青春卒業旅行

 龍仁の答えを聞いて、自然と目に涙が浮かんでいた。私の目にも龍仁の目にも。

 (『誰』の中には私も入ってるの?)

 心の中では言いたくなっているのに、声にはならなかった。

 「なんか急にごめん。なんか、なんか…。あーん、もー! ちょっとトイレ行ってくる!」

 龍仁はそのままトイレに出ていってしまった。

 ひとり、車の中で考える。
 今がそのタイミングだ。
 龍仁が帰ってきたら、想いを伝えよう。
 今までの想いも、これからやりたいことも。
 なんて伝えようか、いざとなると何が正解だかわからなくなる。
 頭の中で考えては消して、考えては消して。浮かれた頭を冷やすために、もう溶けているフラペチーノを飲み干す。もはやただ甘いクリームになってフラペチーノが、浮かれた頭をさらに甘く混乱させる。あとは龍仁が帰ってくる前に鏡を見て、涙と鼻水で崩れた化粧を整えて。口紅も挿し直しておこうか。
 ひとり頭の中で勝手にあたふたしているうちに、龍仁が帰ってきた。

 「おかえり。私も言いたいこと、あるんだけど…。」

 龍仁が固唾を飲んで見つめているのが手に取るように伝わってくる。

 「私…。」

 なかなかそのあとの言葉が出てこない。言いたいことは喉まで出かかっているのに、出てこない。何度も練習していたのに、龍仁を目の前にするとこうも思うようにいかないものなのか。

 『もう、今までのようには戻れないよ。』

 中学生の頃、冷たく言い放った琉樹先輩が頭をよぎる。もし私の勘違いで、私の片想いなら、また同じことの繰り返しになるんじゃないか。

 『ごめん、もう話しかけないでもらっていい?』

 ああ。こうやって大事な人がまたひとり、私の人生からいなくなってしまうかも知れない。居なくなるくらいならこのままずっと、ただの同期でいたほうがいいのだろうか。

 『後悔しないでね。ただの同期とは会えなくなるから。』

 私にとって龍仁は間違いなく、ただの同期ではない。もしキョーコさんとキョースケさんの言う通り龍仁も私が好きなら、ここで進めないと、もう永遠に2人の時間は来ないかもしれない。

 『幸せになれよ。』

 これで終わりには、させたくない。

 膝の上に握り拳を強く強く握った。

 「私、龍仁のこと…。」

 なんとかそこまで絞り出すと、次の言葉は涙で言えなくなっていた。申し訳なく龍仁を見ると、誰が見ても眼を赤くして、そっと手の甲を私の頬に添えた。
 どれだけの時間をかけて絞り出したのか、空はなんとなくオレンジ色に染まってきている。

 「その先は少しずつ、聞かせてくれたらいい。」

 龍仁は私の頬に置いた手で優しく私の涙を拭う。

 「ありがとう。」

 ただ2人で見つめあっている。
 それだけの時間も私たちには貴重で、尊くて、青々しい。やっと辿り着いた青春だった。

 「私もお手洗い、いい?」

 「うん。飲み物も買おっか。」

 オレンジ色の空が照らすなか、あたたかい笑顔で車を降りた。つながった2人の影が、サービスエリアの中へ入っていく。
 2杯目の飲み物は龍仁が買ってくれることになった。「夕方近いけど、コーヒーで大丈夫?」と聞いてから、カフェラテを買ってくれた。龍仁も一緒。同じものを飲むのも、ただの同期と気持ちを伝えた後では、こうも気分が変わるものなのかと、しみじみ思う。

 「この調子だと、郡山で泊まりかな。」

 再び高速を走らせながら、淡々とこのあとの予定を切り出してきた。

 「じゃあ、ホテル探しておくね。」

 「うん。」

 (『うん。』ってなに? どんなホテル想定してるの!?)

 なんなんだろう、この煮え切らない感じ。私の気持ちは伝えたけど、正確には伝えようとしたけど、本当に伝わっているんだろうか。それに、この関係での宿泊って、同じ部屋? いやいや別??

