「リューちゃん!」
自分の体が動かなくなる原因がリュードだとクラーケンは理解していた。
他に同じことをする敵はいないと確認して狙いをリュードに絞り、先に倒そうと知恵を働かせたのである。
ヤバいと思ったけれど空中ではどうすることもできなかった。
「バーナード!」
熟練した冒険者だったバーナードはクラーケンの思惑を見抜いて一瞬早く行動した。
飛び上がって手を伸ばし、リュードを突き飛ばした。
強化魔法の効果範囲が短く前線に出ていたバーナード リュードに近く、バーナードのおかげでリュードは助かった。
しかしバーナードはリュードの身代わりに黒い何かに飲まれながらぶっ飛んでいった。
「くっ、止まれ!」
次に振り下ろされた足をリュードは雷属性の魔法で弾き返す。
「バーナード!」
エリザがバーナードに駆け寄るのがリュードの視界の端に見える。
どうなったのか確認しに行きたいが、クラーケンのターゲットはリュード。
行けばバーナードも巻き添えになってしまうのでリュードはクラーケンと距離を取りつつバーナードから離れる。
幸いクラーケンの狙いは変わっておらず、バーナードに医療班が向かっていく。
戦闘船の方に弾き飛ばされたのも運がよかったかもしれない。
リュードの体感では段々とクラーケンも雷属性の痺れにも慣れてきてしまっている。
スタンから持ち直す時間が早くなってきているのだ。
2本の足と魔法が集中的にリュードに向けられ、先ほどの黒い塊が来ることも警戒してしながらリュードは回避を続ける。
意識がリュードの方に向いていることは見ている人にとってはヒヤヒヤしても戦う方としては楽であった。
時折使うリュードの雷属性の魔法によって止まる時間はほんの一瞬だったけれど、注意がリュードに向いているためにそれでも十分な隙であった。
一瞬たりとも気の抜けない回避の連続にリュードは汗だくだった。
しかしリュードの努力に応えるように1本、また1本と足が切り落とされる。
もはやクラーケンの中では苦戦の全ての原因となっているリュードに執着している。
捉えられないという苛立ちもあってクラーケンは残りの足が4本になってもリュードを執拗に狙い続けた。
2本がリュードに向けられ、冒険者たちには残る2本で攻撃している。
単調に振り回すだけの足は数が少なくなれば威力が高いだけで、最初に比べると脅威とは言えなくなっていた。
無理をしなければ足が当たることもなく、回避しながら反撃に転じる人もいた。
かなり冒険者にも疲労の色が見えてきていたけれど終わりも見えてきてもうひと頑張りだとみんな奮起している。
心なしかクラーケンも疲れているのか足の振りも遅くなったように感じられた。
リュードも他の人なら倒れていてもおかしくないぐらいの魔力を使い体力もかなり消耗していたが、バーナードの犠牲まであってここで諦めるわけにはいかなかった。
「あれは…………全員警戒せよ!」
船の上から状況を見ていたドランダラスの緊迫した声がリュードの耳にも届いた。
広く視界を持っていたドランダラスの視界の端で黒い何かが動いた気がした。
見間違いかもしれない。
しかし戦場において違和感を見間違いで片付けてはいけない。
魔力を込めて戦場に声を響き渡らせた。
「な、なんだあれ!」
クラーケンの足をかわし続けるリュードの視界の端で海水が噴き上がった。
時間も経ち、クラーケンの叩きつけを何回も受けて脆くなっていた氷の足場を突き破り何かが出てきたのだ。
一瞬クラーケンの足にも見えた。
けれどもクラーケンのものとは異質で形が違っていた。
誰もがその正体を知らない中、リュードだけがそれに見覚えがあった。
クラーケンはリュードが前世での知識で例えるならイカ。
イカをそんなに細かに観察したことがないので違いはあると思うけど大体イカで間違いない。
今出てきた足、それはイカではなかった。
「……タコ?」
こちらは例えるならタコの足だった。
「リュードさん、ルフォンさんが!」
タイミングが最悪だった。
ルフォンは足と魔法をかわすのに跳び上がっていた。
本来は足場があるはずだったのだがルフォンが着地しようとしたのはタコの足が空けた穴の上。
ルフォンの身体能力を持って多少横にズレたとしてもタコの空けた穴は大きくて着地できる足場がなかった。
「ルフォン!」
リュードとルフォンの目があった。
ゆっくりとルフォンは穴の中に落ちていく。
「邪魔だぁ!」
助けに行かなきゃいけない。
リュードは剣に魔力を込めて雷属性をまとわせると襲いかかるクラーケンの足を乱雑に切り付ける。
クラーケンの動きが止まった隙にリュードは駆け出し、ルフォンが落ちた穴に向かう。
もはやクラーケンにもスタン耐性が出来つつあり、クラーケンはすぐにリュードを追撃してきた。
「放て!」
ドランダラスの号令で魔法使いたちが一斉に魔法を放つ。
足場の再生成に備えていた魔力をクラーケンの気をそらすことに使ったのである。
弱ってきていたクラーケンは魔法をまともに食らってよろめいた。
その間にリュードは穴に飛び込んだ。
水の中に入るとその姿がハッキリとわかった。
それはリュードの知るタコの姿と非常に酷似していた。
ルフォンのこともすぐに見つけられた。
最悪としか言いようがないだ。
ただでさえ泳げないルフォンはタコの足に絡め取られていた。
この際他の人がどうとかは関係ない。
リュードは竜人化した。
服が裂ける音がするけど気にしてなんていられない。
人よりも長く息が持つ自信はあるけどルフォンはそうでないし、戦闘ができるほど息止めに自信はない。
短期決戦でルフォンを救い出す。
「ルフォンを離しやがれ!」
魔力の残量も気にしていられない。
リュードは魔法で雷を作り出した。
水中では空中よりも凄い勢いで雷属性の魔力が拡散していく。
それを膨大な魔力とコントロールで無理やり押しとどめて自分の胴よりも太い雷の槍を作り出す。
たった2本作っただけなのに魔力がゴッソリと無くなる。
手を突き出して槍を放つとリュードは槍に続くように水を掻いてルフォンに接近する。
無造作に放った槍でもデカいタコの体には当たった。
その瞬間雷がほとばしりタコに、そして水を伝いリュードにも電撃が走り抜ける。
もはや電流をコントロールする余裕もない。
すでに覚悟をしていたリュードは歯を食いしばって電気を耐える。
ルフォンも痺れてしまうだろうが、他に方法が思いつかなかった。
体痺れたことで逆に力が入ってしまったのかタコはルフォンを離さない。
タコの方はまだ雷属性に慣れていないのでスタンして動かなくなる。
リュードは竜人化で鋭くなった爪をタコの足に差し込み力いっぱいに両手を開いてタコの足を引き裂いた。
火事場の馬鹿力とでもいうのかリュードはタコの足を素手で切断してみせた。
ルフォンを捕らえているのが足先だったから引きちぎって助けられた。
