「王様、急ぎ報告があります!」
宰相であるファランドールが慌ただしく国王であるドランダラスの執務室に入ってくる。
普段は落ち着き払っていて慌てたりする事の少ないファランドールの異常な様子にドランダラスは仕事の手を止めた。
「どうした、ファランドール。犯罪者の一掃に何か問題でも起きたか?」
アリアセンから上がってきた報告を受けてドランダラスは驚いた。
安定していると思っていた自分の治世において村一つが滅ぼされてしまうなんて蛮行が起きてしまうなんて。
すぐに怒りが湧いてきて細かな調査をすることを命じた。
兄から託されることになった王位をこのようなことで汚してはならないとドランダラスの行動は早かった。
アリアセンが単に村の壊滅に立ち会ったのではなくリュードたちと村人の一部を救出したともあった。
遺品を届けてくれた恩人に対しても国の醜態を晒すことになってしまったので何も知らなかったことを恥じている。
調査を開始してすぐに見慣れない輩が増えた話や暴力沙汰が多く発生しているなどの報告があった。
ドランダラスはすぐに決断を下した。
ちょうど北側に兵力を集めてある。
そこから南下させてより一層の治安維持に注力しようと。
そした指示を出してからだいぶ時間も経っている。
もうすでに北側の騎士団は動き出している。
荒れたものたちの集まりだからもしかしたら手練れがいる可能性はある。
騎士団に何か損害が生じたのかもしれないとドランダラスは考えた。
「大干潮でございます!」
「なんだと!」
どんな報告でも冷静に受け止めよう。
そんなドランダラスの心構えをファランドールの報告は大きな衝撃でもって打ち砕いた。
予想をはるかに超える衝撃をもった言葉だった。
大干潮は自然現象の1つ。
しかしヘランド王国にとっては国を脅かす自然災害と言ってもいい。
潮が大きく引いてしまう現象で短くても数日間は続き、長ければ一年ほどにもなってしまうことも過去にあった。
大干潮が起こる原因は未だ誰にも分からない。
さらにリュードの話によると結局のところドランダラスの兄であるゼムトは大干潮のせいで死んだことになる。
ドランダラスはそのゼムトが死んだ大干潮の他に王位についてからしばらく経ってからもう一度大干潮を経験していた。
思うところがあるのだ。
ヘランド王国は海路を使った貿易や海産物が大きな収益を生み出している。
大干潮になると貿易も難しく海産物を採ることも困難になってしまう。
国の収益を支える二つがしばらくダメになる大干潮はヘランド王国にとって大問題であった。
「今1度過去の事例を元に対策を検討せねばなるまいな」
「さらに、魔物の異常行動が見られるとの報告もありました。もしかしたらアレが現れるかもしれません」
「なん……だと?」
ファランドールの更なる報告にドランダラスは持っていたペンを強く握りしめた。
困惑や恐怖、不安などの暗い感情に混じって一抹の喜びのような感情も感じていた。
「そうか、とうとうアレがきたか。ならば我々も用意していたものを出す時が来たな」
兄の復讐。
個体としては別だろうがドランダラスにそんなことは関係なかった。
「それは良いのですがどうないますか?今は第1と第2騎士団が北から治安維持活動をしながらなんかしておりますが中止して南に向かわせますか?」
タイミングが悪いとファランドールは顔をしかめていた。
まだ一掃作戦が始まって間も無く、主要な部隊は海から離れた北側にいる。
今から伝令を飛ばして兵を戻してから再編成して送るにしても時間がかかる。
「いや、そうしてしまうときっと犯罪者どもはその隙をついて逃げ出してしまう。他の国に犯罪者を送り出してしまうことは避けたい。このまま第1、第2騎士団には作戦を続けてもらう。代わりに第3、第4騎士団を投入する。国境の封鎖に必要な人員だけを残して南に向かわせよう」
「しかしそれでは戦力が十分ではないかと……」
「国の一大事だ、使えるものはなんでも使う。冒険者ギルドに連絡を取って冒険者に協力をあおごう。国境の封鎖によって暇している冒険者も多かろう」
「わかりました」
「雷属性を扱える者がいないのは痛手だな……」
海や川で生活する魔物は雷属性を苦手としていることが多い。
2人のいう、アレも雷属性が有効であったという過去の記録があったとドランダラスは思い出していた。
「兄の時はまだ使い手もいたのだがな……」
ゼムトの戦いで雷属性が使えるものは動員され、亡くなってしまった。
結果として雷属性の魔法を受け継ぐ者がヘランド王国にはいなくなってしまったのだ。
「それにつきましても1つお伝えしたいことがございまして」
「むっ、なんだ?」
「これは唯一の吉報と言えるかもしれません」
ファランドールの最後の報告。
ドランダラスは今一度恩人を訪ねなければならないなと思った。
国外に出られない以上ヘランド王国の中でどうにか過ごすしかない。
ドランダラスなんかにお願いすれば出られそうな気がしなくもないがそこまでして出たいわけでもない。
頼まれたお願いはちゃんと果たしたし今のところやらなきゃいけないようなこともない。
のんびりしながらもいい機会なので冒険者ランクを上げるための実績稼ぎだと思ってヘランドで冒険者としての依頼をこなしていくことにした。
「ふう……」
すっかり砂浜で朝走ることが日課になってしまった。
バーナードに負けた悔しさもあるけれど、旅をしているとこんなふうに基礎的な鍛錬なんかやっている暇もない。
しばらくやっていなかった走り込みをすると案外気持ちも良く体の調子も良い。
潮風で肌がベタついたり砂まみれになってしまうことは欠点だが砂の上を走るのは中々面白かった。
「やあ、久しぶりだね、シューナリュード君!」
そうして一通り砂浜の上を走ったリュードが宿の部屋に戻ってくるとそこに王様がいた。
ヘランド王国の現在の王のドランダラスである。
「ああ、どうも」
手を振るドランダラスはなんとなく雰囲気が軽い。
最初にあった時は半ば公式的な感じだったし話の内容が内容だったのでドランダラスも王様としての態度を取っていた。
けれど今は私的な場だし他に小うるさくする臣下もいない。
本来のドランダラスは気さくで親しみやすい性格をしている人であった。
白い歯を見せてニカっと笑うドランダラスはハツラツとしていて、なぜなのか一瞬だけゼムトが重なって見えた気がした。
若くして死んでスケルトンになった兄と王位について久しい老年の弟。
