長良に接近しようとしたのは、別に顔が好みだったとか、あの特殊な性格惹かれたとか、特段興味があったとか、そういうことではない。
ただ、同じだったからだ。
「失礼しまーす……」
物理研究室で缶コーヒーを飲んでいた長良が、すっと顔をあげて物珍しそうな顔をする。
「あれ、キミ、噂の葵くん?」
あおい、という響きにドキリと心臓が跳ねる。
「会いにきたの?」
返事ができずに俯くと、その反応を肯定だと捉えた長良は「光栄だねぇ」と言ってコーヒーを机に置いた。
「葵……何くんだっけ」
「──綺月です」
「そうだそうだ。綺月くん、ね」
よくここにくるオンナノコが話してるよ、キミのコト。
軽やかに言い放った長良は「密会は倉庫って決めてるんだよね」と研究室の戸を開けた。目線だけの合図で、言葉を発する暇もなく倉庫へと移動する。
葵が足を踏み入れた途端、ガチャ、と鍵をかけられた。
「──……で? キミは俺に何してほしいの」
薄汚い棚に寄りかかった長良が、眼鏡の奥の細目で問いかけてくる。
すらりとした上半身が白衣で隠されている。わずかに血管の浮き出た首から、提げられたそれに視線が動く。
「……なまえ。名前、呼んでほしい、です」
葵のささやかな願いに、一瞬瞠目した長良は、深い息を吐いてもたれていた体を起こした。
「なんだ、そんなこと。わざわざここに移動したイミ、なかったね」
「……すみません」
「別にいいけど。綺月クン」
ぴく、と葵の肩が動く。長良が近づいてきて、葵の顔を覗き込むように見上げた。
「──……綺月」
じわ、とひろがっていく。胸の中の、奥の、深い部分が、じわじわ侵されていく。
所詮、すべてがまがいものだというのに。
いつまでも、心は過去に縋ったまま、情けなく生きていくしかないはずなのに。
葵は、恍惚とした表情で長良を見つめる。
きづき、という響きが、腰を砕いては使い物にならなくする。
カーテンが揺れる。二人の影が、ゆっくりと重なり──かけたところだった。
ガタッと扉の外から音がして、長良が苛立ったように舌打ちをした。普段は爽やかな笑顔ばかり浮かべていて胡散臭い教師だと思っていたが、この人も舌打ちするんだ、と葵はほんの少し、安堵に似た親近感をおぼえる。
「見られたな。くそ、今回はマジでなんもしてねぇのに」
「……今回は?」
「今回"も"だ」
お前からも未遂だって言っとけよ、という忠告とともに解放される。
じわじわ、じわじわ。ずっと広がって、しつこいほどに縛り付けられる。
まるで──呪いだ。
───いい一年になりますように。
ぎゅ、と目を閉じて手を合わせる。頬に吹き抜けた冷たい風は、マフラーに顔を埋めることで防いだ。
本日、一月一日。新年を迎えた。
「雨月くん、寒い」
浅羽の隣には、なぜか葵がいる。
これが初夢なら──今年はきっといい一年になるのだろう。
「おーい、夢じゃないから戻ってきて」
新年早々の造形美にドキりとする。葵から初詣に行かないか、と誘われたのはつい昨日のこと。
自分にこんな行動力があったなんて、と浅羽は自分自身に驚いていた。
「おみくじ引こ、雨月くん」
いつのまにか、呼び名が変わっている。葵は浅羽のことを「雨月くん」と呼ぶようになった。
長良との関係をきいた時から、二人の仲は急激に縮まった。
以前の関係を、夜に顔を合わせて抱擁を交わす関係、と表すならば、今は、朝ともに初詣に行く関係、と表すのが適切だろうか。
つまるところ、友人になったのである。
ちらちらと葵に視線が集まっているような気がするのは、浅羽の勘違いではないだろう。一般人であるため、マスクも何もせず、強すぎる顔面を周囲にさらしている。
本人はそんな自覚などないようだが。
「見て、大吉だ」
大吉を引き当てたらしい。葵が笑顔を浮かべておみくじを見せてくる。
「雨月くんは?」
ぴと、と腕同士が引っ付く。浅羽のおみくじを覗き込んだ葵は「げ」とその美しい顔を見事に引き攣らせた。
「凶……ってほんとにあるんだ」
「あるらしいな。俺も初めてだけど」
凶。元旦に見るには明らかにふさわしくない字である。
「よくないこと、起こんのか」
「……結ぼうか」
フリーズする浅羽の隣で、葵がパンと手を叩く。葵に無理やり気持ちを切り替えられてしまった。
たくさんのおみくじが結ばれている木へと、足を運ぶ。
「雨月くん、寒い」
その瞬間、何かが手に触れる。え、と思って視線を落とすと、思いの外近くにいた葵に驚く。
あれ、今これ、繋がれてる?どういうことだろうか。公衆の面前で?
