夕方五時十五分、国道を横切る信号に彼がいる。今日もとっても素敵、めちゃくちゃ格好いい。神様お願い、私に少しでいいから勇気をください、それから、ほんの少しでいいから時間をください。
ギターを背負った彼が見えた。もうすぐ信号を渡る。急げ私!
 どこの誰かも、年齢も、名前も知らない。だけど、彼がここを通るたびに私は心が震える。たぶん私、恋してる。
「あの!」
 通り過ぎようとする彼に向かって思い切って声をかけた。一心に見つめていると、彼は私をまっすぐに見つめてくる。鼓動が早い。冬の海みたいに澄んだ瞳に思わず吸い込まれそう。どうしよう、声が出ない。頑張れ、勇気を出して言うんだ私!
「あ、あの! 私、冬月波音です。あの、あの……私と、友達になってくれませんか」
「え、俺と?」
「はい! あなたと」
「それはいいけど」
「本当? 嬉しい……!」
 いやだ、心の声がダダ漏れだ。こんなに高揚したのは初めてかも!
「えっとあなたは……東中の生徒さん……ですか?」
「春日湊、東中三年」
「同い年だ! よろしくね、湊君」
 嬉しい。ずっと憧れていた湊君と友達になれた! 半ば強引な感じだったけど、それはもう仕方がない。だって私には時間がないのだ。一秒だって無駄にできない。
 あんまりにも緊張したからあのあと熱を出しちゃった。
 湊君と一緒にギターを弾きたくて、お小遣いの全部を使って自分でも買える値段のギターを買った。お父さんのだって嘘ついちゃった。だって、買ったと知られたら気持ち悪がられるかもしれないでしょ? 湊君の演奏は素敵。私は全然上手く弾けない。指もすごく痛くなるし、ギターって難しい。この前、むきになって練習したら二日間も寝ちゃった。気をつけなきゃ。湊君には風邪引いたって言おう。
 湊君の演奏に合わせて、歌ってみる。私の好きなポップスだ。他にも湊君は自分でも作曲するみたい。すごい、天才! 弾き語りとか素敵だなって妄想したけど、湊君は歌詞を書くのが苦手なんだって、もったいない。すごく素敵な曲だから、私が歌詞をつけたいな。
 歌詞を考えるってことにかこつけて、湊君をデートに誘っちゃった! 私ったらなんて大胆なことをしたんだろう。やばい、眠れない、でも眠い。寝たくない。
 結局あっという間に寝てしまった。私の体は眠るのが大好きみたい。本当に恨めしい。約束の時間に遅れたくなくて早く来ちゃった。湊君、ちゃんと来てくれるかな。来て、くれるよね?
 十五分前、湊君の姿を見つけた。やばい、めちゃくちゃ嬉しい! デート、嫌じゃなかったかな。それとも、楽しみにしてくれてた?
 行ってみたかったお店に片っ端から立ち寄ってみる。湊君は嫌な顔一つせずに付き合ってくれる。買い物はできない。天国には何も持っていけないから。形に残るものは欲しくない。残ったものには私の思い出が残って、お母さんがきっと泣くから。
 お昼ご飯は行ってみたかった駅ナカのお店に行くことにした。エスカレーターを降りてアパレルショップを抜けると水色と白が基調になった店が見えてくる。
 店の中には俺たちくらいの中高生が多かった。こんなところで友達と話すのが夢だった。そこにデートに来られるなんて、最高すぎて顔がにやけちゃうよ。しかも湊君と一緒だなんて、神様ありがとう!
 空いている席を探しているとボックス席に座っている女の子がこちらを見て手を振った。私の知り合いなわけない。隣を見ると湊君が片手をあげて答えていた。
「あ! 春日じゃん、デート?」
「彼女いたっけ?」
「内緒で付き合ってたんじゃん、わりとビックニュース!」
 湊君のクラスメイトだ。興味深そうな目で私を見ている。デートたけど彼女じゃないし、湊君も反応に困っている。
「彼女じゃないけどデートだよ」
 そうだよね、私なんかが彼女だって勘違いされたら嫌だよね。同い年くらいの女の子、ちょっと怖い。でも勇気を出さなきゃ。湊君のために!
