僕らが初めて出会った日のことを、君は覚えてくれているだろうか。
 尋ねれば、君はきっと満面の笑みを浮かべて「もちろん」と答えてくれるに違いなかった。君はとても優しく、そして仕事熱心な人だから。

 もっとも、尋ねることなんて、僕には絶対にできないけれど。

「おはよう、ライカ」

 考えごとに耽っていた頭が、ふと現実に引き戻される。
 穏やかな声――君の声。瞼を開くと、澄んだ君の瞳が眼前に覗いた。

 ……おはよう、美しい人。
 キュウ、と音を出してみせると、君は今日も晴れやかに笑う。
 その笑みを見るたび、身体の芯が軋むように震えては痛む。

 君たちと同じ言葉で声を発せるなら。
 あるいは、君たちが使っている……〝文字〟だったか、あれを綴れたなら。
 何度も夢を見た。そのたび、諦念とともに憧憬が深まるばかりだった。

 君だけが僕の生きる理由だ。水族館というちっぽけな箱の中で、本能を打ち捨ててでも生を繋ぎたいと願う理由。
 君への憧憬が、故郷への憧憬を上回って久しい。このままここで暮らし続け、人間たちに愛想を振り撒きながら、いずれ朽ちていくのも悪くない。最期に君に看取ってもらえるなら、なおさら。

 朝の世話を終えて離れていく君の背を、じっと見つめる。
 あの背を包み込む腕があったなら、と、もう何度想像したか分からない。
 人になりたいわけではない。君に、僕の同胞になってほしいわけでも……それでも。

 今日も、僕はただ、狭苦しいこの箱の中をひたすらに泳ぎ続けるしかない。
 日々堆積を繰り返し、いつかその重みで窒息してしまうのではと不安になるほどまでに募った想いを、ごまかしては蹴散らすために。

〈了〉