それは、なんと表現するのが正しいのか……。

 空中から飛び出た透き通る透明ガラスの欠片。それらが幾多も連なり、まるで鎖のような形となっていた。長く、細いそれらは彼女の豪奢な体を貫き、真っ赤な液体をその身に受けて尚輝いている。
 囚われ人。操り人形。その姿を表す言葉が、自然と頭の中に浮かんでくる。それはきっと、現実を逃避しようとしているからなのだろう。

「べっ……」

 誰も動けず、誰も口を開けない中、二ルディーが震える足を一歩前に踏み出した。伸ばされた白い手が、離れた位置にいる彼女を掴もうと虚しく動く。

「ベナン……?」

 小さく発されたそれは、疑問を含んでいた。目の前に突きつけられた現実を理解できない、したくないというように。

「──下がれ!!」

 突如として張り上げられた声に、ジルはハッとした。直後、彼の方へと二ルディーを放ったオルラッドが、剣を引き抜き輝く刀身で風をなぐ。舞い散るガラスの欠片たちが、美しくも残酷に輝いた。

 駆け出した赤髪の剣士にかわるように、ミーリャがその背をジルと二ルディーに向け前を見据えた。片手をあげた彼女の体の周辺には、先日盗賊たちとの騒動の際に目にした不可思議な文字が纒わり付いている。

「ボル・オーラ!」

 紡がれた呪文と共に、彼女の周りを彷徨いていた文字が空中へ拡散。グルリと巨大な輪を作り、その中へ、殺意を抱き飛んでくるガラスたちを吸収していく。

「べ、ベナン、ベナンが、う、うそ、ベナンがっ……」

 震える二ルディーを一度見て、ジルは貫かれ、沈黙したベナンへと顔を向ける。目は開いておらず、出血は酷い。生きているのかもはや定かではないが、しかし……。

「……死んでいるとも限らない」

 嘆く二ルディーの肩から、彼女を支えるように添えていた手を離し立ち上がるジル。ミーリャが彼を見れば、それに気づいたジルが小さく頷く。
 それだけで少年の意図を汲み取ったようだ。ミーリャはいつものように、呆れたと言わんばかりに息を吐く。

「あのガラスの鎖は特殊な術で作られているのね。恐らく強度は他のチンケな物とは比べ物にならない。ミーリャの呪術ならなんとかできるかもだけど、ミーリャはこのやかましい女とお前を守るので精一杯なのよ」

「つまりオルラッド頼りってことね。あんがとミーリャ。サイドテールにしたことは一緒に怒られてやるよ!」

 親指をたて無邪気な笑みを一つ。それから彼は地面を蹴り、飛んでくるガラスたちを素早く交わしながらベナンの元へ。
 敵と対峙するオルラッドがそれに気づいたのか、小さく振り返りながら懐から取り出した数本のナイフを放る。声をかけずとも察したようなこの動き。さすがである。

 オルラッドが何か施したのか、その刀身を淡く光らせながら、ナイフたちはガラスを破壊。息を止め、飛び散る破片を吸い込まぬよう注意しながら、少年は崩れ落ちるベナンをキャッチ。
 そのまま、いわゆる火事場の馬鹿力というもので、力ない彼女を二ルディーの元へ運ぶ。ジルの知る限り、この場で治癒術などというホワイティングな魔法を使えるのは彼女だけだ。
 ベナンを運んでいる最中、飛んでくる攻撃は全てミーリャの呪術により防がれていた。彼女といい、オルラッドといい、ジルの仲間は本当に頼りになる。

「ベナンっ、ベナンっ!」

 息を切らせた少年が意識のない彼女を地面に横たわらせれば、弾かれたように反応した二ルディーがその名を口にしながら彼女の体に手をかざす。柔らかに漏れる淡い光は恐らく、治癒系魔法にちがいない。やはり連れて来て正解だった。
 ジルは悲痛な声をあげる二ルディーから顔を逸らした。そして、未だ激しくぶつかり合っているオルラッドとガラス女に視線を向ける。

「っ、なん、なんだよくそがっ!!」

 女は既に満身創痍であった。彼女の魔法とオルラッドの剣技は相性が合わなかったらしい。
 地面に崩れ落ちた女を見下ろし、その喉元に剣を突きつけ、彼は問う。

「目的は?」

「んなこと言うわけないね!」

「依頼主は?」

「無駄なこと聞くなようっとうしい!」

「答えなければ殺すぞ」

「はっ! やれるもんならやってみればいいじゃん! 正義気取りのバカが調子こくなって──」

 女の、やかましいと思えるほど甲高い声は、そこでふと消失した。そのかわりと言わんばかりに辺りに響いたのは、剣が鞘に仕舞われる音と、重い何かが地面に落ちる音。
 何をしたのかなど、目にしなくともすぐに理解できた。

「……悪め」

 吐き捨てるように紡がれた小さな言葉。どこか悲しみを帯びたそれは、ジルの耳に暫くの間残っていた。