浮ついた教室の中で、一つため息をつく。
 一週間後に控える夏祭りにクラスでは、誰と行くだの、どこへ行くだの、祭りの提供は何組のあいつの親なんだとか、花火を上げるのは俺の親なんだとか、そんな話題で盛り上がっている。
 海が望める片田舎に位置し、大半は地元の人間で構成されているこの学校では、その手の祭り事は一大行事らしく、部外者の私としては異様なほどに盛り上がっていた。
 自分から切り離された喧騒が私を包み込んで、そのゴツゴツとした表面が肌に触れる。
 もの寂しいね、などと自嘲気味に呟いても、それはただクラスメイトの話し声にすりつぶされて、思わず両手で掬い上げたくなるような衝動に襲われる。
 人間関係がすでに構成されている中、都市部から入学している私は明らかな異物として、夏を迎えた今もなおやや浮いた存在となっていた。
 特段いじめや無視されると言ったことはなく、機会があれば楽しく会話するのだから、異物というのは少し違うかもしれないが、なんというかそれも立食パーティーでの挨拶みたいに感じられて、一人妙な疎外感を感じている。
 喧騒とふたりぼっち、とでも言いたくなるような空気感だ。
 仲良くなりたいのに間違いないはないが、果たして今仲が悪いかと言われれば分からないし、どうすれば良いのかも分からない。
 クラスで私だけが、建前の仮面を身につけている。
 さながら仮面舞踏会である。
 母が作った弁当を食べ終えて、次の授業の準備を済ませると、手持ち無沙汰を誤魔化すようにスマホをいじる。
 とっくに速度制限で、満足に検索エンジンも映さないのに、だ。
「あ、そういえば、三春は浜まつり来るの?よかったら一緒に回らね?」
 突然自分に向けられた陽気な声に思わず肩を振るわせる。
 視線を移すと、斜め前の席を固めて昼食をとっていた一団の一人が、こちらを向いて尋ねてきた。典型的なスポーツ少年といった風貌の男子、永田だ。
 周りには、目のギリギリまで伸ばした前髪が特徴的な松本と、少し化粧の目立つ優花、それから丸メガネをかけたおとなしそうな愛花がいる。
 こういった一見チグハグな集団は、変に区画分けのなされた都市部の中学校では見られなかったから、少し物珍しく感じていた。
 そこまで思い至って、問いかけられたことを思い出し、慌てて取り繕った答えを返す。
「帰りの電車が心配だし、夏休み中夏期講習とかぶってそうで、行ってみたかったんだけど厳しいんだよね」
「そっかー、家遠いと大変だよねー」
「電車で一時間半とかだっけ?」
「結構色々あるから、来れたら楽しめると思うよ」
 口々に話す彼らを見て、羨ましいなと思う。
 後悔ではなく、ただ純粋に、羨ましいと思った。
 湧き上がってきた感情を意識の下に押し込めて、儀礼的に礼を言う。
 その後の会話に入れないことを悟って視線を画面に戻した。
 反射した自分の見透かすような視線に、言わないよ、そんなこと、と呟く。
 さっきと同じように、すり潰されて消えていった。
 今度は、拾おうと思わなかった。
 
 
 
 その日の放課後、委員会の仕事を終えて早々に帰宅しようとしていると、下駄箱で、やたらラフな服装をした男性に声をかけられた。
 前髪が目を覆って、ワイシャツに裾の広がったズボンと、奇妙な風体をした男性は、定期面談、君で最後だから応接室まできてくれない?と告げてきた。
「そんなのあるんですか?」
「やってるよ。三年生から順にやっていくから、一年生は毎年この時期なんだ。クラスの人も、ちらほらいってたんじゃない?」
 知りません、とは言えない。
 言われてみると、さっきの昼休みに応接室にいくというような話は耳にした気がする。
 ただ、それも曖昧な記憶で、果たしてそんなものがあるのか、あったとして、自分はそんな重要な連絡を聞き逃すか、伝えられていないほどクラスから剥離しているのかと、陰鬱な気分になる。
