昨日の余韻が消えない。消えそうにない。
1日経ったはずなのに彼女と握った方の手は温かさを帯びている。
そんなことを考えているうちに、もうすぐ夜になる。いや、夜になってしまった。
今日、彼女は消えるのか、はたまた消えないのかは誰にもわからない。
ただ、いつか確実に消えてしまうのは確かだ。
僕は昨日のうちに言いたいことは彼女に全て言ったつもりだ。
あの観覧車の中で。「ありがとう」も「見守ってる」も。
――それに「好き」も。
だから今日は会いに行かないかもしれない。だって、最後の姿を間近で見なければいけないのは僕にとってはとっても辛いことだから。
僕は何も考えることなく自分の部屋から綺麗に夜空を照らす月を見ていると、スマホの着信音が僕の世界になにかを刻んだ。
ラインが来たみたいだ。雫から。
ボイスメッセージが届いている。だから、僕はそのボイスメッセージを再生した。
『橙季くん、もうすぐ月下美人が咲きそうなの! 私、勝てそうなの! 今すぐ来て!』
一瞬、悪い方の知らせかと思って心臓をバクバクさせていたけれど、そうではなかったことにどこか安心してしまう。
ただ、彼女からの『今すぐ来て!』という強いメッセージを聞き、体が脳の反応を待つことなく気づけば外に出ていた。
彼女は月下美人との戦いに勝つのだ。月下美人を見てから自分の人生を終えることができるのだ。きっとそれは彼女が望んでいた最後の願いなんだと思う。
だから、本当は今日は会いに行かない予定だったけれど、一瞬でその予定を崩してしまった。もしかしたら、その月下美人が咲いてしぼんだ後に彼女もすぐにそれを追うようにしてしぼんでしまうかもしれないけれど、今はまだ彼女は大丈夫。まだ、大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせる。
国道の方に出るとちょうどお客さんを下ろしているところのタクシーを見つけたので、僕はそのお客さんが下りたのを確かめてからそのタクシーの運転手さんに乗せてほしいとすぐにお願いした。その運転手さんは少し驚いた表情をしたけれど、どうぞと言ってすぐにドアを開けた。ただ、僕の今の所持金は急いで家を出たのもあって1000円程しかない。これだと病院までもつか微妙だ。
信号で車が止まるとその度に足をバタつかせてしまう。病院まではあと500メートルほど。そしてタクシーのメータはあと1回上がってしまえば1000円ちょうどだ。たぶん、足りない。
タクシーのメータが上がる。1000円と表示される。
僕はこれ以上乗ることは出来ないため、安全な所にタクシーを止めてもらい1000円をぴったりと支払った。あと病院までは300メートルほど。全速力で走れば1分かからないだろう。
病院にちょうどついた時に、雫からのラインが来た。
『病院にある公園にいる』
と。だから僕は病院には入らずに病院に併設されている公園に向かった。確かに公園の方に近づくと一人の少女が見えた。真っ暗闇の中にいる、たった一人の少女だ。どこかのおとぎ話から出てきたような人の後ろ姿だった。
僕は5メートルほど離れたところから彼女の名前を呼ぶ――雫、と。
すると彼女は振り向く。その顔は珍しくどこか寂しそうにも思えた。ふと、彼女の足元を見ると、植木鉢のようなものがあった。あの植木鉢だ。
――その植木鉢には、月下美人が咲いていた。
白く、美しい月下美人が。この夜を照らすかのように。光を放つかのように。
「橙季くん――」
そして、彼女の瞳もそれに負けないぐらいの光を放っていた。
「咲いたよ、月下美人。でも、さ――」
彼女は月下美人が先にしぼむこと望んでいたはずなのに、あまり嬉しそうではなく、むしろ寂しそうだった。今にも泣きそうな顔をしている。涙という雫が垂れそうな顔をしている。
「――私もさ、今日、しぼむんだって」
彼女は今、たしかに自分が今日、❝しぼむ❞とを言った。
たった一言だったけれど、確実に僕の耳には❝しぼむ❞という単語が入った。
彼女はそれから続けた。しぼむ際に見られるような数値が今日の朝の検査で出てしまったようだ。そして病院の先生たちもこれ以上は手を尽くせないと。やっぱりその日は今日だったと。
