とうとうこの日がやってきてしまった。
余命0日。私の命が終わりを迎えるとされた日が。
正直、ここがどこかはわからない。
たぶん、どこかのベッドの上なのだろうが、視覚が奪われ、手足の感覚も全くない。
覚えている記憶では、昨日の下校中に結衣と2人で歩いている時が最後の記憶。
声にならない叫びが聞こえたのだけは覚えている。
きっと私が突然倒れたことで、結衣が発した叫びだったのだろう。
これで、結衣にも私の病気のことがバレてしまったに違いない。
倒れた私の体は、驚くほど冷たかっただろうから...
ベッドの中で、手を動かそうにも氷漬けされてしまったみたいにぴくりとも動きやしない。
正常に動いているのは、心臓だけなのかもしれない。
でも、その心臓もあと数時間もしたら凍るようにゆっくりと活動を停止してしまう。
氷の銅像のように安らかに綺麗なまま私は眠りにつくのだ。
ガラッと扉が開く音が聞こえてくる。どうやら、耳だけは心臓と同様に機能しているらしい。
スリッパのような床の上を引きずる足音が2つ聞こえる。
ピタッと私のベッドの前で止まる足音。
目を開きたい。開きたいが、瞼まで凍ってしまっているのか光を取り入れることも許されない。
ピクピクっと瞼が動きはするものの一向に開く気配はなさそう。
「・・・足立さん」
「・・・・・」
「えっ」と声を出したかった。口がモゴモゴと動くだけで、私の声は彼の元へは届いてはくれない。
ガチガチに固められた口。息を吸うこともできないので、必然的に鼻呼吸になってしまう。
鼻から空気を取り込んで、一旦気持ちを落ち着かせる。
そんなはずはない。絶対にあるはずがない。でも、確かに聞こえた。
私が好きだった人の声。間違えるはずがない。
一体どうして、彼の声が聞こえるの。もしかして、彼は生きているの...
「琴音」
あぁ、この声は何度も私を支えてくれた人の声。
辛い時も楽しい時も常に小さい頃から共に過ごし、育ってきた人。そして、最後まで真実を伝えることができずに裏切ってしまった相手。
「私の話聞いてくれる?」
頷くことも手を握ることもできない。ただ黙って話を聞いていることしか、私にはできない。
「今ね、私の隣には水川くんもいるの。2人とも酷いよ。親友の私たちに病気のこと黙っているなんて。琴音も神楽くんも私たちを悲しませないようにするために黙ってたんだよね。わかってる。わかってるけど、やっぱり残される私たちは話して欲しかったと思うし、何より1人で抱え込まないで話して欲しかった。先に謝っとく、琴音が苦しんでいるのに気が付けなくてほんっとうにごめん!」
(そんなことないよ。私の方こそ謝ることばかりなのに...)
話すことの出来ないもどかしさばかりが、心の中に蓄積されていく。
伝えたい想いは山ほどあるのに、伝えられない。
散々伝えるチャンスはあったのに、逃げていたのは自分自身だとひどく痛感させられる。
「苦しかったよね。辛かったよね。人生に絶望したよね。1人でよく頑張ってきたね」
辛かった。苦しかった。寂しかった。そして、生きる希望さえも失った。
でも、全てが嫌だったわけではない。だって、神楽くんに出会うことができたから。
私の我儘かもしれないが、彼には私よりも少しだけ長く生きて欲しかった。
「足立さん・・・」
聞き覚えのある声が、ポツリと呟かれる。
声に覇気がなく、聞いただけで彼の心の内を容易に想像できてしまう。
「あまり話したことないけど、俺のことわかる?水川です。玲王の親友の・・・」
(あぁ、水川くんまで来てくれたの。まだ心の傷が癒えていないのに、また知人を失くすことに・・・ごめんね)
「実はさ、今日俺がここに来たのは、玲王に行くよう言われてさ。だから、ここに来たんだ」
(え、神楽くんが?)