どこに重なる要素があるというのか分からないけれど、きっとゼムトが生きていたらこのような感じだったのだとリュードに思わせた。
あまり似ていないなと最初は思ったけれどそんなことなかった。
肝心のドランダラスはなぜなのかルフォンが作った朝食をパクパクと食べていた。
舌の肥えている王様が美味い美味いと言って食べてくれるのだからルフォンも悪い気がせず嬉しそうである。
対してエミナやヤノチ、ダカンも同じ部屋にいた。
ピッチリと椅子に座って背筋を伸ばしたまま動かない。
蛇に睨まれた蛙だってもっとみじろぎぐらいするだろう。
ただなんてったって目の前にいるのは一国の王様。
失礼な態度は取れないと3人ともガチガチに固まってしまっていた。
夢なんじゃないかと頬を引っ張るような古典的なマネをしてしまいそうな理解に苦しむ光景である。
「そう怪訝そうな顔をするな。しっかし君のお嫁さんは料理がうまいな! 私の妻はそう言ったことが一切出来なくてだな……」
ガハハとドランダラスが笑う。
「あっ、おかえり。リューちゃんの分も朝食出来てるよ」
「おっ、もらうよ」
変に動揺しても仕方ない。
あたかもこれが日常かのようにリュードはドランダラスの横に座った。
エミナたちがマジか、という視線をリュードに向けるけれどこの部屋に限っていえばリュードの方が主のようなものである。
ヘランドの住民でもないし一定の敬意は払いながらもへこへことはしない。
「はい、リューちゃん」
ドランダラスの隣に座って待っているとルフォンがリュードの前に朝食を置いた。
ワンプレートになった朝食からは独特の香りが漂ってきた。
朝食というにはやや刺激の強い香り。
スナハマバトルでもらった香辛料を使った料理であった。
流石に部屋の中で香辛料を使った料理をするのはダメだろうとなった。
なので宿の裏のスペースを利用料を支払って使用させてもらい、コンロを置いて料理をしていた。
ルフォンが作る料理だしドランダラスも食べていたので大丈夫だろうと一口料理を口に含む。
エスニックな香りに反して味は優しい。
香りが強めなだけであっさりと食べ進められる料理で朝食にも悪くない。
香りも食べ進めると慣れてくるし、朝なら目が覚めてむしろ良いぐらいかもしれない。
「食べながらでいいから聞いてほしい」
先に食べ始めていたドランダラスの方が食べ終わるのが早いのは当然。
優雅に口を拭いたドランダラスはようやくこの訪問の目的を話し出した。
「先日、海から魔物が上がってくる騒ぎがあった」
リュードもそれは知っている。
それはまさしくスナハマバトルの時に起きたことで、リュードたちも魔物と戦った当事者である。
「こうした事態の裏には何か異常があるものだと調査を進めた」
魔物が岸にまで上がってくるのはあまり起こりうることではない。
そんなことが起こるということは何かの原因があるはずでヘランドでは調査を進めていた。
「この国、というかこの海には何十年かに1度の頻度で大干潮と呼ばれる自然現象が起こるんだ。魔物の異常行動はこよ大干潮に起因するものだと見ている」
海に異常が起これば海に住む魔物にも異常行動が起こる。
関係性としては理解できる話である。
「そしてだ、大干潮に関してはもう1つ大きな問題があるんだ」
エミナたちはあくまでも聞いていますという態度を崩さない。
リュードは聞いてはいるけど優先はルフォンの料理が冷める前に食べることなので遠慮なく料理をパクつく。
「大干潮そのものが何十年という期間が空くものなのだが、大干潮の数回に1度、大干潮の時に出てくる魔物がいるんだ。普段は海深くにいるのに大干潮の時だけ浅いところに上がってくる……」
リュードの食べ進める手が止まる。
話の内容の先がリュードには分かってしまった。
「その魔物の名前はクラーケン。海の暴れ者なんて呼ばれる強力な魔物だ」
リュードたちに話があるにしても直接王様であるドランダラスが出張ってくることはない。
そんな風に思っていだけれどクラーケンが相手となれば話が変わってくる。
「あの、クラーケンですか?」
「そうだ、そのクラーケンだ」
ゼムトたちが命をかけて倒した相手でもある。
ドランダラスのみならず、海を大きな資源とするヘランドにとってもクラーケンは因縁の相手になる。
目撃情報も少なくヘランド以外のところではまずお目にかからない魔物がクラーケンなのだ。
個人的因縁もあって居ても立っても居られなくなったドランダラスは王城を飛び出してきたのであった。
「近々ギルドから大規模な討伐の依頼が出されるだろう。我々国の兵士や騎士との共同作戦だ」
「……話は分かったけどどうしてわざわざ王様が俺たちを訪ねてきたんだ?」
そんな依頼が出るなら嫌でも耳に入ってくる。
依頼を受けさせたいというのであれば人をやってもいいし、ギルド経由で直接指名することもできる。
出る前から王様が知らせに来る意味などないのではないか。
「浜辺での魔物の討伐の件、私の耳にも入ってきている」
「光栄です」
「それについて、シューナリュード君、君は雷属性の魔法を扱えるそうだね? しかも強力なやつをだ」
リュードはこれが本題かとドランダラスの目を見て察する。
「我々の国はクラーケンに関する情報を少しずつ貯めてきた。かつての王が行った戦いではクラーケンに雷属性の魔法が効いたそうだ。私の兄が戦った時も雷属性を扱える魔法使いを片っ端から集めた。効果があったのかは定かではないが討伐に成功したのだから一定の効果があったとみている」
結構どの魔物に対しても雷属性の魔法は効く。
ただやはり水棲の魔物に対しては雷属性の魔法の通りはいい。
クラーケンも水棲の魔物であるので雷属性が効きそうなことはリュードにも予想できる。
「今回も過去の資料を元に調査を進めた。すると大干潮に伴うクラーケン出現の傾向が見られたのだ。そのために準備を進めていたのだが……」
「雷属性の魔法の使い手がいないのでしょう?」
皆まで言わずとも分かる話。
「その通りだ。シューナリュード君が雷属性の魔法を使ったという話を聞いてな、それで直接私が話に来たのだ」
依頼が耳に入らない可能性もある。
人やギルドを介しては依頼を受けてもらえないなんてことも考えられる。
やはり何かをお願いするには自らが足を運ばねばならない。
「是非君の力を貸してくれないか?」
ドランダラスがリュードに頭を下げた。
その光景にエミナたちは驚いて言葉も出ない。
一国の王様が一介の冒険者に頭を下げるなんて見たこともない。
