曇りガラスが嵌められた昔ながらの日本家屋の玄関、それを蹴破った先にはタートルネックでノースリーブなセーターの下からふんわり母性的膨らみを主張

 …なんて全くしてないつるぺた…

 ゲフンもとい、

 下手すると小学生と思われそうなほど小柄な女性がいて──ああ…大家さんだ。


「は あ 良かった 生きてた…」

「えぇ…なんでわざわざ玄関壊して入ってきたの均次くん?というかこの小鬼はなに…て、え?均次くんなんで泣いてるの?…え、え?」

 普段は感情というものを殆んど見せない彼女…なのだが、いつにない情報過多から珍しく混乱している。そんな大家さんを俺は、

「え、え、え、ちょっ…ええ?」
 
 思わず…抱き締めてしまった。

 …彼女は、

 両親を早くに亡くしており、兄弟は元々おらず、つまりは天涯孤独の身の上。

 本業の傍ら、遺産として残されたらしいあのアパートを経営することで逞しく生きていた。

 そんな彼女だったから、同じような境遇の俺に共感してくれたのだろう。随分と構ってくれたものだった。

 それは、こんな俺にとって数少ない身内と呼べるほどに…


 ──そうだ。


 ずっと、心の殿となっていた。

 大家さんを救えなかったこと。

 それは…裏切られて無惨に死にゆこうとしていたあの時でさえ『大家さんに会える』なんて思うほどで……でも。

「ギャ、ギ、ギギギャ…」

 今はまだだ。
 感傷に浸る時じゃない。 

「大家さん!」
「ひゃいっ!」

 お、珍しいな噛み返事、かわええ……じゃ、なくて!

「ぎ、ぎぎゃ、きゅぅ~…、、、」

 踏みつけた玄関の戸。その下敷きとなったゴブリンはそのまま気絶したようだな。

 でも、まだ生きている。

 止めを刺したいところだが、さっきみたいに『速』魔力による運動エネルギーを攻撃に乗せるには大袈裟な助走が必要だ。つまり今の俺では屋内の敵を仕留めるのは難しい。

 それに、今の破壊音は近隣に響いたはず。他のモンスターが寄ってくるかもしれない。だから、

「とにかく!ついてきて下さい!」

 ここは逃げの一手だ!

「え。え。どうしたの、急にこんな男らしいアプローチ…ぁぅ、ドキドキする」

「ぁ、アプロ…!?いや違…っ」

「え、違うの?」

「あ、ああ、あの!ちゃ、ちゃんとあとでアプ…じゃなくて説明!しますから!と、とにかく今は!」

「あぅ、」

 大家さんのちんまぃ手を握りしめ、そこに温もりがあることに喜びを感じると同時、俺は己れの肩に彼女の命が乗ったことを強く自覚した。

 それはもう、強く。

 そこで思ったのは『今後どう動くべきか』だったが…どう考えても、


(無理だ…)


 この『二周目知識チート』がどれほど有効なものであろうと、俺がどんだけ強くなろうと、


(世界の破滅は止められない…)


 つまり今回、大家さんを助けられはしたが、それは一時的なもの。

 今後避けられない破滅へ向かうこの世界で、ずっと守ってゆくというなら…


(一体、どうすれば…っていうか出来るのか、こんな俺に…いや、やるんだ、こんなでも、俺がっ!)
 

 決意はあっても方法がない。いや、あるかもしれないが分からない。そして時間は厳然として、ない。

 そんなこんなを目まぐるしく考えながら、俺は大家さんを連れ、幸いにしてモンスターの影がまだ少ない中を駆け抜けてゆくのだった──

   ・

   ・

   ・

   ・ 






 あれから一時間が経過した。

 俺は自分の部屋に帰ってきており、

 目の前には大家さんがいる。

 彼女の混乱はまだおさまってな…

 ──くもないようだ。

「え…っと、つまり、今の均次くんは、ラノベで言うところの『回帰した』って状況?」

 つか、かなり冷静だ。

 俺の拙い説明で要点をしっかり押さえてきたのがその証拠、なんだけど。

「え、ええ、そうです」

 教える側の俺がたじろいでしまう。

 なんで理解出来るの?すげえなこの人。

「それで、前の世界の私は、死んでしまった」

「はい…すみません大家さん…助けられなくて…」

「ううん、いい。その状況じゃ、しょうがない」

 いや『死んだ』のくだり、もう飲み込めたの?…マジか。

「だから今回こそ、私も『チュートリアルダンジョン』で試練を受ける必要がある。この世界を生き抜くため。そういう事?」

 なんと的確なかいつまみ…あざっす!…てゆーか、

「ぃゃホント凄いですね大家さん、普通…そんなに理解出来たりしないですよ?こんな滅茶苦茶な話」

「だって。さっき見ちゃったし。ぇと、ゴブリン?しかも殺されそうになった」

「あ、あぁなるほど」

 確かに。日常であんな剥き出しの殺気をぶつけられることなんて、まずない事だ。この状況を証明するのにあれほど説得力のあるものはなかったかもしれない。

「それに…」

「…?どうかしました?」

「ん?ううん、なんでもない、あ、は?」

 下手過ぎる!なんだその誤魔化し笑いかわええな!じゃ、ないぞ俺!

「という訳なので早速ですが…「そう、それどころじゃない」ええ?」

 なに急に。食い気味に。

「スタートダッシュ。折角のチャンス。無双しなきゃ」

 大家さん?回帰とかスタートダッシュとか無双とか、そんな用語をなんで知って──実は中二病ですか?

 いや、当方としてはそれもアリ。

「チュートリアル?だってまだ途中なんでしょ。だから早く、残りの試練を受けて、称号やスキル?早い者勝ちなら沢山ゲット、だよね?」

「あ、はい、いや、それはそうなんですが──」

 だから何なのその順応力?

「──いや、あの、だから大家さんも一緒にチュートリアルを…「私は後でいい」えええ…」

 またもの食い気味即却下…うう、最後まで言わせて下さいよぅ…

「さっき聞いた『試練の相互関係』?も、まだ頭に入ってないから。ちゃんと文字にして書き出して、じっくり考えてからがい。うん、ゆっくり決めたい」

 ああなるほど。

「確かにややこしいですよねこの…なんとゆーか…システム?ホント初見泣かせってゆーか」

「うん、それに、私に構ったせいで均次くんのスタートダッシュが失敗したら、申し訳ない」

 だから何なの、その分別なき物分かりの良さ。かわええな…っじゃ、ないからな流石にっ!

「う、うーん、確かにその言い分は正しい感じ、しますけど…」

 こっちの気持ちにもなって欲しい。守ると言ったが、守るにも限界がある。大家さんの安全を真に担保するなら、彼女自身の強化は必須……よし、もう少し説得を…

「その、大家さん、えー。その、あれです」

「なに?」

「いや、そのー」

 ああ、もう、やっぱりだ。

 まただ。

 肝心な時になるとこう。

 自分の気持ちとなると上手く言えない。

 …それが俺。

 頭の中ではこんなおしゃべりなのに。言葉にすると無感情かつ没個性に。それが俺。

(…でも)

 大家さんをまた失うなんて、絶対に、絶対に嫌だ。だから今度こそ死なせないように。しっかりと強化してあげて…だから、

「あの、大家さん?」

 俺は振り絞るように言った。なのにっ、

「いいから。行って。ほら 早く」

 う。

「あの…なんで、そんな強硬に?」


 頑なすぎやしませんかね?


「い い か ら」 




 ええー…?