何かのチャックが開かれた音の後に、ガサゴソと何かを探す音が聞こえる。
「玲王のお母さんから俺宛の手紙を貰ったんだ。この手紙の最後にこう書かれててさ『一生のお願いがある。この音声を足立さんに聞かせてほしい。きっと白雪病の患者は、最後は聴覚しか残らなくなると思うから。だから、俺はメッセージを残す。それを足立さんが亡くなる前に聞かせてほしい。頼む、親友の一生の頼みだ』ってさ。ずるいよな。こういう時に、親友って言われたら断りきれないだろ?」
ズズズっと鼻を啜る音が聞こえる。きっと、手紙の内容を思い出しているのだろう。
よかった。目が開けなくて。今、水川くんの顔を見てしまったら、私まで貰い泣きしてしまう自信しかない。
「なんで泣いてるのよ」
「な、泣いてねぇーから!」
さすが私の親友。しんみりした場面でも、的確なツッコミは健在のようだ。
私の思惑が結衣にでも伝わったかのようなテンポの良さに笑みが溢れそうになる。
心では笑っていても表情に出ないのが寂しいよ。
それにしてもいつから2人はこんなに仲良くなったのだろうか。
私の記憶では、2人が話している姿など1度も見かけたことがなかったのに。
もしかすると、2人は意外と相性がいいのかもしれない。もしくは、同じ病で親友を失うもの同士、私の知らない繋がりがあるのかもしれない。
そうだとしても、私は嬉しく思う。互いの痛みを知り、受け止める。そんな間柄、私と神楽くんにもできたかもしれないのに、私たちは互いに過酷で孤独な道を選んだ。
2人にはそうはなってほしくはないな。2人の間だけでもいいから、私と神楽くんが生きた記憶を忘れないでほしい。
たまにでもいいから、思い出してくれるだけで私たちは...
「・・・・・足立さん」
ブワッと全身に衝撃が迸る。電流を体に流したかのような凄まじい衝撃。
(この声は・・・神楽くん)
「今、足立さんは耳しか聞こえない状態だよね。だから、定番な手紙ではなく音声メッセージにしたんだ。俺さ、実は足立さんが『白雪病』だってこと知ってたよ。ずっと足立さんのことを見ていたからわかるんだ。そこまで寒くもない日に、震えている足立さんもポケットに数えきれないほどカイロを入れているのも知ってた。初めて足立さんを見たのは、1年前だったかな・・・」
(1年前・・・ちょうど私の余命が発覚した頃だ)
いつどこで見かけたのだろう。去年はまだ中学3年生だったため、中学校も別々のはず。
病院で偶然会っていたとしても、記憶に残るような行動を取った覚えは一切ない。
むしろ、毎日が絶望的でどんよりとしたオーラを放っていたのに。
「1年前、僕は君に恋をした」
(え、嘘でしょ。神楽くんが私を・・・)
「僕はあの日、余命宣告をされて1週間が過ぎたくらいだったかな。生きる希望を無くした俺は、気付いたら歩道橋の上に立ってたんだ。真下は車が行き交う4車線の道路。落ちたら、間違いなく死が迫っていたと思う。一瞬、脳裏をよぎったんだ。どうせ、死ぬことは決まっているんだから、少し早くなるくらいだって。無意識のうちに、歩道橋の手すりに手をかけていた。今思えば、ゾッとするほど背筋が凍ったし、不思議と手すりの金属が普段の何十倍も冷たかった。そんな時に、声をかけてくれたのが足立さんだったんだよ」
(私が・・・)
確かに1年前くらいに歩道橋の上で、誰かに声をかけたのは覚えていた。でも、それが神楽くんだったとは。
あの時はまだ、私は白雪病と診断されていなかった。少し体調が優れないなとは思っていた気がするが...
目の前で今にも落ちそうな雰囲気の人がいたから声をかけたんだ。
でも、なんと声をかけたかは覚えていない。ありきたりなことしか言っていないような気もするが...
確かあの時...
