龍仁との関係が一変して約1か月、4月の半ばが終わろうとしている。札幌でもちらほら桜が咲いているところを見かけるようになり、開花宣言までもう少しといったところだろうか。
「おはよう。」
起きた時にラインを送る。これが私たちの数少ないルールの一つ。
朝起きておはようラインを送るのはいつも6時ころだ。朝は龍仁より私の方が早い。どちらの職場も9時から18時まで勤務の職場だが、私は地下鉄で通っていて龍仁は自家用車ですぐ。逆算すると私の方が早く起きなくてはというわけらしい。
これまでと変わらず、コーヒー用のお湯を沸かし、トースターでパンを焼く。少し変わったのはパンのグレードを数段下げたことくらい。いままではパン屋さんのホテルブレッドしか食べない独身女性になっていたが、スーパーの食パンでも十分美味しいので、節約のために変えてみた。バターはまだ残っているから使っているが、買い替える時にはバター風味のマーガリンに変えてみようかとも思っている。
お湯が沸いて、コーヒーを淹れる。砂糖を溶かして牛乳を入れる。例のちょっと変化したパンには残っているバターをのせ、朝食セットのできあがりだ。
「いただきます。」
メッセージと一緒にいつも変わり映えしない朝食の写真を送る。テレビから流れてくるニュースを聞き流しながら、スマホでSNSをチェックする。テレビは桜がいつ咲くだのどこで満開になっただの、そんなことで埋め尽くされている。SNSチェックは最近習慣化してきたが、もう他人の幸せに一喜一憂することはない。この世で一番幸せにしてくれる龍仁と一緒にいられるのだから。
あとコーヒーを一口、というところで手元のスマホが震える。
「おはよー。」
龍仁のおはようラインだ。いつも7時きっかりに龍仁は起きてくる。
「おはよう。」
龍仁が起きてきて私の一日はようやくスタートする。
「今日のコーヒーはどうだった?」
「いつも通り、美味しいよ。」
「今日は会議だ〜。」
「疲れるぶん、しっかり食べておかないとね!」
「うん。起きて準備する!」
龍神が「準備する」と言ってから準備を始めると、ちょうどいいくらいの時間に準備が終わる。龍仁と数件、毎日同じようなラインを送り合うだけで、私の一日は晴れやかになる。
皿洗い、洗面、着替え、化粧。全て済ませて行く支度は完璧だ。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」
いつも同じくらい、7時半ごろにお決まりのいってきますラインを送ると、龍仁からの返信はすぐに返ってくる。龍仁は食べた朝ご飯とできあがったお弁当を家を出る8時半頃に送ってくるから、いつもこの時間はなにをしているのかわからない。準備にしろ、食事にしろ、何かをしている合間に私の「いってきます」に答えてくれるのが本当に嬉しい。
(これが対面になったら、どれほど力をもらえるのだろう。)
そんなことを考えながら吸い込んだ外の空気は、もう冷たくはなかった。
仕事中は連絡をしない。というのも暗黙のルールの一つ。
地下鉄に乗っている間は龍仁からラインがあれば返信しているが、職場についてからはなんとなく連絡をしないでいた。昔、学校で「放課後まで絶対使わないこと!」と念を押されて育ったからだろうか。現実問題として、龍仁の会社がオフィスに情報機器持ち込み禁止なのもある。特に問題があるわけでもないし、お互い仕事中は仕事に集中しているから、特段問題はなかった。
席についたとき、コピー機の前に立ったとき、お茶を淹れにいったとき。ふとした瞬間に私に起きているこの上ない幸せについて考えている。
(本当に龍仁と付き合ってるんだ。)
(来年には、早ければ半年後には、一緒に暮らしているんだ。)
そんなことが頭をよぎる。
今は近くの店にランチタイムは外食にでかけているけれど、一緒に暮らしたら同じ弁当を持って行きたいな。お弁当のおかずには何がいいのかな。そんなことを空き時間のネットサーフィンで調べている。
仕事のやり方も少し変わった。今までは120%の力を出して、できないことも可能にしてしまうくらい、働き詰めだったけれど、もう一人の身体ではないと思うと、無理はしなくなった。役職が変わって、自分が頑張ればいいというポディションではなくなったのもあるが、家族になることを意識して、仕事しかしない自分を卒業しよう、という思いもある。仕事をする私も、家にいる私も、街を歩く私も、素敵でありたいなぁと思い始めていた。
