食卓の上にある書き置きの隣に、今日受け取った手紙を並べる。
(なんだろう……何かが引っかかる。間違いなく師匠からの手紙で、師匠らしいのに……なんだか、らしくなさもあるというか。それを言うなら、この旅そのものがそうなんだけど)
思えば、突然短い書き置きだけ残していなくなったことにも違和感があった。それに気づかないふりをしていただけで。ずっと、心の奥底にモヤモヤが沈んでいたのだ。
キーランは優しくて、ちょっぴり心配性なくらいだった。
旅に出ることについて事前にフェイに一言の相談もなく、行き先についてもまったく触れずに、夜のうちにひっそり発つなんてなんだかおかしい。
フェイが知るキーランなら、「三ヶ月くらいで戻るよ。わたしがいない間もちゃんとごはんを食べるんだよ。お金はこことここに隠してあるからね。結界があるけど、戸締りもきちんとして。ああ、それから……」と、延々と、それこそ一週間くらいかけて繰り返し注意事項を伝えてきそうだ。
そして終いには「うーん、やっぱり心配だ。旅はやめにしよう。それか、フェイも一緒に行く?」なんて話になりかねない。
明確な違和感を持って手紙を見ると、もう一つ気になることがあった。
最初の書き置きにも、今回の手紙にも、地名が一切出てこないのだ。
行き先を特に決めていない気まぐれな旅なのだろうと、書き置きの段階では気にしていなかった。
しかし、旅の途中に書かれたであろう手紙にも、地名はおろか、立ち寄った場所を示すような描写すらない。
(長い旅って書いてあるけど……師匠、戻る気あるのかな。もう……戻らないつもりなのかな)
そう考えただけで、胸の奥がズキッと痛んだ。
はぁー……と長く息を吐き出し、フェイは机に突っ伏す。
「また、一人になっちゃったな」
寂しくてつい、自嘲的な言葉が漏れる。けれど、『また捨てられた』とは思わなかった。それだけの期間、疑いようのない愛情を注がれていたから。
(師匠がいきなりいなくなったのは、きっと、そうする必要があったからだ)
のろのろと顔を上げたフェイは、改めて二つの紙を見る。
キーランのことなので、嘘は書いていないだろう。しかし、書かれていない何かがある。そんな気がする。
「……何を隠してるの? 師匠……」
手紙にそっと触れるけれど、ただの紙からは何も伝わってこない。
静まり返った家の中で、フェイはしばらくの間じっと、手紙を見つめていた。
――翌日。
夜明けが間近に迫るまだ薄暗い時間に、フェイは荷物の最終確認をしていた。
絶対に欠かせない仕事道具は肩掛け鞄に入れ、日用品や着替え、よく使う薬など必要最低限の荷物は背嚢に詰め込んでいく。
用心のために、金貨は肌着に小さな袋を縫い付けて、その中に一枚ずつ入れて隠した。全部で三枚。いざという時のためのへそくりだ。
路銀用として、銀貨と銅貨もいくつかの袋に分けて鞄に仕舞ってある。ある程度の長旅にも耐えうる額だ。
可能なら、薬を作るための薬研やすり鉢も持っていきたいところだが、嵩張るし重いので置いていく。
「これでよし」
背嚢を背負い、鞄を肩から斜めにかける。薬草が入った籠も持つと、フェイは家を出た。
キーラン特製の魔力錠をかけているうちに、山肌から顔を出した太陽がシェルネの木を照らし始める。
フェイはいつも通り、大樹の幹に触れて話しかけた。
「おはよう。しばらく旅に出るよ。留守の間、お願いね」
抗議するように、葉っぱがざわりと揺れる。
「必ず戻るから。それまで、この家を見守っていてほしい」
長い静寂のあと、フェイの前に黄色い花びらがひらりと舞った。見上げると、季節外れのシェルネの花がいくつも咲いている。
「……ありがとう」
それから、フェイはキーランに教わった通り、水晶を触媒にした結界を張った。
これで、このあたりに誰かが近づいたとしても、家を視認することはできなくなる。もちろん、キーランならば難なく突破できるものなので問題はない。
「行ってきます!」
どこからともなく柔らかな風が吹き、シェルネの花が舞い散る。
フェイは美しい餞別の景色を目に焼き付け、慣れ親しんだ森の家をあとにした。