ただちぎられたタコの足も吸盤が張り付いてルフォンから離れない。
ひとまずちぎれた足ごとルフォンを抱きかかえて水面に向かう。
動いているためか息が苦しくなってきた。
時間がない。
けれどそうしている間にタコもスタンから立ち直ってリュードを睨みつける。
せっかく捕らえた獲物を逃すわけには行かない。
タコの足が迫ってくることを感じる。
「お前如きにルフォンをくれてやると思うなよ! 天雷竜撃!」
残りの魔力も多くないことは分かっている。
だから小さい魔法を連発して逃げるのではなく一発の大きな魔法でどうにか撃退せねばならない。
リュードが持ちうる魔力のほとんどを注ぎ込んだ魔法は雷の龍を成してタコに襲いかかる。
迫り来る足に噛みつき絡み合い、電撃が眩い光を放つ。
痺れながらもリュードは手足を動かした。
もう酸素も魔力もない。
最後の力を振り絞って水の中から飛び出したリュード。
タコの足がクッションの役割を果たしてくれて氷の足場に激突することは避けられた。
もはや魔力も尽きて竜人化した姿を保つことも出来なくなっていた。
「リュードさん、ルフォンさん!」
エミナとアリアセンが駆け寄ってくる。
リュードが水中で戦っている間に氷の上ではクラーケンは討伐されていた。
「ルフォンを頼む」
まだタコの気配は水中にある。
なんとかしなきゃみんなに戦う力は残っていない。
リュードは念のためにと持ってきていた防水の袋を開けてその中にあるマジックボックスの袋に手を突っ込む。
黒い塊をいくつか取り出すと握りしめてほぐして穴に投げ込む。
村長印の魔物よけである。
魔物よけが水に投げ込んでも効果があるのかリュードは知らないけれど一縷の望みをかけて水に投げ込んだ。
慌てたように水中の中を黒い影が移動して離れていく。
どうやら成功したみたいでタコが臭いを嫌がって逃げていった。
「りゅ、リュードさん、ルフォンさんが息をしていません!」
エミナの悲痛な叫び。
一瞬目の前が暗くなった思いがした。
フラつく体でルフォンの元に駆け寄る。
ルフォンの口に手を当ててみても息をしていない。
胸に耳を当てると心臓も止まっていた。
「ルフォンさぁん……」
エミナが泣き出す。
周りが状況察して重たい空気が流れ始めた。
リュードも頭を殴られたような強い衝撃を受ける。
「ルフォン……ダメだ!」
しかしリュードは諦めなかった。
ルフォンの頭を下げて顎を上げる。
ゆっくりと息を吸い込むとリュードはルフォンの口に自分の口を重ねた。
胸が膨らむのを確認するとすぐさま胸に手を当ててリズム良く押し始める。
前世で習ったことがある心肺蘇生法。
この世界ではこんな方法取りはしない。
回復魔法が効かなきゃそれで終わり、死亡宣告がなされる。
だけど希望を失ってはいけない。
諦めるには早すぎるとリュードは知っている。
「そんなの……認めない!」
息を吹き込み、心臓マッサージを繰り返す。
反応のないルフォンに視界が段々とぼやけ出してくる。
「頼む…………頼む、ルフォン!」
「……ゲホッ」
リュードの思いが通じた。
ルフォンの心臓が再び動き出し、海水を吐き出した。
横にして背中をさすってやると大量の海水がルフォンの口から出てきて、激しく咳き込んだ後ようやく自分で呼吸が出来るようになった。
「ルフォン!」
「リュー……ちゃん?」
今すぐに抱きしめたいような衝動に駆られるがここは我慢してルフォンの手を取る。
待機していた医療班の魔法使いが奇跡だと言いながらルフォンに回復魔法をかける。
「そうだ……ここにいるぞ」
「泣いてるの……?」
気づけばリュードは涙を流していた。
答える代わりにリュードは強く握りしめた手を自分の額に当てる。
「私ね、分かってた……リューちゃんが来てくれるって」
「絶対に、何度だって助けに行くさ。でも少しは泳げるようになってくれると嬉しいかな」
「ううん、私はこれでいいの」
「そうか、とりあえず今はあまり話さないで休んでくれ」
「リュー……ちゃん!」
「起き上がらないでください! 私たちが診ますので」
ルフォンに微笑みかけたリュードはルフォンの隣に倒れてしまった。
魔力を使い果たし体力も限界を迎えていた。
ルフォンとリュードは戦闘船の中に運び込まれて治療が行われた。
特にリュードは今回の戦いのMVPと言っても過言ではない働きをした英雄で戦いに参加した皆が心配した。
タコの魔物はリュードの魔物よけによってどこかに逃げてしまった。
皆疲労していてこれ以上の戦闘は無理だと判断したドランダラスは一応目的であったクラーケンの討伐で作戦の成功とした。
帰ってきた騎士や冒険者たちを町の人は盛大に迎え入れてくれた。
魔物は脅威でありながら食料や素材ともなり得てクラーケンも例外ではない。
解体されて持ち帰られたクラーケンは町でさらに細かく解体されて宴のメイン食材となった。
誰もがクラーケン討伐を祝い、まだ続く大干潮のことを一時忘れた。
そんな喧騒の中、生死を彷徨ったルフォンも後遺症もなく回復を見せ、運ばれてきたクラーケンを堪能した。
恐れていた生クラーケンもせっかくだしと口にして意外と悪くないことも理解した。
あのタコがなんだったのか誰にも分からず、アレはクラーケンの亜種あるいはあのクラーケンのつがいなのではないかと予想がされた。
ルフォンにくっついてきた足以外に残されたものはなく、それも食べてみるとリュードにとってはタコだった。
謎のクラーケン亜種とされた魔物は消えてしまい、その後の調査でも痕跡すら探し出せなかった。
この事は討伐に参加した皆が口を紡ぎ、ただクラーケンの討伐を喜んで記憶の片隅へと封印した。
ドランダラスも表面上は喜びながらあのクラーケンと次に対峙する時までに準備をしておかなかればいけないと考えていた。
クラーケン討伐成功。
この事実だけを残してタコは深海に消えてしまったのであった。
ルフォンは下唇を噛んで泣くのを堪えた。
みんながこっくーこっくーと自分のことを馬鹿にしてくるのが悔しくて、少しも泳ぐことのできない自分が無性に腹立たしくて。
もう泣かないと決めたので泣きたくなかったけれど、そんな決意とは裏腹に堪えても涙が出てきてしまう。
諦めたくて、投げ出したくて、それでも諦められなくて。
涙を隠すようにルフォンは顔を水につけた。
こんなこともっと幼い、水が苦手な子供がやることなのだけれど少しずつ段階を上げていこうという話になった。
水が嫌いなわけじゃなくてただただ浮かないだけ。
浮かないというか本当に石か何かのようにあっという間に沈んでいってしまうのである。
どうしてこんな体質なのか一切理由がわからない。
村では12歳になると川まで行けるようになるので遊ぶことができるのだがちゃんと川遊びするのにもルールがあった。
深いところに入らないとか必ず何人かで行動することとか、安全に遊ぶためのルールである。