「覚えていたら嬉しいけど、きっと忘れてるよね。あの日、飛び降りようとしていた俺に、君はこう言ったんだ。『私たちも花のように美しく咲いて散っていくのかな〜』って。最初は、この人何言ってんだよって思った。けどさ、なぜか目が惹かれたんだよ。なんでそんな悲しいこと言うんだよ。俺は余命宣告されてるのに、あんたは明日も確実な未来を生きていけるんだろって。だから、ついムキになって言っちゃったんだ。『もう生きたくないんだよ。あんたには分からないだろって』って。そしたら、君は『花は自然と枯れるから美しい。あなたも最後まで諦めないで生きてみたら?』って言われたんだ」
思い出した。あの時の私は、彼に対してなんの感情も抱いてなかった。ただ、自分の手で命を終わらせるのは、なぜだかもったいない気がして、話しかけたんだった。
今思うと死を選ぼうとしている人に対してかける言葉ではなかったなと反省する。
彼には生きる希望になったかもしれないが、他の人が聞いたら「冷たい」と思われ、余計に死を選びたくなるかもしれない。
「高校で再会した時は驚いた。当の本人は俺のこと覚えてもいなそうだった。それに、あの時の俺と同じ雰囲気を纏っていた。人生に絶望して何もかもを諦めてしまったあの頃の自分のように。それから、ずっと足立さんのことを見守ってきた。暑い日も寒い日もずっと・・・だから、僕にはわかってしまった。足立さんが自分と同じ病を患っていることに。極め付けは、手を繋いだ時」
(え、手を繋いだ時? バレるはずはなかったのに。だって、私の手よりも神楽くんの方が冷たいから・・・)
「足立さんの手は温かった。でも、熱くはなかった。常人の人の手は俺らには熱いんだよ。知ってた?俺、家族と朝握手をするのが日課だったんだ。自分の体温が1日でどれくらい下がったのか、握手をするだけでわかるから。昨日よりも熱いと感じれば低下してる。感じなければ、昨日と同じ。だから、分かっちゃったんだ。足立さんの手が熱くはなくて、自分よりも少しだけ温かいということに」
そうだったんだ。バレていたんだね。私もあなたと同じ病を患っていたことに。
私もね、驚いたんだよ。知ってた?
あなたと私が同じ病気に蝕まれていると知った時、どんな気持ちだったか...
苦しかった。好きになった人が、私と同じで未来に希望を描くこともできないことを恨んだよ。
でも、裏を返せば、神様が私たちを巡り合わせてくれたのかもしれないね。
同じ病気に苦しむ孤独な者同士を引き合わせてくれた。
命を奪い取る代償に、私たちが巡り合う運命を神様は授けてくれたんだ。
(神楽くん。私あなたに伝えないといけないことがあるの・・・)
最後まであなたに伝えることができなかったことを。
耳を澄ますと、ザーッという音声と2人の啜り泣く声が聞こえてくる。
(ありがとう2人とも。そして、結衣にはたくさん迷惑をかけたのに、何一つ恩返しができなかったや。本当にごめんね。たくさんのありがとうを私にくれた結衣には、感謝しかないよ。だから、親友の最後の頼みを聞いてくれる? 絶対に幸せになってね!)
声にならない私の想い。声が出なくても、きっとこの想いは全て結衣へと伝わっているだろう。
長年私の側にいてくれた彼女なら、こんな時私が何を想うかなどお見通しのはずだから。
でも、できたならしっかり声で伝えたかったな...
「足立さん、もうすぐで僕のメッセージは終わるからさ、最後にあなたに伝えたいことがあります」
(なに?)