完全に密着した手。想像していたよりも細くて、頼りない。体の細さに合ってはいるけれど、これで男を名乗るのは少々、危険だと感じてしまう。もしこの手に抵抗されたとしても、なんなく押さえ込める自信が、ある。
「……葵」
「ほら、行こ」
調子が狂う。浅羽が力を込めると、返事をするようにぎゅ、と握り返される。
俺、期待してもいい?それ。
本気出すけど、いい?
浅羽の脳内が、一気に葵への言葉で埋め尽くされていく。
自分より少しだけ低い位置にある美顔に目を向けると、まっすぐに目が合った。いちいち綺麗な顔をしている。
まるで吸い込まれるように、気がつけば顔を近づけていた。葵のまつ毛が、ぴく、と揺れる。
「……いや、違う…よな」
鼻先が触れ合うまで、あと数秒。
違う。こんな関係じゃない。理性を蘇らせたのは、浅羽のほうだった。
「悪い、間違えた」
「間違えた、って……誰と?」
「誰とでもない。ほっとけ」
ぶっきらぼうに言葉を落として前を見据える。
そうだ。このおみくじを早く結んでしまわなければ、浅羽の運勢は凶のまま。一刻も早く凶などという最悪な運勢からは解放されたい。
繋がれていた手をそっと離して、歩き出す。ぱたぱたと後ろをついてきた葵が、また隣に並ぶ。もう、手は繋がらない。
まっすぐ前を見据えながら、歩いていたその時だった。
「────ちかげ?」
ふいに、葵がいるほうとは逆のほうの腕を強く掴まれて、思わず浅羽の足が止まる。え、と声が洩れたきり、口の動かし方が分からなくなる。
ゆっくり振り向いた浅羽の目がとらえたのは、見覚えのない男だった。年齢は浅羽や葵と同じくらいに見えるが、長い髪を後ろに流していて、年上のようにも思えた。
どこかであっただろうか。浅羽は記憶を巡らせたが、やはり、見覚えがない。自分はどちらかというと人の顔を覚えるのが苦手なタイプだが、それでもこれほどインパクトが強い顔は一度会ったら忘れない。厳ついけれどもなかなかに整った顔をしている。葵のような美人とは違うが、美形であることは間違いない。
「……んな、わけない、か」
男の手が離れる。その次に、男はゆっくりと視線を隣に移動させて、葵を見た。その男の目がたしかに見開かれたのを、浅羽は見逃さなかった。
「お前やっぱ葵だよな。……ふぅん、そゆこと」
浅羽と葵の顔を交互にみてから、真顔のまま男が含みを持つ発言をする。
浅羽の心臓が、一度、脈打つ。昔から、こういうよくない予感ばかり、当たるのだ。
「いつまで執着してんの、あいつに」
放たれた鋭い言葉は、まっすぐに葵を狙っていた。
「……っ、ごめん」
そう言葉を落とした葵が、喧騒の間を通り過ぎるように一気に駆け出していく。
「葵!」
小さくなっていく背を追いかけようとして、一歩踏み出そうと体重を動かした途端、「あの」と男が声を出したことで体勢が崩れる。
男はだるそうな表情で、「似てる」と呟いた。
この男は、何者なのだろうか。似てる、とは、なんのことなのか。
──いつまで執着してんの、あいつに。
去っていった葵の顔を思い出す。何かに怯えるような、悲しげな、弱々しい顔をしていた。瞳がぐらりと揺れたのを、浅羽は見逃さなかった。
じっと男を見つめると、男もまた、浅羽を見つめ返した。
強風が吹き、思わず目を閉じる。
結べずにいるおみくじが、風にさらわれていった。
男の乾いた声だけが、届く。
「あんた、すげえ似てるよ。あいつが好きだった男に」
葵綺月side
❄︎
好きな男がいた。
自分のすべてを捧げたいと思えるほど、人生で、いちばん好きだった。