――彼女に今できることは❝しぼむ❞のを待つことしか出来ないと。
「少し前まで、家族と話してた。でも、最後はなぜだか君と終えたいと思ったから『1人で最後を終えたい』って家族に嘘のお願いをしてここに来た。君を家族に紹介する事もできたのかもしれないけど、それはやめておいた。仮に私の彼氏だったら紹介してたかもしれないけど、それには、まだ時間が足りなかったな、ごめんね……」
僕は今、どの言葉に反応すればいいのかわからない。なんと言えばいいのか、分からない。最後を僕と終えたいと言ってくれたことに「ありがとう」と感謝を言えばいいのか、それとも時間が足りなかったことに関して、「もう少し君といたかった」と駄々をこねたことを言えばいいのか、はたまた「最後は君の家族といなよ」と提案すればいいのか。
「じゃあ、勝負は……」
結局、なんと言えばいいのかわからなかったので、話を少し別のものにした。でも、これも大切な話だ。
「しぼむまでが勝負だから、先にしぼんだほうが負け。最後まで咲いてた方が勝ち……」
「……」
そうだ。まだ勝負はついていない。今まさに勝負中なんだ。どちらも咲いているけど、どちらもしぼんではいない。でも、どちらも確実にしぼんでしまう。
「あのさ、私がしぼむ前にお願いを2つ、聞いてくれる……?」
彼女の声が段々弱々しくなってくる。段々としぼんでいっているのを感じているのかもしれない。
「うん、もちろん!」
そんな彼女のお願いを僕が拒否するはずながない。最後に僕と終えたいと彼女は言ってくれたのだから。僕は一歩前に出る。
「じゃあ……1つ目、この手紙を受け取ってください。この手紙は私がしぼんでから少し経ったら読んでほしいな」
彼女は一本指を出したあと、ポケットから封筒に入った手紙を僕に渡してきた。その封筒にははっきりと『山江橙季様』と書かれていた。確か、かつて送られてきたリストのようなものにもお世話になった人に手紙を書きたいと書かれていた気がする。そのことか。僕はそれをゆっくりと今度は自分のポケットにしまう。大切な贈り物を。
「そして2つ目、今の私の姿を動画に撮って欲しい。炉里ちゃんとかには結局最後まで言なかったから。もちろん、手紙も書いたけど最後の姿も残したいと思ったから」
次に彼女は2本指を立ててから自分のスマートフォンを渡してきた。これで自分を撮って欲しいということだろう。確かに、このことを言えなかったのならせめて自分の最後の姿だけでも見てほしい……そんな思いが込められているのだろう。僕は彼女のスマホをカメラモードにすると、撮るよと合図してから撮り始めた。
「こんにちは、持木雫です。これがたぶん皆に見てもらえる最後の姿になると思います。この映像、どこまでの人に見られるかわからないからあまりいき過ぎたことは言わないように気をつけます。でも、最後にきれいに咲いている私を見てほしいな」
彼女はそう言うと、一周くるりと回ってみせた。この声はさっきのような弱々しい声ではなくいつも通りの彼女の声のように思えた。でも、それは見てる人の事も考えて、半分❝演技❞の声なんだろう。
「私は今、この月下美人とどちらが先にしぼむかを勝負しています。今のところ五分五分って感じかな」
僕は彼女が月下美人の方に指差ししたので、カメラを月下美人の方に向ける。まだ、月下美人はさっきと変わることなく美しく咲いている。彼女もまだ。
「じゃあ、ちょっと思い出話をしようかな――」
彼女は次に思い出話を始めた。幼稚園生の頃に皆で浦島太郎の劇をしたけど台詞が飛んでしまった話や、小学校の修学旅行でお弁当を忘れてしまって同じ班の子に分けてもらった話。それに、中学生の時に親に内緒で友達と遠くの花畑に行った話。高校生である今、沢山の人に囲まれて幸せである話……色々な思い出を彼女は自分の口で語っている。
思い出話が終わると、僕に対して一旦、カメラを止めてと言ってきた。僕はその言葉を聞いてすぐにカメラを止めた。
カメラを止めたことを察知すると、彼女は初めて僕の前で涙を――いや、雫を流した。
