退官パーティーのあるグランドホテルは、学生時代、多くの知り合いがバイトをしていたホテルだった。私はバイトに入ったことはないが、ゼミ室になかなか来なかった同期にはグランドホテルでバイトをしていた人も居たような気がする。大学から見える位置にあり、受験シーズンには受験生とその親で満室になっていた。今回の宿泊先にグラホも考えたが、春休みの3連休だからか、引っ越し準備をしていると思われる高校卒業生でロビーがいっぱいだった。どうりで予約が取れなかったわけだ。
会場は3階の宴会場。毎年、学科の卒業祝賀パーティーをやっていたところなので、100人くらいは入る会場だった。キョースケさんからの招待ラインでは「みなさんなりの『正装』でお越しください」とあったので、あまりかしこまらない、会社にも着ていけそうな紺のフレアスカートにピンクのブラウス、ベージュのカーディガンを着て来ていた。キョーコさんはママの正装、チノパンにカーキーのパーカーを着ていた。
キョーコさんと会場に到着したのはスタートの30分くらい前だった。ダイスケくんのパパであるキョースケさんがとりまとめているだけあって、子連れでも参加しやすいように、子どもたちはキッズスペースで遊べるようになっていた。
「おお、舞音ちゃん。キョーコさん。」
「ペーさん! どうして結婚できたの!」
受付にペーさんが居た。相変わらず背が長く別にイケメンでもないペーさんが居た。
「どうしてって失礼な! やっとオレの魅力に気づいてくれる人が居たんだよ。」
「なに勘違いさせてるの? 幸せにしないと許さないからね!」
「もう世界一幸せだよ。ご心配なく。」
こうやってたわいもなく話せるのは、学生時代の同期くらいだ。もう10年、こうやって友達と話すということをしていなかった。結婚できるわけがないと思っていたヒガミもあるはずなのに、そんなのがどこかに飛んでいってしまうくらい、自分でも笑顔になっているのがわかる。
「龍仁、もう来てるよ。基本同期ごとの席順だから、よろしくな。キョーコさんも、席近いはずなんで、よろしくお願いします。」
「龍仁」と聞いただけで、心臓がドクンと強く鼓動を打つのがわかった。「うん」と軽く返事をして、ダイスケくんを遊ばせるキョーコさんと別れ、案内された私たちの席を目指した。
2019年度卒の席はキョーコさんたち先輩と同じテーブルだった。用意されている椅子は合わせて7つ。たぶんキョーコさんたちが3人で、私たちが4人だろう。先に座っていたのは1人だけだった。
龍仁と思われるその人は、紺のジャケットに白地のワイシャツを合わせた大人な佇まいだった。髪型はあまり変わっていないようだけど、軽くワックスで整えているのか、少しふわふわとしていた。
「舞音、お疲れ。」
「お疲れ。」
かつてのいつも通りのあいさつをして、龍仁の左斜め前に用意されていた私の席に座った。奇しくもゼミ室と同じ席順だった。
「龍仁、変わらないね。」
「そうみたいだな。舞音もすぐわかるくらい変わんないよ。」
「髪染めたのに?」
「うん。なんていうか、中身はなんも変わってない感じがする。」
「それって、中身つまってないってこと?」
「そんなわけあるかよ。つまってないのはおれのほうさ。」
こうやって何気ない会話を交わして学生時代へと時を戻していく。お互いそんなに老け込んでいるわけではないけれど、話すうちに学生時代のまだ子どもっぽさが残る笑顔が増えていく。
そして、無意識に龍仁の左手に注目している自分に気づく。
(結婚していたら、左手薬指に指輪をしているだろう。)
両親や職場を思い返しても、必ずしも当てはまるわけではないのに、指輪をしていない龍仁を期待していた。
「龍仁は今どこに住んでるの?」
「いま盛岡だよ。うちは全国転勤だからね。九州のあと名古屋に行って、ペーさんが結婚したあたりで盛岡勤務になった。舞音は?」
「私はずっと札幌だよ。」
「え、ずっと札幌って、寒いところ苦手じゃん! うける。」
両手をたたいて無邪気に笑う龍仁の左手に、輝くものはなかった。
(あ、独身なんだ。)
「もう! 痛いところ突かないでよ!」
必死にすねてみせて、赤くなっているかも知れない顔を隠す。隠すといっても、まだマスクは外せないご時世だから、半分は隠れているんだけれど。
「ごめんごめん。舞音、寒いの苦手だったよなーって思って。」
