街が変わることはわかっていた。
 私が住んでいる札幌だって、住み始めた頃からはだいぶ変わったし、たまに来る東京も来るたび少しずつ違っている。
 衝撃的だったのは道路が完成していることだ。ホテルにつながっている、大通りを横切る線路を越える道が完成していた。入学した頃からずっと工事中の狭い通りだったのに、今では大通りより大きくて立派な、レンガの歩道がオシャレな街並みに様変わりしている。
 いつかキョーコさんと信号待ちをしていた角にあるかまぼこ屋さんだけが、当時の面影を残している。
 いつも買い出しに行った駅前のショッピングセンターは駅ビルに生まれ変わったようで、もう影も形も残っていない。跡地にできたケータイショップを見ると、胸の奥がキューっと苦しくなる。
 大きなものはそうやって変わっているが、小さな店は意外と変わっていないようだ。教科書を買いに行った本屋も、20歳(はたち)のお祝いケーキを買ったケーキ屋さんも、まだその場所に建っていた。ワクワクした感じも、心細かった思いも、手に取るように思い出せる。
 街を行く人は、当たり前だがまったく変わってしまっていた。歩いているのはサラリーマンより主婦のほうが多くなった気がするし、道行く車は小型の曲線が多い軽自動車が増えている気がする。きっと私の後輩にあたるだろう、若者たちは誰一人群れず、それぞれがスマホやスマートウォッチ、指輪型端末から映される画面を見ながら歩いている。「歩きスマホ!」なんて説教はもう効かなくなっている。
 みんなが自分のことしか気にしないこの街で、過去の自分に思いを馳せている私は異質な存在かもしれない。
 そんなことが頭をよぎると、見覚えのある影が信号の先でこちらを見ていた。


 「舞音ちゃーん!」

 間違いない、キョーコさんだった。小さな男の子の手を引き、こちらに手を振ってくる。

 「キョーコさん!」

 私も負けじと手を振り、走って信号を渡りきる。

 「変わらないね。元気そうでよかった。」

 「キョーコさんも元気そうで、何よりです。雰囲気でわかりましたよ。」

 キョーコさんの見た目はかなり変わっていた。まず男の子のママになっているし、髪型もショートになっている。そしてスリムだったお腹も少し出ている気がする。

 「あ、お腹にもいるの。次は女の子だって。」

 「すみません、なんか見ちゃってました?」

 「うん、ガッツリ見てたよ。ふふ。そういうところ、顔が嘘つけないところも変わってないね。」

 キョーコさんは終始笑っている。男の子もニコニコしていて、すごく幸せなのが伝わってくる。

 「舞音ちゃんもパーティー行くよね? まだ時間あるから、少しお茶でも飲んで行かない? うちの子そろそろ歩き疲れたみたいで、休もうと思ってたところなんだよね。」

 キョーコさんの誘いにのって、たまに行っていたファミレスでお茶をすることになった。


 「お子さんのお名前は?」

 「ダイスケっていうの。」

 お子さま椅子に座ったダイスケくんは、足をバタバタさせながらお子さまオレンジジュースの到着を待っている。

 「キョースケが『どうしてもスケにしたい』ってきかなかったんだよね。」

 「え、キョースケさんと結婚したんですか?」

 ドリンクバーの紅茶を口に入れる手前で、口元から離してしまった。満杯の熱い紅茶がこぼれなかったのが奇跡だ。

 「うん。コロナになって次の年だったかな? 結婚式もしたかったんだけど、あの状況じゃ断念せざるを得なくてね。先生には伝えたけど、みんなには伝えられてなかったよね、ごめんね。」

 「もう遅いですけど、おめでとうございます! 今も関西に住んでるんですか?」

 「ううん。今は埼玉。キョースケが埼玉の教員採用試験に合格したのをきっかけに、私、リモートワークの会社に転職したんだよね。ダイスケとも一緒にいられるし、いい感じだよ。」

 「そうなんですね。」

 キョーコさんはやはりずっと笑顔で、私を見つつ、母としてダイスケくんを見つめるのも忘れていなかった。

 「ダイスケくん、可愛いですね。」

 思わず口から出た言葉にキョーコさんが「でしょー!」と合いの手を入れる。そしてダイスケくんの頬に触れる手はママの柔らかくて温かい手だった。

 「私も、子ども考えるならそろそろ旦那さんと出会いたいなぁ。」

 「あれ? 龍仁はどうしたの??」

 「え、いや…。」

 学生の頃も今も、キョーコさんになら、なんでも話せてしまう。気づけば、学生の頃たぶん恋をしていたこと、コロナでなにもできなかったこと、いまは連絡も取ってないことをペラペラと喋っていた。

 「じゃあ、今日は10年越しの告白になるわけかぁ。」

 「いや、今は仕事ばっかりで、そういう気分じゃないし、そもそも今の龍仁が好きなのかもわからないですし。ていうか、龍仁今日来るんですかね?」

 相談しておいて、いざ「告白」となると、全力で否定したくなるのも昔と変わっていなかった。

 「うーん、来るんじゃない?」

 「…知ってるんですか?」

 「いや、知らないけど、北海道から舞音ちゃん来てるのに、龍仁来れないっておかしいじゃん。先輩として、そんな教育したおぼえはないよ!」

 「そうですよね。」

 いま龍仁がどこに居るのかわからないが、就職した頃と同じく九州に居るとしても、来れない距離では決してなかった。キョーコさんに言われたら本当に会える気がして、鼓動を強く感じ始める。

 「ほら、顔赤くなってきた!」

 「そんなぁ。」

 「今度こそ、後悔しないでね。きっと舞音ちゃんの青春はまだまだ終わってないよ!」

 「はい。そうなれば、ですが。」

 「そうなるって、顔赤いもん。私ダイスケの面倒みるのに半分までしか居られないけど、終わったらちゃんと報告してよね。キョースケにも見張らせるから。ふふ。」

 強くなった鼓動はより強くより速く感じられる。この感覚が「いま」のものなのか、過去を思い出してのものなのか、渦中の私には判別つかなかった。

 「そろそろ歩いたらいい感じの時間だよね。ダイスケ歩ける?」

 「うん!」

 「じゃあ、行こうか。」

 カップに一口残っていた紅茶を飲み干し、店をあとにする。ダイスケくんが居るのに、お腹が大きいのに、キョーコさんは私の2歩も3歩も先を行ってしまう。

 「今日はおごりね。こんど、龍仁にお礼してもらわなきゃ。」

 「ありがとうございます。」

 キョーコさんは会計を済ませると、私の背中をポンと叩いた。
 街並みはすっかり変わってしまったけど、ここに居る私は10年前の青春真っ只中を生きていた私そのものに生まれ変わっていた。