「ただいま。」
「おかえり。今日も一日お疲れさま。」
札幌の大通りで手首が震える。邪魔にならなさそうな道の端によって返信を送る。
ただいまラインはいつも龍仁のほうが早い。私に残業癖があるのもあるが、圧倒的に帰宅にかかる時間が短いからだと思っている。「スーパーに寄ってる」と言われても、「今日少し残業する」と言われても、やはり家に着くのは龍仁が早い。
私はというと、だいたい仕事帰りに大通りを歩き、龍仁と歩く私、家族をもった私を想像して、幸せな気分で満たしてから帰りの地下鉄に乗る。まっすぐ帰れば龍仁と同じか少し遅いくらいになるのに、とうもこのルーティーンは変えられない。節約のために週3で行っていた外食が週1になっただけ、許してほしい。
今日は本屋さんで旅行雑誌を立ち読みして、ゴールデンウィークにオススメの情報を収集して帰ってきた。SNSでいくらでも情報が集まる時代だが、こうやって誰かがまとめた情報に出会いに行くのもまた、私にとっては大事な時間となっている。
「ただいま。」
「おかえり。今日はどこに寄っていたの?」
「大通りの本屋さん。ゴールデンウィークの情報収集してた。」
「どこかオススメあった?」
「うん。チョコレート工場がリニューアルオープンするらしくて、行ってみたいなって思った!」
「じゃあ行こう! 車必要ならレンタルしよ!」
「一応地下鉄でも行けるけど、他にいく場所も考えてだね。」
「了解。とりあえずお風呂入ってくるね。」
「うん。私も。」
私が帰宅したら龍仁はすぐに返信をくれる。そしてたわいもない話を少ししたあと、お互い風呂に入ってご飯支度、というのがいつもの流れになっていた。
(あと5回寝たら、龍仁が来てくれる。)
私の頭の中も、龍仁とのラインも、やっとやってくるカップルとして初めて意図的に一緒に過ごす時間で埋め尽くされていた。ふとした瞬間スイッチが入るお片付けも、ゴミ袋3袋分くらい進んでいる。今の1LDKの部屋では狭いかなぁと、物件探しも始めている。龍仁と会う準備も暮らす準備も着々と進んでいる。
「ふふふ。」
少し気がゆるむと、龍仁との暮らしを想像して笑みがこぼれてしまう。ハタから見たらただの変人だけど、私が幸せならそれでいいのだと、今は素直に思えている。
チョコレート工場に、ファクトリーも行ってみたい。車を借りて家具屋さんを見にいくのも楽しそうだし、ちょっとドライブして道の駅やサービスエリアも行ってみたい。北海道に住んで10年もたつのに、一度もドライブしたことがないから、初めては龍仁と行ってみたい。あとはベタに小樽観光もいいかな。一人旅とは違う、カップルの余裕で、あの素敵な街を歩いてみたいなぁ。
風呂につかりながらそんなことを考えていると、また笑みがこぼれてしまう。幸せな、それでいて少し孤独で不気味な笑い声がこだまする。
(早くこの幸せを分かち合える日を迎えたいなぁ。)
想像というより妄想で幸せいっぱいになり、自分の肩を抱いてキュンキュンしてしまう。
(今は、ひとり、だ。)
すごく当たり前のことに気づいて我に帰る。
今、私は一人暮らし。
龍仁は遠く離れた盛岡にいる。
風呂の中に、私ひとり。
部屋に戻っても誰もいない。
テレビが勝手に笑っているだけ。
スマホが勝手に世間とつながっているだけ。
その孤独な事実に気づいてしまうと、いつも決まって目の奥がツンとして、涙があふれてしまう。いくつになっても不安定なところがあって、そんな自分を龍仁にはまだ見せられなくて、不安で情けなく、心細くなってしまう。
でも、同時に、これだけ心を動かすことができることに感動もしてしまう。コロナだけのせいではないが、何もできなかった20代のぶんも、今、青春を取り返しているような、そんな嬉しささえ感じる。
こんなよくわからない気持ちも、意味のわからない涙も、すべてを洗い流して風呂の栓を抜く。
お風呂からあがったらご飯支度をして、龍仁にライン。そして今日こそ、2人でどこに出かけるか、具体的に決めていきたいなぁ。