運命だと思った。
あの日、桜が咲いて、僕はそれを見つめていて、そうしたら同じように桜を見つめる男と出会った。
真っ青な空から降り注ぐ光で曖昧に世界がぼやけていて、それなのに、彼にだけはひどくピントが合っていた。
さぁっと風が吹いて、髪を揺らす。彼の薄茶色の髪がなびいて、それがすごく綺麗で。横顔がこちらを向いた時には、もう、好きだったのかもしれない。
「綺月」
彼が呼ぶ名が、好きだった。声の温度が、すきだった。視線が、体温が、表情が、好きだった。
「千景」
彼の名前も、大好きだった。呼ぶたびに、心が満たされていくような気がした。名を呼び、彼が振り返るたびに、幸せだと思った。
「高校生になったら、おれが、君を抱くことを許してくれる?」
付き合って半年が経ち、そんなたどたどしい言葉に、涙を浮かべながら頷いた。
ハグと、キスだけの関係。僕たちは清くて、汚くて、きれいな恋愛をしていた。
まだね、しないよ。いつかね。そうだね。変わらないといいな。気持ちが?変わるわけないよ。ずっと好きだよ。
幸せだった。たしかに、幸せだったのだ。
──ずっと、こんな日々が続くと思っていた。
僕と千景の物語が動いたのは、中学二年生の冬。
その日の夜は雨が降りしきっていて、視界も悪く肌寒かった。
それなのに、夜空に浮かぶ月が、ひどく綺麗だったのを覚えている。
僕が心から愛した千景という男は、その日、僕の世界から消えた。
交通事故だった。
高校に入って浅羽と出会い、初めてその顔を見た時は、また、千景が戻ってきてくれたのかと思った。それほどに、二人は似ていたから。千景よりも浅羽の方が若干凛々しい顔立ちをしているけれど、その顔に同居する甘さと鋭さがとても似ていて、纏う雰囲気がそっくりだった。
浅羽といる時は、まるで千景が隣にいるような、そんな安心感さえあった。
「綺月」
名を呼ばれるたびに、千景ではないのに、身体中が痺れるような、心の奥底が疼くような感覚になった。ほとんど同じ顔をした男に出会えたことが、二度目の運命のように感じたのだ。
『あれ、キミ、噂の葵くん?』
似ているなら、同じなら、千景のことを少しでも感じられる要素があるならば、なんだってよかった。
物理教師だってそう。
ネームプレートに視線を落とすと、間違いなく『長良千景』と書いてある。
千景、ちかげ。チカゲ。
この名前は、こんなたらし野郎には似合わない。反吐が出そうだった。
けれど名前を呼ばれると、情けなく脱力してしまうのも事実だった。
──いつまで執着してんの、あいつに。
執着、なのだろうこれは。死者との思い出には勝てない。生者との記憶でさえしばらく会わなくなれば薄れていって思い出補正がかかるのに、一生会えないとなれば重ねた日々が愛おしくなるのは止められなかった。
当たり前のことだ。
千景。会いたい、君に。
歪んだ気持ちで、身勝手な執着で、僕は、僕のことを想う男を、傷つけている。
「葵」
とても丁寧に、名前を紡ぐひとだと思った。名を呼ばれるたび、抱きしめられるたび、見つめられるたび、千景に抱いていた感情に似たものが生まれているのを感じた。はじめは打算的で、身勝手な己のエゴだった。彼の恋心を利用して、自分の欲を満たしていた。
けれどいつからか、それは、変わった。
浅羽は千景によく似ていた。けれど、千景ではなかった。長良も、当然だが千景とは別人だった。
この世界のどこを探しても、千景はもう、いなかった。
──── 長良とのこと、ほんと?