「俺はあなたのことがずっと好きでした。伝えてはいけないと思っていたけれど、最後だからいいよね?足立さんのおかげで俺は、今日まで生きられた。足立さんからすると、何気ない一言だったかもしれない。でも、俺には生きてみよう。この人みたいに強く、諦めずに生きてみようと思えた。だから、ありがとう。共に過ごした時間は、長くはなかったけれど、あなたに出会えて俺は幸せでした。先に彼方の世界に向かってます。今度は、あなたの手を絶対に話さないから。それじゃ、さようなら・・・」
泣きたい。涙を流して、この感情を解き放ってしまいたい。
それなのに、私の目からは一滴の涙も流れてはこない。
(私たち・・・両片想いだったんだね。互いにこの想いを告げてはいけないと思ってたんだ。告げてはいけないことはわかってはいたけれど、少しだけ後悔してしまうよ。だって、『好き』と言えていたら、私たちの人生はまた変わっていたかもしれないから・・・)
「これで、終わりだってさ。よかったね、琴音。神楽くん、琴音のこと好きだったみたいだよ。だからさ・・・琴音もさ、し、幸せになるんだよ・・・」
涙交じりの結衣の震えた声。安心したのか、徐々に意識がぼんやりと遠のいていく。
不思議な感覚だった。体は凍えるほど冷たいのに、体の中心部...心はなぜかポカポカと温かい。
まるで、誰かに心を手のひらでそっと包まれているかのようなホッコリとした温かさ。
いつの日か、彼と話したことを思い出す。
『バイバイは別れの言葉』
今がその時だよね。あの日、あなたに伝えられなかった想いと言葉を送ります。
どうか、天国にいるであろうあなたに届いてくれますように。
もし、届かなかったとしても、私ももうすぐそちらへ行きます。
暫しの別れです...
(神楽くん。私もあなたのことが大好きだよ。それじゃ、バイバイ!)
スッーっと体から力が抜け落ち、目から一滴の涙がこぼれ落ちた。
冷え切った全身を溶かすほど温かな涙が頬を伝い、枕に涙の染みを作る。
花は咲いては枯れる。私の命も16歳という人生に花を咲かせ、散った。
満開とまではいかなかったが、私なりに満足のいく人生だったと思う。
全てはあの日、声をかけてくれたあなたのおかげで、私は幸せだった。
道路に積もった雪は溶け始め、春の訪れを感じさせる温かな空気が地上に舞い降りてきた。
これから始まる温かな季節の到来。私と彼が待ち望んでいた温かな1年の始まりの季節が...
余命0日。私の命が終わりを迎えるとされた日が。
正直、ここがどこかはわからない。
たぶん、どこかのベッドの上なのだろうが、視覚が奪われ、手足の感覚も全くない。
覚えている記憶では、昨日の下校中に結衣と2人で歩いている時が最後の記憶。
声にならない叫びが聞こえたのだけは覚えている。
きっと私が突然倒れたことで、結衣が発した叫びだったのだろう。
これで、結衣にも私の病気のことがバレてしまったに違いない。
倒れた私の体は、驚くほど冷たかっただろうから...
ベッドの中で、手を動かそうにも氷漬けされてしまったみたいにぴくりとも動きやしない。
正常に動いているのは、心臓だけなのかもしれない。
でも、その心臓もあと数時間もしたら凍るようにゆっくりと活動を停止してしまう。
氷の銅像のように安らかに綺麗なまま私は眠りにつくのだ。
ガラッと扉が開く音が聞こえてくる。どうやら、耳だけは心臓と同様に機能しているらしい。
スリッパのような床の上を引きずる足音が2つ聞こえる。
ピタッと私のベッドの前で止まる足音。
目を開きたい。開きたいが、瞼まで凍ってしまっているのか光を取り入れることも許されない。
ピクピクっと瞼が動きはするものの一向に開く気配はなさそう。
「・・・足立さん」
「・・・・・」
「えっ」と声を出したかった。口がモゴモゴと動くだけで、私の声は彼の元へは届いてはくれない。
ガチガチに固められた口。息を吸うこともできないので、必然的に鼻呼吸になってしまう。
鼻から空気を取り込んで、一旦気持ちを落ち着かせる。
そんなはずはない。絶対にあるはずがない。でも、確かに聞こえた。
私が好きだった人の声。間違えるはずがない。
一体どうして、彼の声が聞こえるの。もしかして、彼は生きているの...