ドランダラスはクラーケンを倒すためなら何でもするつもりだった。
頭を下げて確実に協力を得られるなら頭も下げるのだ。
「……わかりました。協力することはやぶさかではありません。でも計画や作戦はあるんですか?」
話を聞きながら先を予想していたリュードはどうするかをもう考えていた。
こんな時に雷の神様の加護を受けて雷属性が強化されたのは何かしらの運命かもしれない。
出来ることがあるなら手伝おう。
「いつかは絶対にクラーケンは現れる、そう思っていた。私が王になったその時から私はクラーケンに対する準備を進めてきた。だからクラーケンを倒すための作戦ならある」
顔を上げたドランダラスの目には確かな自信が満ち溢れている。
「いいでしょう。けれど行くのは俺1人です」
「えっ……」
ガシャンという大きな音にヤノチがビクッとなる。
リュードの思わぬ言葉にルフォンが持ってきたデザートを落としたのだ。
「リューちゃんどうして!」
怒った表情を浮かべてルフォンがリュードに詰め寄る。
「どうして私を置いていくの?」
こんな風にルフォンが怒るのは珍しいことだ。
「話を聞いてたか?」
「クラーケンって魔物を倒しに行くんでしょ?」
「そうだ。戦場は海の上、相手は海の魔物だ。いくら船の上で戦うだろうとは言っても周りは一面水だ」
「うっ……」
ルフォンの瞳が揺れる。
ルフォンは筋金入りのカナヅチで、もし転落でもしたら魔物がいない状態でだって泳げはしない。
「泳げないルフォンを連れて行くのは危険が大きすぎる」
勢いの減じたルフォンにリュードが畳みかける。
不慣れな船の上でルフォンを戦わせるのは危ない。
決して意地悪で連れて行かないなんていっているのではない。
蔑ろにしているのでもなく危ないことをしてほしくないというリュードの優しさなのである。
「お、落ちないもん!」
しばしの葛藤。
ルフォンが食い下がる。
「リューちゃんが行くところが私の行くところ。リューちゃんが戦う敵が私の敵なの! だから私も行く!」
行かなくていいなら行きたくない。
そんな思いもあるのだがルフォンは覚悟を決めた。
「はっはっは、いいじゃないか。言っただろう、作戦はあると。雷属性の魔法使いを揃えることはできなかったがその代わりにクラーケンと戦うための作戦はしっかりあるんだ」
ドランダラスがルフォンが落としたデザートを拾い上げる。
フライパンごと落とした焼き菓子のデザートはうまいこと飛び出さなかったので無事であった。
「船から落ちる心配のない作戦だ。彼女も連れて行ってあげてはどうたい? 聞くところによるとルフォンさんもお強いのだろう?」
ドランダラスはフォークを刺してデザートを一口運ぶ。
落ちた衝撃で形は崩れてしまったけれど味に影響はない。
砂糖も1年分手に入ったから作ったリュードが好きな砂糖多めの甘いデザート。
「……分かったよ」
どの道依頼としてギルドで募集が始まればリュードが停めてもルフォンは参加することもできる。
勝手に参加されて目の届かないところにいられるよりは目の届くところにいてもらった方が良い。
「リューちゃん……」
「絶対俺の目の届く範囲にいてくれよ?」
ルフォンはカナヅチの中でも果てしなく水に沈んでいってしまうタイプだった。
気づけば沈んでいってしまう危険な溺れ方をするので例え水に落ちたとしても早めに気づいてやらなきゃいけない。
行くと言われてしまえば断固拒否することができない。
リュードはなんだかんだルフォンに甘い。
「一応先に作戦を聞かせてください。一度引き受けましたが安っぽい作戦だったら今からでも断りますからね」
リュードだけなら本当の最悪の事態として討伐に失敗して船が粉々にされても1人帰ってくる自信はある。
しかしルフォンが来るなら確実にクラーケンを倒して船を無事に帰さなきゃいけない。
ゼムトの二の舞には決してさせない。
「分かった。作戦はこうだ」
ドランダラスが言った作戦は中々面白いものだった。
聞いたこともない作戦だったが成功の可能性は十分に感じられるものであった。
前代未聞の作戦なだけに失敗する可能性も考えられるのだがドランダラスは構想何十年という自分の作戦に絶対の自信を持っている。
どんな作戦にも100%はありえない。
どれだけ心配して、どれほど準備をしても変数は存在する。
ある程度のことはその場で臨機応変に対応していくしかない。
上手くいけば怪我人も少なくクラーケンを封殺出来るかもしれない。
ダメだったら早めにルフォンを抱えて泳いででも逃げてみせる。
「クラーケンは絶対に倒す」
自信、あるいは執念を感じさせる。
ひとまずドランダラスのことを信じてクラーケン討伐にリュードとルフォンは参加することになったのだった。
ドランダラスが来た次の日、ギルドからクラーケン討伐の依頼が大々的に発表された。
クラーケン討伐のための船や船に乗っている間の食糧までもが国持ちであるなど破格の条件で、冒険者たちも使い捨てのコマ扱いではなくちゃんとした戦力として見られていた。
さらには冒険者だけが戦うのではなく第3、第4騎士団との合同作戦でもあった。
当然この国で活動する冒険者はこの国の者も多い。
漁に関わる家のものや海での討伐依頼の経験者も他の国とは比べ物にならない。
海戦に強い冒険者たちと言えるのだ。
直接クラーケンと戦ったことのある者などいないが、この国にとってのクラーケンは厄災と同じ。
代々色んな人がクラーケンに対する恨みつらみを口にして、それをみな聞いて育ってきている。
今こそその恨み晴らさんと志願する冒険者が続々と集まった。
直接対決だけでなく船での作業手伝いなんかも募集していたが、クラーケンは強力な魔物であるので最低ランクはブロンズに設定されている。
リュードとルフォンはドランダラスの直接スカウトなのでアイアン+にも関わらず参加を許された。
エミナもリュードとルフォンの仲間として参加することになり、まだアイアンになったばかりで実力不足のヤノチとダカンはお留守番。
まさかエミナまで行きたいというとは思わなかったけれど、船から攻撃できる魔法使いのエミナなら危険は少ないと判断して連れて行くことになった。
クラーケンが今わかっている移動を開始する前に戦いたかった。
なので募集は短い期間しか出されなかったのだが思っていたよりも人が集まった。
屈強な海の男たちといった冒険者が多い中、見知った顔もあった。
「バーナード、エリザ!」
スナハマバトルで決勝を争ったライバルペアの2人である。