洗面台で化粧水を手にとり、ピシャッと顔に叩き塗る。気合いを入れて龍仁との幸せな時間を作り出していこう。
「おはよう。」
起きた時にラインを送る。これが私たちの数少ないルールの一つ。
朝起きておはようラインを送るのはいつも6時ころだ。朝は龍仁より私の方が早い。どちらの職場も9時から18時まで勤務の職場だが、私は地下鉄で通っていて龍仁は自家用車ですぐ。逆算すると私の方が早く起きなくてはというわけらしい。
これまでと変わらず、コーヒー用のお湯を沸かし、トースターでパンを焼く。少し変わったのはパンのグレードを数段下げたことくらい。いままではパン屋さんのホテルブレッドしか食べない独身女性になっていたが、スーパーの食パンでも十分美味しいので、節約のために変えてみた。バターはまだ残っているから使っているが、買い替える時にはバター風味のマーガリンに変えてみようかとも思っている。
お湯が沸いて、コーヒーを淹れる。砂糖を溶かして牛乳を入れる。例のちょっと変化したパンには残っているバターをのせ、朝食セットのできあがりだ。
「いただきます。」
メッセージと一緒にいつも変わり映えしない朝食の写真を送る。テレビから流れてくるニュースを聞き流しながら、スマホでSNSをチェックする。テレビは桜がいつ咲くだのどこで満開になっただの、そんなことで埋め尽くされている。SNSチェックは最近習慣化してきたが、もう他人の幸せに一喜一憂することはない。この世で一番幸せにしてくれる龍仁と一緒にいられるのだから。
あとコーヒーを一口、というところで手元のスマホが震える。
「おはよー。」
龍仁のおはようラインだ。いつも7時きっかりに龍仁は起きてくる。
「おはよう。」
龍仁が起きてきて私の一日はようやくスタートする。
「今日のコーヒーはどうだった?」
「いつも通り、美味しいよ。」
「今日は会議だ〜。」
「疲れるぶん、しっかり食べておかないとね!」
「うん。起きて準備する!」
龍神が「準備する」と言ってから準備を始めると、ちょうどいいくらいの時間に準備が終わる。龍仁と数件、毎日同じようなラインを送り合うだけで、私の一日は晴れやかになる。
皿洗い、洗面、着替え、化粧。全て済ませて行く支度は完璧だ。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」
いつも同じくらい、7時半ごろにお決まりのいってきますラインを送ると、龍仁からの返信はすぐに返ってくる。龍仁は食べた朝ご飯とできあがったお弁当を家を出る8時半頃に送ってくるから、いつもこの時間はなにをしているのかわからない。準備にしろ、食事にしろ、何かをしている合間に私の「いってきます」に答えてくれるのが本当に嬉しい。
(これが対面になったら、どれほど力をもらえるのだろう。)
そんなことを考えながら吸い込んだ外の空気は、もう冷たくはなかった。
仕事中は連絡をしない。というのも暗黙のルールの一つ。
地下鉄に乗っている間は龍仁からラインがあれば返信しているが、職場についてからはなんとなく連絡をしないでいた。昔、学校で「放課後まで絶対使わないこと!」と念を押されて育ったからだろうか。現実問題として、龍仁の会社がオフィスに情報機器持ち込み禁止なのもある。特に問題があるわけでもないし、お互い仕事中は仕事に集中しているから、特段問題はなかった。
席についたとき、コピー機の前に立ったとき、お茶を淹れにいったとき。ふとした瞬間に私に起きているこの上ない幸せについて考えている。
(本当に龍仁と付き合ってるんだ。)
(来年には、早ければ半年後には、一緒に暮らしているんだ。)
そんなことが頭をよぎる。
今は近くの店にランチタイムは外食にでかけているけれど、一緒に暮らしたら同じ弁当を持って行きたいな。お弁当のおかずには何がいいのかな。そんなことを空き時間のネットサーフィンで調べている。
仕事のやり方も少し変わった。今までは120%の力を出して、できないことも可能にしてしまうくらい、働き詰めだったけれど、もう一人の身体ではないと思うと、無理はしなくなった。役職が変わって、自分が頑張ればいいというポディションではなくなったのもあるが、家族になることを意識して、仕事しかしない自分を卒業しよう、という思いもある。仕事をする私も、家にいる私も、街を歩く私も、素敵でありたいなぁと思い始めていた。
