「――あの、実は、君のことが好きなんです」

 僕にとって初めての言葉を彼女に言った。

 誰かに伝えた初めての❝好き❞という想い。

 誰かへの❝好き❞という強い想い。

 周りのほんのり甘い空気が僕を空まで持ち上げようとしている。

「橙季くん……?」

 彼女は僕の名前を呼んで、少し困ったような顔をした。

 そりゃそうだろう、雫さんとはクラスは同じとはいえ、特にこれといった特徴もない僕なんか視界になかっただろう。

 今、僕が雫さんの近くにいるのだって、たまたまチューリップを見に公園に来たところ、雫さんもいただけというある意味偶然というだけなんだから。だから、僕が想いを伝えられたのもたまたまなんだから。

「いや、そうだよね。驚くよね。クラスの人気者に僕みたいなやつが想いを伝えて」

 僕はその間が空くのがなんだか嫌でそのような言葉を独り言のような小さな声で言った。元々このようなことを言う前提だった。

 だって、雫さんは名前の名の通り美しく整っているし、皆に隔てなく優しいからクラスの中でも人気者だ。噂によれば今は付き合ってる人とかはいないみたいだけど、雫さんを狙っている男子も多いはずだ。そんなような人に僕は似合わない告白をしたんだ。

「いや、別にそうとは思ってないよ。あのさ……それって想いを伝えたいだけ? 付き合ってほしいってこと……?」

 彼女は僕の言ったことを軽く流してそう聞いてくる。確かにこれだけ言われても少し困るかもしれない。

 ただ、僕は――

「……ごめん、実はわからないんだ。でも、一緒に時を過ごしたいっていうのはあるかも……」

 僕だってここで会ったから急に想いを伝えようと決めたのだから、実際そのところは今の僕にはわからなかった。ただ想いを伝えたかっただけなのか、付き合ってほしいとかいう感情があるのか。でも、どこか一緒に時を過ごしたいとかいうのはある気がする。

「……ふふっ。ちょうどここには赤いバラが咲いているし、いいところで想いを伝えてきたねー。花好きの私としてはやけにロマンチックに感じちゃう」

 あくまで意図的にこのシチュエーションで想いを伝えたわけではないことは、彼女も十分わかっているはずだ。なのに、そのような話題を出してきた。

 赤いチューリップ(イコール)愛の告白。

 この花にはそういう花言葉がある。

 それから彼女は針に気をつけながら赤いバラに触れた。その姿が僕にとって美しいとかではとうてい表せないような見たことのない景色だった。その景色が僕の瞳にくっきりと映る。

「……ちなみに、私のどんなところが好きなの?」

 彼女は赤いチューリップを見たまま独り言のようにつぶやいた。その声はすぐに消えてしまったけれど、それは僕に向けられた言葉だと気づいて僕は口を開いた。

「美しかったり、皆に優しかったり色々あるけど……一番の理由は、学校の花壇を大切にお世話してる雫さんに……かな。あんなにも植物を大切にお世話できる人、素敵だなと思って」

 僕は好きになった理由を素直に述べた。さっきも言ったけど雫さんは美しいし優しい。でも、一番は植物を大切にする雫さん❝心❞を好きになったのだ。

「へー、そうなのか。でも、その理由だけで好きになるのはちょっと危なくない……?」

 ――危なくない……?

 そうだろうか。危ないだろうか。でも、僕はそうは思わない。植物を世話していたときのあの優しい笑顔――あの姿。僕を一瞬にして引き込んでしまったんだから。これは小さな理由かもしれないけれど、雫さんへの想いがあることだけは確かだ。