「あ、あの、私湊君のお友達で、ちょっと模擬デートに付き合ってもらってるんです」
 そうだよ、これは歌詞を作るためのデートだから。湊君は、私の我がままに付き合ってくれてるだけだ。
「模擬デート? そっかそっか、よくわからいけど春日とこんなとこで会うなんてびっくりしたよね。ここで会ったことはみんなに黙っておくから、デート楽しんで!」
 湊君のクラスの女の子はほっとしたような声でそう言って、自分たちの会話に戻った。
 湊君の日常には、あの子たちがいる。当たり前に学校に行って、友達とたわいない話をして、ふざけ合って、時々喧嘩して。誰かを好きになる。私には縁のない世界。それが湊君の日常だ。私との時間は、湊君の人生のほんの一瞬に過ぎない。私は、一瞬すれ違うだけの存在なんだ。
「波音、あそこが空いてる」
 そんなことを考えていると湊君が私の肩を叩いた。だめだよ、今日は、今は笑顔でいなきゃ。明るい波音を演じるの。
 お昼ご飯の後もう一つ我がままを言った。家の近くにある神社に行ってみたいって。近すぎて私は行ったことがなかった。この辺に住む子どもたちは遠足とかで行くんだって。だから余計に足が遠のいていたのかもしれない。家族じゃない誰かと行ってみたかったから。
 湊君はふたつ返事で快諾してくれて、一緒に電車に乗ってくれたのに。私ったら途中で寝ちゃったんだって。目が覚めたら自分のベッドの上にいて、全部が都合のいい夢だったんじゃないかって思った。リビングに行ったらお母さんが湊君が家まで連れてきてくれたんだって教えてくれた。デートが現実だったんだってわかって嬉しかったけど、同じ分だけ落胆した。私ったら本当に最低だ。湊君の貴重な時間を奪ってばっかり。我がままばっかり。ひとりじゃなんにもできないくせに。
 眠っているうちにあれから何日も経っちゃった。今更なんて謝ったらいいんだろう。湊君は呆れちゃったかも、怒ったかも。もう、会いたくないって思ったかも。でも、私は嫌だ。このまま消えたくない。私は我がままだから、湊君とちゃんと話したい。メッセージじゃだめ、電話でもだめ。ちゃんと自分の声で、顔を見て伝えたい。
 もしかしたらいつもの場所でギターの練習をしているかもしれない。そう思ったらいてもたってもいられなくなって、私は家を飛び出した。
 信号を渡って、国道沿いの道を必死に走る。どうか、湊君に会えますように!
「いた……」
 湊君はいつもの場所でギターを抱えていた。ノートになにか書きとってる。
「連絡できなくてごめん! ちょっと調子崩してて……でももう元気! あの日、帰りに寝ちゃってごめんなさい」
 思わず涙がでる。普通じゃない自分がすごく情けなくて、申し訳なくて。
「呆れたよね、嫌いになったよね、あのまま連絡もしなくて……」
 身勝手に湊君を振り回した。きっと湊君は呆れている。腹を立てているかもしれない。恐る恐る顔をあげると、湊君はほっとしたような顔をしていた。
「呆れてないし、嫌いになってもいない」
「本当? 怒ってもない?」
「怒るわけない。正直、不安だったのは俺の方だ。波音からの連絡がなかったから、嫌われたかと思った。来てくれて嬉しかった」
 湊君の言葉があまりに優しくて、どうしようもなく涙が出てくる。波の音が全然聞こえてこない。泣きたくないのに、笑顔でいたいのに。
「ごめん、泣かせた」
「違うの、これは嬉しいから……。嬉しくて、ほっとして泣いてるの」
「そうか、でも泣かせたことに違いはないよな。波音、俺は笑ってほしいよ、君に笑ってほしい」
「笑って……」
「そう、波音には笑顔の方が似合う」
 嬉しい。でも笑わなきゃって思うと上手く笑えない。
「いやだな、上手く笑えない」
「ごめん、無理しなくていい。波音はそのままでいいよ。笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣くのがいい」
「湊君……」
今すぐ、大好きって伝えてしまいたい。でもだめ、私の気持ちは重すぎる。
 今日、全部話そう。湊君に隠していたすべてを明かそう。私は大きく深呼吸をした。
「落ち着いた?」
「うん。取り乱しちゃってごめん、恥ずかしいな」