「琴音」
あぁ、この声は何度も私を支えてくれた人の声。
辛い時も楽しい時も常に小さい頃から共に過ごし、育ってきた人。そして、最後まで真実を伝えることができずに裏切ってしまった相手。
「私の話聞いてくれる?」
頷くことも手を握ることもできない。ただ黙って話を聞いていることしか、私にはできない。
「今ね、私の隣には水川くんもいるの。2人とも酷いよ。親友の私たちに病気のこと黙っているなんて。琴音も神楽くんも私たちを悲しませないようにするために黙ってたんだよね。わかってる。わかってるけど、やっぱり残される私たちは話して欲しかったと思うし、何より1人で抱え込まないで話して欲しかった。先に謝っとく、琴音が苦しんでいるのに気が付けなくてほんっとうにごめん!」
(そんなことないよ。私の方こそ謝ることばかりなのに...)
話すことの出来ないもどかしさばかりが、心の中に蓄積されていく。
伝えたい想いは山ほどあるのに、伝えられない。
散々伝えるチャンスはあったのに、逃げていたのは自分自身だとひどく痛感させられる。
「苦しかったよね。辛かったよね。人生に絶望したよね。1人でよく頑張ってきたね」
辛かった。苦しかった。寂しかった。そして、生きる希望さえも失った。
でも、全てが嫌だったわけではない。だって、神楽くんに出会うことができたから。
私の我儘かもしれないが、彼には私よりも少しだけ長く生きて欲しかった。
「足立さん・・・」
聞き覚えのある声が、ポツリと呟かれる。
声に覇気がなく、聞いただけで彼の心の内を容易に想像できてしまう。
「あまり話したことないけど、俺のことわかる?水川です。玲王の親友の・・・」
(あぁ、水川くんまで来てくれたの。まだ心の傷が癒えていないのに、また知人を失くすことに・・・ごめんね)
「実はさ、今日俺がここに来たのは、玲王に行くよう言われてさ。だから、ここに来たんだ」
(え、神楽くんが?)
何かのチャックが開かれた音の後に、ガサゴソと何かを探す音が聞こえる。
「玲王のお母さんから俺宛の手紙を貰ったんだ。この手紙の最後にこう書かれててさ『一生のお願いがある。この音声を足立さんに聞かせてほしい。きっと白雪病の患者は、最後は聴覚しか残らなくなると思うから。だから、俺はメッセージを残す。それを足立さんが亡くなる前に聞かせてほしい。頼む、親友の一生の頼みだ』ってさ。ずるいよな。こういう時に、親友って言われたら断りきれないだろ?」
ズズズっと鼻を啜る音が聞こえる。きっと、手紙の内容を思い出しているのだろう。
よかった。目が開けなくて。今、水川くんの顔を見てしまったら、私まで貰い泣きしてしまう自信しかない。
「なんで泣いてるのよ」
「な、泣いてねぇーから!」
さすが私の親友。しんみりした場面でも、的確なツッコミは健在のようだ。
私の思惑が結衣にでも伝わったかのようなテンポの良さに笑みが溢れそうになる。
心では笑っていても表情に出ないのが寂しいよ。
それにしてもいつから2人はこんなに仲良くなったのだろうか。
私の記憶では、2人が話している姿など1度も見かけたことがなかったのに。
もしかすると、2人は意外と相性がいいのかもしれない。もしくは、同じ病で親友を失うもの同士、私の知らない繋がりがあるのかもしれない。
そうだとしても、私は嬉しく思う。互いの痛みを知り、受け止める。そんな間柄、私と神楽くんにもできたかもしれないのに、私たちは互いに過酷で孤独な道を選んだ。
2人にはそうはなってほしくはないな。2人の間だけでもいいから、私と神楽くんが生きた記憶を忘れないでほしい。
たまにでもいいから、思い出してくれるだけで私たちは...