思い出を振り返ってるうちにそういう感情が出てきてしまったのだろう。彼女はうずくまるようにして大粒の涙を流していた。
涙を流さずにはいられなかったんだろう。
「最後まで楽しむことが大切とか前に書いてたのに、私馬鹿だね……」
「いや、いいんだよ。馬鹿じゃないよ。意味のない涙じゃないんだから」
僕は持っていたハンカチで彼女の雫を拭き取る。そして、頭を優しく撫でる。
「くすぐったいよ、橙季くん……」
彼女は僕が頭を撫でたことに対して、そんなことを言ってきた。泣きながら笑ったのだ。こんな時に、そんなこと言うなよ……。
「橙季でいいよ」
「それは少し恥ずかしいな」
また、断られてしまった。今なら言ってもらえると思ったのに。
「でも、どこまでも君はずるいな……。もうすぐしぼれる私に告白してくるし、それに前に4人で炉里ちゃんの花カフェ行ってカードゲームをしたときだって、私を花に例えた時❝月下美人❞って言ったし、今だってさ……。でも――」
僕は彼女を撫でる手を止めた。それは彼女が僕の目をはっきりと見てきたからだ。こんなにも近くで彼女の瞳を見たことはなかった。彼女の瞳は僕の思っているより何倍も雫のように輝いていた。
「――最後に咲いた姿を見せられるのが、君でよかった」
僕の周りが突然、光ったような気がした。本当は光ってなんてないのに、なぜか僕には光っているようにし感じられない。
彼女の雫が溢れ出している。
僕は思わずカメラを回した。
彼女が最後に一番美しい❝花❞を咲かせているのだ。
彼女は僕に向かってとびっきりの笑顔を見せてきた。
今まで見た彼女の姿の中で一番美しかった。
彼女がこのカメラで撮られるのを嫌がろうが今は関係ない。
――僕の雫がカメラのレンズに垂れた。
「橙季くん、ありがとう……。勝負は負けたけど、最後に君と見れた花は❝月下美人❞だったね」
そして、僕の前で彼女は❝しぼんだ❞
最後に今まで見た中で一番美しい花を咲かせてからしぼんだのだ。
最後に咲いた花は――最後に君と見た花は月下美人じゃない。
❝雫❞だった。
最後に咲いた花は君だったんだ。
1日経ったはずなのに彼女と握った方の手は温かさを帯びている。
そんなことを考えているうちに、もうすぐ夜になる。いや、夜になってしまった。
今日、彼女は消えるのか、はたまた消えないのかは誰にもわからない。
ただ、いつか確実に消えてしまうのは確かだ。
僕は昨日のうちに言いたいことは彼女に全て言ったつもりだ。
あの観覧車の中で。「ありがとう」も「見守ってる」も。
――それに「好き」も。
だから今日は会いに行かないかもしれない。だって、最後の姿を間近で見なければいけないのは僕にとってはとっても辛いことだから。
僕は何も考えることなく自分の部屋から綺麗に夜空を照らす月を見ていると、スマホの着信音が僕の世界になにかを刻んだ。
ラインが来たみたいだ。雫から。
ボイスメッセージが届いている。だから、僕はそのボイスメッセージを再生した。
『橙季くん、もうすぐ月下美人が咲きそうなの! 私、勝てそうなの! 今すぐ来て!』
一瞬、悪い方の知らせかと思って心臓をバクバクさせていたけれど、そうではなかったことにどこか安心してしまう。
ただ、彼女からの『今すぐ来て!』という強いメッセージを聞き、体が脳の反応を待つことなく気づけば外に出ていた。
彼女は月下美人との戦いに勝つのだ。月下美人を見てから自分の人生を終えることができるのだ。きっとそれは彼女が望んでいた最後の願いなんだと思う。
だから、本当は今日は会いに行かない予定だったけれど、一瞬でその予定を崩してしまった。もしかしたら、その月下美人が咲いてしぼんだ後に彼女もすぐにそれを追うようにしてしぼんでしまうかもしれないけれど、今はまだ彼女は大丈夫。まだ、大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせる。
国道の方に出るとちょうどお客さんを下ろしているところのタクシーを見つけたので、僕はそのお客さんが下りたのを確かめてからそのタクシーの運転手さんに乗せてほしいとすぐにお願いした。その運転手さんは少し驚いた表情をしたけれど、どうぞと言ってすぐにドアを開けた。ただ、僕の今の所持金は急いで家を出たのもあって1000円程しかない。これだと病院までもつか微妙だ。