「ただいま。」
「おかえり。今日も一日お疲れさま。」
札幌の大通りで手首が震える。邪魔にならなさそうな道の端によって返信を送る。
ただいまラインはいつも龍仁のほうが早い。私に残業癖があるのもあるが、圧倒的に帰宅にかかる時間が短いからだと思っている。「スーパーに寄ってる」と言われても、「今日少し残業する」と言われても、やはり家に着くのは龍仁が早い。
私はというと、だいたい仕事帰りに大通りを歩き、龍仁と歩く私、家族をもった私を想像して、幸せな気分で満たしてから帰りの地下鉄に乗る。まっすぐ帰れば龍仁と同じか少し遅いくらいになるのに、とうもこのルーティーンは変えられない。節約のために週3で行っていた外食が週1になっただけ、許してほしい。
今日は本屋さんで旅行雑誌を立ち読みして、ゴールデンウィークにオススメの情報を収集して帰ってきた。SNSでいくらでも情報が集まる時代だが、こうやって誰かがまとめた情報に出会いに行くのもまた、私にとっては大事な時間となっている。
「ただいま。」
「おかえり。今日はどこに寄っていたの?」
「大通りの本屋さん。ゴールデンウィークの情報収集してた。」
「どこかオススメあった?」
「うん。チョコレート工場がリニューアルオープンするらしくて、行ってみたいなって思った!」
「じゃあ行こう! 車必要ならレンタルしよ!」
「一応地下鉄でも行けるけど、他にいく場所も考えてだね。」
「了解。とりあえずお風呂入ってくるね。」
「うん。私も。」
私が帰宅したら龍仁はすぐに返信をくれる。そしてたわいもない話を少ししたあと、お互い風呂に入ってご飯支度、というのがいつもの流れになっていた。
(あと5回寝たら、龍仁が来てくれる。)
私の頭の中も、龍仁とのラインも、やっとやってくるカップルとして初めて意図的に一緒に過ごす時間で埋め尽くされていた。ふとした瞬間スイッチが入るお片付けも、ゴミ袋3袋分くらい進んでいる。今の1LDKの部屋では狭いかなぁと、物件探しも始めている。龍仁と会う準備も暮らす準備も着々と進んでいる。
「ふふふ。」
少し気がゆるむと、龍仁との暮らしを想像して笑みがこぼれてしまう。ハタから見たらただの変人だけど、私が幸せならそれでいいのだと、今は素直に思えている。
チョコレート工場に、ファクトリーも行ってみたい。車を借りて家具屋さんを見にいくのも楽しそうだし、ちょっとドライブして道の駅やサービスエリアも行ってみたい。北海道に住んで10年もたつのに、一度もドライブしたことがないから、初めては龍仁と行ってみたい。あとはベタに小樽観光もいいかな。一人旅とは違う、カップルの余裕で、あの素敵な街を歩いてみたいなぁ。
風呂につかりながらそんなことを考えていると、また笑みがこぼれてしまう。幸せな、それでいて少し孤独で不気味な笑い声がこだまする。
(早くこの幸せを分かち合える日を迎えたいなぁ。)
想像というより妄想で幸せいっぱいになり、自分の肩を抱いてキュンキュンしてしまう。
(今は、ひとり、だ。)
すごく当たり前のことに気づいて我に帰る。
今、私は一人暮らし。
龍仁は遠く離れた盛岡にいる。
風呂の中に、私ひとり。
部屋に戻っても誰もいない。
テレビが勝手に笑っているだけ。
スマホが勝手に世間とつながっているだけ。
その孤独な事実に気づいてしまうと、いつも決まって目の奥がツンとして、涙があふれてしまう。いくつになっても不安定なところがあって、そんな自分を龍仁にはまだ見せられなくて、不安で情けなく、心細くなってしまう。
でも、同時に、これだけ心を動かすことができることに感動もしてしまう。コロナだけのせいではないが、何もできなかった20代のぶんも、今、青春を取り返しているような、そんな嬉しささえ感じる。
こんなよくわからない気持ちも、意味のわからない涙も、すべてを洗い流して風呂の栓を抜く。
お風呂からあがったらご飯支度をして、龍仁にライン。そして今日こそ、2人でどこに出かけるか、具体的に決めていきたいなぁ。
洗面台で化粧水を手にとり、ピシャッと顔に叩き塗る。気合いを入れて龍仁との幸せな時間を作り出していこう。