「ところで、最近遊郭によく行っているそうだな。四十路を過ぎてやっと女に目覚めたか」

 齋藤は、にやりと口角を上げるも、目は笑っていない

「まさか。先月、あそこで妖を滅し損ねたので探しているのだ」
「お前が逃すなど珍しいな。しかし、ひと月も経つのだから、もう遊郭にはいないだろう。人間と違い、塀で囲まれ見張りがいようが、妖なら容易に姿を消せるはずだ」
「そんなことお前に言われなくても分かっている。その妖がいた廓で話を聞いたり、馴染客に会ったりしていたのだ」

 正臣は表情を変えることなく淡々と答えると、煙草に火をつけ灰皿を自分のほうに引き寄せた。
 早く帰れというような態度だが、齋藤に席を立つ様子はなく、それどころか俺も仕事で遊郭に行きたいなどと嘯いた。

「しかし、逃げた妖は、遊女としてその夜に廓に売られたばかりだったんだろう。聞き込みをしたところで有力な話を得られるとは思えないんだが」

 正臣の眉が僅かに上がる。誰から聞いたか分からないが、そこまで調べたうえでここにきたのかと、舌打ちしたい気分だ。

「お前が自ら探すなんて、珍しくその妖に執着しているのだな」
「何が言いたい」
「いや、もしかして知り合いなのかと思っただけだ」
「妖は滅するもの。知人はおらぬ」
「……お前が本当に人間なら、その言葉も信じられるんだけどな」

 ピンと部屋の空気が張り詰めた。

 やはりそう来たかと、正臣は内心苛立ちながらも、表情を崩すことなく向かいの男を見据えた。
 十数年前から齋藤が自分を疑っていることには気がついていたし、半年後に引退を控えた今、いつ仕掛けてきてもおかしくないと思っていた。
 もっとも、予想より直球できたが。

 容姿が変わらぬ自分が、一か所に留まる危険性を正臣はよく知っていた。
 だから、もう千年近くもあちこちを点々としてきたのだが、数百年前に妖狩りの存在を知りその行動を変えた。

 そのときはまだ部隊は存在せず、数人の軍人よって妖狩りが行われていたのだが、入隊した正臣が彼らを第五部隊として纏めあげ、初代隊長となったのだった。

 正臣には探している妖がいた。
 その「種族」であれば誰でも良い。だから長年探していればいつか会えるだろうと思っていたのだが、長い間、相まみえることはなかった。
 それを先月、やっと見つけたのだ。
 
 
「俺は人間だ」

 正臣は齋藤の視線をまっすぐに見返し、淀みなく答える。
 齋藤のように鋭い奴はどの時代にもいて、彼らに対し正臣はいつも同じ答えを返していた。

「なんなら、最近試作品が完成したという嘘発見器にかけてくれてもいいぞ」

 ふっと片方の唇を上げて笑えば、齋藤も苦笑いを零しながら首を振り、煙草を灰皿に押し付けた。

「そんなことでお前が尻尾を出すとは思っていない。それに、今の俺にはもう、お前を押さえ込む力がない。人間は歳をとるんだよ」

 そう言って立ち上がった齋藤の顔には、部屋に入って来たときと同じ人懐っこい笑顔が張り付けられていた。

「また来る。退団したら一緒に飲もう」
「酒は飲まん」
「そうか、下戸だったな」

 クツクツと笑いながら出ていく後ろ姿から視線を逸らし、扉がしまる音と同時に天井に向かって紫煙を吐き出す。

「歳をとれない人間もいるんだよ」

 苦虫を嚙み潰したように呟くと、正臣は眉間を押さえた。

 ひと月前にやっと見つけた人魚はまだ見つからない。
 大方、珀弧が匿っているのだろう。
 それならばと、人魚についてしらみつぶしに調べた。

 名前が凍華ということも、叔母である楠の家で育てられたことも、女衒の男から聞きすぐに判明した。
 半妖なのは分かっていたし、叔母の戸籍から父親を捜すのは簡単だった。
 しかし、そこに書かれていた名前は、正臣を驚かせた。

 十数年前まで自分の部下だった男が、まさか妖と、しかも人魚と通じていたなんて、青天の霹靂とはこのことだろう。
 探していた種族は、近くにいたのだ。

 ――そう、凍華の父親は妖狩りだった。
 
 それがどうして、よりによって男を食らう人魚との間に子供を授かったのか。
 その経緯は不明だが、正臣にとってはどうでも良いことだった。

 ただ、正臣と同じぐらい剣豪だった男が、ある日身体の不調を訴え妖狩りを辞したいと言った理由が、その人魚にあることだけは分かった。

 結局、凍華の父親の脱退は認められず、書記官として留め置かれ、強い妖が現れたときだけ助っ人として妖狩りに参戦することが決まった。
 娘がいることは知っていたが、馴染の遊女との間に出来た子だと言っていたはずだ。