「おっ、チャンピオンじゃないか。君たちも依頼に参加するのか?」
「はい、バーナードさんたちもですか?」
確かリュードはバーナードたちは冒険者を引退しているものだと聞いていた。
だからここにいることに少し驚いた。
「この町の危機に黙っていられるわけがないだろ? 君たちの実力はスナハマバトルの時に見させてもらったからな。この依頼はうまく行きそうだな!」
バーナードは白い歯を見せて笑う。
大きな杖を持ち、軽めの鎧を身につけた出立ちのバーナード。
知らなかったらどう戦うのか見た目で判断することが難しい格好をしている。
「お二人がいればこちらも心強いです」
「やめてくれ。引退して久しいし私はゴールド−だ。魔のゴールド−、壁を越えられなかったのさ」
ほんの少し悲しそうな目をするバーナード。
実力は十分にあったのにそれでも越えられなかった壁がある。
いつまで経っても消せない−にバーナードは冒険者をやめてしまったのだ。
「それでも誰かのため、何かのためにまた武器を取られる勇気は凄いと思いますよ」
一度最前線から退いていたというのにクラーケンという強大な魔物と戦うために再び武器を手に取る。
中々出来ることではない。
「ありがとう」
リュードの素直な褒め言葉にバーナードが照れ臭そうにする。
「船が来たぞー!」
いつか来たりしクラーケン、この時のためにヘランド王国は準備をしてきた。
国を挙げて着々と用意をしてきて、いつでもクラーケンと戦えるようにしてきたのだ。
その中の1つがクラーケンに耐えうる巨大戦闘船の造船である。
クラーケンは大きな商船ですら簡単に壊してしまう。
足場や移動の方法となる船がやられてしまえばどれほど人を揃えたところで戦えない。
従来の帆船ではクラーケンを相手取るには小さすぎるし人を搭載するのにも限度がある。
そこでヘランド王国ではとにかくデカく、より頑丈な巨大な戦闘船を時間をかけて研究して作り上げた。
いろいろな国から物が集まる特性を利用して様々な木材を試したり他国の技術を学んだりした。
「はぁー……デカいな」
そんな技術の粋を集めた巨大戦闘船。
しかもそれが3隻もあるのだからリュードも圧倒される。
金属で補強された巨大な船体は甲板が広く戦いやすいようになっている。
大きいということは水に沈んでいる部分もそれだけ深い。
大干潮の影響も出始めているのだが、そもそも港はそこまで大きな船を停泊されられるように作られていない。
巨大戦闘船を港に近づけると船底が座礁してしまい港に着く前に乗り上げてしまう。
そこで巨大戦闘船には直接乗り込むのではなく港から普通の船に乗り、それに乗って巨大戦闘船まで行って乗り換えることになっていた。
どこかに戦争でも仕掛けるのかという物々しい戦闘船に乗ってみると大きいだけあって安定していた。
「リュード!」
ほとほと縁があると思う。
第3騎士団がいると聞いていたからいるとは思っていた。
そんな予感もしていたし、もしかしたら向こう側の気遣いがあった可能性もある。
船を乗り換えたリュードたち冒険者を迎えてくれたのはアリアセンを始めとする第3騎士団だった。
アリアセンは副団長であるしこうした雑務の指揮も現場でこなしていた。
リュードたちを見つけて嬉しそうに手を振るアリアセン。
ルフォンとエミナも同じく手を振りかえすが、リュードだけは複雑な気分であった。
「おい、あの2人って……」
「バカ、こんなところでそれに触れんじゃねえよ」
そんな様子を見て何かに感づいた冒険者の一部が未だに根強く蔓延るよからぬ噂を思い出してしまう。
変な噂をする奴らをコッソリと海から捨てる妄想を自分の中で繰り広げて気分を落ち着かせる。
アリアセンたち騎士団の案内で船内にあてがわれた部屋に向かう。
およそ4人1部屋で豪華とはいかなくても普通の宿の部屋ぐらいの広さはあった。
次々と部屋に案内されていく中で中々呼ばれないリュードたちは最後まで残されて3人になってしまった。
これまでは男女分かれての部屋だったのにどうするつもりかと思うとリュード、ルフォン、エミナは同じ部屋に通された。
しかもどことなく他の部屋よりも広い感じがする。
アリアセンが知り合いだからとえこ贔屓していい部屋に3人を割り当ててくれたとは思えない。
「やあ、元気にしていたかい?」
リュードが頭の中で考えていた思い当たる節がちょうど目の前に現れた。
変な気を回してくれたのはやはり王様であるドランダラスだった。
隣の部屋のドアが開いてすぐにリュードたちの部屋にドランダラスが現れたような気がするけど気のせいだろうか。
「お久しぶりですね。こんな逃げ場のない前線に来て大丈夫ですか?」
ここは海の上なのでもし大事があったらこの国は王様を失うことになる。
船を準備することや冒険者を雇うといった責任は果たしたのだからここまで来ることはない。
「大丈夫だ。私に何かあったら滞りなく息子が王位を継ぐことになっている。何より兄は自ら兵を率いてクラーケンと戦ったのだ。
私が安全な陸からぬくぬくと結果を待ってはおるまいて。それに自慢ではないが私もこの国では屈指の魔法使いだったのだよ!」
まだ元気そうなのに王位を譲る準備をしてきたとは相当な覚悟である。
けれどもガハハと笑うドランダラスから悲壮な雰囲気は感じない。
そんな準備をしてきたが全部無駄なことにしてやる、つまりはクラーケンを討伐して勝って帰るつもり満々なのである。
「君は希少な唯一の雷属性の使い手だからな。少しでも船旅の疲れを軽減するために君には最大限のもてなしをさせてもらう。当然精神的負担も軽くするために君の彼女たちも同室なのは当然だ!」
ありがたいっちゃありがたいから素直に受け入れておく。
エミナの方は彼女じゃないんですなんて一々説明するのも面倒なので笑顔で流しておく。
顔を赤くしたエミナもまんざらではない表情を浮かべていて訂正するつもりがない。
知らん冒険者と相部屋になるならルフォンとエミナと一緒の方が絶対にいい。
嫉妬される可能性もあるがまず同室なことなんてバレはしない。
ルフォンは知らない他人があまり好きではないのでちょっどよかった。
「調査によるとクラーケンの居場所はここから2、3日のところにいる。風向きがよければ2日ってところだろう」
ドランダラス直々に行程を説明してくれる。
「町から程よく離れているし戦うにもちょうどいい。その間にしっかり準備をしておいてくれ。何かあったらいつでも言ってくれたまえ」
