私はよく「意外に飲むねぇ」と言われる。
 両親が共に酒に強いというのもあろうが、一番は飲み慣れていることにあると思っている。連休に帰省するたびに父から新しい日本酒を教わり、父が早く寝てしまえば、母がどこからともなくワインを出してきて一緒に語らうのが20歳(はたち)を過ぎてからの週末の過ごし方だった。
 それに加えてビールから始まるゼミの飲み会だ。
 春生まれで2年生の4月飲み会から酒が飲めたことは親に感謝したい。こうして童顔の割によく飲み慣れた佐倉舞音ができあがったというわけだ。

 そんな私が今日は少し頭をふらつかせている。飲み過ぎ? そんなことはない。いつも通り、ビールを1杯飲んだ後はハイボール2杯で、まだあと2〜3杯は飲めるはずなのに視界がふらつき始めている。

 「卒論終わったら、何するんですかぁ?」

 いつも見ているだけを決め込んでいる私が、意識高い系で先生と卒論の話をしていた4年生たちに話しかけている。

 「終わったら? まず昼まで寝坊したいかな。はは。あと新しくできたケーキバイキングも行きたいよね。」

 キョーコさんはグルメで3年生の頃はよくお菓子を作ってゼミ室に持ってきてくれていた。本当はスキー旅行で寝坊しちゃうくらい朝が弱いのに、4年生になってからは一番にゼミ室に来て、ずっと卒論を書いていた。

 「うん。あとマンガを大人買いして全部読みたい。もう文献は読み疲れたから、読みたいもの永遠と読んでいたいなぁ。」

 「キョースケはまだまだ読み足りないよ! あと1か月でどこまでできるかな?」

 後輩からは「賢い」ように見えるキョースケさんも先生から見れば、こうなのか。バイトもサークルも就活も、色んなものを両立させながらここまで勉強しているのは、頭が上がらない。そして、先生にイジられるキョースケさんをニコニコ見つめるキョーコさんも、見ていて癒される。
 聞いておいてなんと答えたらいいのかわからないでいた。「フラフラ」で頭が働かないのと、そもそも話すのが苦手なのと。

 「ところでキョーコたち、卒業旅行はどこ行くんだ?」

 「マサヤさんたちは箱根でしたよね。ユイさんたちは韓国でしたっけ? 遠くには行きたいけど、海外はなあ。」

 「この前話してたのは、北海道でスキーか沖縄でダイビングか。そんな感じです。」

 マサヤさんというのはキョーコさんのひとつ上、つまり私のふたつ上のゼミ長で、ユイさんというのはキョーコさんのふたつ上、私のみっつ上で直接の関わりはない先輩だ。
 飯森ゼミでは卒論終了から卒業式までに卒業旅行に行くのが恒例になっている。行き先は4年生が決めて飯森先生も同行する。そして先生から現地の美味しいものを教えてもらうのが最後の講義になる。

 「その2択なら、北海道かな。スキーもいいけど、わかさぎ釣りと温泉で、メジャーじゃない観光してみるのもいいんじゃないか?」

 「温泉かぁ。」

 キョーコさんとキョースケさんは2人して温泉に注目して、そこからしばらく黙ってしまった。


 「ラストオーダーのお時間です!」

 ゼミの飲み会は19時開始の21時ラストオーダー。通常は1時間半の飲み放題だが、毎月来てくれるからとおまけをしてもらっている。最後はカクテルやハイボールや色々な種類の注文が入るから、3年生総出で注文に集中しなくてはならないが、どうも今日は頭が働かない。

 「舞音ちゃんどうする?」

 ちょっと(まばた)きをしたつもりが、美波に注文を取られてしまった。

 「舞音ちゃん珍しいね、お茶にしておこ!」

 眠そうにうんともすんとも言えないのを見かねて、キョーコさんがお茶を注文してくれた。いつもならカシス系の甘いカクテルを飲んで締めるのに、こんなに酔ったのは初めてだった。


 最後の飲み物を飲み干し、食べたものを片付けて、店を完全に出るのは22時頃になる。そのあと二次会に行ったり、誰かの家で飲み明かしたり、各々解散を迎えるが、私はいつもここで解散していた。

 「舞音ちゃん、駅まで歩こ!」

 キョーコさんが声をかけてきた。4年生はイケてる系というか最後まで飲み会を楽しんでいる人が多くて、ここで離脱する人はほぼいないから珍しい。

 「はい。行きましょ。」

 2人で歩くのはもしかして初めてかもしれない。キョーコさんはいつもキョースケさんたち4年生と一緒にいるから、なかなか後輩としかも2人きりなんて場面は他の誰とも見たことがないかもしれない。

 「明日も朝から卒論やろうと思ってたのと、ちょっと舞音ちゃん心配でね。」

 キョーコさんは間にこぶしふたつ分くらいの距離感を保ったまま、駅まで付き添ってくれた。

 「ご心配おかけして、すみません。」

 「謝らないでー! よく酔えるってリラックスできてるってことでもあるし。」

 街灯だけが足元を照らすなか、キョーコさんの声が優しく私の酔いをほどいていった。寒空にさらされて醒めてきたとは言いたくないくらい、キョーコさんの隣を歩くのは温かく柔らかな時間だった。

 「実はね…。」

 もう信号を2つ渡れば駅だというところでキョーコさんがポツリと口を開いた。

 「卒論終わったらキョースケに告白しようと思ってるんだ。」

 「え、好きなんですか?」

 「うん。最近ね、このまま離ればなれになりたくないな、って思い始めてきて、これは恋なんじゃないかって。」

 「いいじゃないですか。絶対お似合いですよ〜!」

 突然の告白に、耳まで赤くしているキョーコさんは、やはりゼミのアイドルだ。

 「いつ告白しようと思ってるんですか?」

 「うーん、卒業旅行かな。なんか、青春って感じかなって思って。」

 「きゃー」

 点滅する青信号を前に恋バナをする女子大生2人。
 この時間が永遠に続けばいいと、心の底から思う。
 何も考えずに「離れたくない」と、その想いだけで胸を熱くドキドキさせる。この青春に浸っていたい。
 駅に着いて、お互い反対方向の列車に乗って、キョーコさんは離れていっているはずなのに、胸の中で存在が大きくなり、ドキドキが止まらなくなっている。
 他人の恋でこんなにドキドキできる青春にずっと留まっていたいと思う冬の夜だった。