その中の大前提のルールとして、最低限泳げることがある。
体力作り、体作りにもなるのである意味で鍛錬の一環も兼ねながら12歳になると大人が泳ぎを教えてくれる。
プール授業みたいなもので危なくないように大人が川の浅いところを簡単に区切ってそこで12歳になった子たちが泳ぎを練習する。
真水の川ではなかなか泳ぐのも楽ではなく最低限泳げないと川で遊ぶのも危険であると考えられていた。
しかしそこは魔人族きっての希少種族の子供たち。
難なく泳ぎをマスターしてスイスイと泳ぐ中で逆の意味で頭角をあらわしたのがルフォンだった。
一切泳げない。
大人が手を引いてあげているとまだ良いのだが離すとそのままゆっくりと川底に沈んでいってしまう。
体の力を抜くとか単純に水に浮くだけのようなこともルフォンには難しかった。
まさしく黒重鉄で体ができているのではないかなんて思えるほどだった。
子供の口にするあだ名は時に残酷だ。
きっと考えたのは他の、もっと上の世代の大人が子供の時に誰かが言い出したものがなぜか伝わっていた。
水に浮かない黒重鉄。
それを言いやすく“こっくー“とカナヅチのことをみな呼んでいた。
こっくーなんて可愛らしく言い出したのは最近の子たちかもしれない。
響きは可愛くても言われた本人はとても嫌だった。
そもそもルフォンは水着も嫌だった。
水着と言うが可愛げのあるものではなく、村での水着はいわゆる競泳水着のようなピチッとしたものを水着としていた。
名前も水着じゃなくて水衣とかそんな呼び方であった。
成長期にあって体の作りが変化しつつあるルフォン、というか女の子たちにとって体のラインが出る水衣はとても不評だった。
なんやかんやでみんなが川遊びが許可されていくのにルフォンだけは一向に泳げる気配すらなかった。
見かねたウォーケックがルフォンに付きっきりで教えていたのだけれど上達しない原因も分からなかった。
いつまで経っても初心者ゾーンから抜け出せないルフォンを誰かが軽い気持ちでこっくーと言い出した。
ルフォンがそれを鼻にかけたことなんて一度もなかったが、やはり先祖返りという体質はどうしても奇異の目で見られるためにからかいの対象になってしまった。
リュードが止めたりもしてたが、人の口を塞いで回ることもできない。
「ごめんね、リューちゃん……」
初心者ゾーンのある川の横で朝から泳ぐ練習をしていたルフォンとリュードは休憩していた。
ウォーケックも練習に付き合ってくれていたけれどいつも付き合えるわけじゃない。
全くルフォンが泳げない事は皆分かっていたので1人での練習は許可できなかった。
そこでリュードが大人に頼み込んで自分が責任を持って面倒を見ると約束して練習に付き合った。
川遊びは絶対じゃない。
泳げないなら諦めて川に近づかないでもいいのにルフォンが泳ぎを頑張る理由はリュードがいるからである。
やはり川遊びの人気は高く、暑い季節になるとみんな川に行きたがる。
当然リュードも誘われれば行くこともあるのだけど、リュードに引っ付いて回っていたルフォンは泳げないので川に行く事は許されなかった。
リュードの側にいたいという思いや水着姿のリュードをもっと見たいなんて下心があったりなかったりして、ルフォンは泳ぎの練習を頑張っていた。
もちろん1人だけ泳げないのが悔しかったりこっくーと馬鹿にされるのが嫌だっていう思いもあった。
リュードも根気強くルフォンの泳ぎの練習に付き合っているのだけど上手くならない。
何か呪いでもかけられているのではないかと疑えるほどに泳げないのである。
本当ならもっとちゃんとしたところでリュードも遊んでいたはず。
自分が泳げないせいでリュードを付き合わせてしまっている。
申し訳ない気持ちでルフォンはいっぱいになった。
泳げない自分に幻滅しただろうか。
散々付き合わせて上達の気配も見えない自分を嫌いになっただろうか。
何もかもが上手くいかなくてルフォンは自己嫌悪に陥っていた。
「んーにゃ、謝る事じゃないよ」
日がポカポカとして暖かい。
好きでやってることだからそんなに落ち込んだ顔をしないでほしいとリュードは思った。
こっくーこっくーとルフォンのことを馬鹿にするアホどもの顔が頭に浮かんできてムカつく。
実際子供による淡い恋心的なものも混じってのことだったのだけど、泳げないくらいで人を金属呼ばわりするとは何事だ。
何回か誘われたからリュードも川遊びをしたけどルフォンが近くにいないというのはどうにも落ち着かない。
ジッと窓から悲しそうな顔で見てくるルフォンの顔が頭をチラついてしまって心の底から楽しみきれない感じがあった。
川に行くなら釣りでもしてる方が実はリュードは好きだった。
泳ぎが嫌いなわけじゃないけど誰か流される奴はいないかなんて中身が大人なリュードは気になってしまう。
「俺が好きでやってんだ。ここはごめんじゃなくてありがとう、だろ?」
「うん……ありがとう」
結果的には一緒に川遊び。
しかも2人きり。
そう考えると泳げなくても悪くないとルフォンは顔が熱くなってくる。
「きゅ、休憩終わり! また泳ぐ練習するから手伝って!」
バシャバシャと川に入って顔を水につける。
水に慣れることからやっていけばいいなんて軽く誰かが言ったけれど水に慣れてないわけじゃない。
今だって顔の赤みを取るために水に顔をつけている。
「ほら」
「う、うん……」
リュードに手を引いてもらい、ルフォンは体をまっすぐに水に浮かして足を上下にバタつかせる。
人に支えてもらっていると浮いていられる。
そういえば手を握っている。
気づいちゃったルフォンは途端に手が熱く感じられた。
リュードの手が熱いのか、自分の手が熱いのかわからない。
ひんやりとした川の水がかかっているはずなのに触れ合っているところが妙に熱く感じられた。
その日も結構長いこと練習したけれどルフォンはリュードが手を離すと沈んでいってしまい、泳げるようにはならなかった。
「泳げるようにならなきゃ……」
次の日も練習することになっていたのだけどリュードが用事で遅れることになった。
1人で川に入っちゃいけない。
大人しく待っていたルフォンだったけど欲が出た。
「リューちゃんがくる前に泳げたら……」
きっと驚いて、喜んでくれる。
浅くて流れの緩やかなところなら大丈夫だろう。
そう思ったルフォンは思い切って少しだけ1人で練習することにした。
誰もいない川、泳げないルフォン。
いつもは心地よく感じられる川の冷たさがなんだか怖く感じられる。
「不安になっちゃダメ!」
ふるふると頭を振って不安を追いやってルフォンもう少し深いところで顔を水につけてみようと思った。
「痛っ……ちょ、あっ!」
何か硬くて鋭いものを踏んで足に痛みが走った。
咄嗟に足を上げてしまったルフォンは川の流れと川底の苔に足を取られてひっくり返ってしまった。
