_起立性調節障害[きりつせいちょうせつしょうがい]
起立性調節障害は自律神経の働きが悪くなり、起立時に身体や脳への血流が低下する病気。 そのため、朝になかなか起きることができない、朝の食欲不振、全身倦怠感、頭痛、立っていると気分が悪くなる、立ちくらみなどの症状が起こる。 症状は午前中に強く、午後からは体調が回復することが多い。
起立時の不調を中心とする症状群で、本邦では小児科でよく用いられる。原因は十分に明らかにされていないが、血管迷走神経失神/神経調節失神の1型と考えられている。起立試験を行い、循環器系を含めた症状再現を確認する。一般に良性であり、適切な治療や支援を行うことによって回復する。
中高生の約4人のうち1人は起立性調節障害と言われている。_wiki参照

私は中学一年の秋にそう、診断された。
正直私はほっとした。
学校に行けない理由がある。
私のせいじゃない。

中学2年生。
私はクラスの大きなグループに嫌われていた。
1年の頃にいざこざに巻き込まれて仲が悪かった人達だった。
目が合うだけでニヤニヤ笑って悪口。
クラス中に聞こえるぐらいの声の大きさで。
物も少しだけど取られたりした。
お気に入りのシャーペンがなくなってたり、消しゴムがなくなってたり。
私が通っていた学校には教科書ロッカーっていうのがあった。
クラスのみんなが共通で使えたロッカー。
そこに置いていた教科書がなくなって授業の先生に注意されたりした。
でも放課後に探してみたら教科書は教室にあって、

それで思った。

学校に来たくない(なんでわたしが)。」って。

それから私は朝起きれなくなった。
最初は母親が無理やり起こしてきて、ほんとギリギリで学校に行っていた。

別にクラス全員から嫌われていたわけではなかった。
大好きな友達もいた。
部活も副部長として、先輩として充実していた。
でもだんだん狂い始めて、親が起こしても起きれなくなって、
酷い時は夜の9時に起きたりして、20時間以上寝てたりもした。
別に夜にゲームをしたり動画を見るようなことはしていなかった。
寝る時間が特別遅いわけでもなかった。遅くても12時ぐらいで。

学校に行けなくなった。
私はずっと泣いていた。

段々と勉強がわからなくなっていった。
段々と体力が落ちて部活についていけなくなった。
段々と人と話すことが怖くなった。



なんで私がこんな目にあわないといけないんだろう。って何度も思った。
私は友達に優しいと言われることが多かったが、私は心優しい人間ではない。
嫌いな奴は普通にいるし消えちゃえなんて思うことも普通にあった。
ただ家が礼儀やマナーに厳しくて、そして凛とする母親に憧れて。
だから悪口は言わないように気をつけてたり無視したりすることもなかった。
挨拶だってきちんとした。
なにかしてもらったらきちんとお礼を言った。
だって礼儀だから。
挨拶、お礼、謝罪、返事にきちんとした礼儀作法。
どれだけ嫌ってても礼儀はきちんと守った。
でも相手はなに?
返事はかえってこないしお礼も言わない。
私だけが礼儀正しく過ごしてなんになるの?
「あいつがいじめられればよかったのに。」
ふとそう思ってしまった私は自分自身が嫌になって、また朝は起きることが出来なかった。



「話してくれないとわかんない。」

母親に言われたその言葉。
母親と話すのは久しぶりな気がした。
いつも私は夜にベッドで母親に学校のことを相談してみようと思い内容を考える。
だけど、どうしても言い出せなくて。

言葉にしようとしても、声が出なくて、私は口を閉じた。

そんな日々は続いて、正直すごく苦しくて、死にたいって何度も思って、
でも死ぬ勇気も、周りに迷惑かける勇気もなくて。

でもさ、大好きな友達が言ってくれたんだ。
「ゆっくりでいいんじゃないの。
家族も友達も所詮他人なんだからさ、なんでも話せるわけじゃないし。
私でいいならいつでも相談乗ってあげるからさ〜」
彼女が言ったその言葉に私は泣いちゃって。

次の日の朝、母親に話したんだ。

言葉にしようと、声を出そうと、口を開いた。

最初は上手く声が掠れてでてこなくて、やっぱ怖くて泣いちゃって。
でも初めて思ってることを伝えたんだ。
そこから両親も、学校も色々考えてくれた。

だから私も、ほんの少しずつ前に進もうと思えて。

大好きな友達へ、大好きな家族へ。
今私は、たくさんのありがとうを抱えて生きている。
そのありがとうを言葉にしようと、声を出そうと、私は口を開いた。