揺れる目が、きれいだと思った。すぐ赤くなる頬が、かわいらしいと思った。
いつしか千景は死者になり、記憶が薄れ、浅羽との時間を大切にしたいと思った。
手を、伸ばしたいと思った。
この曖昧な感情が、たとえば愛になるとして。
ずっと騙していた僕を、それでも君は、好きだと言ってくれるだろうか。
雨の夜は、決まってこわくなる。大切なものが消えてしまうような気がして、寂しさに消えたくなる。
ひとりに、しないで。君だけは、消えないでよ、雨月くん。
もう何度思ったかわからないことを、繰り返す。見上げると、白く光を帯びた雪が、空から舞い降りてくる。
僕の感情ごと、すべて包み隠してしまえばいいのに。乾いた手が冷たくて、寂しくて、求めてはいけないぬくもりを、つい求めてしまいそうになった。
「葵!……っ、すいません、人違いでした」
さらさらと揺れる髪の後ろ姿に、思わず手を伸ばしかけて、振り返った別人に怪訝な顔をされた。
浅羽は息を吐きながら、あたりを見回す。葵の姿はない。
先ほどから何度もかけている電話は、一向につながらない。
「着拒してんな……ガキかよ」
思わず浅羽の口からため息が漏れる。この人混みの中、浅羽は一人の男を自力で探し出さなければならない。
少々口調が荒くなってしまうのは、仕方のないことだった。
────あんた、すげえ似てるよ。あいつが、好きだった男に。
ロン毛男の言葉がよみがえる。おおかた説明されて、すべて合点がいった。
葵が自分に執着していた理由。雨の夜は寂しいと縋ってきた理由。長良と関係を持とうとした理由。
あぁ、なるほど。
すべて、亡き恋人が軸にいたわけだ。
近くにあったベンチに腰掛ける。浅羽の吐く息は白くなって、空に溶けるように消えていく。
何を必死になって葵を探しているのだろう。自分は、利用されていただけに過ぎないのに。もう葵を追いかける義理なんて、浅羽にはないはずなのに。
「……どこにいんだよ」
それでも、浅羽の心は求めてしまう。彼を、美しい男を、葵綺月を求めてしまう。
── お前に利用されるなら、別にいいよ。
葵の弱さごと、歪んだ想いごと、受け止めてやりたい。間違いなく二番手だが、それでもいい。
はじめて視線が絡んだ時から、君が髪を揺らして振り返った時から、あの雨の夜出会った時から────
「──……好きなだけだ」
ただ、これだけ。
ぼやいたところで何も変わらない。猛烈に、ひたすらに、好きで。葵が執着してくれるのなら、一生騙されたままでいいとさえ思う。
きっと自分の気持ちだって、歪んでいる。
この歪んだ気持ちが、たとえば愛になるとして。その愛の先で、君は、ちゃんと笑っているだろうか。
「……雨月、くん」
ぼそぼそした声が後ろからかかり、驚いて振り返ると、そこには肩を小さくしてたたずむ葵がいた。
浅羽は全身が緊張で震えるのを感じながら、「よかった」と呟く。真っ先に口をついた言葉は、それだった。
よかった、会えて。よかった、無事で。よかった、戻ってきてくれて。
「……ずっと、言わなきゃいけないことが、あった」
ふ、と葵の息がのぼっていく。鼻の先が赤くなっていて、ほんの少し息が上がっている。
「座る?」
「……ありがと」
葵を自分の横に座らせ、浅羽はゆっくりと空を見上げた。これから、何を言われるのか、関係性がどう変わるのか、まったく読めなかった。
「……」
しばし沈黙が降りる。なかなか話し出さない葵にそっと視線を向けると、手が小刻みに震えていた。浅羽は無意識のうちに、その手に自らの手を重ねていた。
「大丈夫。ゆっくりでいいから、聞かせて、葵の話」
浅羽の言葉にこくりと頷いた葵が、その薄い唇をかすかに振るわせる。
「……好きな人が、いたんだ。すごくすきで、本当に好きで、ずっと一緒にいられると思ってた。けど、中2の冬に死んだ。飲酒運転の、交通事故で」
うん、と相槌を打つ。葵の目が悲しげに揺れる。