信号で車が止まるとその度に足をバタつかせてしまう。病院まではあと500メートルほど。そしてタクシーのメータはあと1回上がってしまえば1000円ちょうどだ。たぶん、足りない。
タクシーのメータが上がる。1000円と表示される。
僕はこれ以上乗ることは出来ないため、安全な所にタクシーを止めてもらい1000円をぴったりと支払った。あと病院までは300メートルほど。全速力で走れば1分かからないだろう。
病院にちょうどついた時に、雫からのラインが来た。
『病院にある公園にいる』
と。だから僕は病院には入らずに病院に併設されている公園に向かった。確かに公園の方に近づくと一人の少女が見えた。真っ暗闇の中にいる、たった一人の少女だ。どこかのおとぎ話から出てきたような人の後ろ姿だった。
僕は5メートルほど離れたところから彼女の名前を呼ぶ――雫、と。
すると彼女は振り向く。その顔は珍しくどこか寂しそうにも思えた。ふと、彼女の足元を見ると、植木鉢のようなものがあった。あの植木鉢だ。
――その植木鉢には、月下美人が咲いていた。
白く、美しい月下美人が。この夜を照らすかのように。光を放つかのように。
「橙季くん――」
そして、彼女の瞳もそれに負けないぐらいの光を放っていた。
「咲いたよ、月下美人。でも、さ――」
彼女は月下美人が先にしぼむこと望んでいたはずなのに、あまり嬉しそうではなく、むしろ寂しそうだった。今にも泣きそうな顔をしている。涙という雫が垂れそうな顔をしている。
「――私もさ、今日、しぼむんだって」
彼女は今、たしかに自分が今日、❝しぼむ❞とを言った。
たった一言だったけれど、確実に僕の耳には❝しぼむ❞という単語が入った。
彼女はそれから続けた。しぼむ際に見られるような数値が今日の朝の検査で出てしまったようだ。そして病院の先生たちもこれ以上は手を尽くせないと。やっぱりその日は今日だったと。
――彼女に今できることは❝しぼむ❞のを待つことしか出来ないと。
「少し前まで、家族と話してた。でも、最後はなぜだか君と終えたいと思ったから『1人で最後を終えたい』って家族に嘘のお願いをしてここに来た。君を家族に紹介する事もできたのかもしれないけど、それはやめておいた。仮に私の彼氏だったら紹介してたかもしれないけど、それには、まだ時間が足りなかったな、ごめんね……」
僕は今、どの言葉に反応すればいいのかわからない。なんと言えばいいのか、分からない。最後を僕と終えたいと言ってくれたことに「ありがとう」と感謝を言えばいいのか、それとも時間が足りなかったことに関して、「もう少し君といたかった」と駄々をこねたことを言えばいいのか、はたまた「最後は君の家族といなよ」と提案すればいいのか。
「じゃあ、勝負は……」
結局、なんと言えばいいのかわからなかったので、話を少し別のものにした。でも、これも大切な話だ。
「しぼむまでが勝負だから、先にしぼんだほうが負け。最後まで咲いてた方が勝ち……」
「……」
そうだ。まだ勝負はついていない。今まさに勝負中なんだ。どちらも咲いているけど、どちらもしぼんではいない。でも、どちらも確実にしぼんでしまう。
「あのさ、私がしぼむ前にお願いを2つ、聞いてくれる……?」
彼女の声が段々弱々しくなってくる。段々としぼんでいっているのを感じているのかもしれない。
「うん、もちろん!」
そんな彼女のお願いを僕が拒否するはずながない。最後に僕と終えたいと彼女は言ってくれたのだから。僕は一歩前に出る。
「じゃあ……1つ目、この手紙を受け取ってください。この手紙は私がしぼんでから少し経ったら読んでほしいな」
彼女は一本指を出したあと、ポケットから封筒に入った手紙を僕に渡してきた。その封筒にははっきりと『山江橙季様』と書かれていた。確か、かつて送られてきたリストのようなものにもお世話になった人に手紙を書きたいと書かれていた気がする。そのことか。僕はそれをゆっくりと今度は自分のポケットにしまう。大切な贈り物を。