 そうなんですねと、当たり障りのない返事を返し、彼の後を追った。
 道中、応接室冷房ないから地獄だよ、四年前この学校の担当になってからずっとつけてくれっていってるのにいまだにつかないの、とか、今度やる夏祭り打ち上げ花火が凝ってて面白いんだよ、協賛企業のロゴ打ち上げたりして、とかそんな話をペラペラと語っていた。
 よく回る舌だな、と少し羨ましく感じているうちに、彼のいう応接室にたどり着く。
 離れ校舎の二階にひっそりと位置し、年季を感じさせるそこは、夏場の陽光を一身に受けて、確かに冷房が必要な場所だと思った。
「いやー、探したよ。時間になっても来ないから、校舎中歩き回ってて」
「すみません、気づきませんでした。委員会の仕事してて」
「大丈夫、大丈夫。たまにあることだからね。ああそうそう、私は桜田。企業のカウンセラーで、この辺の学校を担当してるんだ。多分初めましてだよね」
 桜田さんはそういって、椅子に座るように促す。
 机を二つ突き合わせ、パイプ椅子がそれぞれ二つずつ置かれただけの簡易的な座席だ。
 失礼しますと断りを入れて席に着く。
「それで、定期面談って何するんですか?」
「本当に簡単なものだよ。学校生活で困ってることとかない?みたいなね。簡易的すぎて本当に意味あるのか分からないけれど。君だって、こんな見ず知らずの男にペラペラ悩み話そうと思わないでしょ?」
 内心を当てられて、返答に困り、曖昧に笑みを浮かべる。
 あははと、乾いた笑い声が溢れていた。
「まあ、そんなところだよ。何かあったりする?」
 桜田さんの、どこか試すような視線が胸に刺さる。
 話すことがないこともないが、これが悩みかと言われると悩ましい。
「特にないです」
 と、考えるより早く口を突いて出る。
「本当?じゃあ、クラスで誰と仲がいいとか、誰が苦手とかある?」
「えっと」
 予想外の角度からの質問に思わず息が詰まる。
 わずかに視線を宙に泳がせて、必死に当たり障りのない答えを探す。
 誰をあげればいいのか、誰ならあげられるのか、考えても名前の一つも思いつかず、結局、全員と仲がいいし、苦手な人もいない、というなんともいえない返答をした。
 桜田さんは特に気にしたふうでもなく、
「やっぱ高校でいきなりこっち来ると、グループとかできてて入りづらいよね」
 と笑っていた。
 どきりと、鼓動が早まる。
 そうですね、と笑うしかなかった。
 うまく笑えているとはとても思えないが、それでも笑うしなかった。
「それこそ、今度の祭りとかいってみてもいいんじゃない?なんなら私が案内しようか?」
「そんなことしていいんですか?怒られません?」
 わずかなあどけなさの残る所作で髪をいじりながら、桜田さんが問いかけてくる。
 一瞬何をいっているのか理解できず、試されているかのような感覚になった。
 かろうじて返したのは、ひどく常識的で一般的な意見だったと思う。
 桜田さんはイタズラっぽく、
「まあ、田舎だからね」
 と微笑む。
 何が大丈夫なのか全く分からないが、とにかく妙な安心感を感じさせるような、そんな声色だ。
「それに、仲良くなるなら機会が必要でしょ。この学校みたいなとこだと特に。その為に必要な行動まで一々倫理だモラルだで規制されてたら敵わないよ。私たちの本懐は生徒を助けることなんだからさ。頭の硬い規律で縛れるようなものなわけがない」
 滔々と語る中に、私の本心を見透かしたような言葉を感じる。
 もしかすると、バレていたのかもしれない。
 幾千万とはいかずとも、多くの子供を相手にしてきた彼にとって、私の内面を見通すことなど造作がないのかもしれない。
「本当によくしてもらってるんですよ」
 と、気づけば言い訳がましくいっていた。
 私の、独りよがりなエゴのせいでクラスの人たちに迷惑をかけたくなかった。