「……彼と、雨月くんは、よく似ていたから。最初は、彼が戻ってきてくれたのかと思ったんだ。だから、近づいた。長良も同じ。近づいたのは、彼と、名前が同じだったから」
「うん」
「僕は、雨月くんと長良を利用して、自分の欲を満たそうとした。名前を呼んで抱きしめてもらうことで、彼にそうされてるような錯覚に陥ってた」
やはり、自分の予想通りだった。浅羽は悲しさと納得が混ざったため息を深く吐き、指を組む。本人から直接言葉にされると、想像していた以上に心にくるものだ。
俺、それでもいいよ。利用したっていいよ。俺、お前が好きだから。もうずっと、長いこと。
何度も何度も飲み込もうとした言葉。それらを告げようとした瞬間、「でも」と葵が言葉を続けた。
「千景と雨月くんは、違った。全然違った。似てたけど、同じじゃなかった。最初は千景の代わりだと思ってた。ほんとに最低な考えだった。だけど、でも」
葵の目がこちらを向く。葵はほとんど、泣いていた。
「……僕、雨月くんのことも、好きだよ」
鈴のような声が耳を抜ける。初詣の喧騒が、一気に遠くなった。
「本当のことを言ったら、嫌われると思った。嫌われて当然のことをした。雨月くんを利用して、騙して、最低な僕が言う権利なんてないと思う、けど。でも」
葵の音しか、聞こえなくなる。しんしんと降る雪の音さえも、消えた。
「……嫌われたくなかった、」
その瞬間、葵の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。浅羽は思わずその涙を拭おうとして、指先が触れる寸前でとどめ、降ろす。一連の動作を見つめていた葵は、傷ついたような顔をして視線を落とした。
「……嫌、だよね。触れるの、嫌いになったよね」
「違う、そうじゃない。葵」
浅羽の強い口調に、葵が口を閉ざす。じっと見つめてくる葵のまなざしを、浅羽もまっすぐに見つめ返した。
「俺、葵のことが好きだよ。きっととっくに気づいてたとは思うけど。ずっと勇気が出なくて言えなかった。ごめんな」
するすると言葉が出てくる。ずっと、言えなかったはずの言葉だ。これが、気持ちを伝えるベストタイミングだったのかもしれない。
「俺、葵の想いも大切にしていきたいよ。昔の恋人への想いも、ちゃんと一緒に大事にしたい。代わりだっていいよ。利用したっていいよ。だって俺、お前のこと好きなんだよ、葵」
「……うげつ、く…」
「騙されてたからって嫌いになるほど、弱くはないよ。俺の、葵への気持ち」
ぼろぼろと、葵の目から涙が落ちる。涙を流しているところさえも美しくて愛おしいのだから、もうどうしようもない。
嫌いになるはずがない。
「葵。はじめてみよう、俺たちも。ずっと葵だけ苦しいのはヤだろ? 一緒に乗り越えよう、俺たちで」
「……っ、うん」
「おみくじ、結局結べなくてどっか行っちまったけど。今年が凶にならないようにすんの、葵も手伝ってくんない?」
「あ……これ、さっき拾った。もしかして.....雨月くんの?」
「早速じゃん、手伝うの早ぇわ」
君が抱える弱さも、傷も、何もかもが愛おしい。溢れ出す想いにはもう、どこにも行き場がなくて。
だからそのかけらを、君に渡してもいいだろうか。
歪んだ想いが、ひとつになって、綺麗に結ばれて、たとえば愛になるとして。
その時君がとなりで笑っていればいいって、今はただ、それだけを思うのだ。
絹のような長い髪が陽光に照らされて、俺のとなりで揺れていた。
髪に触れれば「なぁに」と目を細められて、
頭を撫でれば「それ、好き」と気持ち良さげに目を閉じる。
ずっと抱いていた疑問の答えが、ようやくわかった。
馬鹿げていて、くだらないことでも、君がころころと笑うから。
脆くて細かったはずの糸を、絶対に離すまいと君が引き寄せてくれるから。
これからもずっと、俺は君の瞳に囚われている。
たとえば愛になるとして fin.