「──やあ、どうも」
片手をあげ、爽やかな笑みを浮かべる細身の男。人の良さそうな笑顔は見る人を虜にしてしまう程に美しいものだが、しかしそうならないのは彼の所業を見てしまったことに原因があるだろう。
オルラッドの足下。そこには、つい先程まで彼と向き合っていたはずの大男の亡骸が存在していた。ピクリとも動かぬそれに、ジルは青ざめ、後ずさる。
「あれ? どうかしたかい?」
彼の怯えを理解していないのか、オルラッドは問うた。ジルは口元を引き攣らせながら、彼の顔を静かに見上げる。
「どうって、これ、えっと……」
言葉が出ない。こういう場合はなんと言えばいいんだったか……。
焦るジルとは裏腹に、オルラッドはただ微笑みを浮かべている。
「あ、それよりさっきはありがとう。心配してくれたこと、感謝するよ」
「あ、いえ、そんな、感謝されるほどのものでは……」
「オルラッド」
情けないくらいに青ざめ、やや逃げ腰になっているジルを押しのける。そうして前に出たミーリャは、不思議そうな顔のオルラッドの鼻先に、右手の人差し指を突きつけた。
「お前、何者?」
驚いたのか、大きく飛び跳ねたのはジルだった。
一方、何者だと問われた当の本人は不思議そうに目を瞬いている。
「え? えーっと、オルラッド……」
「ちがう。名前じゃないの。職業を訊いているのね」
オルラッドは「ああ」と納得したように頷く。かと思えば、また微笑みを浮かべ、左右にゆるく首を振った。
「職業なんてないよ。俺はしがない旅人だからね」
「じゃあ冒険者ランクは? スキルは何を持ってるの? 所属はどこのギルド? 見当たらないけど、どこかに仲間がいるのかしら?」
「ううん、沢山だなぁ」
あはは、と笑ったオルラッドは、そこでひとつ息を吐くと両の手を顔の真横まで持ってきて停止。
緩く首を振り、笑う。
「俺は冒険者ではないんだ。スキルもそんなに持っていない。ギルドに所属してもいないし、もちろん、仲間もいない。言ったろ? しがない旅人。それが俺だ」
「しがない旅人が今のように容易に狩りができると思っているのかしらね? 思っていたとしたら、それは間違いなのよ」
怒り顔のミーリャに、困ったように頭を搔くオルラッド。そんな二人を、ただただ見つめることしかできないジル。
「まあ、正当防衛だし……」
どこか歯切れ悪く告げたオルラッドに、ミーリャは頭を押えて深いため息を吐き出した。
「ジルもそうだけど、お前も有り得ないのね」
呆れたと、そう言いたげな無気力な瞳が突き刺さり、オルラッドは苦笑。「す、すまない……」と謝り、謝罪した。
「おいおい、そこのイケメンさんよォ」
と、話している最中、どこぞより野太い声が聞こえてきた。
思わず青ざめたジルが振り返れば、そこには大量の賊、賊、賊。軽く十は超えるであろう屈強な盗賊たちの姿に、ミーリャとオルラッドの間に庇うように挟まれたまま、ジルは大量の汗を垂れ流した。
盗賊たちの手には、各自種類のちがう武器が持たれていた。剣、斧、鞭、ゴッホ絵に似た絵画。一人だけ何かおかしい気がするが、今はとてもつっこめる心境ではない。
──どどどど、どうしよう!