 それと同じくらい、そのせいでクラスから決定的に弾き出されたくなかった。
 桜田さんは、一瞬きょとんとした表情を浮かべ、やや間をおいて、
「ああ、違う違う。私はただ、生徒の望みを叶えるだけだよ」
 と答えた。
「でも、みんな仲良くしてくれて、壁を作ってるのは私の方で、第一そう思っても動こうともせずに、本心を隠して勝手に一人でいるんです」
 だったら、と声が聞こえる。
 だったら、面白そうなことがあるから、なおさら祭りにはくるべきだよ、と。
「そんな資格があるとは思えないです。それに、永田くん達の誘いも断ってしまってるし」
「大丈夫、大丈夫」
 でも、と粘ろうとする私を制して、桜田さんは、
「隠してる本心なんて、誰しもあるもんだし、気にすることはないよ。誘いの方も、いけるか分からないって答えたんでしょ?じゃあ大丈夫だよ」
 と、先ほどと同様、根拠のない自信をこちらに贈りつけてくるような声色で言った。
 そういうことではないのだ、とは、その声を聞いてはとてもいえなかった。
 
 
 
 それから一週間後、私はいわれるがままに夏祭りに来ていた。
 終業式まで、胸に巣食った罪悪感のせいで、クラスメイトの顔をまともに見ることができなかった。
 たった数日で非現実を纏った最寄駅を、妙な緊張とともに出る。
 桜田さんは、案内するといったきりなんの音沙汰もない。
 後ろめたさと不安から、同じ学校の人たちと会わないように、慎重に道を歩いていた。
 日はすでに沈んでいる。
 何か悪いことをしているようで、すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
 海岸までの道は多くの人で賑わっていて、いくつかの出店が散見された。
 一人で歩いているのなんて私ぐらいで、皆楽しそうに誰かと笑い合っている。
 永田たちと出くわすことか、一人でいることか、それとも別の何かに怯えながら、奥へと進んでいく。
 屋台に並んだ食べ物も買わずに、ただひたすら進んだ。
 砂浜に人と屋台と、それから櫓が立ち並び、かなりの壮観となっている。
 祭りを全部見てまわれば、十分頑張ったと言い訳できるんじゃないかと、そんな気がしたからだ。
「桜田さんからなんか来た?」
「いやきてない。一旦駅の方行くかなー」
 聞き馴染みのある声で、聞き馴染みのある名が聞こえた。
 こわい。にげたい。
 なぜだかそんな感情が湧いてきて、気づけば走り出していた。
 スカートが、後ろ髮引くように足にまとわりつく。
 それでも構わず、ひたすら走りに走っていた。
 たどり着いたのは、人気のない海の家で、祭りの明かりと喧騒が、一塊となって遠くから眺められた。
 なぜ逃げたのか、と自問すれども、答えることはできない。
「あれ、ここにいたんだ」
 建物の隅でうずくまっていた私に、先日聞いたばかりの声が響いた。
 見上げると、作業着にマスクを付けた桜田さんがこちらを覗き込んでいる。
「なんですかその格好」
「花火の設営手伝っててさ、慣れていないからフル装備なんだよ」
「全然印象が違います」
「人のイメージって服装でほとんど決まるし、表情も口元の情報がほとんどだっていうもんね」
「そうなんですか?」
 らしいよ、と軽快に笑うと、
「それで君は逃げてきたの?誰かしらに会えた?」
 と、躊躇なく尋ねてくる。
 心臓を小さく押し込められるみたいな感触が広がって、なんと答えればいいのかわからなくなった。
 あえてないです、と絞り出す。
 せっかくのお膳立てを生かせずにすみません、と心の中で謝罪を口にする。
「そっかー」
 と、間延びした返事が聞こえる。
 失望だろうか諦念だろうか、桜田さんが浮かべたであろうその表情を掻き消すように、ズドンと大きな振動が現れる。
 驚いてあたりを見回すと、打ち上げ花火が始まっている。