やたらとライトな態度になったドランダラスが部屋を出ていくとやはりすぐ隣の部屋のドアが開け閉めする音が聞こえてきた。
まさかの王様のお隣の部屋だった。
王様の隣なら警備上も安全だと割り切って考える。
準備があるとアリアセンも問題を起こさずに部屋を出ていったのでベッドでくつろぐことにした。
出来る準備なんて体を休めることぐらい。
無駄に動き回って体力を使う必要もない。
「海上だとすることないな……」
大干潮の海は穏やかで波は少ない
船も大型なので安定性が高くて感じられる揺れも少しだけなので今のところちょっとしたクルーズ旅行気分だった。
ご飯も毎食時間になると運ばれてきて美味しいし言うことがなかった。
乗る前に若干心配していた船酔いも揺れが少ないためなのか、リュードを始め3人ともなかった。
風向きは順調で2日目にはクラーケンの出没地域につくだろうと言われた。
なのでそんなにのんびりとしていられもないが、だからといってやることもない。
海上の警戒は騎士がやってくれていて、冒険者はいつ声がかかってもいいように準備を怠らないぐらいしかやることがない。
「ルフォンはどうして泳ぐ練習をやめちゃったんだ?」
船の中ではすぐに手持ち無沙汰になる。
もういつクラーケンに遭遇してもおかしくないところまで来ていたので寝ることもできない。
何度目かも分からない武器の手入れをしながらふとリュードは疑問を口にした。
記憶の中のルフォンはバカにされるのが嫌だったしみんなと泳ぎたくて必死に泳ぐ練習をしていた。
それなのにパタリと泳ぐ練習をやめてしまった。
リュードにはキッカケも分からず思ってみれば不思議だと思った。
本当に水の神様に嫌われているのではないかと思うぐらいにルフォンは泳げなかった。
でもルフォンの高い身体能力を持ってすればそのうちに泳げるようになったのではないか。
リュードがルフォンに泳ぎを教えようとした時もあった。
それでも泳ぐ練習をやめてしまった理由を今更ながら気になった。
「うーんとね、それは……」
「クラーケンが出たぞー! みんな出るんだー!」
リュードの質問にルフォンが少し言いにくそうに答えようとした。
その瞬間聞こえてきた緊張感のある叫び声に3人が顔を見合わせる。
「シューナリュード君、ヤツが現れたぞ!」
いつもの王様の服とは違って魔法使いのローブを身につけたドランダラスが部屋に入ってくる。
やる気満々である。
鼻息の荒いドランダラスに連れられて甲板に出る。
もうすでに多くの騎士や冒険者が出ていて皆戦いの準備をしている。
日はまだ高く海は澄んでいる。
甲板から海を覗き込むと船の下を大きな影が通り過ぎていった。
巨大なものが海の中にいる。
「俺の爺さんを返しやがれ、この悪魔め!」
船の下を通り過ぎた巨大な黒い塊がクラーケンの影である。
大きいと思っていた巨大戦闘船と同じぐらいの大きさの影が海の中を悠然と泳いでいる。
みんながクラーケンの大きさに息を呑む。
あのサイズの魔物が暴れればそれはすなわち災害と変わりがない。
「みなの者、気を確かにせぇ!」
持っていた杖を床に打ち鳴らしドランダラスが声を上げる。
声に込められた魔力がみんなの正気を取り戻させ、吸い込まれるように海を見つめていたみんなが再び動き出す。
隣の船にまで届いたドランダラスの声。
既に辺りに充満するクラーケンの魔力に当てられたみんなの正気を自分の声に乗せた魔力で打ち消したのである。
さすが経験のある魔法使いだと自分で言っていただけはある。
こういうのを年の功というのかもしれない。
「全員事前の打ち合わせ通りに準備せよ!」
「モリを装填!」
慌ただしく騎士たちが戦闘船に取り付けられた発射台にモリを設置していく。
人の足の太さほどの太さもある大きなモリが3つの戦闘船合わせて何十本とクラーケンに向けて準備をする。
「エサで引き寄せろ!」
船の上から袋に入った撒き餌を投げる。
長いこと研究を重ねて特定したクラーケンが好むとされる魚を詰め込んだクラーケン専用の撒き餌。
撒き餌を投げ込むと暗い影が上がってきて海面近くまでやってきた。
撒き餌にクラーケンが食いついた。
「放て!」
第3騎士団団長の合図でモリが発射される。
一斉に放たれたモリは次々とクラーケンに突き刺さっていく。
あれだけ大きな図体をしているのだから多少狙いが外れても余裕でクラーケンに刺さっていた。
太い槍には太いロープが繋がっていて、痛みに悶えるクラーケンの動きで船も引っ張られる。
「ルフォン、大丈夫か?」
「う、うん!」
「魔法部隊、やれ!」
撒き餌を撒いてモリを発射する間にも魔法使いたちは魔力を高めていた。
モリが散々突き刺さったのを確認して魔法使いたちが魔法を一斉に発動させる。
「これほどの規模になると壮観だな」
空中に大きな魔法陣が展開され、暖かかったはずの気温が下がっていく。
リュードの吐き出す息が白くなり肌に寒さを感じる。
視線を下ろすと戦闘船の前の方から海の表面が凍っていき、だんだんと広がっていくのが見えた。
3隻の戦闘船それぞれから広がっていく氷は一つに合わさりあって海は大きな氷のフィールドになる。
「引けーーーー!」
この戦闘船の最大の特徴。
風の力がなくても魔力の力でプロペラを回して前後左右好きな方向に推進力を得ることができるのである。
魔法の力で3隻の戦闘船が同時に後ろに下がる。
戦闘船が下がるとモリに繋いであるロープがピンと張られる。
返しのついた太いモリは簡単に抜けることがない。
「掴まれ!」
モリが引っ張られてクラーケンの体に激痛が走り暴れ出す。
船も大きく揺れてリュードたちは落ちないように近くの手すりに掴まった。
たまらずモリを引っ張られないようにクラーケンは体を海中から出すが船が下がる速度の方が速く力強い。
そのまま引っ張られたクラーケンは魔法部隊が作った氷のフィールドの上に引きずり出された。
「全軍突撃!」
これがドランダラスの立てた作戦。
クラーケンを水中から魔法で作った氷の足場の上に引きずり出して戦おうというのだ。
巨大な戦闘船と多くの魔法使いを使った力技でクラーケンを見事に水中から引きずり出すことに成功した。
騎士や冒険者が氷の上に飛び降りてクラーケンのところに向かう。
引きずり出すのはあくまでも前哨戦に過ぎず、ここからが本当の戦いである。
「ルフォン、行けるか?」
「うん、大丈夫!」
リュードとルフォンも氷の上に降り立ってクラーケンとの戦闘に参加する。
エミナは魔法使いなので魔法部隊所属で氷の上には来ない。