怯えるジルが、ミーリャの腕を掴んでガクガク揺する。
「ど、どどど、どうする!? この人数は不利すぎるし一旦引くことを俺はオススメしますが!!」
「引いたところで顔を覚えられてるから無意味ね。永遠に追われ続けるのよ」
「オーマイゴッド!」
ならばどうするというのだ。
そう叫ぶよりも先に、ジルの背後でオルラッドが動いた。剣を手に一歩踏み出した彼は、その顔に歪なる笑みを浮かべて近くにいた盗賊の胴を一閃。噴き出る鮮血など気にする様子を微塵も見せずに、次々と残りの盗賊たちを倒していく。
「……オルラッドさん、とてもお強いですね」
「……敵には回したくない奴ね」
寧ろ敵に回ったらその場で自害してやる。
密かに決意するジルを背に、ミーリャは足を肩幅まで開き、片手を前方へ。その動作に反応するように、突き出された彼女の腕に黒い文字が巻きついていく。
「『──』」
小さな呟き──恐らく詠唱らしきものが聞こえる。なんと言っているのかは残念ながらわからない(聞き取れないのではなく言語自体がわからない)が、ひどく恐ろしい何かを始めようとしていることはわかった。
──この少女は一体、何をする気だ。
見たことも聞いたこともない、不可思議な文字を視界、ジルはごくりと生唾を飲み込んだ。
「さあ! ミーリャの呪い、受けるがいいわ!」
大きく吐き出された言葉は、勝利への確信と、自己への自信に満ち溢れていた。
ミーリャの声に呼応するように、彼女の腕に纏わりついていた文字たちが消失する。そう。言葉通り消えてしまった。その場から、綺麗さっぱりと。
てっきりアレが飛び出し攻撃するのだろうと予測していたジルにとって、それは予想外の出来事である。当然、焦る彼はミーリャの名を呼びその肩を掴んだ。先程までの恐れは、どうやら吹き飛んだようだ。
「おいおいおい! 何してんだよ!? このままじゃ殺られるって!!」
「ふん、これだから無能はだめなのよ」
見てみなさい、と彼女は言った。その細くしなやかな指先は、盗賊たちを指し示している。
──なんでそんな自信満々なんだよ……。
内心疑問に思いつつ、しかし逆らうことはせずに彼女の示した方向へと視線を向ける。
それによりジルは理解した。ミーリャの底知れぬ強さと、呪術というものの恐ろしさを……。
「……っ」
声は出なかった。それよりも先に、彼の口から出たのは、腹から込み上がってきた胃液である。
ミーリャの示した盗賊たちは死んでいた。
文字通り息絶えていたそれらは、全てが全て、歪な形と成り果ててしまっていたのだ。表現するならば、腹に出現したブラックホールに吸い込まれた、というのが一番わかりやすいだろうか……。
小さな穴に吸い込まれるように捻り曲がった体は、悲鳴を上げる間もなく彼らの命の灯火を吹き消していた。ひどく無惨に、残酷に。
意図も容易く行われた殺戮は、本当に目の前に立つ少女がやったのか疑わしいものである。
ジルは喉を焼くような痛みに眉をひそめつつ、未だ残る気持ち悪さに己の唇を噛み締めた。脳裏に蘇る村人の死に、知らず知らず、体が震える。
「……繊細なジルにはちょっと早かったかしらね?」
俯いたまま顔を上げないハーフの少年を見下ろし、呪術師の少女は呆れたと言わんばかりに腕を組んだ。
「お前、こんな事でそんなになってるなら、この先、絶対に生きていけないのよ。それとも死にたいのかしらね?」
「……そんなわけ──」
言いかけ、また吐き出される胃液。
背を丸めて縮こまる小さなその背を、残りの盗賊を片付け戻ってきたオルラッドがそっと撫でる。
「人には向き、不向きがある。無理に慣れる必要はないさ」
「甘いのよ。生きる者には死が必ず付き纏う。定期的に降りかかるそれを振り払えないのであれば、この世界で生き抜くことは不可能なのよ」
「だとしても、彼はまだ……」
異論を唱えようとしたオルラッドを静止するように、ジルは彼に片手をつきつけた。そして、荒い呼吸を繰り返しながら、顔を上げる。
「……悪い。もう大丈夫だ。……さてっと! 行こうぜ、ミーリャ! 早く首都に行かねえと! んでもって手続き終わらせて目指せダンジョン制覇! まずは妖精の森とかいいかもな!」
わかりやすいほどの明るさに、ため息を吐いたのは一体誰であったか……。
「……ミーリャは別に構わないのね。ミーリャはジルについてくだけなのよ」
「おっしゃ決まり! そうと決まれば即行動! ほんじゃな、オルラッド! また会える時まで元気でなー!」
大きく手を振り駆け出す小さな背を、「待ちなさい!」と呪術師は追いかける。
「……妖精の、森?」
徐々に見えなくなる二人の背中を視界、オルラッドは何かを考えるように口元に指を添えた。かと思えば、「待ってくれ!」と慌てて走り出す。そんな彼の横顔は、何か希望を見つけたように、キラキラと輝いていた。