赤毛の剣士が剣を構えていた。
その顔つきはやけに憤っており、視線はどこかへと向けられている。ジルは彼の視線の先にあるものをなんとか見ようとする。しかし、なぜか視界が歪んで見ることが出来ない。
一体どうしたというのか。自分自身がどうなっているのかすら分からない。
──そういえば、やけに地面が近いな。
ふと思った少年は、己の状態を確認し始める。
濃い、紫色の煙が噴き出す黒い地面。首都でもない、首都へと赴くまでに踏みしめてきたものでもない、見覚えのない地面だ。それが視界の隅に存在している。
目の前にはジルの白い手。地面に沿うようにして、それはぽつんと置かれている。そう、文字通り置かれているのだ。
恐らく、この景色から察するに、ジルはかなりの深手を負ってこの地面の上に倒れているのだろう。どうしてそうなっているのかまではさすがに分からない。
不思議と痛みがないため冷静な自分。そんな自分が、なんとなく恐ろしいと思えた。
「早くしろ! さもなくばその首切り落とすぞッ!!」
「出来るもんならやってみるがいいさ」
珍しく声を荒らげるオルラッドと、全く知らない、聞き覚えのない男の声。会話的にオルラッドと対峙している誰かなのだろうが、それにしてはやけに気怠げだ。あのオルラッドを前にしてこれ程までに緊張感がないとは、かなりの強者であることは確か。
その姿、ぜひ拝んでみたい気がする。でもなんか死にそうだからやっぱり遠慮しておこう。
現実を逃避する脳内で自己解決しておく。
「正義気取りの英雄如きがこの俺に勝てるとでも? 自意識過剰もここまでくると笑えてくる。だが残念なことに、いくら負け犬が声たかだかに吠えようともアレはもうだめだ。直に死ぬ。残念だったなあ? 英雄様は飼い犬一匹すら守れなかったってわけだ」
「黙れぇええええッ!!」
鋭さを増した紫紺の瞳に、ありありと浮かぶ怒りの炎。駆け出したオルラッドを嘲笑するように、姿の見えぬそれは高らかに笑う。
ああ、だめだ。これはだめだ。いけない。
弱き者の直感が叫ぶ。
「──浅はかな野郎だ」
直後、オルラッドの体が傾いた。その腹部には何か──視界の歪みにより形状は確認できないが──赤黒く長い、棒状のようなものが突き刺さっている。
それは数を増し、顔をあげたオルラッドの細身の体を容赦なく貫いた。腕を、足を、胴を、何十もの不可思議な物体が、容赦の欠片もなく。
悲鳴はあがらない。しかし表情は苦々しい。
口端から鮮血を垂らし、だがそれでも目の前の敵を狩ろうと動く彼の腕が、剣を振り、己の体を貫く物体を切り捨て、前へ向かう。
「その執念だけは褒めてやるよ。けどな……」
肉を引き裂く音が響き、オルラッドの体に突き刺さったままだった黒い何かが膨張。彼の背を突き破るようにして、蝶の羽のような形を為す。
「お前にゃ誰も救えねえよ、死人さん」
剣士の手から、血濡れた剣が滑り落ちた。カランッと無機質な音をたてている。
落下したそれに続くようにして、糸の切れた人形のように、彼もまた倒れ伏した。生を失った瞳が、ゆっくりと光を消していく。
突然ともいえる死を与えられたオルラッドの名を、少年は無理矢理に喉を震わせ、力の限りに叫んだ。
◇◇◇
「──……だあ?」
目を開き、開口一番に放った一言は、あまりにも幼稚で赤子の鳴き声にそっくりであった。
寝相により乱れまくったベッドの上、ジルは大きく目を瞬く。目の前には昨日、寝る前に見た天井が存在していた。
特に違和感のない天井だ。薄い緑色のその中央部には、円形の電気が一つ取り付けられている。明かりは灯っていない。そういえば寝る前に消したんだったと、徐々に覚醒してきた頭で思い出す。
俺は今寝起き。つまり今のあれは、夢?
