──ピンポンピンポン
「おい!まだ生きておるか!いたら返事せい!」
──ドンドンドンッ!
チャイムのボタンを押しながら、それでも足りないと玄関のドアを叩いて鳴らす義介さんに対し、
「義介か? 鍵を外すがあの化物は近くにおらんよな?」
と返事をしてきたのは、この家の住人さん。返事の内容と声色から察するに、餓鬼が徘徊していて今が危険な状況だとちゃんと分かっているようだ。
「おぅ大丈夫じゃ。では開けるぞ?」
こうして解錠された玄関の扉をこちらが開けると。
「…おう、義介。お互い生きとって何より」
顔を覗かせたその人は義介さんの安否を確認するやいなや、自宅から出ようと試みたが、
「んむぅ…、やっぱりか。わしらはまだ家から出られんようだの…」
その試みはパントマイムのように空中をペタペタ触るだけに終わった。
この人には気の毒だが、前に述べた通りだ。チュートリアルダンジョンでステータスを得ない限り、その時点で居た建物からは出られない。そして今回のように外部の誰かに戸を開けてもらってもそれは同じだ。出られない。
そしてこの様子を見れば障壁のようなものが邪魔してるように錯覚するが、そんなものは存在しない。
実のところ、外に出られないのは当人も知らない内に暗示に掛けられたのが原因だったりする。
でもこの暗示は魔力由来で非常に強力だ。仮にでもステータスを得るという段階に入らなければ、決して解けないようになっている。
(それにしても…世界中の人間にしかも一斉にこんな強力な暗示を掛けてしまえるとか…)
改めて思う。この世界をクソゲー化した何者かは、俺の想像など遥か及ばない超々越の存在なのだと。
…そしてそんな超越者に目を付けられたかもしれない現実を想うとな。少々どころではなく頭がクラクラとしてくるんだが…うん、少し話が逸れた。元に戻そう。
建設的な話をすると、鉄壁に見えるこの暗示も『二周目知識チート』を使えば対応可能だ。
暗示である以上、気絶したり眠っている状態になればその影響を全く受けなくなるのだ。
つまり第三者の協力があれば意識を失った自分を外へ連れ出してもらう…という抜け道がある。
でもそれはかなり危険な賭けだ。何故なら器礎魔力も宿さず防御力がゼロなまま、意識すらない状態で他人任せに運搬され、その上でどこに潜むか分からないモンスターの前に晒される訳だから、危険でないはずがない。それでもやると言うなら相当な手間がかかる。
というかほぼ無理だと答える。だってそれをするための人員を数にしろ質にしろ、今の状況では万全には確保出来ないからだ。
そもそも、気絶させるための手段と言えば殴ったり眠るのを待ったり、どれも雑で不確かなものばかり。もうちょいマシな手段で薬を使うとか?うーん、医者じゃないんだし、思い付くのはそれぐらいだ。
そんなこんなでこの抜け道についてはもう、教えない事にしている。何かあっても責任なんて取れないからな。
そしてもうお分かりかと思うが、才蔵を家から連れ出す際に気絶させたのは決して私怨からとか面倒だからとかウザかったからとかでなく、この抜け道を利用しての事だった。
というか親切心からやむなしの行動だったんだからなあれは。先述したとおり才蔵の才能を守るためにはチュートリアルダンジョンに挑戦させる訳にいかなかったし。
ちなみに、そんな暗示などものともしない例外的存在だっている。それはほら、目の前に。
「うーむ…何故わしだけ外に出られたのか…なんか心苦しいぞ。」
と、唸る義介さんこそがその例外。この通りチュートリアルダンジョンでステータスを得た訳でなく、第三者に気絶させられ運び出された訳でもなく、普段通り外へ出られる人だって稀にだがいる。
多分それはチュートリアルダンジョンで魔力を得る必要なんてない、と判断されたからだ。
つまりこの人は、世界がこうなってしまう以前から魔力というものを知っていて、身に付けていた。ということだ。
…うん。嘘みたいな話だが、これは前世で義介さん本人から聞いたのだから間違いない。
この鬼怒恵村の鬼伝説にしたってそうだ。前世でこの人から聞いた話だった。