流れが緩やかなために故に川底が滑りやすくなっていたのだ。
グルリと回転するようにしながら流されるルフォン。
(柵があるから……)
区切ったところは柵がしてあって流されても引っかかるようになっている。
だから安心だと思った。
背中がドンとぶつかり、柵の端までたどり着いたのだと柵に手をかけて顔を水から出した。
「あっ、えっ!」
柵を作ったのはいつで、最後に点検をしたのもいつのことだろうか。
ルフォンの体重がかかった柵はバキリと壊れて、ルフォンは柵の外に投げ出されてしまった。
グルグルと水中で回り、上がどちらかも分からなくなる。
まだろくに息も整えられていなかったのですぐに苦しくなってきて、恐怖心で体が動かなくなる。
(こんなところで死んじゃうのかな……)
流されて死んだなんて知ったらリュードはショックを受けるだろうし、責任を感じてしまうかもしれない。
リュードのせいじゃなくて自分が勝手したせいなのだからどうか責任に思わないでほしいな、なんて考えていた。
「しっ……!」
何かがルフォンの尻尾を掴んだ。
敏感で他の誰にも触らせたことない尻尾を誰かが鷲掴みにしてルフォンを引き上げる。
「プハッ!」
ルフォンの尻尾を鷲掴みにしたのはリュードであった。
リュードはルフォンが柵を伝って顔を出した一瞬を見ていた。
柵が壊れてルフォンが川に投げ出されてリュードは慌てて川に飛び込んだ。
目一杯腕を伸ばして掴んだらそれがたまたま尻尾なのであった。
「ルフォンの馬鹿野郎!」
珍しくリュードがルフォンに怒った。
一歩間違えれば、どころかリュードが来なかったら、あとほんの少しでも遅れていたらルフォンは死んでしまっていた。
「ごめんなさい……」
「あれほど1人で入るなって……」
ボロボロと泣き出すルフォンは震えていた。
そんなに怖くないと思っていた水が少し怖くなってしまった。
リュードが来なかったらと考えると恐ろしく、リュードが説教するまでもなくルフォンは反省していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「分かった……分かったからさ」
泣かれると弱い。
ルフォンだって溺れたくてこんなことをやったのではない。
滑って転び、柵が脆くなっていたという不幸が重なった。
「ほら、泣くなよ……」
そっとリュードの上着をかけてやるとルフォンはそれに顔を押し当てて嗚咽して泣いてしまった。
もう怒るに怒れない。
リュードはそっとルフォンの背中をさすって泣き止むのを待った。
「ごめんね、リューちゃん」
ひとしきり泣いたルフォンは目が真っ赤になっていた。
「もういいって、だけど1人で川に入るなんてこと2度としちゃダメだ。それだけはわかってくれよ?」
「うん……」
「……いや、もうさ、そんなに練習しなくてもいいんじゃないか?」
「えっ?」
見捨てられた。
ルフォンはそう思った。
止まったと思った涙がまた溢れ出しそうになって視線を下げて堪えようとする。
「ルフォンは……料理もできるし誰よりも優しいし…………可愛いし、なんでも出来るだろ? 1つぐらいできないことがあったって不思議じゃないし、それがまた可愛いっていうとあれだけど、こう完璧でいるよりも隙があった方がいいっていうか」
慰めようとして言葉をつなぐリュード。
でも上手くまとまらない。
「……言ってて訳わかんなくなってきたな。その、つまりアレだ。ルフォンが溺れたら俺がさ、絶対に、何度でも助けるからさ。あんまり無理はするなよな」
「リュー……ちゃん?」
「多少泳げて損はないけどさ、泳げなくたって俺がいるから」
「リューちゃぁん!」
「なんだよ、もう泣くなって……」
1つぐらい弱点があってもいい。
それをリュードが疎ましく思わず可愛いとまで思ってくれるなら。
もう何回か練習してみたけどルフォンは泳げるようにならなかったから、もう泳ぐ練習をするのはやめた。
出来ないことに時間をかけるよりリュードが喜んでくれるような、例えば料理の腕を上げることなんかに時間を使おうと思ったのである。
「絶対に、何度でも……」
「ああ、絶対に、何度でもだ」
だからルフォンは分かっていた、リュードが助けに来てくれるって。
タコのクラーケンに関して他言しないようにかんこう令が敷かれて、クラーケン討伐のお祭りもゆっくりと熱が冷めつつあった。
そうこうしている間にも北側から進められていた犯罪者、魔物一掃作戦は順調に進んでいって多くの悪人が捕らえられた。
これは他から流れてきた、きていないを問わずに捕らえていた。
一掃作戦によりヘランド王国はクラーケン討伐と合わせて非常に平和で安定的な国となったといってもいい。
作戦も終わったので国境線の封鎖も解除された。
「私たち、ここに残ります」
リュードも入院していたのだけどルフォンの方が死にかけたということもあって長く病院にいることになった。
ようやくルフォンも退院して、国境封鎖も解かれたということで今後どうするかを話し合っていた。
そこでエミナが意を決したように切り出した。
「えっ、どうして……?」
予想もしていなかった言葉。
ルフォンは意外な言葉に驚きを隠すことができない。
すっかり一緒にいることに慣れてしまった。
本来どこか拠点となる場所を決めてそこで別れるという話だったことも忘れてこの先ずっと一緒に旅するつもりでいた。
リュードとしてもエミナたちと無理に別れようとは思っていない。
ルフォンのようにずっと一緒だとは思ってなくともまだ別れるような時じゃなさそうだと思っていた。
「私、クラーケンの討伐に参加して自分の無力さを改めて痛感しました」
けれどエミナの考えは違っている。
同じアイアン+でもリュードは今回の討伐の英雄。
魔法1つでクラーケンを翻弄してみせて、戦いを大きく優位なものへと導いた。
ルフォンもルフォンで目覚ましい活躍とは言えなくても確実にクラーケンの足を傷つけていて、タコが途中で襲ってくるなんてことがなければ危なげすらなかった。
対してエミナは魔法部隊として参加して、ドランダラスの指示のもとで魔法を放っていた。
しかしエミナの放つ魔法はリュードの魔法のような効果はなく、その他大勢の参加者の1人でしかなかった。
魔法でもダメージは与えていたので役に立っていないわけではなかったけれど、役に立っていると誇れるような成果は何一つない。
エミナは戦いの中で悔しさを覚えた。
「この先にお2人がどんな旅をしてくのか、それは私には分かりません。でもこのままだと、私がいるときっといつか2人の足を引っ張ってしまいます……」
「そんなこと……」
「待ってください。最後まで、私の話を聞いてください」
リュードもルフォンもきっと足手まといなんじゃないと言ってくれるし、困ったら仲間なんだから助けてくれると言ってくれる。
