「どうしてヤノチが攫われるのか教えてもらっていいか?」

 もう乗りかかった船ではない。
 事情を聞く権利はリュードたちにもある。

 以前に馬車が襲われていたことを考えるにヤノチには何か事情があるだろう。
 エミナがさらわれた以上リュードたちも事情を知らねばならないのである。

「…………この国の地図をご覧になったことは?」

「地図? あるけど」

「この先の地形、不自然な形をしているとは思いませんか?」

 リュードはカシタコウの地図を頭の中で思い出す。
 そういえば確かにこの先にあるカシタコウとトキュネスの国境は少し不自然な形をしているなと思った。

 トキュネス側からポッコリとカシタコウ側に突き出しているところがあるのだ。

「不自然に突き出た部分があるのですがそこは現在トキュネスとなっています。しかし元々はカシタコウの領地だったのです」

 話す声が響くのかマザキシは肩の傷を手で押さえた。

「それも統治をしていたのはミエバシオ家。ヤノチ様のお家だったのです。しかしトキュネスは卑怯な手を使ってアリマーク様を討ち、領地を奪い去ったのです」

 マザキシの表情に悔しさが滲み出る。

「それがヤノチの誘拐となんの関係があるんだ?」

 最初にミエバシオだと自己紹介していたからミエバシオが領地を奪われた貴族なことは分かった。
 しかしなぜ領地を奪われた貴族を狙うことがあるのか。

 逆なら分かる。
 奪った側が奪われた側に恨みに思われて襲われるのなら理由も理解できるが奪われた側をわざわざ誘拐などする必要もない。

 それにヤノチたちはお金を持っているようにも見えない。
 ここまで質素に暮らしてきていて、馬車もちょっと綺麗なものとは言い難い。

 それなのに相手は万全の準備をしてきた。
 護衛の少ない馬車を襲うにしては人数は多く、煙幕弾まで用意してきた。

 しかも1回失敗した上での2回目の襲撃となるとかなり執着もしている。
 さらわれるような何かの事情があるとしか思えない。

「……先ほど言いましたが領地は本来ミエバシオ家が治めていた領地なのですが不当な方法で占拠されました」

 その戦いの時にトキュネス側のキンミッコとパノンという貴族によってヤノチの父親であるアリマークが討たれてしまった。
 しかし領地を取り戻すことも叶わないままに戦いから10年が経った。

 奪ったトキュネスと奪われたカシタコウは遺恨を抱えながらも表面上は平和であった。
 けれどカシタコウは奪われたことを忘れず、領地を取り戻すためにトキュネスの情勢をジッと観察していた。
 
 そんな時にカシタコウは新しく生まれたダンジョンによる争いから今別の国と戦争の火種を抱えるようになってしまいました。

「これをカシタコウは好機であると見ました。そこで政治的な方向からトキュネスに圧力をかけ始めたのです」
 
 トキュネスが今カシタコウと戦争でも起こされると他国からも攻め入られる可能性がある。
 カシタコウと戦うことを避けたいトキュネスに領地を返せと武力の行使をチラつかせながらトキュネスに迫ったのだ。
 
 さらには現在のミエバシオ家の当主であり、ヤノチの兄であるウカチルはソードマスターの称号を得るまであと一歩のところまで来ていた。
 そこでカシタコウは未来のソードマスターが当主となるミエバシオ家に再興のきっかけを与えようと考えたのだ。
 
 圧倒的にトキュネスの方が不利な立場であって交渉の余地もなかった。
 戦争は望まない状況だったのでトキュネスは和平に応じることにした。

「結局領地を返還することにしたんだな」

「その通りです」

 だが和平交渉はまだ完全には終わっていなかった。
 和平の条件としてカシタコウは不戦協定締結、それに不作だったトキュネスに食料品の援助をし、トキュネスは領地の返還をするという大枠は決まっていた。
 
 けれど細かな内容まではまだ締結されていないのだ。
 その交渉を任されたのがウカチルであった。

 交渉で取り戻した領地がミエバシオ家の領地としてそのまま認められるということになっていた。

「……だからヤノチを誘拐したのか」

 リュードは深いため息をついた。
 領地を渡したくないトキュネス側が交渉を有利に進めるためにヤノチ様を誘拐した。

 領地を返還などしたくないのは当然である。
 ヤノチをさらって脅すことで上手く不戦協定だけ引き出そうとしている魂胆なのだ。

 ざっくりと言えばくだらない政治にエミナは巻き込まれたのである。

「話はわかったけどならどうして護衛もつけずに馬車でノコノコと移動していたんだ?」

「ミエバシオ家は完全に没落しました。お金もなくただ形だけの爵位があるだけの家です。なので離れたところでひっそりと暮らしていたのです」

 領地を奪われた貴族が他からどんな目で見られるのかリュードには分からない。
 しかしあまり良くは見られないだろうことは想像に難くない。

 だからヤノチはカシタコウから離れた土地で暮らしていたのだがウカチルが脚光を浴びるとヤノチのことも周りに知られてしまった。
 そのままそこで暮らすのは危険が伴うのでウカチルのところに逃げようとしていたのである。
 
「ですが護衛を雇うようなお金もなく……」

 ガックリとうなだれるマザキシ。
 全てを奪われたヤノチには護衛を雇うお金もなかった。

 いるのは代々ミエバシオ家に仕えていたマザキシたちだけだった。

「事情は分かったが……なぜエミナまで」
 
 ひとまずヤノチが誘拐された理由とやらは飲み込めた。
 しかしながらエミナまで誘拐された理由というのが未だに分からないのである。
 
 ルフォンの周りには死体が転がっていた。
 ルフォンも誘拐しようとしていたので女の子全員誘拐していくつもりだったのだろうか。

「……1つお聞きしたいのですが、あのエミナという子、性はパノンではありませんか?」

「知らない。エミナはエミナだ」

 エミナはエミナとだけしか名乗っていない。
 リュードもそれ以上名前を聞くこともなかった。

 気にならないのかと聞かれれば気にならないと答える。
 エミナはエミナだったから。

「……そうですか。あの子が昔見たことがある子に似ていたような気がしたものですから。私の勘違いかもしれません」

「仮にパノンだったらどうする?」

「どうすると申されましても、パノンだったなら彼女は私たちの恨むべき敵ということになります」

 これまでに見せたことのないような、冷たい怒りに燃える目をマザキシはしていた。