「そうなのさ。でも、意外と家が温かくて気に入ってるよ。」
「そうなの? じゃ、次は札幌に転勤しちゃおうかな? オレも寒いの苦手だから、ちょうどいい!」
ドキッと心臓が強く打っているのがわかる。10年ぶりに会った同期として普通の会話をしているだけなのに。
「やっほー。お疲れ。」
美波が私の隣にやってきた。やはり、2019年卒の4席はいつもの4人のようだ。
「お疲れ!」
美波と正面になった龍仁が手を振ると、美波も手を振ってこたえる。よく見ると、キラキラ光る指輪をしている。
「あれ、美波って結婚したっけ?」
「あれ? 報告、そういえばしてなかったかも。ごめーん。4〜5年前に結婚したんだよね。遊ぶ場所あるならうちの子たちも連れてくればよかった。」
「子どももいるの?」
「うん。男の子と女の子。ちょうど4月から仕事復帰なの。」
私も龍仁も、なんとなく目線が落ちていく。私たちだってもう32歳。結婚していたって、子どもがいたって全然不思議ではない。私もいつかとは思っていても、思っているだけだった私と、行動して実現しただろう美波と、それだけの違いだった。
「相手、旦那は、どんな人なんだ?」
「同じアパレル系で働いてるよ。まあ、出会ったのは婚活アプリだったけど。」
「結婚までどのくらい付き合った?」
「アプリでつながって付き合うまで2か月、付き合って1年記念日に結婚って感じ!」
龍仁が私が聞きたかったことを詳しく聞き出してくれる。やっぱり出会ってから結婚までは1年くらいかかるものなのか。それから子どもとなると、さらに歳をとっていく。
「オレ、誕生日きたら34だからなぁ。35までに結婚できるかな?」
「ペーさんができたくらいだからね。その時がきたらトントン進むよ。」
「なんだよ、子持ちの余裕!」
現実的な悩みだけれど、こうやって遠慮なく話せるのが、やっぱり同期だ。普段の生活では子どもがいても仕事バリバリでも、同じ土俵でたわいもなく話せる。心なしか3人とも話すうちに若々しくなってきた気がする。
「おーい、やっと受付終わったよ。ってか美波、いつのまに山下になったんだよ! 詳しく聞かせてもらおうじゃないか!」
「え、その話ならもう終わったよー。」
「まじかよ。そんなぁ。」
開始直前にやってきたペーさんはその場に崩れ落ちる演技をしている。いつものことだ。これでやっと、全員はいないけど、学生時代のゼミ室が完成した。
会場は3階の宴会場。毎年、学科の卒業祝賀パーティーをやっていたところなので、100人くらいは入る会場だった。キョースケさんからの招待ラインでは「みなさんなりの『正装』でお越しください」とあったので、あまりかしこまらない、会社にも着ていけそうな紺のフレアスカートにピンクのブラウス、ベージュのカーディガンを着て来ていた。キョーコさんはママの正装、チノパンにカーキーのパーカーを着ていた。
キョーコさんと会場に到着したのはスタートの30分くらい前だった。ダイスケくんのパパであるキョースケさんがとりまとめているだけあって、子連れでも参加しやすいように、子どもたちはキッズスペースで遊べるようになっていた。
「おお、舞音ちゃん。キョーコさん。」
「ペーさん! どうして結婚できたの!」
受付にペーさんが居た。相変わらず背が長く別にイケメンでもないペーさんが居た。
「どうしてって失礼な! やっとオレの魅力に気づいてくれる人が居たんだよ。」
「なに勘違いさせてるの? 幸せにしないと許さないからね!」
「もう世界一幸せだよ。ご心配なく。」
こうやってたわいもなく話せるのは、学生時代の同期くらいだ。もう10年、こうやって友達と話すということをしていなかった。結婚できるわけがないと思っていたヒガミもあるはずなのに、そんなのがどこかに飛んでいってしまうくらい、自分でも笑顔になっているのがわかる。
「龍仁、もう来てるよ。基本同期ごとの席順だから、よろしくな。キョーコさんも、席近いはずなんで、よろしくお願いします。」
「龍仁」と聞いただけで、心臓がドクンと強く鼓動を打つのがわかった。「うん」と軽く返事をして、ダイスケくんを遊ばせるキョーコさんと別れ、案内された私たちの席を目指した。
2019年度卒の席はキョーコさんたち先輩と同じテーブルだった。用意されている椅子は合わせて7つ。たぶんキョーコさんたちが3人で、私たちが4人だろう。先に座っていたのは1人だけだった。