けれどそうじゃない。
「嫌なんです。私の力不足のせいで2人に苦労をかけたり、もしかしたらケガしちゃうことが。2人は大丈夫って言ってくれるけど私が大丈夫じゃないんです」
自分が足手まといになっている。
魔法の強さも立ち回りもまだ未熟で、何もかもが足りていない。
2人がどう思っているかではなく自分がどうなのかである。
「エミナちゃん……」
「これまでリュードさんとルフォンちゃんの強さと優しさに甘えてきてしまいました。でもそれじゃダメなんです。自分でなんとかしないと……またきっと2人に甘えちゃいます」
決意に満ちたエミナの目。
初めて出会った時の頼りなさげで自信のなさそうな少女だった頃の目とはだいぶ違っている。
リュードとルフォンが大好きで、強いとわかっているからこそ迷惑をかけたくないと思うのだ。
2人と一緒にいてエミナも強いということが分かってきた。
2人に頼ることのない環境に身を置いて努力を重ねなきゃいつまでも甘えてしまって、2人にふさわしい自分になることができなくなるとエミナは考えていた。
「2人はどうするんだ?」
ヤノチとダカンにも視線を向ける。
いきなりエミナだけ残るとは考えにくい。
3人で話し合ったようであるのでリュードには答えはわかっていた。
「私たちもここに残ってエミナと組んでパーティで活躍していくつもり。故郷も近いし、なんてたって困ったらこの国の王様が助けてくれるしね」
「俺はヤノチがいるところが俺のいるところだから」
3人でここを中心に活動する。
今は大干潮があるから少しだけ大変な時期になるけどそれを過ぎれば国内は犯罪者も少なく、魔物も程よいレベルになっているはずだ。
トキュネスやカシタコウも近く、何かあれば3人はすぐにでも国に帰れる。
今はクラーケンや一掃作戦で国内の話題は持ちきりなのでトキュネスやカシタコウの話が入ってきてエミナたちのことが身バレする可能性も低い。
ちょうど良い場所だろう。
3人で決めたことのようだし文句もない。
「でも…………」
声が震える。
泣かないと決めはずなのに。
我慢してもし切れない。
ググッと上がってきた感情と目に熱いものが溜まって視界がぼやける。
「もじ……わだしがもっど、強くなっで2人の、隣にだっでも、いいと、思えるどぎがきだら」
こぼれないようにと言葉を詰まらせながら言い進めるけれど、もう止まらなかった。
こんな情けなく言うつもりなんてなかった。
もっと、成長したのだと。
精神的にも成長したと、堂々と言うつもりだったのに。
「まだ、わだしといっじょにだびじでぐれまずがー?」
ヒドイ。
ちゃんと言葉にもなってない。
涙が溢れて、前が見えなくなる。
今はそれでよかったかもしれない。
呆れ顔でも優しい顔でも見えていなければ関係ない。
「もちろんだよ!」
エミナにあてられて感極まったルフォンはギュッとエミナを抱きしめる。
ルフォンの体に手を回してエミナも抱きしめ返す。
互いに頭を肩に乗せあい、泣き合う。
ヤノチも我慢できずに泣き出す。
ダカンは顔を逸らして体を震わせているけど泣いているのが丸わかりである。
リュードも鼻の奥がツンとして込み上げてくるものがあったけれど必死に堪えた。
これは一生の別れではない。
2度と会えないんじゃないから泣くものかという薄いプライドのようなものを持って、1人でも涙の別れにしないと涙を抑え込んだ。
目がウルついていたけどどうにか流すのだけは耐え抜いた。
その日はみんな目が腫れるまで泣いた。
リュードも油断するとウルっと来ちゃうのでしばらく動けず、ルフォンとエミナは抱き合って泣いたまま疲れてしまったのかベッドで寝てしまった。
ダカンも泣き疲れて眠そうにしていたのでリュードは引きずるようにして部屋に連れて行った。
ーーーーー
「こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのにーー!」
次の日、エミナはベッドに籠城した。
早速出発とは流石のリュードもそうはいかなかった。
というのもいい話になってしまったのは次にどうするかの話し合いの最中であって、実はまだ次の目的地も定まっていなかった。
あたかも明日お別れのような雰囲気があったのだけれど、特に出発の予定があったわけではなかった。
あんな風にお別れの挨拶を交わしたのだから決意が鈍らないうちに早めに出発しようとは思う。
だから少しだけエミナが勇み足だった感じは否めないのだ。
ルフォンと次の目的地の相談のために部屋に来たのだけどエミナは布団を被って出てこない。
クールにお別れを言うつもりだったのに号泣に次ぐ号泣。
泣きじゃくる様は子供ドン引きレベルであった。
その上泣きに泣いたために目は完全に腫れていてとても2人に合わせる顔がなかった。
「エミナ、出てきてくれよ」
とりあえず話し合って目的地は決めたので出発しようと思えば出来ないこともない。
しかし最後の最後でこんな布団の中からお別れするだなんてとてもじゃないけどできない。
困ったようにリュードがベッドに座ってエミナを揺すってみる。
「……てください」
「なんだって?」
「リュードさんの、あの、もう1つのあの姿で抱きしめてください!」
エミナの声を聞こうと静まり返った部屋の中、布団をかぶっているがためにくぐもった声が響き渡る。
リュードの困った顔がエミナには想像できた。
恥ずかしさと散々泣いたために疲れていたエミナは完全に暴走した。
少なくともしばらく会う事はない。
もう恥ずかしさの頂点にいるのだから多少の恥はかき捨てとばかりに顔も見えないこともいいことにエミナは思いついた欲望を口にした。
何を言ったのか、分かっているけど分かっていない。
段々と口にしてしまった言葉を自分で理解できてしまって顔が熱くなってくる。
涙が枯れるほど泣いたはずなのに恥ずかしさでまた涙が出てきそうな気分になる。
放った言葉はもう取り消せず、相手の反応を待つしかない。
けれどなんの反応もなく布団の外は静かで、布団の中の自分の鼓動しか聞こえない。
呆れられているのか、怒っているのか、まさか無言でみんな出ていってしまったのか。
そんなことはしないだろうと思いつつもエミナは段々と不安になってきた。
いなくても嫌だけど、いたらいたで恥ずかしさで死んでしまう。
あまりにも沈黙が長くてそっと布団をあげて外を確認した瞬間だった。
「ひゃっ……!」
強い力で引っ張られて布団が上に剥ぎ取られる。
ベッドの横に誰かがいるといると視線を向けるとそこに立っていたのは布団を後ろに放り投げるリュード。
しかも竜人化した姿であった。
「きゃ…………」
布団を放り投げたリュードはすぐさまエミナの口を手で塞いだ。
ここで悲鳴なんて上げられたら人が飛んできてしまう。