マーマンは陸上に出てしまえばただの雑魚であったのだがクラーケンはそうはいかない。
モリで拘束されているし水中の時のような機動力は失ったけれどもその多足を使った攻撃は素早く手数が多く、なによりも強力であった。
それぞれが意思でも持っているかのように襲いかかってくる足のために近づくことすら困難である。
無理に近づこうとすると足の餌食になってしまう。
「イカが舐めるなよ!」
予想外の衝撃にクラーケンの動きが止まる。
みんなよりも一歩下がった後ろで魔力を高めていたリュードが魔法を放ったのである。
リュードの胴ほどもある太い雷がクラーケンに伸びていき、避雷針よろしくモリの1本に落ちた。
強い魔物というのは魔法に対する抵抗力も高い。
これだけじゃ倒すことも難しいのは分かっているので殺傷力よりも体がより痺れるような意識をして魔法を使った。
クラーケンの体に電撃が広がりビリビリとして硬直するイメージ。
事前に聞いていた通りクラーケンは雷属性の魔法に弱かった。
痛みはそれほどでもないはすなのにクラーケンは雷属性の魔法を受けると体が硬直して動きが止まってしまった。
「い、今だ!」
その隙をついてみんながワッとクラーケンに接近する。
「まずは足を狙うんだ!」
騎士と冒険者が一丸となって足を切り付ける。
「はああああっ!」
第3騎士団の副団長でもあるアリアセンも前線に立ってクラーケンの足を切り付ける。
他の冒険者や騎士よりも傷が深く、ただお飾りの副団長でない確かな実力が垣間見える。
「1本やったぞー!」
吉報舞い込む。
第4騎士団が集中的に攻撃をしていたクラーケンの足の1本が切り落とされた。
歓声が上がり、厄介な魔物も水中でなければ戦えることにみんなが希望を持つ。
この調子ならクラーケンを倒すこともそう遠い話ではないと大きく士気が上がる。
そう思ったのも束の間、体の痺れから立ち直ったクラーケンが暴れ出す。
まだスタンの時間も把握できていなかったみんなはクラーケンと近い。
「危ない!」
動き出した足の1本が第3騎士団を狙って振り下ろされた。
「副団長!」
それを見て飛び出したのはアリアセン。
盾に魔力を込めると淡い青い光を放ち、アリアセンの体にまとわれていく。
アリアセンの盾とクラーケンの足がぶつかる。
誰もがぶっ飛ばされるアリアセンを想像したがアリアセンはかなり押し返されはしたけれど足を受け切ってしまった。
ピカピカに磨かれた盾。
リュードたち以外他の誰も知らないそれはガイデンが使っていた一族に伝わる盾であった。
リュードから盾を受け取ったアリアセンの父親が盾の整備をして、アリアセンに届けていたのである。
美しく磨き上げ新品同様の輝きを取り戻したこの盾は何もただ昔から伝わってきただけではなかった。
盾に刻まれた紋様は魔法であった。
ヴェルデガーが魔石に魔法を刻んだのと同様のもので、刻まれた魔法は身体強化魔法。
この盾は実は何百年と代々に伝わる由緒ある代物で魔法が隆盛を誇っていた時代の魔法が使われている。
現代のものよりも強力なのに、現代のものよりも効率化されていて魔力消費は大きく変わらない。
ガイデンの盾は盾でありながら同時に魔道具、アーティファクトでもあるのだ。
アリアセンは盾の力も借りて根性で耐え切った。
だがクラーケンの一撃は強力だ。
例え盾で防ぎ身体能力を強化していても盾を持つ手は衝撃によってひどく痺れていた
「みんな今だ!」
攻撃を止められてクラーケンに隙が出来る。
アリアセンの声にハッとした第3騎士団がクラーケンの足に猛攻を加える。
「良くやったな、アリアセン!」
第3騎士団の団長がクラーケンの足に己の大斧を全力で振り下ろす。
狙いはアリアセンがつけた傷口。
寸分違わずアリアセンのつけた傷口に当たった大斧はクラーケンの足を両断した。
これでクラーケンはもうすでに2本もの足を失ったことになる。
クラーケンは怒りを露わにし、より強くより激しく足を振り回す。
「魔法だ、皆上にも気をつけろ!」
さらにクラーケンは魔法も使い始めた。
水の槍が上から降ってきてみんな回避を余儀なくされる。
足も魔法も当たれば致命的。
何人かがかわしきれずに槍で貫かれたり足でぶっ飛んだりする。
防戦一方を強いられる状況の中、動き出したのはリュードだった。
いつでも魔法を打てる状態を保ったまま、距離をとってクラーケンを観察した。
1回目での傷の位置や足を振り下ろすタイミングなど動きを見て、機会を待っていた。
「食らえ!」
足を振り上げた状態で魔法を打ち込んでも振り上げたまま痺れてしまう。
なので出来る限り足を振り下ろしてみんなが攻撃しやすいタイミングで魔法を使う。
同時に3本の足が振り下ろされ、そのうちの1本には深い傷が見られた。
リュードの放った雷が真っ直ぐに飛んでいき、クラーケンの足に直撃する。
またビクリとクラーケンがスタンするがリュードはそれで止まらない。
リュードは剣に魔力を通し、さらに変化させる。
薄くまとわれた魔力は途端にバチバチと音を立てて雷の属性を帯び始める。
いわゆる魔法剣という技術。
単に魔力を通して強化するだけでなく、属性変化をさせることでより強く武器を強化する技術。
「もう一丁!」
加護がなかったらなし得なかった難しい技でリュードはクラーケンの足に残された傷跡を切り付けた。
もう何回か切り付ける必要があるだろうと思っていたのに、まるでバターでも切るような感覚でクラーケンの足に刃が通っていく。
魔法剣という高等技術、それに加えて相性の良い雷属性の強化が合わさっていとも簡単にクラーケンの足を切り裂く力をリュードに与えた。
クラーケンにとっての雷属性の魔法は有効打どころか完全に弱点であった。
剣に込められた雷属性も重なってクラーケンの体がまたビクンと跳ねる。
「やあっ!」
ルフォンもその隙をついてクラーケン足を切り付ける。
リュードのように魔法剣なんてことはできないルフォンだが、ナイフに魔力をまとって強化することはやっていた。
武器に魔力をまとうこと自体は魔力を全身に巡らせて身体能力を強化するやり方の延長線上にあるようなものなのでルフォンにもできる。
ナイフなので一回一回の傷は浅くても回転が早く正確なルフォンの切り付けは同じ傷口を深くしていく。
周りの騎士や冒険者も素人ではない。
リュードがクラーケンをスタンさせることがわかったのでそのタイミングでしっかりと反撃に出ている。
けれどクラーケンもバカではなかった。
