チクタクチクタク、時計の針が忙しく動く。
私の脈も釣られて早くなっていく。
時刻は午後11時半。
正しく言えば23時。
ベッドの上でスマホの画面とにらめっこ。
あぁ、なんて不毛。
好きな人にメッセージ1つを送るだけで1時間も悩む人なんて、この世界中どこを探しても見つからないだろう。
はぁ、と無意識に深いため息がこぼれる。
ごろんと寝返り、トーク画面に残っている最後の履歴を見返した。
やり取りをする時は、必ず私のメッセージが最後。
連絡をするのは必ず私からで、相手から来たことなんてたったの一度もない。
初めも終わりも、全部私。
いつも私の気持ちだけが一方通行。

「はぁー…。ほんと、馬鹿みたい」

独り言が宙を舞い、真っ暗な部屋で誰にも聞かれず消えていく。
気がつけば、思い出という名の記憶が浮かんでいた。

私の初恋は、小学校3年生の時。

仲のいい友達が、“好きな人”に変わった。
きっかけなんて何も無かったけど、積み重ねた時間と思い出が私の気持ちを徐々に変化させたのだと思う。
家が近くて同じクラスの、同学年の中でも1番仲がいい男友達だった。
よく喋り、よく転び、よく笑う。
小学生ならではの元気が有り余った人。
たまに意地悪してくるし、からかわれることもよくあったけれど。
…私にとっては、太陽みたいな人だった。
弱虫で泣き虫で意気地無しな私にも、いつだって笑いかけてくれるし、「今日も遊べる?」って毎日声をかけてくれる。
彼にとっては普通のことで、ただの友達に向ける笑顔と言葉だとしても。
私にとってはそれら全てが特別だった。

だから、告白して付き合えることになった時は、嬉しいなんて言葉じゃ言い表せないくらいに幸せだった。
彼も私と同じ気持ちを抱いてくれている。
そう信じて疑わなかったし、一度疑ってしまったら、どんどん信じられなくなっていきそうで怖かった。
私のことを好きじゃなかったら告白にOKなんてしないはずだ、って。
好きじゃない人と付き合ったりしないでしょ?って、自分に言い聞かせていた。
でも、ちょっと勘違いしていたの。
付き合うことがゴールと思っていた私は、その先を全く考えていなかった。
それが、中学1年生の春。

自分が“重い”と感じたのは、付き合ってから1ヶ月くらいたった頃。
中学に入ってから初めてクラスが別れた悲しみと寂しさが、好きの気持ちに拍車をかけたのかもしれない。
会えない寂しさを埋めるため、昼休みを使って彼の教室に行き、呼び出すというのがよくあった。
よくないと自分でわかっていながらも、どうしてもやめられなかった。
メッセージのやり取りも、3日に1回程度の頻度から必ず1日1回に変わった。
「面倒くさい?」って何回か聞いたことがある。
そう聞けば絶対に「そんなことないよ」って返すから、その発言自体が面倒くさいということに全く気づかなかった。
でも、それ以外にも嫉妬したりヤキモチを妬いたり、醜い感情ばかりが出てくるのもしんどくて。
私の知らないところで女子たちと楽しそうに話しているところを見たら、嫌でも不安になってしまった。

『あのさ、私のこと本当に好き?』

トーク画面にその字が映し出されてから既読になるまで、何時間経ったのかなんて考えたくもない。
だって、返信が来ることは二度となかったから。

自然消滅って本当にあるんだなぁと、どこか人事のように感じていた。
結局、私たちが付き合ったのは約1年半。
あのメッセージがきっかけで、教室に会いに行くこともメッセージのやり取りも、何もかもが怖くなった。
自分がしていたことの異常さをやっと理解して、理解した上で彼と距離を置くことを決めた。
本当に勝手で最低だけど、そうでもしないとこのまま彼から離れられないと思ったの。
でも……効果はなかったみたい。

物理的な距離はできたけど、肝心な心の距離はどうしても無理だった。
だって、現に今そうだから。
忘れようと思っても、ふと思い出してしまう。
中学を卒業して、高校に入学して。
あともう少しで卒業するというのに、未だに彼の存在が心に引っかかる。
日が暮れるまで一緒に遊び、話して笑いあったあの時にはもう二度と戻れないのに。
あまりにも綺麗な過去に、必死にすがりついてしまう。
友達に教えてもらった彼の連絡先に、何度もメッセージを送ろうか悩んで3年経った。
明日はもう高校の卒業式。
早く寝ないと明日になってしまうのに、まだまだ今日は終わらないと悩みに悩んで今に至る。
私の都合で時止まらない。
連絡するならする、しないならしないでとっとと寝ないと。