「それがまさか、半妖の人魚とはな」

 まったく、上手く隠されたものだと、正臣は煙草を灰皿に押し付けた。
 明日は満月。早く人魚を探し出し望みを果たさねば、とはやる気持ちを抑えつつ、正臣は再び執務机にむかった。



 次の日、帝都を警邏中の正臣は、はっと周りに視線を遣るや否や、走り出した。

「一匹? いや二、三……もっといるな」

 その奇妙な気配の正体はすぐに見つかった。大通りから細い路地に入って行ったのは、普通の人間の目には見えない小さな白銀の狐。
 それが何匹も街中を駆け巡っていたのだ。

「珀弧の使役? こんな目立つ行動をあいつがするなんて……」

 理由はひとつしか思いつかない。
 半透明の銀色の煙を固め作ったようなその使役を正臣は追いかけた。
 使役は必死に匂いを嗅ぎ、あたりを見回す。かなり近くに正臣がいるが、気づく様子がないほど切羽詰まっているようだ。
 
 使役が最終的に向かうのは主である珀弧のもと。そして珀弧は正臣がずっと探していた人魚の血を引く娘をかっさらっていった相手でもある。

「着いて行けば珀弧に行きつくか。いや、もしかするとあいつより先に人魚を見つけられるかもしれない」

 少し距離を置き後を追うことにした正臣は、やがて古びた社の中で二人の娘が言い争っているのを見つけた。

 正臣の全身に鳥肌が立つ。
 それは、男を食らう人魚を見つけた恐怖からではない。
 長年探し求めてきた、その姿を見て叫びたいほどの歓喜がこみ上げてきたのだ。
 それと共に、千年近く前の味が口の中に呼び返ってきた。

 人魚の肉に不老不死の力がある、正臣にそれを教えた男はとうにこの世にいない。
 走っても息切れをすることなく、疲れを知らない肉体を始めこそ喜びはしたが、若い青年のまま老いることのない容姿は奇異の目で見られ続けた。
 傷を負っても病をしても、人とは思えない速さで癒える身体は、次第に正臣の心を蝕んでいった。

 終わりのない人生ほど辛いものはない。
 もはやそれは人魚の呪いとしか思えなかった。

 正臣の喉がごくりとなる。しかも今夜は満月。
 人魚の妖力と食欲が一段と増すこの日に巡り合えたことは、正臣にとって運命としか言いようがなかった。

 興奮する気持ちを抑えることなく一歩足を踏み出したそのとき、突如、珀弧が現れた。
 やがて凍華と珀弧、そして一人の娘が揉め始める。

「ちっ、珀弧がきやがったか」

 勝てる確率は五分五分。仕掛けてもよいが、焦って数百年待ったこの機会を逃しては元も子もない。正臣はそっと近くの木に身体を隠し、気配を消した。

「落ち着け。待つんだ。満月は今夜だけではない。あの女が最後の人魚かもしれないのだから、より確実な方法で手に入れなくては」

 やがて凍華と珀弧は神社の奥に消えていった。

 これで良かったのかと多少の迷いを抱えつつ、正臣は一人残された娘を見る。
 凍華については、このひと月、調べ尽くしたので、それが雨香であることは分かっていた。

「たちの悪い賭博場で身ぐるみはがされ、家と養蚕工場を抵当に入れてまで、女学校に入学さた娘があれか」
 
 美しいがそれだけで、どこにそんな価値があるのか分からない。
 京吉も、まさか賭博場で知り合った女に騙され、着いて行った先の悪どい賭博場で全財産をすったなんて言えるはずもない。ゆえにそのことは幸枝も雨香も知らなかった。
 ひと月でここまで調べられたのは、長く生きて伝手の多い正臣だからこそだ。

「なるほど、あれは使えるかも知れぬな」

 確実に目的を果たすなら、珀弧と凍華を引き離す必要がある。
 にやり、と正臣の口角が上がるも、すぐにそれは柔和なものへと変わった。

 ざっ、ざっと土を踏みながら雨香に近付いた正臣は、その精悍な顔を最大限に生かし声をかける。

「お嬢さん、こんなところでどうしたのですか。間もなく日が暮れます」

 整った顔に甘い笑み、軍服には上位であることを示す房が肩についており、胸元には幾つもの勲章がある。
 少し知識のあるものが見れば、将来有望な美丈夫の軍人に見えるだろう。
 それを承知のうえで正臣は、口角を緩やかに引き上げた。

「よろしければご自宅まで送りましょう」