エミナが口を押さえた拍子にバランスを崩して後ろに倒れたものだから自然と押し倒すような形になってしまった。
「シィー」
リュードはエミナの口を塞いでいない方の指を口に当てて騒がないように言う。
エミナはこくりとうなずいたのでリュードは手を離した。
エミナのお願いを聞いたリュードは困った顔をしてルフォンに視線を送っていた。
抱きしめてほしいなんてお願いルフォンが許すわけないと思ったからである。
しかしなんと意外なことにルフォンは険しい顔をしながらもリュードにうなずいてみせた。
許可が下りたのである。
なんの気遣いなのかルフォンはヤノチとダカンを連れて部屋を出て行ってしまい、呆然とするリュードと外の状況をわかっていないエミナだけが残された。
ルフォンもリュード離れをして大人になりつつあるのかと変な感動と寂しさを感じた。
絶対に許すわけないと思ったのにヤノチとダカンを連れていくなんてスマートな気遣いまで覚えて。
ただしそこに至るまでリュードの意見は一切関わっていない。
こんなことをされては半ば強制的にやるしかないようなものではないか。
ルフォンの心の内としてはエミナでも許しがたい行為であると思ってはいた。
『あなたは第一夫人なのよ、何にでも嫉妬を振り撒いちゃダメ。ちゃんとあの子の気があなたに向いてるなら他の子にもちょっとぐらいいい思いさせてあげるのが正妻の余裕ってやつよ』
呪いの言葉。
メーリエッヒの教えがルフォンの頭の中にこだました。
先日リュードとキスをしたからルフォンはリュードとの関係に関して一歩先を行っていると心の余裕ができた。
キスというか人工呼吸なのだけど口と口の接触に間違いはない。
それと人工呼吸というものを知らないで見ていたエミナが言ったのだ。
リュードの熱いキスによってルフォンは再び意識を取り戻したのだと。
王子様のキスでお姫様が目覚めるなんてお話はこの世界でも定番の物語。
特に本の虫であったヴェルデガーのところにはそんな絵本の類まであり、リュードが興味なかったので貸し出されて代わりにルフォンが読んだりもしていた。
そんなイメージで話してしまい、ルフォンの中でもリュードのキスによって目覚めたのだとそういうことになっていた。
行為の見た目上は間違ってない。
わざわざあれは人工呼吸で、なんて説明するのもヤボなのでリュードとルフォンの初キッスは人工呼吸ではなく奇跡的な目覚めのキスというといことになった。
ルフォンが幸せならそれでいいんだとリュードはそのままにした。
「これが正妻の余裕……」
ゆえに抱き締めるくらいならとルフォンで胸の中の葛藤しながら許可を出した。
エミナだからとギリギリ自分を納得させたのだ。
3人が部屋を出て行ってしまい、エミナのご希望通りにするためにリュードは服を脱いだ。
竜人化することを想定していないのでこのまま竜人化すると服が破けてしまうからである。
こんなことで竜人化するなんて思ってもみなかったけれど大切な友達の頼みである。
服を脱いで竜人化しながらリュードは考えた。
どうしたらいい。
ただの声をかけてもエミナがノコノコと顔を出してくるとは思えなかった。
リュードだって恥ずかしいのだ。
竜人化しているから違和感が少ないけれど今の格好は要するに半裸である。
平穏無事な方法でエミナを誘き出す術が思いつかなかった。
もう知らんとリュードは力技に出た。
丸くなった布団をおもむろに引っ掴むと思いっきり上に引っ張り上げる。
たまたまエミナが覗こうとしていたタイミングでもあって上手く布団を引き剥がすことができたのであった。
また布団を与えると篭ってしまうので遠くに放り投げてエミナの方に向き直ると、エミナとリュードの目があった。
腫れぼったい目が見開かれてリュードを上から下まで一巡する。
エミナが大きく息を吸い込んでやばいと思ったリュードは咄嗟にエミナの口を塞いのであった。
リュードがエミナに覆いかぶさるような体勢。
倒れるのが怖くてエミナリュードの腕を掴んでいた。
ゴツゴツとした鱗の感触、間近に感じるリュードの息づかい、逃げ場のない状況にエミナは完全にパニックに陥っていた。
静かにするように言われたので叫びはしなかったけれど叫びたいぐらいの気持ちで、顔が火が出るほど真っ赤になっていた。
「落ち着いたか?」
一見するとリュードがエミナに襲いかかっているようにも見える。
全く落ち着かない、落ち着いていないけれどエミナはただコクコクとうなずいた。
ゆっくりと触れないようにエミナの上からリュードは退ける。
無言で手を差し出すとエミナがそっと握ってくるので上半身を起き上がらせる。
「ほれ、大人しくしてろ」
「えっ、ちべっ! むぐっ!」
リュードはエミナの後頭部に手を回して、顔を濡れたタオルで拭いてやる。
エミナが顔を泣き腫らしていると聞いていたので魔法で氷を作って氷水を持ってきていた。
冷たい水にタオルをつけて固く絞るとそれでエミナの顔を拭いてやった。
冷たさに驚いたのも一瞬ですぐにひんやりとしたタオルの冷たさが心地よく感じられた。
火照った顔や腫れぼったい目の熱に冷たさが気持ち良い。
優しくも力強く拭いてくれるリュードに身を任せる。
「ありがとうございます……」
顔も気分もスッキリして、冷たさが正常な思考を取り戻してくれた。
「私、ご迷惑かけてばかりでしたよね?」
思い返してみれば出会いもリュードにぶつかっていったことだった。
それも2回もである。
楽しかったけれどいつもリュードとルフォンには助けられてきた。
それをリュードがどうこう言わないことはわかっているけれど沈黙に耐えかねて口に出して言ってしまった。
「そうだな」
思ってもない肯定の言葉。
ちょっとショックだけど本当のことだし、自分から言い出したことだからグッと受け入れる。
「でもさ、楽しかったよ。俺たちもまだ未熟できっとエミナにもたくさん迷惑かけてる。勝手にイマリカラツトに行ったりもしたし、みんなおあいこだよ」
確かに戦いではエミナを助けることは多かった。
でもリュードたちだって完璧ではなくエミナに助けられたことだって、多少……何回かある。
リュードが暴走気味になるとルフォンはただ追従するだけなので冷静に止めてくれる役割を担ってくれた。
なんやかんやと好きにはさせてくれたけどちゃんと考えるために自分を落ち着かせることができたのはエミナのおかげである。
タオルと氷水を避けてリュードがベッドのエミナの隣に腰掛ける。
リュードの方が重たいからベッドが沈み込んで、エミナの体がわずかにリュードの方に傾く。
体の力を抜けばそのままリュードの方に倒れ込む。
距離が近いので肩に頭を乗せるぐらいにはなるだろう。
でもわずかに残った羞恥心とマトモな頭がエミナの体のバランスを保ってしまう。
「それにさ、感謝もしているよ。俺もルフォンも友達作るの得意な方じゃないからさ。距離感とか上手くないだろ?