「いいよ。全然恥ずかしくない」
「湊君は優しいね」
「そんなことない、普通だ」
 波音はふふって嬉しそうに笑った。いつもの波音だ。いや、いつもよりも少し影がある。なんとなく、これが本当の波音の姿なのではないか、そんな気がした。
「ギター弾いて湊君」
「いいよ、何がいい?」
「なんでもいい、湊君が好きな曲」
 波の音に合わせて、湊君がギターを優しく鳴らす。幸せだ。この音があれば、私はいつだって幸せになれる。
「おーい湊―!」
 国道沿いから声がした。私も知ってる女の子だ。この前お店で会ったクラスメイトのひとり。確か、小学校が一緒だった。同じクラスだったけど、話をする機会は一回もなかった。思わず湊君の陰に隠れる。
「なんか用?」
「今日も模擬デート?」
「今日はギター練習」
「ふーん、じゃあまた明日ねー!」
「おー」
 だめだ。湊君の日常が怖い。そこで私のことが明かされたらと思うと、たまらなく恐ろしい。
「もう帰ったよ」
「隠れたりしてごめん」
「いいや、あいつのこと怖いの? 苦手? 小学校が一緒だったって聞いたけど」
 湊君の言葉に私は肩を落とした。もしかしたら、私のことを聞いたかもしれない。まともに学校に通うことのできない生徒だったって。湊君に追及されたらどうしよう。決心が揺らぐ。そんな形で明かしたくないと思ってしまう。
「あの子だけってわけじゃないんだけど。苦手っていうんじゃないんだけど、なんか緊張しちゃって」
「そっか。そういうこともあるよな」
 湊君はそれだけ言って再びギターを弾く。少しアップテンポな曲だ。もしかしたら、私を勇気づけようとしてくれているのかもしれない。湊君はそれ以上何も聞かない。
 ありがとう湊君。
「あのね湊君、私、湊君に話しておかないといけないことがあるの」
「話しておかないといけないこと?」
「うん」
 少しずつ潮が満ちてきている。砂浜を黒く染める波がすぐそばまで迫ってくる。まるで君にはもう時間がないよって告げてくるみたい。
「私、脳の病気で、一日にたくさん起きていられないの。子供のころから睡眠時間が長くて、調べて分かったんだけど、少しずつ少しずつ、私が活動できる時間が短くなってる。この前みたいに一日中外にいたりすると、三日くらい寝続けちゃうんだ」
 普通とは違うって明かすことがすごく辛い。いつだったか病院で私はかわいそうだって言われたから。湊君はなんて思うだろう。私を、かわいそうだって思うかな。
「だんだん学校に行けなくなって、時々行ってもすごい腫物扱いで、体育の授業とか受けたことないし、遠足も修学旅行も行けなかった。友達って呼べるクラスメイトはひとりもできなかったし、勉強にもついていけなくなって、学校に行くのがつらくなって。中学はもう全然行ってない。だから、同じくらいの年の子に会うと余計に緊張しちゃうんだ。この子たちは、私とは全然違う輝く世界で生きてるんだって」
 湊君の日常は、私とは縁遠い。私は何一つ普通じゃいられなかった。普通に学校に行けなくて、行事にも授業にも参加できなくて、普通に勉強もできないし、普通に友達って呼べる子もいない。そんな勇気が出なかった。私は、世界に受け入れてもらうにはあまりに弱虫だ。
「じゃあ、勇気を出してくれたんだな。俺に声をかけてくれた時」
 ハッとした。湊君の言葉が、星みたいに輝く。キラキラと私の中に落ちてきて、あたたかな明かりを灯す。
「うん……めちゃくちゃ勇気出したよ。そのあと熱だして寝込んじゃうくらい」
 そうだ、私は一度だけ勇気をだした。湊君と、出会いたかったから。友達になりたかったから。
「ありがとう」
 嬉しかった。私の振りしぼったちっぽけな勇気を湊君が喜んでくれたから。湊君と一緒にいるといつも心があたたかくなる。鼓動が早くなる。もっともっと、伝えたい言葉がある。だけど、それは言えない。
「あのね、私、たぶんあと少ししか湊君に会えないと思うんだ」
 私は大きく深呼吸して、冷たい冬の空気を吸い込んだ。言わなきゃ、大事なことを。
「私、生きられて十五歳までかなって言われてたの。もうすぐ、最後の誕生日が来ちゃう」
「え……」
