「ぶっ……へぁーー~~ぁっ、極楽極楽ぅ…」


 とだらしない身体をだらしなく膨縮させ、だらしない息を吐いたのは才蔵だ。そこへ

「おいお主、ちゃんと身体を洗ったんじゃろうな?」

 と待ったをかけたのは義介さんだ。

「え。ちゃんと洗いましたけど──」「そうか。だが足りんな。もう一度ちゃんと洗えぃ!ほぅりゃぁああっ!」「うぅわわっ!俺の巨体を軽々とぉっ!? なんつー怪力だこのじじいぃぃ!?」

 広い湯船に浸かって弛緩しきっていた才蔵の巨体。その両脇に手を差し込んで軽々と持ち上げた義介さんは風呂椅子の上にドカッと降ろし、こう言うのだった。

「あほう!まだ68の若僧じゃっ!それより女衆より先に湯をもらうんじゃからの。なるべく清潔なまま渡さんと、なっ」

 うん、68は世界基準で若者の範疇からかなり外側だと思うし、若者だろうが今みたいな真似は出来ないけどね。つか人間業じゃほぼないしね。

 でもまあ確かに。才蔵は初めてだからよく分かってないようだが、モンスターの血ってやつはその生命力を物語るかのように落ちにくい。石鹸を使って二度洗い…いや、才蔵の巨体なら三度洗いくらいしなきゃ、汚れを湯船に持ち込んでしまう。

「にしても…相変わらず凄いなここは…」

 鬼怒守邸はまずそのデカさに目がいくが特筆すべきは前世で知る俺が見てもいまだ驚きがある所だ。

 というのも、ただの豪邸という感じではないのだ。まず相当に古い。そしてところどころ一風変わった手作り感がある。

 それらは代々の家主が景観を気にしつつ修繕したり増設したりした跡らしいが、かといって美的バランスを損なわず、大自然を思わすほど調和していて逆に味わい深くしている。
 
(…なんて。どうも上手く言葉に出来ないな。なんというか、『詫びと錆びの怪物』って感じだ…)

 なんて事を思いながら湯殿から見渡す広い庭などは深夜に見ても夜空に照らされ壮麗極まる。

 …そう、俺達が今から浸かろうとしているのは露天風呂で、しかも雨の日も入れるようにちゃんと屋根のある豪華版だ。

 その屋根を支える四本柱はそれぞれ自然に生え伸びた形を崩さないよう削り出されててこれまた趣深い。ここは義介さんの親父さんが増設したらしいけど…有名旅館でもこんな贅沢は味わえないと思う。いや知らんけど。そんなとこ泊まった事ないし。ただDIYの域を越えてる事だけは分かるな…

 なんてしみじみしていると、

「脱いだ服、持っていくから。汚れがこびりついちゃう前に洗っておきたい」

 ふむ、脱衣所と風呂を隔てる仕切り向こうからくぐもって聞こえる大家さんの声もこれまた趣深くて…え?

「おおすまんの、香澄さんとやら」

 …じゃ、ないよ義介さん!

「いや大家さん自分で洗うから大丈夫です!ほら、下着とかあるしっ!」

「そ、そうだ大家嬢!もうこうなったらぶっちゃけるけど俺なんて結構な量チビってるし!」

「ぷっ。もう知ってる。才蔵さんが座ってたシート濡れてた。そもそも食事中の男性陣は随分とかぐわしかったから」

「ぬわー!すみませんお鼻汚しををっ!」
「ぃやーーめーーてーーーー!」

「よく頑張った証拠だから。気にしないで。料理は苦手だけど血を落とすのだけは得意。だから…」

 とか言ってフェイドアウトしちゃったけど大家さん!血を落とすのが特技って何?ますますもって正体不明なんですが?もはや隠す気もないみたいだから詮索するのも馬鹿らしくなってるけどっ。