だから友達になってくれて、嬉しかったよ」
正直に思いを打ち明ける。
恥ずかしいけれどエミナの恥ずかしさを思えばこれぐらいどうってことない。
「1番感謝してるのはこの姿のことかな?」
「その姿のこと、ですか?」
見ているだけで惚れ惚れするとエミナは思う。
一回り大きくなった体を覆う黒い鱗は美しい。
いつもよりも顔つきはシャープになって目つきはよりワイルドになっている。
夢にまで出てきてしまった姿。
見せてもらえるだけでエミナが感謝するぐらいでリュードが一体何を感謝することがあるのかエミナには分からない。
「怖がらないでいてくれてありがとう」
エミナと視線を合わせる。
最初こそこの竜人化した姿を怖がっていたけれど、エミナはその後も普通にリュードに接してくれてこの姿で抱きしめてほしいとまで言ってくれた。
抱きしめてほしいまでいくとどうかと思わざるを得ないが不安だったリュードに安心を与えてくれた。
真人族が竜人化した姿を見たら怖がるとか引くとか、気味悪がられてしまうのではないかと心配していた。
そうなっても別にいいとは思っていたのだけれどやはり実際にそうなると嫌な感情があることに嘘はつけない。
しかしエミナはそんなことはなく受け入れてくれた。
リュードにとっての自信にもなった。
エミナはリュードの角やルフォンの耳について話題に出したこともなかった。
それがエミナの意識してやっていることではないとは思うのだけどリュードにとっても触れられないことはありがたい話であった。
だからこそルフォンもエミナが好きなのである。
「でもそんなに特別なことじゃないですよ……」
感謝されてエミナは再び頬が熱くなる。
「エミナにとって特別じゃなくても俺たちにとって特別なんだ」
「ひゃ……ああぁぁぁぁ……」
「ありがとうエミナ」
竜人化した姿でよかったと思う。
きっと真人族の姿ならリュードも顔が真っ赤になっていたところだ。
リュードはエミナの体に手を回して抱き寄せる。
最初は強張ったように力が入っていたエミナの体から徐々に力が抜けていく。
最後にはされるがまま、リュードに抱きしめられた。
リュードの羞恥心が限界を迎える数秒間の出来事。
ドアの前から漂うルフォンの気配もあってとても短い時間のことだった。
けれどもエミナには十分な時間だったようでリュードがエミナを離すとヘニャリと力が抜けてベッドに倒れ込んでしまった。
完全にエミナのキャパシティを超えていたのであった。
エミナがどんな思いを抱えているのか、リュードにも分からないわけがない。
しかしリュードにはルフォンがいるし、多妻が許されていると言っても誰彼構わず手を出していいものでもない。
そこには一応のルールがある。
仮にリュードとそういった関係になりたいならエミナにはルフォンを倒して第一夫人になるぐらいの気迫が必要なのである。
最後の最後に分かったのは、エミナはリュードの竜人化した姿が好きだということ。
なんだか変な発言とかあった気もするが意外なところを好きになってもらったものだとリュードは思った。
ーーーーー
「それじゃあ本当にお別れですね」
城壁もない町だとどこまで見送るか難しい。
町と外の境目は曖昧でもう誰が見ても町の外というところまでエミナたちはリュードたちに付いてきていた。
エミナが立ち止まる。
いつまでも付いていってしまってはこれまでと変わらない。
ちゃんとお別れしなきゃいけない。
3人が立ち止まり、2人が少し歩いたところで振り返る。
ヤノチの耳には黒真珠のイヤリング、エミナの首には黒真珠のネックレス、そしてルフォンの手首には黒真珠のブレスレット。
売ればそこそこの値段になるはずのヴィーナスに選ばれた記念の装飾品。
ルフォンは出会いと別れの記念に女の子3人でそれを分け合うことにした。
同じ黒い真珠の装飾品を3人の友情の品とした。
「……いつか絶対強くなります。強くなって、その時はルフォンちゃんも超えて、リュードさんの隣に私が立ってみせますから」
魔人族が第一夫人以外に妻を娶るために必要なのは何も財力や互いの愛だけではない。
最も大事と言っていいこと、それは第一夫人の許可なのである。
第一夫人に認められることが魔人族の多妻におけるルール。
基本的には強いものが偉いなので夫が認めれば第一夫人に勝負を挑んで勝てれば第一夫人になるなんてこともできる。
倒せなくても認められれば第二夫人になることもできる。
弱い女性は魔人族が多く抱える妻に相応しくないというのが昔からの価値観である。
現代では多妻なんてのも多数派な人ではないけれどそんな根底にあるルールは変わらない。
とすると今のエミナの発言は意味を持つ。
『あなたを倒してリュードの第一夫人になります』
そう宣言したのと同じ。
リュードに告白、どころか結婚の申し込みをしたようなものである。
「…………待ってるよ」
でも実はエミナは魔人族じゃないからその発言の意味を知らない。
単なる決意表明ぐらいの意図しかないのだけど、ルフォンにとっては違った。
いつになく真剣な顔をしたルフォンはジッとエミナの顔をみると言葉少なく体をひるがえして歩き出した。
「またな、みんな」
またな。
この別れは一生の別れではない。
リュードとルフォンはまた新たな地に向かって進み出したのであった。
「舐めるといい味がするようになったんだよ」
「舐めるといい味がする……」
「なんていうか旨味があるっていうのかね?」
クラーケン討伐から帰ってきて数日後。
リュードはバーナードとエリザに会いに来ていた。
バーナードはリュードを庇って攻撃を受けた訳だし、ちゃんとお礼を言いにきたかったのである。
命に別状はなく無事であることはすでに聞き及んでいた。
「お兄ちゃん、ツノ生えてるー!」
「こらっ! すまないね、娘が」
「いえいえ、いいんです」
何をお礼にしたら良いか考えた。
お金を渡すのは違うし、バーナードたちが何を喜ぶのか分からない。