「眠りが深くなるたびに呼吸も浅くなって、もうすぐきっと二度と目覚めなくなるんだって」
「そんなの……」
 湊君の顔がゆがむ。本当はこんな顔をさせたくない、笑っていてほしい。それなのに、私は湊君を笑わせることなんかできない。わかっていたのに、初めに声をかけたときから、別れを覚悟していなきゃいけなかったのに。それなのに。
「毎年誕生日が来るのが怖かった。本当に怖くて怖くて、時が止まればいいのにって、明日が来なければいいのにって。それでも当たり前のように時間は過ぎて、私はもうすぐ十五歳になる」
 私はどこまでも我がままだ。どうしても、最後の誕生日を湊君と迎えたい。
「お願いがあるんだ」
「なんでも聞く」
 湊君は優しい。お願いを断ったりしない。それがわかっていて、私は湊君を振りまわす。
「私の十五歳の誕生日、お祝いしてほしい。最後の誕生日くらい楽しみに待ちたい、幸せな気持ちで迎えたい」
 本当にこれが最後だから。
「そんな、ことでいいの」
「湊君がいてくれたら、私はなんでもできるって思えるの。お出かけだって、ギターだって、歌を歌うことだって。湊君がいたら、私は最強だから」
 私がそういうと、「じゃあ波音、俺のお願いも聞いて」って湊君もお願いをしてきた。
いいよ、なんでも聞きたい。私に叶えられることがあるなら、なんでも叶えてあげたい。だって湊君は、私の大好きな人だから。
「俺が渡した曲、歌詞が出来たら波音が歌った音源がほしい」
「え、それは恥ずかしい。湊君以外の前で歌ったことないし、誰かに聞かれたら恥ずかしい」
「誰にも聞かせない。約束する」
「それなら……いっかな。誕生日の日までに用意しとくね、歌詞はもうかけてるんだ」
 歌詞は書けている。いつか渡さなきゃって思いながら、渡せなかった。だって、歌詞を見たら一目瞭然だから。私が、湊君に恋をしていることが。
「うん、楽しみにしてる」
「神社に行きたいな。実は何気に一回も行ったことがないの、人が多くて疲れちゃうからって連れて行ってもらったことなくて」
「俺が連れて行ってやる。途中で眠たくなったら背負うから」
「寝たくないな。そのまま起きられなかったらショック死する」
「なら、眠たくならないように楽しいことをたくさんやろう。波音がやりたかったこと全部」
「うん、ありがとう!」
 本当にありがとう湊君。私、あなたに出会えて本当に本当に幸せだ。
「そろそろ暗くなる、家まで送るよ」
「湊君、自転車?」
「そうだけど」
「私、一度後ろに乗ってみたかったんだ」
「そんなのお安い御用だ」
 こんな我がまままで答えてくれる。湊君は止めてあった自転車の鍵を外すと、荷台に乗るように促した。自転車に乗ること自体初めてだよ、ちょっと緊張する。湊君と出会ってから、初めてのことばっかりだ。この短い時間の間に、私は一生分の初めてを経験したかもしれない。
「乗って、ちょっと硬いけど」
「大丈夫、コートがモコモコだから」
 わたしを後ろに乗せてた湊君はゆっくりと自転車をこぐ。このまま、ずっと一緒にいられたらいいのに。だけど現実はそうはいかない。踏切を渡るとあっという間に私の家が見えてくる。嫌だ、一秒でも長く、湊君と一緒にいたいのに。
「湊君ありがとう、私の我がままに付き合ってくれて」
「波音が我がままだったことなんて一度もないよ」
「でも、私、色々なことを叶えてもらった。湊君の貴重な時間をたくさん奪って」
「奪われてない。波音との時間は、俺にとって大事な時間だよ。買い物や一緒に昼飯食べたりするのや、ギターの練習だって、こうして波音を家まで送る時間だって、一緒にいられる時間は俺にとって何ものにも代えがたい時間だよ」
 それ、本当? 湊君も、私と同じ気持ちでいてくれた? そうだったら嬉しい。湊君が、少しでも私といた時間を楽しいと思っていてくれたら、たまらなく嬉しい。
「湊君、二十八日に会おうね、おやすみなさい」
 湊君に会えるのはあと一度きり。
「待って」
 玄関の取っ手に手をかけたところで呼び止められる。振り返ると、湊君は何か言葉を飲み込んで、「ごめん、なんでもない」って笑った。
「うん、またね」
