が昔、買ってきて……そのまま残してたんだ」
真実を伝えると、航太はにこりと微笑む。
ただ眼だけは笑っていない。
「いらないよね? そんな前のもの」
「……」
すぐに不燃ごみとして、処分された。