「ねぇ、一緒に帰らない?」
「え?」
日直だった私は、1人教室に取り残されているはずだった。
それなのに、なぜか目の前には1週間前に一緒に帰った神楽くんが佇んでいる。
先ほど、神楽くんも鞄を背負って下校したはずなのに。
一日中、暇さえあれば彼を目で追っていたからわかる。確かに彼は帰った。
「ダメかな?」
首を傾げて尋ねてくる様子さえ、可愛く思えてしまう。
「いいけど・・・」
「じゃあ、帰ろ!」
机に置かれた手を取られそうになったので、慌てて手を机の下へとしまう。
手を触れられでもしたら、私が常人よりも冷たいことがバレる。
反射的に避けてしまったので、頭は追いつかず、弁明の言葉が見当たらない。
恐る恐る顔を上げると、彼は何ともないような表情のままだった。
(よかった。気付かれてはいない)
「か、帰ろっか」
「・・・うん」
何か言いたげな様子だったが、あえて気付かないふりをして神楽くんよりも先に教室を出る。
普段は賑わっている廊下も放課後はがらんっと変わって静か。
誰もいない廊下に、上履きの擦った足音が2つ聞こえる。
1つはは自分の。もう1つは、私の後ろを歩く彼のもの。
廊下に取り付けられた窓から校舎へと入り込んでくる夕日。
オレンジ色の光が、私たちの影を歪に作り出す。
距離を空けて歩く2人の男女の影を。他人が今の私たちを見たら、何を思うのだろう。
恋人には絶対に見えない。むしろ、こんなに距離を空けて歩いていたら、友達にすら見えないかもしれない。
ただ廊下を歩いている他人同士にも見えてしまう。
「あのさ・・・」
「ん?」
振り向くと、夕日に顔半分照らされた状態で神楽くんが立ち止まっていた。
何かを言いたげな様子が、ひしひしと言葉がなくとも伝わってくる。
唇をグッと堪え、苦しそうにも見えてしまう。
「どうしたの?」と言いかけたところで、彼が言葉を発した。
それは、私がこの世で1番聞きたくない言葉だった。
人生で2度目の絶望が私を襲ったんだ。
「白雪病って知ってる?」
「え、どうして・・・」
「んー、聞いたことあるかなってさ」
悲しみと安堵が入り混じった目が私を見つめる。
いつバレてしまったのだろう。バレないように偽りの自分を見せ続けてきたのに。
親友の結衣でさえ、バレてはいないのに一体どうして彼が...
様々な思惑が頭の中を駆け巡るが、一向に答えは導き出せない。
動揺しているのか胸の高鳴りが収まらない。徐々に心臓の鼓動も早くなっている気がする。
「い、いつから・・・」
「んー、そうだね。半年くらい前かな、ちょうど夏くらいだったな」
そんなに前から気付いていたのか。もしかすると、夏なのに長袖のシャツを着用していたからだろうか。
いや、私の他にも長袖シャツのクラスメイトは、ちらほらといた気もするが。
他に不審な点は、今のところ思い当たらない。
「そ、その何が原因でわかったの」
「なんかさ、夏なのに肌寒かったんだよね。寒かったから、長袖に変えても全然変わらなかったし」
そうなんだ。神楽くんも長袖を着ていたのか。
何だろう。先ほどから、噛み合っているようで話の根本自体が違うような違和感。
確かに彼は『白雪病』と口にした。でも、それは私のことではなくまるで、自分のことのように話している。
一瞬嫌な考えが、頭をよぎったがすぐに無かったことにしようと打ち消した。
絶対にあってはならない。そんな残酷なことが、あってはならないんだ。
だから、どうか違うと言ってください神様。
私の片想いをしている相手が、『白雪病』の患者でありませんように...