「くっ、危ない!」
足を飛んで避け、空中でクラーケンの水の槍を剣で防いだところまでは良かったのだが、これまで見せなかった第3の攻撃までリュードは防御できそうになかった。
クラーケンが口から黒い塊をリュードに向かって吐き出した。
「リューちゃん!」
自分の体が動かなくなる原因がリュードだとクラーケンは理解していた。
他に同じことをする敵はいないと確認して狙いをリュードに絞り、先に倒そうと知恵を働かせたのである。
ヤバいと思ったけれど空中ではどうすることもできなかった。
「バーナード!」
熟練した冒険者だったバーナードはクラーケンの思惑を見抜いて一瞬早く行動した。
飛び上がって手を伸ばし、リュードを突き飛ばした。
強化魔法の効果範囲が短く前線に出ていたバーナード リュードに近く、バーナードのおかげでリュードは助かった。
しかしバーナードはリュードの身代わりに黒い何かに飲まれながらぶっ飛んでいった。
「くっ、止まれ!」
次に振り下ろされた足をリュードは雷属性の魔法で弾き返す。
「バーナード!」
エリザがバーナードに駆け寄るのがリュードの視界の端に見える。
どうなったのか確認しに行きたいが、クラーケンのターゲットはリュード。
行けばバーナードも巻き添えになってしまうのでリュードはクラーケンと距離を取りつつバーナードから離れる。
幸いクラーケンの狙いは変わっておらず、バーナードに医療班が向かっていく。
戦闘船の方に弾き飛ばされたのも運がよかったかもしれない。
リュードの体感では段々とクラーケンも雷属性の痺れにも慣れてきてしまっている。
スタンから持ち直す時間が早くなってきているのだ。
2本の足と魔法が集中的にリュードに向けられ、先ほどの黒い塊が来ることも警戒してしながらリュードは回避を続ける。
意識がリュードの方に向いていることは見ている人にとってはヒヤヒヤしても戦う方としては楽であった。
時折使うリュードの雷属性の魔法によって止まる時間はほんの一瞬だったけれど、注意がリュードに向いているためにそれでも十分な隙であった。
一瞬たりとも気の抜けない回避の連続にリュードは汗だくだった。
しかしリュードの努力に応えるように1本、また1本と足が切り落とされる。
もはやクラーケンの中では苦戦の全ての原因となっているリュードに執着している。
捉えられないという苛立ちもあってクラーケンは残りの足が4本になってもリュードを執拗に狙い続けた。
2本がリュードに向けられ、冒険者たちには残る2本で攻撃している。
単調に振り回すだけの足は数が少なくなれば威力が高いだけで、最初に比べると脅威とは言えなくなっていた。
無理をしなければ足が当たることもなく、回避しながら反撃に転じる人もいた。
かなり冒険者にも疲労の色が見えてきていたけれど終わりも見えてきてもうひと頑張りだとみんな奮起している。
心なしかクラーケンも疲れているのか足の振りも遅くなったように感じられた。
リュードも他の人なら倒れていてもおかしくないぐらいの魔力を使い体力もかなり消耗していたが、バーナードの犠牲まであってここで諦めるわけにはいかなかった。
「あれは…………全員警戒せよ!」
船の上から状況を見ていたドランダラスの緊迫した声がリュードの耳にも届いた。
広く視界を持っていたドランダラスの視界の端で黒い何かが動いた気がした。
見間違いかもしれない。
しかし戦場において違和感を見間違いで片付けてはいけない。
魔力を込めて戦場に声を響き渡らせた。
「な、なんだあれ!」
クラーケンの足をかわし続けるリュードの視界の端で海水が噴き上がった。
時間も経ち、クラーケンの叩きつけを何回も受けて脆くなっていた氷の足場を突き破り何かが出てきたのだ。
一瞬クラーケンの足にも見えた。
けれどもクラーケンのものとは異質で形が違っていた。
誰もがその正体を知らない中、リュードだけがそれに見覚えがあった。
クラーケンはリュードが前世での知識で例えるならイカ。
イカをそんなに細かに観察したことがないので違いはあると思うけど大体イカで間違いない。
今出てきた足、それはイカではなかった。
「……タコ?」
こちらは例えるならタコの足だった。
「リュードさん、ルフォンさんが!」
タイミングが最悪だった。
ルフォンは足と魔法をかわすのに跳び上がっていた。
本来は足場があるはずだったのだがルフォンが着地しようとしたのはタコの足が空けた穴の上。
ルフォンの身体能力を持って多少横にズレたとしてもタコの空けた穴は大きくて着地できる足場がなかった。
「ルフォン!」
リュードとルフォンの目があった。
ゆっくりとルフォンは穴の中に落ちていく。
「邪魔だぁ!」
助けに行かなきゃいけない。
リュードは剣に魔力を込めて雷属性をまとわせると襲いかかるクラーケンの足を乱雑に切り付ける。
クラーケンの動きが止まった隙にリュードは駆け出し、ルフォンが落ちた穴に向かう。
もはやクラーケンにもスタン耐性が出来つつあり、クラーケンはすぐにリュードを追撃してきた。
「放て!」
ドランダラスの号令で魔法使いたちが一斉に魔法を放つ。
足場の再生成に備えていた魔力をクラーケンの気をそらすことに使ったのである。
弱ってきていたクラーケンは魔法をまともに食らってよろめいた。
その間にリュードは穴に飛び込んだ。
水の中に入るとその姿がハッキリとわかった。
それはリュードの知るタコの姿と非常に酷似していた。
ルフォンのこともすぐに見つけられた。
最悪としか言いようがないだ。
ただでさえ泳げないルフォンはタコの足に絡め取られていた。
この際他の人がどうとかは関係ない。
リュードは竜人化した。
服が裂ける音がするけど気にしてなんていられない。
人よりも長く息が持つ自信はあるけどルフォンはそうでないし、戦闘ができるほど息止めに自信はない。
短期決戦でルフォンを救い出す。
「ルフォンを離しやがれ!」
魔力の残量も気にしていられない。
リュードは魔法で雷を作り出した。
水中では空中よりも凄い勢いで雷属性の魔力が拡散していく。
それを膨大な魔力とコントロールで無理やり押しとどめて自分の胴よりも太い雷の槍を作り出す。
たった2本作っただけなのに魔力がゴッソリと無くなる。
手を突き出して槍を放つとリュードは槍に続くように水を掻いてルフォンに接近する。
無造作に放った槍でもデカいタコの体には当たった。
その瞬間雷がほとばしりタコに、そして水を伝いリュードにも電撃が走り抜ける。