「いや、そんなことないよ」

 僕がはっきりと心の中から声を出すと、彼女は自分の顔を隠すようなしぐさをした。

 やっぱり、僕みたいな人には似合わない言葉だったのかもしれないと思った。

「あのさ、私を好きにならない方がいいよ。というか、事実を知ったらきっと好きになれないと思う」

 僕はこれが遠回しに僕からの想いを断っているものなんだと最初は思った。雫さんは優しい人だから相手を傷つけないような断り方をしているのだと。

 でも、その言い方はそういうのじゃないのかもしれないと少し経ってから思った。どこか、自分の中に重いおもりを入れてしまっているかのように思えたのだ。

「――それって、どういう……」

「特別ね、でも誰にも言わないでね」

 僕が言い終わる前に彼女が言葉を挟んできた。それから無理やり僕の小指を掴んできた。

 その手は思っていたより冷たかった。僕の温度を少し盗む。

 僕は考えもせずに、つい反射的に彼女の質問に「うん」という回答をしてしまう。

「じゃあ」

 彼女はそれから「約束」と言って掴んでいた小指を離した。

 その瞬間、なにか花の匂いがしたように思えた。でも、その匂いは一瞬にして消えてしまった。

「じゃあ、こっち来てくれる?」

「わかった」

 僕はよくわからないまま彼女についていく。

 どこかに向かっているようだけど、それがどこなのかは僕には全くといっていいほど見当がつかなかった。

 細い道を抜けて国道に入ると、車の音が僕の耳を攻撃した。僕には少し不快な音のように感じたのに、むしろ彼女はその音をちゃんと耳の中に収めているようにも思えた。なんで……だろうか。

 更に、車通りの多いところまで進んでいく。

 そして、突然曲がった。本当に、突然道を曲がった。だから僕も曲がった。

 いや、でも、こっちは、あの建物が――。

「――今の、私のすみかだよ」

 彼女はふと止まった。そして、目の前にある建物を手振りを交えて❝自分のすみか❞と表現したのだ。

 僕の友達が言ったのなら、たぶん嘘をついたりしてからかっているのだろうですまされるかもしれない。

 でも、雫さんだからこそ嘘をついているとか、からかっているとは到底思えなかった。

 ――だって、僕の目の前にあるのは❝病院❞だから。

 それも、このあたりで一番大きな総合病院。

「……」

 間接的に彼女が今どういう状況なのかはその症状の重さとかどういうものかはわからないけれど、言いたいことの意味はわかる。こんなところが私のすみかだよなんて言われたら。
 
 普通だったら、ここで驚くとか、悲しむとかいう感情が出てくるのが正常なのかもしれない。

 でも、今の僕に感情というものは存在していないような気がする。

 あえて言うのなら無。

「まあ、なんとなく理解しちゃったと思うけど……。私のすみかを紹介しようかな。歩ける?」

「……あっ、うん」

 僕が感情がなくただ立っているだけだったので、逆に彼女が僕のことを心配してきた。僕はなんとか足を動かして病院に入る。彼女は何やら手続きのようなものをし終えると、病室が多く並ぶエリアに入ってきた。

 様々な人とすれ違ったけれど、その多くが点滴のようなものと繋がっていたり、松葉杖をついていたりという人ばかりだった。そのような人を見るたびに、胸が締め付けられる。空気が薄いのか、はたまた僕の体のどこかがおかしいのか呼吸がしづらい。

「ここだよ。おまたせ」

 彼女が着いたことを知らせると、僕も止まった。ここまで歩いてきたのは自分の力じゃない気がして、止まるときにはかなりの力がいた。

『持木雫様』

 病室の前にはそう書かれていた。間違いなく今、僕の近くにいる彼女の名前だ。

 彼女はコンコンとしてから自分の病室に入っていく。

 中には誰の姿もなく、よくドラマとかで見る病室の姿が広がっていた。ベッドがあって、テレビがあってそしてテーブルがあって……。

「あー、っていうか散らかってた! 恥ずかしい!」

 彼女は病室に入るなり、ベッドの方に駆け出し、ベッドの上に散らかっていた本や服などを片付け始めた。普通のときの僕だったら、そんなの気にしないよという言葉を掛けていたかもしれないけれど、今の僕にはそのような言葉を掛けることなんて出来ない。