「ねぇ、神楽くんってもしかして・・・」
「ここまでいえば、わかるよな。俺さ、白雪病何だわ」
私の願いは儚く砕け散ってしまった。
神様を恨んだのは、人生で2回。1回目は、自分の病気が発覚した時。
もう1回は、片想いの相手が自分と同じ病を患っていた時。
絶望を通り越して、真っ先に『死』が頭をよぎってしまった。
「なんで私に話してくれたの」
「なんでかな。足立さんなら、話しても変わらなそうだったからかな。憐れむこともなく、いつも通り俺と関わってくれそうだから。勝手な俺の想像だけどね」
嬉しそうにニカッと笑う彼の顔が見てられなかった。
どうして、そんなに嬉しそうに笑えるの。白雪病は1年以内に必ず亡くなる。
それなのに、なんで...あなたは今も楽しそうに生きていられるの。
全て吐き出したかった。今抱えている想いも、私の白雪病を患っていることも、全て打ち明けることができたら、少しは気が楽になったかもしれない。
でも、言えなかった。理由は自分でもわからない。
ただ目の前にいる彼をこれ以上悲しませたくはなかった。
きっと、彼も誰もいないところで独り静かに涙を流した夜もあるだろう。
クラスメイトでしかない私たちだが、知り合いが亡くなってしまうのは誰だって辛い。
話したことがない人でも、同じ時間を共に過ごした仲間だと思うと、少しくらいは心が揺らいでしまうものだから。
私の弱い心から目を背けただけなのに...その現実に気が付きたくない自分がいるのも紛れも無い事実。
「白雪病ってのは、治るんだよね?」
あたかも知らないふりをする。自分も同じだとバレないためには、嘘をつくしかない。
彼には申し訳ないけれど、私は死ぬまで誰にも自分の病のことは言わない。
「治らないよ。余命宣告されてるしね」
「余命宣告・・・」
「うん。あとどれくらい生きられるのか忘れちゃったや。まだ数ヶ月は生きられるはずだと思う」
数ヶ月...ということは、少なくとも私より先に亡くなることはなさそうだ。
少しの安堵の影に潜む大きな薄暗い感情。
止めどなく溢れる負の感情を止めようにも抑えきれない。
表情に出ていないか不安になるが、神楽くんの様子を見た限り変化はなさそう。
「そ、うなんだね」
「ごめんな。急に重たい話しちゃってさ。でも、足立さんには伝えておきたかったんだ。俺が生きていたということを覚えていて欲しかったから」
「覚えているよ」
当たり前だよ。覚えているに決まってる。だって、あなたは私の片想いの相手なのだから。
一生伝えることのない想いを抱えて私は、残り数週間を生き抜くと決めた。
残酷な決断だったかもしれない。でも、いずれ確実に消えてしまう命なら、伝えなくてもいいことだってあるんだ。
相手も自分も苦しむだけの恋なんて、いっその事叶わない方がいいのだから。
神楽くんは、私にあなたの生きた証を覚えてほしいと言ったね。でも、私のことは忘れてほしい。
あなただけには忘れられたいよ。だって、そうしないと苦しくて仕方がないから。
もっと生きていたいと思ってしまう。まだまだあなたの隣で生きていたいと望んでしまうから。
何もかも諦めたはずの人生に、光が灯るのは嬉しいこと。
嬉しいけれど...私たちには時間がないの。
だからさ、私のことは忘れてね。
伝えることのできない想いを抱えて、夕日が沈む空へと足を進めた。
いつの間にか廊下に差し込む夕日は消えかかり、夜がすぐそこまで迫っていた。
私たちの寿命と同じように何もかもを無に返してしまう真っ暗な夜が...
「え?」
日直だった私は、1人教室に取り残されているはずだった。
それなのに、なぜか目の前には1週間前に一緒に帰った神楽くんが佇んでいる。
先ほど、神楽くんも鞄を背負って下校したはずなのに。
一日中、暇さえあれば彼を目で追っていたからわかる。確かに彼は帰った。
「ダメかな?」
首を傾げて尋ねてくる様子さえ、可愛く思えてしまう。
「いいけど・・・」
「じゃあ、帰ろ!」
机に置かれた手を取られそうになったので、慌てて手を机の下へとしまう。
手を触れられでもしたら、私が常人よりも冷たいことがバレる。
反射的に避けてしまったので、頭は追いつかず、弁明の言葉が見当たらない。
恐る恐る顔を上げると、彼は何ともないような表情のままだった。
(よかった。気付かれてはいない)
「か、帰ろっか」
「・・・うん」
何か言いたげな様子だったが、あえて気付かないふりをして神楽くんよりも先に教室を出る。
普段は賑わっている廊下も放課後はがらんっと変わって静か。
誰もいない廊下に、上履きの擦った足音が2つ聞こえる。
1つはは自分の。もう1つは、私の後ろを歩く彼のもの。
廊下に取り付けられた窓から校舎へと入り込んでくる夕日。
オレンジ色の光が、私たちの影を歪に作り出す。
距離を空けて歩く2人の男女の影を。他人が今の私たちを見たら、何を思うのだろう。
恋人には絶対に見えない。むしろ、こんなに距離を空けて歩いていたら、友達にすら見えないかもしれない。
ただ廊下を歩いている他人同士にも見えてしまう。
「あのさ・・・」
「ん?」
振り向くと、夕日に顔半分照らされた状態で神楽くんが立ち止まっていた。
何かを言いたげな様子が、ひしひしと言葉がなくとも伝わってくる。
唇をグッと堪え、苦しそうにも見えてしまう。
「どうしたの?」と言いかけたところで、彼が言葉を発した。
それは、私がこの世で1番聞きたくない言葉だった。
人生で2度目の絶望が私を襲ったんだ。
「白雪病って知ってる?」
「え、どうして・・・」
「んー、聞いたことあるかなってさ」
悲しみと安堵が入り混じった目が私を見つめる。
いつバレてしまったのだろう。バレないように偽りの自分を見せ続けてきたのに。
親友の結衣でさえ、バレてはいないのに一体どうして彼が...
