――彼女は今まで会った人の中でも、僕が会ったことがなかったような少し変わっていた、特別な人だった。
もう、ないものはない。
最後に彼女の❝あれ❞を見たのだから。
いつか消えてしまうとわかっていた。
そんなことわかりきっていたことのはずなのに、どうしてこんなにも特別な感情を持ってしまうのだろう。
❝悔しい❞とか❝寂しい❞とかいう感情が出てきそうになってしまうのだろう。
たとえ消えてしまったとしても❝悔しい❞とか❝寂しい❞とかいう感情を持たないというのが彼女との約束だったはずなのに。そう約束したはずなのに。
果たして僕はこの先、この約束をずっとずっと守っていくことができるのだろうか。
彼女のいないこの世界で。
ただ、僕は一つだけ彼女にやってほしかったことがある。
――僕の名前を呼び捨てで呼んでもらうこと。
単純なことかもしれない。
でも、僕にとって、呼び捨てで呼んでもらうことがある意味認められたと感じられる瞬間になると思った。生前の彼女は僕のことを『橙季くん』としか呼んでくれなかった。僕は彼女の名前を呼び捨てで呼んだから、彼女にも呼び捨てで僕のことを呼んでほしいとは言ったことがあるけれど、毎回恥ずかしいと言われて断られてしまった。だから、一度も『橙季』とは呼ばれたことはない。
「おーい、橙季、こんなところで何書いてるんだ」
「えっ!?」
僕は突如、誰かに優しく肩をポンとたたかれたので、慌てて書いていたノートを閉じる。真っ赤な夕日が教室を照らすこの時間にまだ誰かいたのか。
僕が顔を見上げると、友達の新汰だった。相手は何やら難しそうな顔をして僕を見ている。
「これは――あれだよ、雫との日々」
僕がそれだけ言うと、彼は「ああ」とだけ言って僕の隣の椅子に座った。全てを悟ったかのようなそんなような声だった。
「見てもいい?」
次に彼はそんなことを言う。
「まあ、新汰なら」
新汰ならまだいいだろうと思い、僕は新汰に書いていたノートを渡した。すると、新汰がゆっくりと音を立てながら1ページ目を開く。
そして一拍、間をおいてから、
「――持木雫」
という言葉をこの空間に響かせた。
何も音がなかった無の空間に突如響いたその声。
――持木雫。
この言葉が体に入り込んだ瞬間、彼女との――雫との日々が急に溢れてきた。
始まりから、終わりまで。大切だけど短かったその日々が。
忘れることなんてできないその1週間が――