「そして2つ目、今の私の姿を動画に撮って欲しい。炉里ちゃんとかには結局最後まで言なかったから。もちろん、手紙も書いたけど最後の姿も残したいと思ったから」
次に彼女は2本指を立ててから自分のスマートフォンを渡してきた。これで自分を撮って欲しいということだろう。確かに、このことを言えなかったのならせめて自分の最後の姿だけでも見てほしい……そんな思いが込められているのだろう。僕は彼女のスマホをカメラモードにすると、撮るよと合図してから撮り始めた。
「こんにちは、持木雫です。これがたぶん皆に見てもらえる最後の姿になると思います。この映像、どこまでの人に見られるかわからないからあまりいき過ぎたことは言わないように気をつけます。でも、最後にきれいに咲いている私を見てほしいな」
彼女はそう言うと、一周くるりと回ってみせた。この声はさっきのような弱々しい声ではなくいつも通りの彼女の声のように思えた。でも、それは見てる人の事も考えて、半分❝演技❞の声なんだろう。
「私は今、この月下美人とどちらが先にしぼむかを勝負しています。今のところ五分五分って感じかな」
僕は彼女が月下美人の方に指差ししたので、カメラを月下美人の方に向ける。まだ、月下美人はさっきと変わることなく美しく咲いている。彼女もまだ。
「じゃあ、ちょっと思い出話をしようかな――」
彼女は次に思い出話を始めた。幼稚園生の頃に皆で浦島太郎の劇をしたけど台詞が飛んでしまった話や、小学校の修学旅行でお弁当を忘れてしまって同じ班の子に分けてもらった話。それに、中学生の時に親に内緒で友達と遠くの花畑に行った話。高校生である今、沢山の人に囲まれて幸せである話……色々な思い出を彼女は自分の口で語っている。
思い出話が終わると、僕に対して一旦、カメラを止めてと言ってきた。僕はその言葉を聞いてすぐにカメラを止めた。
カメラを止めたことを察知すると、彼女は初めて僕の前で涙を――いや、雫を流した。
思い出を振り返ってるうちにそういう感情が出てきてしまったのだろう。彼女はうずくまるようにして大粒の涙を流していた。
涙を流さずにはいられなかったんだろう。
「最後まで楽しむことが大切とか前に書いてたのに、私馬鹿だね……」
「いや、いいんだよ。馬鹿じゃないよ。意味のない涙じゃないんだから」
僕は持っていたハンカチで彼女の雫を拭き取る。そして、頭を優しく撫でる。
「くすぐったいよ、橙季くん……」
彼女は僕が頭を撫でたことに対して、そんなことを言ってきた。泣きながら笑ったのだ。こんな時に、そんなこと言うなよ……。
「橙季でいいよ」
「それは少し恥ずかしいな」
また、断られてしまった。今なら言ってもらえると思ったのに。
「でも、どこまでも君はずるいな……。もうすぐしぼれる私に告白してくるし、それに前に4人で炉里ちゃんの花カフェ行ってカードゲームをしたときだって、私を花に例えた時❝月下美人❞って言ったし、今だってさ……。でも――」
僕は彼女を撫でる手を止めた。それは彼女が僕の目をはっきりと見てきたからだ。こんなにも近くで彼女の瞳を見たことはなかった。彼女の瞳は僕の思っているより何倍も雫のように輝いていた。
「――最後に咲いた姿を見せられるのが、君でよかった」
僕の周りが突然、光ったような気がした。本当は光ってなんてないのに、なぜか僕には光っているようにし感じられない。
彼女の雫が溢れ出している。
僕は思わずカメラを回した。
彼女が最後に一番美しい❝花❞を咲かせているのだ。
彼女は僕に向かってとびっきりの笑顔を見せてきた。
今まで見た彼女の姿の中で一番美しかった。
彼女がこのカメラで撮られるのを嫌がろうが今は関係ない。
――僕の雫がカメラのレンズに垂れた。
「橙季くん、ありがとう……。勝負は負けたけど、最後に君と見れた花は❝月下美人❞だったね」
そして、僕の前で彼女は❝しぼんだ❞
最後に今まで見た中で一番美しい花を咲かせてからしぼんだのだ。
最後に咲いた花は――最後に君と見た花は月下美人じゃない。
❝雫❞だった。
最後に咲いた花は君だったんだ。