「・・・・・足立さん」
ブワッと全身に衝撃が迸る。電流を体に流したかのような凄まじい衝撃。
(この声は・・・神楽くん)
「今、足立さんは耳しか聞こえない状態だよね。だから、定番な手紙ではなく音声メッセージにしたんだ。俺さ、実は足立さんが『白雪病』だってこと知ってたよ。ずっと足立さんのことを見ていたからわかるんだ。そこまで寒くもない日に、震えている足立さんもポケットに数えきれないほどカイロを入れているのも知ってた。初めて足立さんを見たのは、1年前だったかな・・・」
(1年前・・・ちょうど私の余命が発覚した頃だ)
いつどこで見かけたのだろう。去年はまだ中学3年生だったため、中学校も別々のはず。
病院で偶然会っていたとしても、記憶に残るような行動を取った覚えは一切ない。
むしろ、毎日が絶望的でどんよりとしたオーラを放っていたのに。
「1年前、僕は君に恋をした」
(え、嘘でしょ。神楽くんが私を・・・)
「僕はあの日、余命宣告をされて1週間が過ぎたくらいだったかな。生きる希望を無くした俺は、気付いたら歩道橋の上に立ってたんだ。真下は車が行き交う4車線の道路。落ちたら、間違いなく死が迫っていたと思う。一瞬、脳裏をよぎったんだ。どうせ、死ぬことは決まっているんだから、少し早くなるくらいだって。無意識のうちに、歩道橋の手すりに手をかけていた。今思えば、ゾッとするほど背筋が凍ったし、不思議と手すりの金属が普段の何十倍も冷たかった。そんな時に、声をかけてくれたのが足立さんだったんだよ」
(私が・・・)
確かに1年前くらいに歩道橋の上で、誰かに声をかけたのは覚えていた。でも、それが神楽くんだったとは。
あの時はまだ、私は白雪病と診断されていなかった。少し体調が優れないなとは思っていた気がするが...
目の前で今にも落ちそうな雰囲気の人がいたから声をかけたんだ。
でも、なんと声をかけたかは覚えていない。ありきたりなことしか言っていないような気もするが...
確かあの時...
「覚えていたら嬉しいけど、きっと忘れてるよね。あの日、飛び降りようとしていた俺に、君はこう言ったんだ。『私たちも花のように美しく咲いて散っていくのかな〜』って。最初は、この人何言ってんだよって思った。けどさ、なぜか目が惹かれたんだよ。なんでそんな悲しいこと言うんだよ。俺は余命宣告されてるのに、あんたは明日も確実な未来を生きていけるんだろって。だから、ついムキになって言っちゃったんだ。『もう生きたくないんだよ。あんたには分からないだろって』って。そしたら、君は『花は自然と枯れるから美しい。あなたも最後まで諦めないで生きてみたら?』って言われたんだ」
思い出した。あの時の私は、彼に対してなんの感情も抱いてなかった。ただ、自分の手で命を終わらせるのは、なぜだかもったいない気がして、話しかけたんだった。
今思うと死を選ぼうとしている人に対してかける言葉ではなかったなと反省する。
彼には生きる希望になったかもしれないが、他の人が聞いたら「冷たい」と思われ、余計に死を選びたくなるかもしれない。
「高校で再会した時は驚いた。当の本人は俺のこと覚えてもいなそうだった。それに、あの時の俺と同じ雰囲気を纏っていた。人生に絶望して何もかもを諦めてしまったあの頃の自分のように。それから、ずっと足立さんのことを見守ってきた。暑い日も寒い日もずっと・・・だから、僕にはわかってしまった。足立さんが自分と同じ病を患っていることに。極め付けは、手を繋いだ時」
(え、手を繋いだ時? バレるはずはなかったのに。だって、私の手よりも神楽くんの方が冷たいから・・・)
「足立さんの手は温かった。でも、熱くはなかった。常人の人の手は俺らには熱いんだよ。知ってた?俺、家族と朝握手をするのが日課だったんだ。自分の体温が1日でどれくらい下がったのか、握手をするだけでわかるから。昨日よりも熱いと感じれば低下してる。感じなければ、昨日と同じ。だから、分かっちゃったんだ。足立さんの手が熱くはなくて、自分よりも少しだけ温かいということに」
そうだったんだ。バレていたんだね。私もあなたと同じ病を患っていたことに。
私もね、驚いたんだよ。知ってた?
