Q、あなたは人間ですか?
「ハーフってどっちだ? いや、ハーフだからnoか」
Q、あなたはからあげが好きですか?
「なんか親しい間柄の奴にする質問みたいなのきたんだけど。からあげは好きだからyes」
Q、あなたの就寝時間は夜の23時を過ぎますか?
「えー、微妙だなぁ。俺、夜更かし好きだしわりと過ぎることもあるから……yes?」
Q、早く寝ろ。
「これもう質問じゃないよね!?」
思わずと言った風に立ち上がったジル。その手は完全に己を舐め腐っている書類──という名の診断ゲームを、握り潰さんが如く震えている。
「なぜ俺はこんな紙切れ一枚に指図されねばならんのだ。しかも23時前には寝ろだと? ゲーマー舐めんじゃねえぞ!」
「ジル。診断如きでみっともないのよ」
怒りに荒ぶるジルの隣、腕を組み、足を組み、やけに偉そうな態度でソファーに腰かけたまま、ミーリャは告げた。その瞳はやる気こそ感じられないものの、ひどく不愉快である、と言いたげだ。
ジルは考える。
確かに、よく考えればこんな診断如きに怒る必要などどこにもない。寧ろ皆無だ。所詮これは診断。そう、診断なのだ。紙の上に書かれただけのそれにどうして己が感情を左右されなければならない。意味がわからん。
徐々に自分を取り戻してきたジルはソファーにかけ直し、額にかかる前髪を軽くかきあげる。そのまま「フッ、馬鹿なことをした」なんて馬鹿げたことを口にしながら、改めてといった風に手元の書類を見直した。
Q、アホめ。
「ふっざけんじゃねえええ! 誰がアホだこんちくしょうがっ! しかもこれ質問じゃねえし! Qつけてりゃいいってもんじゃねーぞくそったれが!!」
ジルは憤慨し、書類を机上へと叩きつけた。
軽く悲鳴のような呻き声のような微妙な音が聴こえてきたがきっと気のせいだろう。気のせいに違いない。
「……書類に乱暴はおやめください」
前方の席で、微動だにせずにカップを眺めていた男が、唐突にそう言った。
「書類は大切なものなのです。乱暴は困ります」
「あ、すみません、つい……じゃなくて! なんですかこのふざけた診断! 俺なんでこんな舐められてんの!?」
「書類には、人の心がわかるんですよ」
なぜか儚げな笑みを浮かべて彼は言った。
──うわ、痛い人だ……。
口に手を当て、若干身を引きながら心の中でジルは思う。
失礼極まりないジルを前、男は叩きつけられた書類を回収した。見たところで意味など為さないと思うが、彼はその内容に目を通し、「ふむ……」と何かを考えるように己の顎へと片手を添える。何を考えることがあるのか。ジルには男の動作が理解できない。
「……そういえば客人よ。お名前は?」
また突然な質問だ。名前くらい少し前に聞いておけば良いものを……。
「ジル。ジル・デラニアス」
ちょっとだけ不満を表しながら、ハーフの少年はその名を告げた。忙しなく獣耳を動かす彼の名を聞き、男は再び何かを考え込む。ゆっくりと瞼を閉じ、動きを止める姿は正直言って不審だ。かなり近寄り難い。いろんな意味で。
話が途切れたことにより手持ち無沙汰になったジルは、ソファーに座り直して机上のカップを手に取った。中を覗き込めば薄茶色の液体がジルの顔を写し出す。紅茶だろうか。先程より湯気が薄れたそれに口をつける。
「……して、デラニアス殿」
「はい?」
「お喜びを。査定が今しがた終了しました」
「お、あ……ほ、ほんとですか!?」
カップを両手で持ちつつ、勢いよく立ち上がったジル。翡翠の瞳を見開き叫ぶ彼に、男は頷く。
「デラニアス殿。あなたに与えられる肩書きは──」
◇◇◇
「……とりあえず、第一関門突破ってとこだな」
手にした査定結果の書類を眼下、ジルはポソリとそう言った。そんな彼の見下ろす紙切れの上には、『悪』の文字。赤い印でハンが押されたそれは、間違いなくジルに送られる肩書きである。
「しっかし、この俺が悪とはなぁ……こんなにいい子ちゃんなのに。悲し」
「どうでもいいからはやく行くのね」
くあっと欠伸をこぼしたミーリャが、目尻に溜まった雫を拭いながら言った。ジルはそれに頷くと、「しかし変だったよなぁ」と一言零す。