 多くの人が眺めているのだろうな、などと考える。
「まあ、そういう日もあるよ。別に無理に頑張ることじゃないしね」
 ああ、と申し訳なさが胸に染み出してくる。
「すみません、丁寧に機会を作ってくださったのに」
「いやいや、機会自体はこの自治体が作ったし、そんなに謝ることないよ」
 と、平穏に笑う。
 あたりには、先ほどから響く花火の音が聞こえてくる。
「あ、そういえば、最後一発花火あげてかない?」
 なんてことないように、とんでもない提案が飛んでくる。
「どういうことですか」
「いやなに、どっちかっていうとこっちの方をやってみてほしかったんだよ。スッキリするかもよ、ボタン押すだけで簡単だし」
「いいんですか?そんなこと」
 大丈夫大丈夫、花火師さん達にも話通ってるし、と言うと、桜田さんは私の手を引いて打ち上げ台の方に向かっていく。
 左手ではスマホをいじっていた。
 花火師さん達は、特に何も言わずに発射のボタンを渡してきた。
 じっと、それを見つめる。
 少し角張って、重厚なそれは、私が押すには些か不釣り合いな気がする。
「ほらほら、そろそろだよ」
 と、桜田さんの声を聞いて、私は半ばヤケで思い切りボタンを押す。
 ずっしりとした感触が跳ね返ってきて、直後にドンと横から大きな衝撃が伝わってくる。
 蛇行しながら空に登る花火を見て、少し期待する。
 私のこの、言葉にしては陳腐な思いを、綺麗さっぱりこの世界に炸裂させてくれないか、と。
 パッと、光が広がる。
 空にその花が咲くと同時に私の心が軽くなるとか、そんなことはまるでないけど、ただ綺麗だった。音と衝撃と、遠くに響く歓声が、やさしく肌に触れるような、そんな感じがした。
 
 
 
「いやぁ綺麗だったねー」
 しきりに話す桜田さんに、そうですね、と返す。
 打ち上げ花火の終了とともに、祭りも緩やかに終わりへと向かっていき、あたりでは屋台が店をたたみ始めたり、誘導のアナウンスが響き始めたりしていた。
 夜道だし送っていくよと先導した桜田さんの背を追う。
 妙な一日だったけど、明日からまた一人の夏休みに戻っていくのだろう。
 せっかく桜田さんが動いてくれたが、そううまくいかない。
 夏休みが明けて、一層仲を深めた級友達を思い浮かべて、少しだけ憂鬱な気持ちになる。
 そんなことを思いながら歩いていると、先ほど感じたような衝撃が、後ろから響いてきた。
 打ち忘れだろうか。
 反射的に空を見上げる。
 真っ暗な空に打ち上がった花火が、ばっと咲く。
 途端に周囲の音が消えて、静寂が訪れる。
 真っ赤なそれは、横一列に並び、一つの文をつくっていた。
「どっかあそびにいこう」
 あっはっは、と桜田さんの大きな笑い声だけが響く。
「あれ、君に向けてだよ、永田達から。さっきの花火職人の人たち、永田の実家なんだよね」
 え、そんなどうしてなんで、と脳裏を駆け巡らせている間に、桜田さんは続ける。
「いやぁ、馬鹿だよね。普通に誘っても断られるから、やっぱド派手なことしないと、とかって」
 ふふっと、笑いが堪えきれないといった様子だ。
「なんでこんなこと……」
「あいつらに頼まれたんだよね。あれ見せたいから、なんとか上手いことやってくれないか、とか、嫌われてないか確かめてくれないか、とか。それでなんとか、存在しない定期面談で乗り切ったんだけど」
 混乱で頭が追いつかない。
「まあなに、取り繕って隠し立てするのはなにも、君だけじゃないって話だよ」
 それに、と。
「それに、仮面で隠してたって、ちゃんと見てる相手には、存外、バレたりしてるのかもよ?」
 あ、そろそろくるんじゃないかな、あいつらも、と告げられ、あたりを見回す。
 こちらに近づいてくる小さな影が見えた。
 パッと視界が開けるように、一気に音が戻る。
 喧騒は一瞬で周囲に満ちて、そのまま、私を取り込んだ。