しかもあの話には続きかあって、鬼を封じたあの武芸者と法師には実は子供がいて義介さんがその子孫である事まで聞いていた。義介さんが元から魔力を使えていたのはそのせいだとも。
さらにはあの伝説が史実である以上、鬼とそれを封じた夫婦の三者を祀った祠は実在していて、現存もしていて、そこに張られた結界を守るのが『鬼怒守』姓を継ぐ者の役目らしく、彼ら以外にその存在を知る者も、入れる者も今はいない…という事まで。…つまり。
大家さんが語ったあの伝説を知る者はもう、鬼怒守の役目を継ぐ義介さんと彼の話を前世で直に聞いた俺以外に、この村にすら存在しないはずだった。
なのに大家さんは知っていた。だから不審に思ったのだが、これってつまり──
(うーん。結局、、大家さんが何者なのかは謎なままだな…ただ一つ言える事は──)
彼女もこの鬼怒守義介さんと同じ。
元から魔力を知っていて使えていた…という事になる。
今思えば気絶させる必要もなく家から連れ出せたのがその証拠…。
…多分鬼伝説を知ってた理由もそのあたりにあるんだろう。
「して、どうした義介よ。何か用事があって来てくれたのだろ?」
…おっとまた思考がズレてしまってたな。
(…そうだ。今はこっちが本題だ)
大家さんの事は後で考えようと、俺が移した視線を感じた義介さんが、代弁してくれた。
「おう、それなんだか…お主、家の中に在るはずがない階段を発見したりはせなんだか?」
「階段?二階に上がる階段なら元からあるが…それがどうかしたかの?」
「いやその階段ではない。理解出来ないのを承知で言うんじゃが、今日まだ開けてない押し入れや扉があるなら、そん中を覗いてみてくれんか。もしかしたら見た事もない階段があるやもしれん」
「はぁ?それはまた不思議な事を言う。」
「うむ…その自覚ならたっぷりとある。」
………だよな。いきなり言われても「はぁ?」ってなるよな。
「!…もしや!化物退治のしすぎで流石のお前も……義介よぅ~とうとうボケてしもうたんか~だからあれ程無理はするなと…おい義介よぅ、しっかりせいぃ~!」
「な…っ!アホウ!見よこの肉体美を!年もたったの68の若僧ぞ!?ボケる訳などなかろうが!」
うん。68と言えば結構な年と思うがそれは俺の私見という事にして。
こうしてチュートリアルダンジョンに続く階段が未発見のまま放置されているケースは結構多くてその場合、言っても理解してもらえないのも当然の事だった。
という訳でここからまた、幾つもの問答を要してしまった。でも現状を打開する目処が立たないならこの人が折れるしかなく、それでも奥さんに押し入れの中を調べるように言ってもらえるまでそれなりの時間がかかってしまった。
「ぁ、あんたー!あ、あ、あったわよ階段…?って、どこに続く階段なんかしらねぇ…と、とにかくあったわ!見たこともない階段が!」
このご夫婦も信じがたい事実を前にして困惑するしかない様子だったが、あるものはしょうがない。そんな二人に義介さんが
「その階段を下りた先なら化物どもも追って来れないらしいんじゃが…すまん。その階段についてはわしも受け売りでよくわかっておらんのよ。ほれこの、横におるボウズが教えてくれてのぅ」
と言いながら指を差してきたので、俺も一応、挨拶しておく事に。
「初めまして、あの、平均次といいます。その階段を下りたら扉が七つほどありますけどあの…その扉に入っても…特に害はないんですけど、まだ入らない方がいいと思いますよ?」
どうせ試練を受けるなら、ちゃんとアドバイスしてあげたい。
でも今はそんな時間もない。だから保留にしといてくれと暗に頼む俺なのだった。
「……?そりゃぁ結局、入らない方がいいって話で、ええんかの?」
うん、我ながら何が言いたいんだって感じです。でもこんなんでも精一杯なんで。勘弁してくれとしか言えんです。親しい間柄じゃなきゃコミュ障が発動するのは世界がこうなった今も変わらんのです。
「と、とにかく。数日分の水と食糧を持って階段の下へ避難しててください。家族を守りたいなら、それが一番確実で──」
と、このように。俺は今、鬼怒守義介氏と同行している。
彼からすれば村で見たこともない生き物が群れで徘徊し、それらを村で見たこともない連中が殺し回る姿は不審でしかなかったはずだ。