例の『予知夢』とやらだろうかと、額に溢れる汗を片手で拭う。そのまま体を起こせば、室内に設置された残り二つのベッドに膨らみがあることに気づいた。
ジルの眠る場所からさほど離れていない位置にあるベッドにはオルラッド。窓際のベッドにはミーリャの姿があった。未だ微かな寝息をたてながら、特にシーツを乱すこともなく、二人は静かに眠っている。静かすぎてちょっとこわい。
ふと時計を見れば早朝の二時であることに気がついた。お子様も大人もまだ夢の中を走り回っている時間帯だ。
そりゃ寝てるわなと息を吐き、ジルは二人を起こさぬようにベッドからおりる。そして出来るだけ音を消し、忍び足で部屋を出た。
彼らが宿泊した場所。実はここ、『なんでも売買店』である。
昨日、ホテルらしき場所を探し求めさまよい歩いていた彼らに、店の損傷が激しいために仕事を放棄したらしいベナンが声をかけたのだ。
事情を説明したところ、彼女はなんだそんなことかと言いたげに笑みを作り、ならばここに泊まるといいと提案してくれた。
店も壊れているし、二ルディーを助けてくれたお礼もまだしていないしで宿泊代はタダ。これはもうのるしかないと彼女の提案を飲んだわけである。
「……そうは言っても、別にここら辺は全然壊れてないんだよなあ」
ベナン曰くこのビル自体全て『なんでも売買店』の所有物らしい。各階により売っているものはちがうようで、このホテル地味た所は比較的上の方。破壊されたのは一階のフロント部分であるため、ここら辺にはたいした損傷は見当たらない。
本当にタダで良いのだろうか?
ジルの中にある良心が不安がる。
「……あ」
「え? ……あ、二ルディーさん」
悩ましげな顔で通路を歩いていたジルは、ふと目の前に現れた緑色の頭を凝視。それから相も変わらず不安気な瞳を揺らす彼女──二ルディーの顔を見る。
仕事中のようだ。
二ルディーの手には大量の、真っ白なシーツが抱えられていた。ホテルスタッフのようなことをしているというわけか。
勝手に考え、勝手に納得。スーツ姿だし特に違和感はないと頷いた。
「……あの、雑魚のお客様。邪魔なんですけど」
「雑魚!? 雑魚って言った!?」
「あ、すみません。お客様が小さいのでつい……とにかく仕事の邪魔ですので退いていただけると助かります」
「あ、すみませ……チビじゃない!!」
朝から何度ツッコミを連発させる気だ。これだからボケ担当は恐ろしい。
よくわからないことを考えつつ、ジルは通路端に避けた。緑色の壁を背にし、二ルディーが進行できるように道を開く。
「どぞ」
「……」
短く促す。しかし、どうしたことか二ルディーは動かない。どころかじっと、何かを待つようにジルを見つめているではないか。
ジルより少し身長の高い二ルディー。自然と彼女から見下ろされる形となったジルは、向けられる深緑色の瞳を見返し、小首をかしげる。
「……あの、なにか?」
「……じぃー」
なんてこった。効果音をつけてきたぞ。
ジルは彼女の早く察せと言いたげな視線を受けながら、両手で頭を抱えて思考を回す。そうして何かを閃いたように、右手の人差し指を彼女へと向けた。即座に「指をささないでください」と言われるが、それはスルーして閃いた事柄を口にする。
「手伝ってほしい感じ?」
「手伝っていただけるのですか? お客様にそのようなことをさせるわけには参りませんが……ああ、しかし、お客様がどうしてもというのであれば痛いけでか弱い私には拒否することなどできません。ごめんなさいベナン。私はどこまでも臆病で……指をささないでください」
最後にちゃっかりジルの行動に対しての小さな怒りを紡ぎ、彼女はやや無理矢理、腕に抱えていた大量のシーツをジルへと押し付けた。なんとか耐えてそれらを持つ幼子の足はプルプルと情けなく震えている。
「落としたら怒ります。ベナンが」
自分は怒らないのかよ。
何食わぬ顔で歩き出す二ルディーの背中を視線で追いかけながら心の中でつっこむ。
「き、筋力つけよ……」
さすがに女性に負けては御笑い種だ。
さっさと前を行く二ルディーの後を、ジルは必死の思いで追いかけた。