龍仁と思われるその人は、紺のジャケットに白地のワイシャツを合わせた大人な佇まいだった。髪型はあまり変わっていないようだけど、軽くワックスで整えているのか、少しふわふわとしていた。
「舞音、お疲れ。」
「お疲れ。」
かつてのいつも通りのあいさつをして、龍仁の左斜め前に用意されていた私の席に座った。奇しくもゼミ室と同じ席順だった。
「龍仁、変わらないね。」
「そうみたいだな。舞音もすぐわかるくらい変わんないよ。」
「髪染めたのに?」
「うん。なんていうか、中身はなんも変わってない感じがする。」
「それって、中身つまってないってこと?」
「そんなわけあるかよ。つまってないのはおれのほうさ。」
こうやって何気ない会話を交わして学生時代へと時を戻していく。お互いそんなに老け込んでいるわけではないけれど、話すうちに学生時代のまだ子どもっぽさが残る笑顔が増えていく。
そして、無意識に龍仁の左手に注目している自分に気づく。
(結婚していたら、左手薬指に指輪をしているだろう。)
両親や職場を思い返しても、必ずしも当てはまるわけではないのに、指輪をしていない龍仁を期待していた。
「龍仁は今どこに住んでるの?」
「いま盛岡だよ。うちは全国転勤だからね。九州のあと名古屋に行って、ペーさんが結婚したあたりで盛岡勤務になった。舞音は?」
「私はずっと札幌だよ。」
「え、ずっと札幌って、寒いところ苦手じゃん! うける。」
両手をたたいて無邪気に笑う龍仁の左手に、輝くものはなかった。
(あ、独身なんだ。)
「もう! 痛いところ突かないでよ!」
必死にすねてみせて、赤くなっているかも知れない顔を隠す。隠すといっても、まだマスクは外せないご時世だから、半分は隠れているんだけれど。
「ごめんごめん。舞音、寒いの苦手だったよなーって思って。」
「そうなのさ。でも、意外と家が温かくて気に入ってるよ。」
「そうなの? じゃ、次は札幌に転勤しちゃおうかな? オレも寒いの苦手だから、ちょうどいい!」
ドキッと心臓が強く打っているのがわかる。10年ぶりに会った同期として普通の会話をしているだけなのに。
「やっほー。お疲れ。」
美波が私の隣にやってきた。やはり、2019年卒の4席はいつもの4人のようだ。
「お疲れ!」
美波と正面になった龍仁が手を振ると、美波も手を振ってこたえる。よく見ると、キラキラ光る指輪をしている。
「あれ、美波って結婚したっけ?」
「あれ? 報告、そういえばしてなかったかも。ごめーん。4〜5年前に結婚したんだよね。遊ぶ場所あるならうちの子たちも連れてくればよかった。」
「子どももいるの?」
「うん。男の子と女の子。ちょうど4月から仕事復帰なの。」
私も龍仁も、なんとなく目線が落ちていく。私たちだってもう32歳。結婚していたって、子どもがいたって全然不思議ではない。私もいつかとは思っていても、思っているだけだった私と、行動して実現しただろう美波と、それだけの違いだった。
「相手、旦那は、どんな人なんだ?」
「同じアパレル系で働いてるよ。まあ、出会ったのは婚活アプリだったけど。」
「結婚までどのくらい付き合った?」
「アプリでつながって付き合うまで2か月、付き合って1年記念日に結婚って感じ!」
龍仁が私が聞きたかったことを詳しく聞き出してくれる。やっぱり出会ってから結婚までは1年くらいかかるものなのか。それから子どもとなると、さらに歳をとっていく。
「オレ、誕生日きたら34だからなぁ。35までに結婚できるかな?」
「ペーさんができたくらいだからね。その時がきたらトントン進むよ。」
「なんだよ、子持ちの余裕!」
現実的な悩みだけれど、こうやって遠慮なく話せるのが、やっぱり同期だ。普段の生活では子どもがいても仕事バリバリでも、同じ土俵でたわいもなく話せる。心なしか3人とも話すうちに若々しくなってきた気がする。
「おーい、やっと受付終わったよ。ってか美波、いつのまに山下になったんだよ! 詳しく聞かせてもらおうじゃないか!」
「え、その話ならもう終わったよー。」
「まじかよ。そんなぁ。」
開始直前にやってきたペーさんはその場に崩れ落ちる演技をしている。いつものことだ。これでやっと、全員はいないけど、学生時代のゼミ室が完成した。