でも『敵の敵は味方』理論が働いたのか、今は行動を共にしており、餓鬼の脅威から村民を守るべく家々を回ってチュートリアルダンジョンへの避難を促しているところだ。
そう、もうお察しだと思うが、この人も俺が救いたいと思っている一人。そして救わなければヤバい事になる人物だ。
つまりこの人とは前世では知り合いだった訳だが、それは世界がこうなった後のこと。
つまり、今世で再会を果たしたところで向こうにしてみれば俺なんて初対面の人間でしかない。なので造屋兄妹の時みたくスムーズ(?)に話が通るか不安だったのだが…それは杞憂に終わったな。
中々見ないほどの筋肉質で超人的武術の達人。真っ白な髪をオールバックにして肌は浅黒く、整えて蓄えられた口髭に、言葉使いまで時代がかって厳つい印象だが、『村のためになるなら』と俺が話した荒唐無稽をすんなりと受け入れてくれた。
(竹を割ったような性格なのと世話好きなのは相変わらずだったな…)
だからこうして、村内にある36世帯全てを一緒に回る事になった訳だが。
その世帯の中でも30代までの若い夫婦は四組だけ、後は子供の世話を終えたシニア層ばかり。
既にチュートリアルダンジョンを発見していたのはその中でもたったの五組しかおらず、その人達も怪し過ぎる階段を下りる勇気は出せず放置したままでいた。
そんな感じなので予想した通り、俺の話をどうにか信じてもらっても理解まではしてもらえず、その上かなり数が減ったとはいえ襲い来る餓鬼を迎撃しながらだったからな。さらにさらにと時間を食ってしまった。
という訳で。俺と義介さんが全ての世帯を回り切って村の安全を確保出来たのは日を跨いだ後だった。
でも夜明けまではまだ時間はある。みんな疲れてるだろうし、少しは寝ないと…なんて思いながら義介さんの家にたどり着くと玄関前には
「お帰りなさい」
大家さんがいた。こうしてタイミング良く顔を合わせたのは待ってくれてた訳でなく、俺達が集落を回覧している間、造屋兄妹を餓鬼から守ってもらっていたからなんだが、どっちにしろ有難い事に変わりない。なので見張りはもう大丈夫だからと一緒に仲良く家に入ると。
…スんスん、
何とも良い匂いがしてくるではないか。
「あ、鬼怒守さんお疲れ様です。香澄さんもお疲れ様、あと均兄ぃもついでにお疲れ。」
「いやついでは余計だろ?俺だってメインで疲れてんだが?」
「…っとに細かいな均兄ぃは…モテないよ?あ、鬼怒守さん食材とお台所を勝手に使わせてもらって…でもきっとお腹を空かせてると思って、これ…」
と次に出迎えてくれたのは才子で、コイツ本来の特技は料理だったりして、実際に何であろうが水準を越えて美味いものを作る。それを知る俺の腹が制御から離れてキュウ。匂いに釣られた義介さんの腹もグウ。そして大家さんのお腹も恥ずかしそうにクウと鳴らした。
「いやはや、朝からずっと妖怪どもを斬っては捨てしとったからのぅ。思えば何も食っておらなんだわ。さっそくじゃが…馳走になってええんかの?」
「どうぞどうぞ♪」
「ふむ。めんこいの…じゃなく、かたじけないの」
「えへへ、どういたしまして♪」
ド迫力ボディを鈴のように…というかバインと揺らしてるのに義介さんは目を細めて微笑ましそうにしている。
こういう時に思うんだが…ホント、才子って人の懐に入るの上手いよな。と、ジト目と同時に美味い飯を作ってくれたことへの感謝も送りつつ。
俺は『あ!そう言えば大家さんも食事まだだったよな』と今さらになって気付いて自分の至らなさも恥じながら。
才子が作ってくれた飯をみんなで仲良くかっこんでゆく。
…今世としては、急造のパーティ。
その実、前世を思えば『久しぶり』という仲間達。
そう、やっと揃った。オリジナルメンバーが。
そして何より今世では大家さんも、生きている。素晴らしい、嬉しい、有難い。
そして、怖い。
また、失うかもしれない。
それが心底、恐ろしい。
その恐怖を誤魔化すように、この日の俺は、いつになく饒舌になって、思いの外会話が弾んで…不意に。
(くそ…才子の馬鹿、こんなん…美味すぎだろ…)
鼻の奥がツンと刺激されたのは…本当に香辛料が原因なのか。
…それは、深く考えないようにした。