「〜っだめだ。むり…」

またもや誰に言うわけでもなく独り言をこぼし、布団をはいでベッドから起き上がった。
適当に上着をとって部屋を出た後、静かに階段を下り玄関のドアを開けた。

「寒っ…!」

外に出た瞬間身震いする。
もう3月だというのに、まだまだ全然寒い。
真夜中特有の静けさが、余計に寒さを感じさせる気がした。
3月って春じゃなかったの?もっと分厚い上着を着てくればよかった…。
そんな後悔をしても、すぐ家に戻る気にはならなかった。
肩を縮めて腕をさすりながら、一歩ずつ歩を進める。
向かう場所は、よく彼と遊んでいた公園。

「わー…すごいボロッボロ」

閑静な住宅街を2、3分歩けばほとんど整備されていない小さな公園が見えてきた。
滑り台と砂場、2つのベンチが並んだこの公園は小学生の遊び場だった。
もっと大きかったような気がするけど…気のせい?
辺りを見渡すけれど、やはり昔とは違う。
冬になると椿が綺麗に咲く樹木も、背伸びをして飲んでいた水飲み場も、3人で座れたベンチも。
……いつの間に、こんな小さくなっていたんだろう。
何もかもが小さくなっているのを改めて感じ、その分自分が成長しているのだということに気がつく。
…成長?成長なんて、本当してるの?
それと同時に、「成長」という言葉があまりにも似合わなくて思わず自嘲する。

小学校3年生から高3の終わりまで、約9年間。
あともうちょっとで10年間。
たった1人の初恋の人を忘れられずにいる私が、成長なんてしてるはずない。

「…はぁ。もーやだ…」

今日何度目かのため気をつきながら、近くのベンチに腰を下ろした時だった。

「…透華(とうか)?」

声がした方へ視線を向ければ、“彼”がそこに居た。

「ゆ、う…?」

顔も声も、身長だって違うのに、なぜか不思議と彼だってわかった。

「…うん、そうだよ。久しぶり、透華」

私の名前を呼ぶその優しい声が、瞳が。

「っ(ゆう)…」

涙がこぼれてしまうほどに、大好きだったから。

「え…透華、なんで泣いて…」

「ご、ごめ…っ…。なんか、涙、止まらな…っ」

どんなに暗くても優が動揺しているとがわかるくらい、声に困惑の色がはっきり出ていた。
優をこれ以上困らせたらいけないとわかってはいるのに、涙はとめどなく溢れ出てくる。
っ…ほんと私、成長してないな。
3年ぶりに再開したのに、会って早々泣き出すとか…ありえない。
でも…優の声を聞いただけでこんなにも心をかき乱されてしまう。
それは紛れも無い事実で、まだまだ優を好きだって言ってるようなもの。
私、これからずっとこうなのかな。
何かある度に優を思い出して、感傷的になって、自己嫌悪するの?
それじゃあ本当に、成長なんてできやしない。
その時、ふとある言葉が頭に浮かんだ。
なんでかは分からない。
でも、もし今その答えを聞けたら変われる気がした。
なんとなくだし、絶対そうとは限らない。
たとえ変われなくても、後悔はしないと思ったから。覚悟を決めて、優の瞳を見つめた。

「…ねぇ、優」

話しかけている時には、涙は止まっていた。

「うん?」

私より全然低い男性特有の低音。
顔を見上げるのも痛いくらい高くなった身長とか。
どんなに外見が変わっても、変わらず優が大好き。

「一個、質問してもいい?」

「いいけど…なに?」

未だに状況を理解できていない優。
そんな優が愛おしいと、もう思わないように。
忘れるなんてできないかもしれないけれど。
ほんの少しだけ、前進できるように。
深く深呼吸をして、震えそうになる声を落ち着かせてから口を開いた。



「『あのさ、私のこと本当に好き?』」



「────うん。好きだよ」



片腕を隠しながら、街灯に照らされた優が優しく微笑んだ。
優が嘘をつくときにする癖を、私が知らないはずはないのに。
自覚した上でしているのなら、なんて残酷。
…でも、これでいいの。
これでようやく、前に進める。

「…優の嘘つき」

気がつけば、自然と口角が上がっていた。
もう、過去になんてすがらないから。
綺麗じゃなくてもいい。
これから貴方を、思い出にしていくよ。