 「ホテルあった?」

 「あ、うー…。」

 今度は私があーともうーともつかない生返事をして、検索を続ける。
 これは私が言ったところに止まる流れなんだろう。せっかくだから同じ部屋に泊まりたいけどいきなりダブルルームは、こっちがもたなさそう。かといってツインルームはもう空きがないようだ。

 「ダブルルームなら、あるみたい。」

 「そっか。」

 一か八かのかけだった。告白より声が震えている。龍仁は人差し指を口元に当てて動かない。

 「私は…、私は、全然いいよ。全然って言うのもなんか変だけど。一緒に…。」

 「シングル2部屋、ないかー。当日だもんなー。」

 なんと、龍仁は2部屋設定だった。

 「オレ、適当に寝るから、いいよ。そこにしよう。」

 「わかった」と軽く返事をして、予約ボタンに触れた。

 郡山のホテルはソファの置いてある少し大きめのダブルルームだった。龍仁は「ソファあるじゃん!」と喜んでそこに寝た。
 なんなんだろう、このむなしさは。
 思い通りに行っているのに、大きなベッドに私ひとり。すごく幸せな空間のはずなのに、なんなんだろう。

 「夜ごはん、オレに任せてもらっていい?」

 「うん。私、なんでも食べるよ。」

 「じゃあ行くよ。」

 ひと息休む間もなく、龍仁は財布ひとつ持って玄関に手引きした。

 *

 「あら、人見さんのところの。」

 「いつもお世話になっています。」

 「久しぶり! え、あ、え! そういうこと!!」

 古くからある喫茶店風のお店に入ると、おかみさんらしき人が龍仁に親しげに話しかけてきた。オシャレな雰囲気はあるものの、そこまで格式張っておらず、普段着の家族連れが何組か入っていた。

 「飲み物、1杯目サービスするよ。もうブラッドオレンジって歳じゃないか! 何飲む?」

 「じゃあビールで。舞音もビールでいい? ビール2つでお願いします。」

 うん。と返事すると、おかみさんはバーカウンターに入って、すぐに細長いグラスに入った生ビールを2杯持ってきた。

 「お通し、どうする? チーズかサラミかサラダなんだけど。」

 「じゃあ、オレ、サラミでお願いします。」

 ビールは布製のコースターにのせられて、私たちの目の前に配膳される。龍仁がサラッとお通しをお願いして、いくらかの沈黙が流れる。

 「彼女は? 何がいい?」

 「あ、私…。私は、チーズでお願いします。」

 「はい、ちょっと待ってね。」

 おかみさんに「彼女」と呼ばれた。いい年した男性が女の人を連れていたらそう思うのは普通だろう。そして、龍仁も否定していない。そんなことに驚いているうちにお通しがやってきた。
 真っ白な四角いお皿に三角に切られたチーズと丸いキャンディータイプのチーズ、そして薄く切られたサラミが一緒にやってきた。

 「乾杯。」

 「乾杯。」

 ここは学生の頃と変わらず、コップを鳴らして乾杯する。2人きりの乾杯は初めて。なのにいつもそうしているかのような安定感がすでにある。

 「実家、この近くで、小さい頃から来てるんだよね。」

 「え! 龍仁の実家ってこの近くなの?」

 たしか東北新幹線で帰っていた記憶はあるが、まさかお膝元だったとは。どおりで道も調べずスタスタと案内できるわけだ。

 「そうだよ、こんな小さい頃から来てたんだから。でも中学生くらいが最後だっぺか?」

 おかみさんは手を太ももくらいに手を当てて、小さい頃から知っているということを強調する。

 「そうですね。帰省してもなかなか来なくなっちゃって。」

 おかみさんと話す龍仁はこころなしか、なまっていた。

 「今日はね、アサリおすすめだよ。あと、イチゴ入ったからデザートにね。」

 「じゃあアサリ、パスタにする? 酒蒸しにする?」

 「パスタにしようか。」

 「あと、何がいいかな? 食べれない物、何かあったっけ? 食べたい物は??」

 龍仁が見せてくれたメニューは厚紙に手書きでびっしり書かれたものが10枚近くある。飲み物メニューは別に教科書くらいの厚さで立てかけてある。

 「なんでも食べるよ。よくわかんないから、龍仁、注文お願いしていい?」

 オッケー。と龍仁は軽くこたえてメモ用紙に注文をサラサラと書いておかみさんに手渡す。

 「じゃあちょっと待ってね。」