青春卒業旅行

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 「龍仁、か、彼女だか?」

 舞音がお手洗いに立ったところでおかみさんに聞かれた。特に否定する要素も無いので「うん」と軽くうなずいた。

 「ちょっと、あんた! 龍仁に彼女だと。」

 おかみさんは急いで裏に回り、旦那さんであるマスターを呼んできた。

 「おお、龍仁。おめでとうだな。」

 「ありがとうございます。」

 「肉、ちょっと多めにサービスしておくよ。」

 「ありがとうございます。」

 遠い昔に父さんと食べた熟成肉の味が、口の中に広がる。想像しただけでお腹いっぱいになっているオレのことをマスターはじっと見ている。

 「結婚、するのか?」

 その質問は、かなりイタい。
 舞音にもそのうち聞かれるだろう。でも、オレは実家を継がなくてはいけない。舞音とは縁もゆかりもない、この郡山の栄庵堂。札幌でバリバリ働く舞音の人生を諦めて、団子屋の女将になってくれなんて、言えるわけがなかった。

 「店がありますからね。したいけど、できないですよ。」

 ストックボトルの棚に目を落とすと、カップルの人形がまさにプロポーズをするような姿勢で飾られていた。

 「言えばいいべ。」

 マスターはなんでもなく軽く言った。

 「結婚したいんだべ? 正直に伝えるのが本当の愛だと思うぞ。」

 マスターは自分とおかみさんにお茶を注いで、話を続けた。

 「おれカミさんと結婚する前に『店やりてーんだ』って言ったら、ちゃんと着いてきてくれたぞ。」

 「そんなこともあったっけな。デパートで働いていたけども、コロっと落ちてしまったんだわ。」

 おかみさんも加勢してオレにプロポーズを迫ってくる。

 「おれは良くても悪くても、ちゃんと言わねばならんと思うんだ。子どもの頃、リュージュにも言ったんだ。」

 「リュージュって旦那の兄さんの子な。龍仁と同じくらいだったな。」

 酔って理解力がないのか、よくわからない親戚話に、眉はハの字になってしまう。

 「私も同感。リュージュにも好きでも嫌いでもはっきり言えって言ったんだ。龍仁は結婚したいんだし、中途半端は女の子で遊んでるんだぞってな。」

 「でも、傷つくじゃないですか。」

 「そうか?」

 おかみさんもカップのお茶を飲んで聞いてくる。

 「傷つかねば前に進めねぇ。だし、好きな人のそばにいられたら、それで女の子は幸せなんでないか? 実家とか継がなきゃとか、そんなのどうにでもなるべ。」

 「おれもそう思う。栄庵堂さんのことも話して、それでダメならそのときで。」

 「でも、ダメならそこで彼氏ではなくなってしまうじゃないですか。それが、怖いっす。」

 マスターは、はーと息をついて手元のフライパンの熟成肉をひっくり返した。

 「ダメじゃなかったら、この時間は無駄になるぞ。それは年頃の2人にとって良くない。その傷が怖くて、どうやってあの子守っていくんだ?」

 マスターにそう言われると、黙ってしまった。
 その通りだ。
 振られるのが怖くて「好き」とも「結婚して」とも言えない、実家のことすら話せないのは情けない。

 「今日じゃなくてもいい。でも、ちゃんと話すんだぞ。」

 おかみさんに両目で見つめられて、そう言われたところで舞音が帰ってきた。

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