「あの似非神父。なぁんかやな感じだわ。あれぜってー悪役だぜ、悪役……あれ?」
窓口から待ち合い席のあるフロアまで戻れば、なにやら騒動が起きていた。巨大な波のような人集りが一つの輪となり、何かを囲んでいるようだ。まさかの野次馬イベントに、ジルの垂れていた獣耳が立ち上がる。
「何事?」
「さあ? 知らない」
興味もないと言いたげに歩き出すミーリャ。その手を慌てて掴めば、彼女は桃色の髪を揺らしながら驚いたように振り返った。若干上擦った声が、小さな唇からつむぎ出される。
「な、なに?」
「え? なにって、この人混みだとはぐれるだろ?」
比較的背の低いジルとミーリャ。この場で勝手な行動をとると、確かに、いつ人々の波に二人が流されてしまうかわかったもんじゃない。建物内なので見つからないことはないと思うが、それでも念には念を、というものだ。
「はぐれると面倒だしこの方が良いだろ。あ、もしかして俺と手を繋ぐの嫌だったり? つか汗ばんでない? 大丈夫? 汗ばんでたら申し訳ないからちょっと一回拭くわ。待って」
そう言って宣言通りに己の衣服で両手を拭うジル。
「──ほら」
念入りに拭った手のひらを上に向け、彼は小さく微笑んだ。悪意のないその笑みに、ミーリャの双眼が僅かに揺らぐ。
弱いくせに、なぜこうも明るく笑えるのか。なぜあのように凄惨な現場を見たあとでも、わかりやすい程の元気を貼り付け振る舞えるのか……。
恐る恐ると、差し出された手を握ってみた。男にしては小さく、ひどく頼りなく、しかしとてもあたたかい、そんな彼の手が、触れたミーリャの手をそっと掴む。
「さ、行こうぜ! オルラッドと合流しないと──」
そう言って、歩き出そうと片足を前に出したジルを咎めるように、集団の中心部から怒鳴り声が聞こえてきた。この広い建物内全体に響き渡るような、大きく、野太い、男の怒鳴り声だ。やかましく、かつひどく不愉快なそれを聞き、ミーリャの整った眉間にシワが寄せられる。
大きな声を拒絶するように垂れたジルの獣耳をチラリと確認してから、ミーリャは歩き出した。ジルが止める間もなく進む彼女は、繋いだ手だけは離さぬようにと、ほんの僅かに己が指に力を込める。きっと鈍感なジルには気付けぬほどの、不器用な彼女なりの、照れを隠した小さな気遣い。
気づかないならそれでいい。
ミーリャは人混みに堂々たる態度で突っ込みながら、頬を僅かに赤く染め、一瞬、ひどく楽しそうに笑みを作った。
「おいおいおい! 冗談じゃねえぞこのクソ女がッ!!」
邪魔としか言えぬ程の人だかりを漸く抜け切り輪の中心へと顔をだせば、やけに筋肉質で野性的な服装をした男と、それに威厳ある表情のまま相対するベルディアーナ・フローネの姿が確認できた。男はベルディアーナの目前に真っ白な、一枚の紙切れを突き出している。あれは確か……。
「俺はなあ、俺にあった職を取りにココまで来たんだ! 他人を弄り、殺し、そうして生きていけるような職業を取りにな! なのに、なんだこれは!? この紙切れに記されたのは正義の文字しかねえじゃねえか!!」
前方の男は叫び、さらに大きな声を張り上げた。
「何のための施設だ! ああ!? 自分の望むモノを得られない場所に、何の意味があるってんだよ! 金取り虫が威張ってんじゃねえぞこら!!」
「……煩わしいぞ、木偶め」
ベルディアーナが言葉を発した。かと思えば、彼女は手にしていたレイピアを突如として振りかざす。そうして、いともあっさりと、己よりも大きな男を地に伏せさせた。あまりの早業に辺りは騒然。ざわつきは一瞬にして消え去る。
「その薄汚れた眼は飾りか? 見えぬわけではなかろう? ここには誰がいる? 逆にいないのは誰だ? 考えようと思えばいくらでも、なぜそうなったのか、その理由を考え、答えを導き出すことは可能であろう。そうではないか? ん?」
レイピアの切っ先で伏せた男の顎を掬い、ベルディアーナは笑う。