もはや電流をコントロールする余裕もない。
すでに覚悟をしていたリュードは歯を食いしばって電気を耐える。
ルフォンも痺れてしまうだろうが、他に方法が思いつかなかった。
体痺れたことで逆に力が入ってしまったのかタコはルフォンを離さない。
タコの方はまだ雷属性に慣れていないのでスタンして動かなくなる。
リュードは竜人化で鋭くなった爪をタコの足に差し込み力いっぱいに両手を開いてタコの足を引き裂いた。
火事場の馬鹿力とでもいうのかリュードはタコの足を素手で切断してみせた。
ルフォンを捕らえているのが足先だったから引きちぎって助けられた。
ただちぎられたタコの足も吸盤が張り付いてルフォンから離れない。
ひとまずちぎれた足ごとルフォンを抱きかかえて水面に向かう。
動いているためか息が苦しくなってきた。
時間がない。
けれどそうしている間にタコもスタンから立ち直ってリュードを睨みつける。
せっかく捕らえた獲物を逃すわけには行かない。
タコの足が迫ってくることを感じる。
「お前如きにルフォンをくれてやると思うなよ! 天雷竜撃!」
残りの魔力も多くないことは分かっている。
だから小さい魔法を連発して逃げるのではなく一発の大きな魔法でどうにか撃退せねばならない。
リュードが持ちうる魔力のほとんどを注ぎ込んだ魔法は雷の龍を成してタコに襲いかかる。
迫り来る足に噛みつき絡み合い、電撃が眩い光を放つ。
痺れながらもリュードは手足を動かした。
もう酸素も魔力もない。
最後の力を振り絞って水の中から飛び出したリュード。
タコの足がクッションの役割を果たしてくれて氷の足場に激突することは避けられた。
もはや魔力も尽きて竜人化した姿を保つことも出来なくなっていた。
「リュードさん、ルフォンさん!」
エミナとアリアセンが駆け寄ってくる。
リュードが水中で戦っている間に氷の上ではクラーケンは討伐されていた。
「ルフォンを頼む」
まだタコの気配は水中にある。
なんとかしなきゃみんなに戦う力は残っていない。
リュードは念のためにと持ってきていた防水の袋を開けてその中にあるマジックボックスの袋に手を突っ込む。
黒い塊をいくつか取り出すと握りしめてほぐして穴に投げ込む。
村長印の魔物よけである。
魔物よけが水に投げ込んでも効果があるのかリュードは知らないけれど一縷の望みをかけて水に投げ込んだ。
慌てたように水中の中を黒い影が移動して離れていく。
どうやら成功したみたいでタコが臭いを嫌がって逃げていった。
「りゅ、リュードさん、ルフォンさんが息をしていません!」
エミナの悲痛な叫び。
一瞬目の前が暗くなった思いがした。
フラつく体でルフォンの元に駆け寄る。
ルフォンの口に手を当ててみても息をしていない。
胸に耳を当てると心臓も止まっていた。
「ルフォンさぁん……」
エミナが泣き出す。
周りが状況察して重たい空気が流れ始めた。
リュードも頭を殴られたような強い衝撃を受ける。
「ルフォン……ダメだ!」
しかしリュードは諦めなかった。
ルフォンの頭を下げて顎を上げる。
ゆっくりと息を吸い込むとリュードはルフォンの口に自分の口を重ねた。
胸が膨らむのを確認するとすぐさま胸に手を当ててリズム良く押し始める。
前世で習ったことがある心肺蘇生法。
この世界ではこんな方法取りはしない。
回復魔法が効かなきゃそれで終わり、死亡宣告がなされる。
だけど希望を失ってはいけない。
諦めるには早すぎるとリュードは知っている。
「そんなの……認めない!」
息を吹き込み、心臓マッサージを繰り返す。
反応のないルフォンに視界が段々とぼやけ出してくる。
「頼む…………頼む、ルフォン!」
「……ゲホッ」
リュードの思いが通じた。
ルフォンの心臓が再び動き出し、海水を吐き出した。
横にして背中をさすってやると大量の海水がルフォンの口から出てきて、激しく咳き込んだ後ようやく自分で呼吸が出来るようになった。
「ルフォン!」
「リュー……ちゃん?」
今すぐに抱きしめたいような衝動に駆られるがここは我慢してルフォンの手を取る。
待機していた医療班の魔法使いが奇跡だと言いながらルフォンに回復魔法をかける。
「そうだ……ここにいるぞ」
「泣いてるの……?」
気づけばリュードは涙を流していた。
答える代わりにリュードは強く握りしめた手を自分の額に当てる。
「私ね、分かってた……リューちゃんが来てくれるって」
「絶対に、何度だって助けに行くさ。でも少しは泳げるようになってくれると嬉しいかな」
「ううん、私はこれでいいの」
「そうか、とりあえず今はあまり話さないで休んでくれ」
「リュー……ちゃん!」
「起き上がらないでください! 私たちが診ますので」
ルフォンに微笑みかけたリュードはルフォンの隣に倒れてしまった。
魔力を使い果たし体力も限界を迎えていた。
ルフォンとリュードは戦闘船の中に運び込まれて治療が行われた。
特にリュードは今回の戦いのMVPと言っても過言ではない働きをした英雄で戦いに参加した皆が心配した。
タコの魔物はリュードの魔物よけによってどこかに逃げてしまった。
皆疲労していてこれ以上の戦闘は無理だと判断したドランダラスは一応目的であったクラーケンの討伐で作戦の成功とした。
帰ってきた騎士や冒険者たちを町の人は盛大に迎え入れてくれた。
魔物は脅威でありながら食料や素材ともなり得てクラーケンも例外ではない。
解体されて持ち帰られたクラーケンは町でさらに細かく解体されて宴のメイン食材となった。
誰もがクラーケン討伐を祝い、まだ続く大干潮のことを一時忘れた。
そんな喧騒の中、生死を彷徨ったルフォンも後遺症もなく回復を見せ、運ばれてきたクラーケンを堪能した。
恐れていた生クラーケンもせっかくだしと口にして意外と悪くないことも理解した。
あのタコがなんだったのか誰にも分からず、アレはクラーケンの亜種あるいはあのクラーケンのつがいなのではないかと予想がされた。
ルフォンにくっついてきた足以外に残されたものはなく、それも食べてみるとリュードにとってはタコだった。
謎のクラーケン亜種とされた魔物は消えてしまい、その後の調査でも痕跡すら探し出せなかった。
この事は討伐に参加した皆が口を紡ぎ、ただクラーケンの討伐を喜んで記憶の片隅へと封印した。
ドランダラスも表面上は喜びながらあのクラーケンと次に対峙する時までに準備をしておかなかればいけないと考えていた。
クラーケン討伐成功。
この事実だけを残してタコは深海に消えてしまったのであった。