 彼女はベッドの上を片付け終わると、僕をその病室にあった椅子に座らせた。彼女はベッドに座っている。

「つまりさ、こういうことなんだ。すごく簡単にまとめると、私の余命はもうあと1週間になっちゃったんだよね。じゃあ、なんでこんなにも元気だし、学校にも通えてるのかっていうと、私の病気が少し特別で――❝月下美人病❞っていうものだからなんだ」

 ――月下美人病。

 月下美人は夜中に咲くように、彼女の症状も夜中のみ現れるらしい。だから、高校には通えていたり今はこうやっていつも通りに見えるけれど、夜は涙が出てしまうぐらい強い症状が襲ってくる。それで、学校が終わってから朝までこの病院に入院しているようだ。

 僕がふと違う方向を向き、その時視界に入ったゴミ箱にはいくつもの薬のゴミや、よくわからない小さな器具のようなものが捨てられていた。

 そしてまた別の方向を向くと、カレンダーが壁にかけられていた。そのカレンダーには数日前から終わった日にバツがついている。一週間ということはだいたい7個ぐらいのバツが付けば、彼女の人生に終点が来てしまうということだ。僕だったらその作業が一日のうちで一番嫌な作業になるはずだ。

「ねえ、ちなみにこの花は何?」

 僕は少しずるいなと思いながらもこの話に縛られると耐えられないと思い、別の話に移した。彼女のベッドの隣には1つの植木鉢が置かれていた。茎などはしっかりとしているがまだ花は咲いていない。僕の見たことがないような花だった。

「これは、月下美人。私が先に咲いてしぼむか、この月下美人が先に咲いてしぼむか勝負してるんだ。先にしぼんだ方が負けっていうね」

 僕は逃げたはずなのに、全然逃げてなかった。むしろ、自分から近づいていた。その植木鉢の花はまだ咲いていない月下美人だったのだ。どっちの方が遅くしぼむかを競っているのは少しでも長く生きたいという想いがあるからなんだろう。

「そうなんだ……」

「でさ、話しを戻すけど、こんな私を好きになるなら他の誰かを好きになる方が絶対にいい。私、あと一週間しかないんだし、仮にもう少し伸びたとしてもこんな私と一緒にいたところでなんにも楽しくない。むしろ橙季くんの時間を奪っちゃうだけだよ。確かに、私は今まで誰かを好きになるっていう感情を実は持ったことがなかったから、誰かを最後に好きになってみたいなっていう想いはあるけど……でもやっぱな……。改めて、この話を聞いてどうする?」

 確かに、彼女の言ってることは彼女目線から言えばそうなるのかもしれない。僕が彼女と付き合うとかまではいかなくても深い関係になれば負担は増えるかもしれない。

 彼女との時間=奪われる時間

 になるのかもしれない。

 僕は唾を飲み込んだ。その唾が喉に引っかかったような気がした。彼女が自分の本当の姿を見せて、僕にその答えを求めてきている。

「――僕の想いは全く変わらないよ」

 そうだ。変わらない。これだけを聞いて変わるなら僕の想いは嘘だったということになる。

 僕は花が咲くときだけを見ているのではない。種を撒いてから成長するときも、きれいに咲いてからしぼむときも見ていたいから。

「ファイナルアンサー?」

 彼女は僕の顔を覗くようにして最後の確認をしてきた。それが少し嫌だった。

「うん、ファイナルアンサー」

 僕は間違いないよという風に大きくうなずく。

 すると、彼女はまるで今咲いた花のように笑った。笑い声を響かせながら。何もおかしいところなんてないはずなのに。むしろ笑ってはいけないところのはずなのに。でも、彼女は笑ったのだ。僕のそんな彼女の姿を見守るようにして見ていた。
 
 ――彼女が美しく咲く花なのだとしたら、僕は水だ。最後まで僕は彼女を美しく咲かせたい。仮にそれが1週間という本当に少しの間であったとしても。僕にはそのような覚悟をどこかでしていた。たった少しでも彼女といるんだ、好きでいるんだという決心が。