「実に不快で見るに耐えない輩めが。そんなに底辺たる悪に染まりたいというのであれば不在者を探し、引き摺り、ここまで連れて来てみてはどうだ? できるだろう? 可能だろう? 出来もしないくせに、この私に、汚染された唾を飛ばしながら、聞くのも煩わしくなるような大声を荒らげたりはしないだろう? ……答えろ、木偶」
女とは思えぬ程に鋭い眼光。その瞳に射すくめられた男は、顔から血の気を引かせ、這いずるようにその場を去る。まるで負け犬だ。ベルディアーナは汚物を見るような目で逃げる男を一瞥し、忌々しいと言いたげに舌を打ち鳴らし踵を返す。
「どうしてこうも、世は使えぬ奴らしか育まぬのだ」
小さく吐き捨てられたそのセリフを、ジルはなんとも言えぬ顔で聞いていた。
屋内は、水を打ったような静けさを暫くの間保っていた。束の間とも言える短い争いごとは、存外、観客となり得る者達をその場に縛り付けるには十分な力を発揮したようだ。
この静けさを招いた張本人であるベルディアーナは、いつの間にやらこの場から姿を消していた。果たしてどこへ消えたのか。それは今のところ誰にもわからない事柄だろう。
ようやく自分を取り戻し、わらわらと蜘蛛の子を散らすように動き出す野次馬たち。その中で未だ繋いだ手を離さぬまま、ジルとミーリャはどちらからともなく互いに顔を見合わせた。
少しの沈黙。
先に口を開いたのはジルだった。
ジルは小首を傾げ、片眉を器用にさげながら己の中にある疑問を口にする。
「……なあ、今のってどういう意味?」
「今のって?」
「あの人が言ってた、『不在者』がうんたらってやつ」
ああ、そんなことか、と言いたげなミーリャ。
軽く細められた瞳は、頭の悪い世間知らずな馬鹿を見るようで、ジルはいたたまれずに視線をそらす。
「お前ってほんと……はぁ」
何度呆れさせれば気が済むのだと、彼女は纏う雰囲気で物語っていた。それに気づいたらしい。ジルは若干ムッとするものの、すぐに数時間前の出来事を思い出す。
あれは確か、整理番号を貰ってすぐのことだったか……。
「……あのさ、これは俺の思い違いかもしんないんだけどさ。もしかして、あの時に言ってた、あー……悪代表が、不在? っていうの? あれとなにか関係があったりする?」
「大ありだよ」
「いやぁあああ!?」
女性顔負けの甲高い悲鳴をあげ、ジルは飛び退いた。凄まじい俊敏さだ。残像すら見えそうである。
突如としてジルの背後に現れたオルラッドは、そんな彼の反応に驚いたようだ。紫紺の瞳を二、三回程瞬き、やがて己の顎へと片手を添えて何かを考える仕草をとる。
「……ジル。今の反射神経はなかなかのものだったと俺は思う」
「真剣な顔して変なこと言わないでくんない!? あとビビらせんなよ頼むから!!」
俺の心臓は驚かされることに弱いんだ、と己の胸元を抑え少年は叫ぶ。そんな彼に、オルラッドは耐えきれなかった笑いを小さくこぼした。
「ふふっ、すまない。いやしかし、君は本当に面白いな、ジル」
「どうも。褒められた気が全くしませんけど……」
それより説明してくれと、彼は頭上に存在する獣耳を動かしながら告げた。オルラッドはその言葉に、忘れかけていた事柄を思い出したように軽く目を開き、そして細める。
短くもありきたりな動作。その動きにすらどこか憂いを感じるのはなぜなのか……。
「そうだったね。じゃあ、説明しよう」
そう言って、赤髪の騎士は咳払いを一つ。
「この施設は元々、悪と正義のために作られた場所であり、彼らの頂点に立つ者は必ずここにいなければいけないんだ。それでこそ秩序が保たれるからね。しかし、悪代表は何を考えているのか突如としてこの施設から消え去った。何度も帰還を促しているものの、奴はそれを拒絶。一向に戻ってくる気配はない」
「だから正義代表のあの奥様はお怒りになっていた、と?」
「そういうこと」
実にありきたりな話である。
困ったものだと肩をすくめるオルラッドを前、ジルは少しばかり、普段は滅多に使うことのない思考を回した。
「……なあ、ミーリャ。オルラッド」
「なに?」
「なにかな?」
二つの声が揃う。
ジルは顔を上げて、やたらと輝いた瞳を彼らに向けながらこう言った。
「その悪代表とやら、探しに行かない?」