あなたと私が同じ病気に蝕まれていると知った時、どんな気持ちだったか...
苦しかった。好きになった人が、私と同じで未来に希望を描くこともできないことを恨んだよ。
でも、裏を返せば、神様が私たちを巡り合わせてくれたのかもしれないね。
同じ病気に苦しむ孤独な者同士を引き合わせてくれた。
命を奪い取る代償に、私たちが巡り合う運命を神様は授けてくれたんだ。
(神楽くん。私あなたに伝えないといけないことがあるの・・・)
最後まであなたに伝えることができなかったことを。
耳を澄ますと、ザーッという音声と2人の啜り泣く声が聞こえてくる。
(ありがとう2人とも。そして、結衣にはたくさん迷惑をかけたのに、何一つ恩返しができなかったや。本当にごめんね。たくさんのありがとうを私にくれた結衣には、感謝しかないよ。だから、親友の最後の頼みを聞いてくれる? 絶対に幸せになってね!)
声にならない私の想い。声が出なくても、きっとこの想いは全て結衣へと伝わっているだろう。
長年私の側にいてくれた彼女なら、こんな時私が何を想うかなどお見通しのはずだから。
でも、できたならしっかり声で伝えたかったな...
「足立さん、もうすぐで僕のメッセージは終わるからさ、最後にあなたに伝えたいことがあります」
(なに?)
「俺はあなたのことがずっと好きでした。伝えてはいけないと思っていたけれど、最後だからいいよね?足立さんのおかげで俺は、今日まで生きられた。足立さんからすると、何気ない一言だったかもしれない。でも、俺には生きてみよう。この人みたいに強く、諦めずに生きてみようと思えた。だから、ありがとう。共に過ごした時間は、長くはなかったけれど、あなたに出会えて俺は幸せでした。先に彼方の世界に向かってます。今度は、あなたの手を絶対に話さないから。それじゃ、さようなら・・・」
泣きたい。涙を流して、この感情を解き放ってしまいたい。
それなのに、私の目からは一滴の涙も流れてはこない。
(私たち・・・両片想いだったんだね。互いにこの想いを告げてはいけないと思ってたんだ。告げてはいけないことはわかってはいたけれど、少しだけ後悔してしまうよ。だって、『好き』と言えていたら、私たちの人生はまた変わっていたかもしれないから・・・)
「これで、終わりだってさ。よかったね、琴音。神楽くん、琴音のこと好きだったみたいだよ。だからさ・・・琴音もさ、し、幸せになるんだよ・・・」
涙交じりの結衣の震えた声。安心したのか、徐々に意識がぼんやりと遠のいていく。
不思議な感覚だった。体は凍えるほど冷たいのに、体の中心部...心はなぜかポカポカと温かい。
まるで、誰かに心を手のひらでそっと包まれているかのようなホッコリとした温かさ。
いつの日か、彼と話したことを思い出す。
『バイバイは別れの言葉』
今がその時だよね。あの日、あなたに伝えられなかった想いと言葉を送ります。
どうか、天国にいるであろうあなたに届いてくれますように。
もし、届かなかったとしても、私ももうすぐそちらへ行きます。
暫しの別れです...
(神楽くん。私もあなたのことが大好きだよ。それじゃ、バイバイ!)
スッーっと体から力が抜け落ち、目から一滴の涙がこぼれ落ちた。
冷え切った全身を溶かすほど温かな涙が頬を伝い、枕に涙の染みを作る。
花は咲いては枯れる。私の命も16歳という人生に花を咲かせ、散った。
満開とまではいかなかったが、私なりに満足のいく人生だったと思う。
全てはあの日、声をかけてくれたあなたのおかげで、私は幸せだった。
道路に積もった雪は溶け始め、春の訪れを感じさせる温かな空気が地上に舞い降りてきた。
これから始まる温かな季節の到来。私と彼が待ち望んでいた温かな1年の始まりの季節が...