 家に帰ると、USBを取りだす。形に残るものは渡したくない。そう思っていたけれど、少しもで私のことを覚えていてほしいと思ってしまう。ひとつだけ、ひとつだけ渡してもいいかな。私が、この世界に存在していたよって証に。
 歌を録音したとたんに瞼が重くなる。
 二十八日はあっという間にやってきた。だって寝てたんだから当たり前。起きられてよかった、神様ありがとう。今日は十五回目の最後の誕生日。
「湊君、お待たせ! 早く来たつもりだったのに先越された!」
 一秒でも早く会いたくて急いで約束の場所に行ったら、湊君はもう来ていた。
「波音待たせるの嫌だったから」
「もっと早く来ればよかった、そうしたら湊君といられる時間が長くなったのに」
 湊君も同じ気持ちでいてくれたらいいな。
「ほら、過ぎたことよりこれからのことを考えるぞ。早く船に乗ろう」
 初めて船に乗る。神社にある島に足を踏み入れる。全部が初めてのことで、見るものすべてにワクワクする。
「波音、誕生日おめでとう」
 階段を上って小高い場所で休んでいるときに湊君はバッグから何かを取り出した。USBだ。
「これ、誕生日プレゼント。何がいいか悩んだけど、曲にした」
 信じられない。湊君が私のために曲を作ってくれた。こんなに嬉しいプレゼント、もらったことないよ。
「これ、私のために作ってくれた曲?」
「そうだよ、波音だけの曲。だから他の誰にも聞かせないで」
「もったいないよ、絶対素敵な曲なんだから」
「波音が聞いて素敵だなって思ってくれたら嬉しいから」
「ありがとう! めちゃくちゃ嬉しい。じゃあ私、今夜からこれをかけて寝るね。そうしたら、夢の中で湊君に会えるかも。これは私からのプレゼント、約束の音源。私の歌入り! 恥ずかしいから家に帰ってから聞いてね」
 優しい湊君は、歌を聞いたら泣いてくれるかもしれない。泣いてほしくない。笑顔でいてほしい。
「わかった、ありがとう」
「ありがとう湊君、私、こんなに嬉しかった誕生日は初めて。いつもは怯えていたから。私ね、何度も何度も思ったの。どうして私は普通じゃないんだろうって」
「普通か普通じゃないかなんて、誰にも決められないよ。俺から見て波音は普通の女の子だ。笑って、泣いて、悩んで、俺や周りのみんなと何も変わらない」
 どうして、湊君はいつも私が欲しい言葉をくれるんだろう。
「そう、かな。そうだったらいいな。私、弱虫で、泣き虫だけど」
 ふふって笑うと、湊君は真剣な顔をしていた。まっすぐに見つめられて、心臓がドキリと跳ね上がる。
「好きだよ」
 今、なんて言ったの? 頭が真っ白になる。
「そんな波音のすべてが俺は好きだ」
 嬉しい、私も大好き。初めて声をかけたあの時から、踏切で見かけたときから、ずっとあなたに恋をしてきた。私には、湊君に答える資格なんてない。だけと、資格がなくても、どうしても伝えたい。きっと、次はもうないから。
「私も、私も大好き」
 瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。思いの大きさと同じ分だけ、涙がこぼれてしまう。
 消えたくないって縋りたい。だけどだめなんだ。湊君は私の願いを何でも叶えてくれるヒーローだから。
 叶わない願いを伝えたくない。だから代わりに、私の想いの全てを湊君に伝えたい。
「大好きだよ、湊君」
 消えたくない。ずっと一緒にいたい。これからの未来を一緒に描きたい。
 それが叶わないことは、私が一番良くわかっている。
「私、生まれ変わったら湊君の歌を歌うね。絶対絶対、また湊君の前に現れるから」
 そんな奇跡が起こらないことを、きっと湊君もわかっている。
「俺は必ず波音を見つけるよ」
 毎晩湊君の曲を聞こう。来世の私が覚えていられるように。音楽は、天国にだって持っていける。
「わかるかな」
「わかるよ、わからないわけないだろ」
「うん、またね」
「またな」
 きっともう会えない。泣くな、涙を見せたらだめだ。最後は、笑顔で別れたい。だって、笑顔を覚えていてほしいから。

 神様、最後のお願いです。私を、もう一度湊君に会わせてください。

 そんな願いが叶わないことは、知っている。