人に聞いてみたところ、なんとバーナードたちには子供がいると聞いた。
しかもその上スナハマバトルへは賞品の香辛料、中でも砂糖を目的に参加していたと聞き出すことに成功した。
なのでリュードはバーナードとエリザにお礼として砂糖を袋に詰めて持ってきた。
「ありがとね、こんなにたくさん。うちの娘甘いものが好きだから喜ぶよ」
外で会った時とは違う母親の顔をしているエリザ。
子供がいるだなんて思いもしなかったけれどそれも冒険者を引退する1つのきっかけなのだろうなと思った。
そして肝心のバーナードはというと。
「美しい……体の陰影がハッキリと出て俺の肉体が映えている……」
鏡の前でポージングを取っていた。
バーナードが食らった黒い塊は粘度の高いイカスミであった。
ダメージこそあまりなく、拘束目的の攻撃だったようである。
魔法で洗い流してようやくバーナードは動けるようになったのだが大きな弊害が1つあった。
イカスミが皮膚に吸収されてしまい、全身が黒くなってしまったのだ。
若干色落ちして真っ黒からは脱出したのだがバーナードはものすごい黒い。
しかしこれがまたバーナードのすごいところでこの黒さにバーナードは惚れ込んでしまっていた。
意外にも黒さが落ち着いてくると日焼けマシンでよく焼きしたような健康的な黒さに近づいてきて、バーナードは己の筋肉が美しく見えるようになったと喜んでいた。
うっとりと鏡の前でポーズを取り、それを眺める。
さらにそんなバーナードを眺めるエリザは流石にため息をついていた。
イカスミは美味しいらしく、それが染み込んだバーナードは舐めると美味しいらしい。
バーナードを舐める気にも、イカスミを皮膚に染み込ませる気にもならないけど面白い発見である。
横で娘さんも一緒にポージングするのを微笑ましく眺めた後、リュードは改めてお礼を言ってバーナードとエリザの家を後にした。
ーーーーー
「赤字だ……」
バイオプラは泣きそうになっていた。
意地を張らずにあそこで頭を下げてでも止めるべきだった。
優勝賞品か魔道具のどちらかだけならまだしも両方持っていかれたことは非常にデカかった。
どうにか損失分を補填しようと頑張ってみたもののスナハマバトルにも出資していたし今期の収支がマイナスになることは避けようがなかった。
かなりマイナスは圧縮できたもののそれでもまだ赤字は大きい。
しかし今期を乗り越えればどうにかなる。
個人の財貨を投入しても乗り切るしかない。
「か、会長! お客さまです!」
「客? 一体誰が……」
ありがたいけれど今は笑顔を作るのにも苦労をするぐらい精神的に疲れている。
赤字をもっと減らすには商売は続けなきゃいけないのでバイオプラは重たい腰を上げてお客の元に向かった。
「は、あ、あなた様は!」
応接室に行ってバイオプラはアゴが外れるほど驚いた。
そこにいたのはドランダラス、この国の王様だった。
「お、王にご挨拶申し上げます!」
その場にひざまづいてバイオプラは頭を下げる。
ドランダラスは温厚で怒ることの少ない王様であるとバイオプラも知ってはいる。
けれどそれが必要な礼を欠いていいということにはならない。
どうして王様がこんなところにいるのか分からずバイオプラは何かやってしまったのだろうかと商売の詳細を頭に思い浮かべる。
「頭を上げよ。あくまで今の私はお客としてここに参っている。そう畏まる必要はない」
そんなこと言ったってと思う。
後ろに控えている護衛の目は厳しく、とてもじゃないけど畏まらない態度なんて取れるわけがない。
「そ、それで一体どのような御用で我が商会に足を運ばれましたか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
首に剣でも突きつけられている気分でバイオプラが質問する。
何かを追求しに来たのではなく、お客としてきたのなら何かを買いに来たはずだ。
「ふむ、ここに最新鋭のコンロの魔道具があると聞いて参ったのだ」
「はっ……?」
「コンロの魔道具だ。先日私の友人が君のところで貰ったと聞いている」
コンロの魔道具を持っているのは唯一あのスナハマバトルを優勝した若い冒険者のペアだけである。
貰ったということはまず間違いないだろう。
王様の友人だったとは、頭を下げて断りを入れなくてよかったとホッとしながらもバイオプラは倉庫にあるコンロのところにドランダラスを案内した。
「その、こちらでございますがこれが一体どうしましたか?」
「是非とも購入したくてな」
「そ、それは本当でございますか!」
コンロの魔道具、しかも最新式となると値段がかなり高く売れるのにも時間をかけて貴族に売り込んでいく必要があると思っていた。
売れるなら一気に赤字分を埋め合わせできる。
「ある分全て王城に運ばせよう。後はだな……」
ドランダラスはルフォンが作ったデザートを作るつもりであった。
ルフォンに作り方を教えてもらい、再現するつもりだったのだが失敗した。
既存のものでは細かい火力の調節が難しく上手くいかなかったのだ。
そこでドランダラスはルフォンがコンロを使っていたことを思い出した。
わざわざ宿に人をやってどこで買ったのかを聞きにいかせて自分で足を運んできた。
ついでに必要な材料なんかも買えればと思っていた。
「全てすぐに用意させます!」
バイオプラはリュードたちに対する考えを改めた。
賞品をタダで持っていき、損害をもたらしただけだと思っていた。
けれど巡り巡って王様が直接商品を買いに来てくれた。
高めの商品がバンバン売れてバイオプラは上機嫌になった。
王様が買ったものという売り文句を付ければ高いコンロだって今後買う人が出てくる。
厄病神のように感じていた2人のことを急に拝み倒したくなってきた。
運気が巡ってきたと思ったバイオプラは部下に指示を飛ばして商品を準備させる。
のちにヘランドの海商王……なんて呼ばれたらいいななんてバイオプラは妄想を広げていたのであった。