予鈴に合わせるように、数人のクラスメイトが教室へと流れ込んでくる。

彼らの額には煌めく汗が、窓から差し込む光に反射して輝く。

こんな些細な単なる日常の一部でさえ、青春に感じられてしまう。

彼らにとってはただの日常に過ぎないが、私にはかけがえのない一日。

いつこの日常が崩れ去ってしまうかわからないのだ。

もちろん、怖さはある。いつ自分の足で歩けなくなるのか、いつ視界から光が失われてしまうのか。

度重なる不安の数を数えても仕方のないことだが、数えずにいられないのはどうしてなのだろう。

教室内で交わされる「おはよう」という四文字。

あと何回私はこの挨拶を口にすることができるのだろうか。

最近では、そんなネガティブなことばかり考えてしまう。

あと何回...普通の人が考えることのないことばかりを。

「・・・ね。琴音(ことね)!」

肩を揺さぶられた衝撃で、現実世界へと引き戻される。

伸びたきた手を追うように視線を流す。

「ん?」

隣の席に座っている私の親友・古川結衣(ふるかわゆい)が凄まじい形相で、私のことを見つめていた。

「ん? じゃないよ! 琴音、問題当てられてるよ!」

「えっ!」

教室の前方にある真っ黒だったはずの黒板が、無数の白い文字で埋め尽くされている。

気付けば朝のホームルームは終わってしまい、一時間目の数学が始まってしまっていた。

黒板が文字で埋め尽くされているのとは対照的に、私の机の上に置かれた板書用のノートはまっさらなまま。

数分の記憶が抜け落ちたというよりも、単純に自分の世界に入り込んでぼーっとしていたのだろう。

「ほら、早く行かないと!」

黒板には数問が書かれており、各問題につき回答者が前に出て黒板に直接チョークを手にして書いている。

結衣が指差す問題の隣には、私の出席番号の17という数字が書かれていた。

昔から勉強だけは苦手ではなかったが、問題の概要を知っているのと知っていないのとでは訳が違う。

もちろん、話を聞かずにぼーっとしていた私が悪いのだけれど...

結衣に背中を押されるように、椅子から立たされ黒板へと突き出される。

なぜ、そんなに促すのか私は知っている。結衣は数学が1番苦手な教科だから。

私が結衣に答えを聞くことを予想していたのだろう。でも、結衣には解けなかったに違いない。

だから、私が聞くよりも先に黒板へと向かわせたのだ。

なかなか酷いと思うが、小さい頃から結衣はこのままなので今更なんとも思わない。

彼女の他の良さを私は世界中の誰よりも身近な親友という立ち位置で見てきたから。

私が困っている時、見知らぬ他人が困っている時。どんな時でも彼女は、自分を後回しにして他人を優先してしまうほどのお人よしなのだ。

今回はその対象外だったらしい。申し訳ないが、結衣はあまり勉強が得意ではない。

定期テストも常に赤点ギリギリを彷徨っており、中でも数学は毎回補習対象者リストに名前を連ねる。

押された背中から手が離れたので後ろを振り向くと、親指をグッと立てた彼女が微笑んでいた。

これから私は、途方に暮れるというのになんて無責任な笑顔なのだろうか。

後で何か仕返しをしようと考えながら、黒板に書かれた数式に目を向ける。

暗算では解く事が難しそうな問題が、私の前に立ちはだかる。

それでも考え続けなければならない。少しだけ歩くスピードを落として、頭の中で問題を解く。

「おーい、足立(あだち)。どうした、早く前へ出てきて問題を解いてくれ」

「は、はい。ご、ごめんなさい!」

あぁ、もうだめだ。何も考えられない。

このまま「聞いてませんでした」で済ませるのは、簡単なことだ。

でも、どうしてもそれだけはしたくない。

皆にとっては何気ない数学の授業だが、私にはあと何回...

「先生。俺、解いちゃったや」

「ん? なんだ間違って解いたのか?」

「うん。てっきりこの問題全部俺が解くのかと思ってさ」

「まぁ、いいか。そんなことより、先生にタメ口をするな」

「えー、先生話しやすいからさ」

「だめなもんはだめだ。たまにくらいなら許す。さ、席に戻れよ〜」

「はーい」

彼が席へと戻る瞬間、目が合った。

しかし、すぐさまその視線は逸らされてしまった。

まるで、私のことを鼻から認識などしていないとでも言うように。

その場に立ち尽くしたままの私。

数秒間停止してしまった状態の私を引き戻してくれたのは、またしても親友の声だった。

今度は一度目ではっきりと現実世界へと引き戻された。半強制的に...