様々な思惑が頭の中を駆け巡るが、一向に答えは導き出せない。
動揺しているのか胸の高鳴りが収まらない。徐々に心臓の鼓動も早くなっている気がする。
「い、いつから・・・」
「んー、そうだね。半年くらい前かな、ちょうど夏くらいだったな」
そんなに前から気付いていたのか。もしかすると、夏なのに長袖のシャツを着用していたからだろうか。
いや、私の他にも長袖シャツのクラスメイトは、ちらほらといた気もするが。
他に不審な点は、今のところ思い当たらない。
「そ、その何が原因でわかったの」
「なんかさ、夏なのに肌寒かったんだよね。寒かったから、長袖に変えても全然変わらなかったし」
そうなんだ。神楽くんも長袖を着ていたのか。
何だろう。先ほどから、噛み合っているようで話の根本自体が違うような違和感。
確かに彼は『白雪病』と口にした。でも、それは私のことではなくまるで、自分のことのように話している。
一瞬嫌な考えが、頭をよぎったがすぐに無かったことにしようと打ち消した。
絶対にあってはならない。そんな残酷なことが、あってはならないんだ。
だから、どうか違うと言ってください神様。
私の片想いをしている相手が、『白雪病』の患者でありませんように...
「ねぇ、神楽くんってもしかして・・・」
「ここまでいえば、わかるよな。俺さ、白雪病何だわ」
私の願いは儚く砕け散ってしまった。
神様を恨んだのは、人生で2回。1回目は、自分の病気が発覚した時。
もう1回は、片想いの相手が自分と同じ病を患っていた時。
絶望を通り越して、真っ先に『死』が頭をよぎってしまった。
「なんで私に話してくれたの」
「なんでかな。足立さんなら、話しても変わらなそうだったからかな。憐れむこともなく、いつも通り俺と関わってくれそうだから。勝手な俺の想像だけどね」
嬉しそうにニカッと笑う彼の顔が見てられなかった。
どうして、そんなに嬉しそうに笑えるの。白雪病は1年以内に必ず亡くなる。
それなのに、なんで...あなたは今も楽しそうに生きていられるの。
全て吐き出したかった。今抱えている想いも、私の白雪病を患っていることも、全て打ち明けることができたら、少しは気が楽になったかもしれない。
でも、言えなかった。理由は自分でもわからない。
ただ目の前にいる彼をこれ以上悲しませたくはなかった。
きっと、彼も誰もいないところで独り静かに涙を流した夜もあるだろう。
クラスメイトでしかない私たちだが、知り合いが亡くなってしまうのは誰だって辛い。
話したことがない人でも、同じ時間を共に過ごした仲間だと思うと、少しくらいは心が揺らいでしまうものだから。
私の弱い心から目を背けただけなのに...その現実に気が付きたくない自分がいるのも紛れも無い事実。
「白雪病ってのは、治るんだよね?」
あたかも知らないふりをする。自分も同じだとバレないためには、嘘をつくしかない。
彼には申し訳ないけれど、私は死ぬまで誰にも自分の病のことは言わない。
「治らないよ。余命宣告されてるしね」
「余命宣告・・・」
「うん。あとどれくらい生きられるのか忘れちゃったや。まだ数ヶ月は生きられるはずだと思う」
数ヶ月...ということは、少なくとも私より先に亡くなることはなさそうだ。
少しの安堵の影に潜む大きな薄暗い感情。
止めどなく溢れる負の感情を止めようにも抑えきれない。
表情に出ていないか不安になるが、神楽くんの様子を見た限り変化はなさそう。
「そ、うなんだね」
「ごめんな。急に重たい話しちゃってさ。でも、足立さんには伝えておきたかったんだ。俺が生きていたということを覚えていて欲しかったから」
「覚えているよ」
当たり前だよ。覚えているに決まってる。だって、あなたは私の片想いの相手なのだから。
一生伝えることのない想いを抱えて私は、残り数週間を生き抜くと決めた。
残酷な決断だったかもしれない。でも、いずれ確実に消えてしまう命なら、伝えなくてもいいことだってあるんだ。
相手も自分も苦しむだけの恋なんて、いっその事叶わない方がいいのだから。
神楽くんは、私にあなたの生きた証を覚えてほしいと言ったね。でも、私のことは忘れてほしい。
あなただけには忘れられたいよ。だって、そうしないと苦しくて仕方がないから。
もっと生きていたいと思ってしまう。まだまだあなたの隣で生きていたいと望んでしまうから。
何もかも諦めたはずの人生に、光が灯るのは嬉しいこと。
嬉しいけれど...私たちには時間がないの。
だからさ、私のことは忘れてね。
伝えることのできない想いを抱えて、夕日が沈む空へと足を進めた。
いつの間にか廊下に差し込む夕日は消えかかり、夜がすぐそこまで迫っていた。
私たちの寿命と同じように何もかもを無に返してしまう真っ暗な夜が...