その村は、町のハズレにあるこじんまりとした村だった。
 ブドウやリンゴ、果てにはモモやパイナップルといった季節感バラバラなフルーツたちが実る果樹園が多く存在するその村は、ジルの生まれ育った故郷でもある。

 人口僅か30人程度。うち女子供は人口に対して3割ほど。
 決してヒトの多くはないそこは、されど自然に溢れた、とても穏やかな村だった。

「ジル兄ー! おかえりー!」

 小さな子供たちが、でんでん太鼓を片手に、村の門を潜ったジルに手を振る。それに笑顔で手を振り返し、足早に村の奥──そこに存在する我が家に向かって歩を進めるのが、いつものこと。

 けれど、今日はなにやら、様子がおかしかった。

「……あれぇ?」

 村の門を潜ったジルは、間の抜けた声をひとつ。発してから、首を傾げる。

 子供たちが、いなかった。
 どころか、それを見守っているはずの大人の姿も見当たらない。

 まるで神隠しにでもあったかのように誰の存在もない村で、ジルは訝しげに眉根を寄せ、一歩、村の中へと踏み込む。

 ドクリ──。

 突如として心臓が大きく脈打ち、痛みを発した。同時に、ノイズがかかったように頭の中にモヤが広がる。

「ジル兄! ジル兄!」

 自分を呼ぶ、嘆く子供の声が、耳の奥に響いた。
 思わずハッとして辺りを見回すも、やはりそこに人気は無く、ジルは思わず身震いする。

 なんだか、嫌な予感がしてならない……。

 衣服の上から腕をさすり、頭部の獣耳をへにょりと折り曲げる。そうして出した足を後方へと下げた時だ。

「何をしているのよね」

 突如として背後より響いた気だるげな声。ジルは予期せぬそれに飛び上がり、村の門である木の幹にしがみつき、振り返る。
 と、目を向けたそこにはあの少女がおり、彼は目を瞬いてズルズルと木から地面へ降り立った。少女は呆れたと言わんばかりに冷たい目をしている。

「……お前、なんでココに?」

「ミーリャ」

「は?」

「お前じゃなくてミーリャ、なのよ。あと、ココにいるのは呪いの気配を感知したからなのね」

「呪いぃ?」

 何言ってんだコイツ、という目で少女を見やれば睨まれた。幼子とは思えぬその眼力に、ジルはすぐさま土下座体勢に。「すみませんでしたッ!!!」と渾身の謝罪を披露する。

「……お前、この村のヒトかしら?」

 凄まじい勢いの謝罪などなんのその。少女は何事も無かったようにジルから目を逸らすと、村の中を視線だけで見回した。訝しむように、怪しむように。静かに現状を確認する彼女に、ジルはこくりと、ひとつ頷く。

「運がいいのか悪いのか……」

 はぁ、と嘆息して、少女は歩き出した。まるで歩き慣れた道を進むように村へと入った彼女を、ジルは目を瞬いてから追いかける。

 村の出入口から丁度5メートル程離れた家屋。よくジルのことを可愛がる老夫婦がいるその家の扉を勢いよく開ける少女。ジルが慌てて止めたものの、聞く耳持たずでさっさと家に上がり込む彼女に、彼は焦りながら声をかける。

「お、おい! 待てって! 勝手に人様の家上がり込むのは良くないって!」

「そんな呑気なこと言ってられんのよ」

「はあ!? おま、何言って──」

 言葉は、そこで途切れてしまった。

 無表情の少女を追いかけ踏み込んだ家屋の中の、所謂リビングルーム。足の高いテーブルがキッチンの横に備え付けられているその部屋の中は、どうしてか酷い悪臭に包まれていた。

 思わず鼻を抑えたくなる臭いの中、音をたてて飛び交うのは小さな羽虫。そして、その羽虫が発生しているのは、テーブルに潰れた頭を乗せたまま椅子に座る、二人の男女の死体だった。

 上顎を抉りとるように、力任せに潰された頭部ふたつ。閉じることの出来なくなった口からべろりと垂れた舌が妙に恐ろしく、ジルは思わず口元を抑えて後ずさる。
 その間にも、少女は慣れた様子で死体を確認。片手を上げ、それを死体に翳してから、眉を寄せて息を吐く。

「この呪い……かなりの術師が使ったものね。痕跡、ほとんど残してないのよ」

「の、ろい、って……」

「喋れないなら無理に話す必要はないのね。それより、いいのかしら?」

 なにが、を問う前に、ジルは硬直した。
 無表情の少女を前に、嫌な予感が胸に膨らみ、青ざめた顔を汗が流れる。

 ジルは急ぎ家屋を飛び出し、村の奥に向かって駆け出した。そうしてそこに存在する、一軒家に飛び込めば、ふわりと香るのははちみつの香り。優しく香ばしいその香りは、知っている。病弱な母が時折作ってくれる、ジルの大好きなメープルロールの香りだ。

「……母さん」

 優しい香りに包まれ思わず安堵したジルは、重い足取りでリビングルームへ。開閉する扉のないその部屋にゆっくりと足を踏み込んで、思わず喉の奥で悲鳴を上げた。

 天井から、ぶら下がった母がそこにいた。裂かれた腹より引きずり出された腸で首を括った母は、笑みを浮かべて長い舌を出している。
 もはや歪な死体と成り果ててしまった母から滴り落ちる鮮血がテーブルを、イスを、床を汚し、そしてそこにはもう居ない獣族の父と自分、優しい笑みを浮かべる母が写った写真が落とされ赤く染っていた。

 ジルは震え、青ざめ、嘔吐きながら背を丸めて床の上で丸まった。あまりにも惨い仕打ちに、目尻には涙が溜まっていく。

 母が何をした。老夫婦が何をした。村人たちが何をした。

 巡る思考はやがてやるせない程の怒りへと変わり、少年は強く床を殴りつける。けれども、幼気な幼子の手では、傷つくのは己の肌だけ。

 栗色の頭を掻きむしり、嘆き、声を荒らげる。
 この行き場のない気持ちをどうすればいいか分からず、ただ吠えるだけの彼を、少女はその背後、静かに見つめて佇んでいた……。