「…ったく、近頃の男は繊細さの使いどころがなっとらんの。任せるべきは任せるも度量の内…という訳で均次とやらもほれ、わしに背中を預けてみよ」

「へ?」

「洗いっこじゃ」

「あ、ああ、なるほど」

「才蔵とやらにはわしの背中を任せようかの。ほれ、心して取り組めぃ」

「う、うす」

「うむ。洗い終わったら交代じゃ」

 こうして、むつこけき男衆によるごしごしと洗いっこする素朴音が夜闇に響いたのであった。

「ふぅーー…」

 おっと声が漏れてしまった。だって凄く気持ち良いからさ。多分、身体を冷やさないための配慮だろうな。義介さんは小まめにお湯で流してくれる。拭き方も肉や骨格に沿っていて…タオル越しに感じる手の感触はゴツゴツしてるが力加減が絶妙だ。多分マッサージも兼ねてるのだろう。どんどん血行が良くなって…身体だけでなく心まで温まる気がして……

「ふぅーー…」

 救いたい。今世こそ。
 だってこの人、ホントにいい人だから。


「…有り難うございます…ホント、気持ちいいです」

 自然と漏れたその言葉には『絶対助けますから。』言えない決意を忍ばせた。

「ほうか…ふーむ、それは、まあ、良かったわい…ふむ」

「…?、どうかしましたか?」

「ん?…ああ、男は背中で語ると言うがの。お主のはなんとゆーか…ヘンテコな背中じゃの」

「ヘンテコ?とは…?」

 初めて言われたそんなこと。

「鍛えた跡もない。日常的に酷使しとる訳でもない。なのに気の流れだけは太く、激しく、悲壮に満ちとる……なんなんじゃ?何をどう背負えばこんな背中になる?
 悪い者では決してない、かといってただ者でもない、、それだけなら分かってはおった。しかし…こうして触れてみるとなんとも言えんの。ただただ、不憫でならんくなる」


「 …… 」

 

 …泣きそうになった。



 それと同時にフラッシュバックしたのは、前世で見た慟哭と狂気。あの強烈なコントラスト…忘れられない。

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 哀しい笑みを浮かべたまま、動かなくなってしまった才子──。

 そんな彼女の亡骸を抱き締める才蔵が絞ったまなこに血を浮かべて、『戻ってこい』と何度も何度も──。

 その哀しいリフレインを揶揄するように景色を燃やす炎は激しさを増して──その向こう側に義介さんの、狂った嗤い声と禍々しい影──遠ざかるそれを、俺はただ呆然と見つめるだけで──


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「ふむ……これをほぐすのはまだ無理なようじゃの……交代じゃ。」

 それを合図に現実に戻った俺は座ったまま、くるり。後ろを向いた。今度は才蔵の背を義介さんが、義介さんの背を俺が洗う形に。すると早速、

「う、ぎあぁーーー!痛いって!強いって!力加減間違ってませんか義介さん!にく!肉が削げるっっ!」

 才蔵のぶっとい身体が海老ぞりに。なんか悲鳴上げてばっかだな今日のコイツは。

「なんじゃ情けない。少しは均次を見習え──いや、あれはあれで可愛げないの。言うに事欠いて気持ちいいとか抜かしおってぶつぶつ…面白みのないぶつぶつ…」

「ほー。」

 どうやら義介さんは俺を悶絶させる気だったらしいな。ってか、おい。気持ちよかったけど、そもそも【MPシールド】が反応するほどの強さって何だ?めっちゃ悪意こめてんじゃんそれ。

「…このクソじじい」

「──ぬほおっ!?これ均次!強いぞ!?やめんか、おぬっ、こす!擦りすぎじゃぁあああっ!!?」

「…『任せるべきは任せるのも度量の内』…でしたよね?」

「ぬう!?こやつ…恐ろしい(わっぱ)!」

 つか、感激とか感傷とか色々、返せやじじい。

「義介さん痛てえってえええっ!」
「やめるのじゃ均次ぃいいいっ!」

 その夜、鬼怒恵村に二人の男の狂ったような慟哭が連鎖して響き渡ったらしいが、俺は知らないし聞いてない。