帝都を守る軍内に、極秘任務を司る妖狩りができたのは今から三百年前。
 数多の妖を滅し、現し世を守ってきた自負が彼らにはある。
 その名を知る者はごく僅かで、一般的には第五部隊と言われている。
 その二十代目隊長に当たる、灰堂正臣は若い隊員との手合わせを終えると、軍服の胸元から煙草を取り出しながら、三十名の隊員に命じた。

「手合わせはこれで終わりとする! 続けて走りこみと素振りを五百回」

 空っ風の拭く訓練場に響く隊長の声に、隊員達は頬を引き攣らせ目を合わせた。
 かれこれ一刻の手合わせを終えたばかりで、さらには日も暮れようとしているのにまだ訓練は終わらないのかと、その表情が語っていた。

 すると、バキッと激しい音がし、隊長の手が近くの大木を震わえた。
 見れば正臣の手が木にめり込み、小さな亀裂が入っている。

「ついでに腹筋と腕立ても加えるか」
「は、はい!!」

 ヒッと息を飲み一斉に走り出すその後ろ姿を横目に、正臣は煙草に火をつけた。
 さっきまで若い隊員相手に刀を振っていたのに、その額には僅かに汗が滲むだけで疲労はまったく見えない。
 息切れをすることもなく紫煙を燻らせる姿は静止画のように美しく、この世の物とは思えない凄みがあった。

 少し離れた場所で、隊員の世話をする若い女中二人が、ほぉっと頬を染めその横顔を盗み見ていた。

「隊長様はいつ見ても凛々しく整ったお顔をしていらっしゃるわ」
「あの、冷たい目がまたいいのよね」

 長身細身でありながら鍛えられた体躯は軍服の上からも分かるほど。
 少し長い前髪からのぞく切れ長の目は、暗くそれでいて鋭い。
 笑ったところを見た者はいなく、常に冷たい視線と感情の読み取れない表情をしているのが、返って神秘的だと女性達からの人気は耐えなかった。

「あんたたち、隊長様が何歳か知っているの?」

 声をかけてきたのは五十歳ほどの小柄な女性。早くに夫を亡くし、そのあとずっと隊員の食事を作り続けてきたその女性は、気味が悪い物を見るように眉を顰めた。

「幾つって……。お若く見えますけれど、隊長なのですから三十路はいっていらっしゃいますわよね」
「私は三十路でも全然構わないわ」
「今、そういう話をしているんじゃないでしょう。あの、隊長様はお幾つなのでしょうか?」

 若い女中に問われ、小柄な女はもったいぶるように二人を手招きすると、口元に手を当て声を潜めた。。

「私より少し上だよ」
「えっ!?」

 二人は目を丸くし顔を見合わせると、次いで視線を正臣と小柄な女性、交互に向けた。
 若く、青年ともいえる見目をしている正臣が、初老に近い年齢だと知り、二人はぶんぶんと頭を振った。

「そんな! 冗談ですわよね」
「私のお父様より年上なんてありえないわ」
「そうだね、私もそう思うよ。でも、もっと不思議なのはね、第五部隊初代隊長も灰堂様と同じように歳を取らない方だったそうなのよ。しかも物凄い剣豪の美丈夫だったらしいわ」
「歳をとらない? でも、もう亡くなっていらっしゃいますよね」
「そりゃそうでしょう。第五部隊ができたのは三百年前。五十歳で退団された後のことは知らないけれど、妖じゃあるまいし生きているわけないでしょう。ただ……」

 そこで言葉を詰まらせる女性に、若い娘達はごくんと唾を飲み込む。
 なぜだか、これ以上踏み込んではいけないような気がするのに、続きが気になって仕方ない。

「初代隊長が退団され、彼を知る人が誰もいなくなったころ、また恐ろしく整った顔をした美丈夫が入隊したそうよ。その人も隊長となり、五十歳で退団するまで容貌が変わらなかったと聞いているわ」

 小柄な女の話では、同じことが数十年おきに第五部隊でおきているらしい。
 歳をとらない美丈夫の剣豪が隊長となり、若い姿のまま引退する。それから五十年ほど経ち、隊員が全員入れ替わった頃、新たに整った顔の凄腕の新人が入るという。

「子供か縁戚なのではないですか?」
「いや、件の隊長達は全員妻帯しなかったそうよ」

 ぞくり、と冷たい空気が三人の間に流れた。
 すると、もう一人の女中がその雰囲気を変えようと敢えて明るい声を出す。

「でも、見目が良いというだけで同じ顔ではないのでしょう。そんなの肖像画を見ればすぐに分かりますのも」

 第一部隊から第五部隊まで、各隊には隊長の執務室があり、そこには歴代の隊長の肖像画が飾られている。
 しかし、小柄な女はそんなことも知らないのかと、ため息を吐いた。

「あなた達、何も知らないのね。第五部隊だけ肖像画が飾られていないのよ」
「そうなのですか。そういえば、第五部隊の執務室だけは掃除をしなくてもいいと言われています」

 第五部隊が何をしているのか、公には明かにされていない。
 だが、他の部隊から独立し、独自の任務を遂行していることから、スパイ活動の類いだろうと噂されていた。
 それならば、歴代の隊長の顔を残さないのにも意味があるのだろうと、二人の女中は納得する。

 その上で、恐る恐るもう一度正臣に視線を向ければ、大木の下からじっとこちらを見ている漆黒の瞳と目が合った。「ひっ」と小さく喉がなる。

「あぁ、怖い怖い。私はもう行くわ。あなた達はどうするの」
「わ、私達もそろそろ仕事を終えて、帰りましょう」
「そ、そうね。日が暮れるわ」

 女達は慌てて踵を返し、その場を立ち去る。
 その後ろ姿を見ながら、正臣は興味なさそうに紫煙を冬空に吐き出した。


 訓練を終え執務室に戻った正臣は、上着を脱ぎ、襟元を寛げながら椅子にどかりと座った。
 すっかり馴染んだその椅子には、百数十年前に正臣が苛立って蹴とばしたときの傷が残っている。

 他の部隊の執務室にはある肖像画がこの部屋にないのは、初代隊長である正臣自身が決めたこと。もう、あの頃に名乗っていた名前は思い出せないが、その決まりだけは破られることなく脈々と受け継がれている。
 もし飾られていたとしたら、肖像画の三分の一は同じ顔になっていたことだろう。

 扉を叩く音がしたので答えれば、第一部隊の隊長が入ってきた。
 正臣とは同期で、白髪の交じった黒髪を後ろになでつけ、目と額にも深い皺が刻まれている。

「齋藤、またお前か。今日は何の用事だ」
「相変わらず冷たいな。数少ない現役の同期を訪ねるのに理由はいらないだろう」

 そういうと、部屋のほぼ中央にある長椅子に向かい、天鵞絨の座面に腰をかけた。
 人懐っこい笑顔を浮かべつつ、懐から煙草を取り出すと、当たり前のように象牙の灰皿を引き寄せる。

 将臣は小さく嘆息し、その向かいに座ると長い足を組み背もたれに身体を預けた。

「退団まであと半年だというのに、今日も若い連中とやり合っていたのか」
「いつもの鍛錬だ」
「その鍛錬をこなし、平然としているのが凄いというのだ。おまけにその容姿ときた。お前こそ妖ではないかという者もいるぞ」

 第五部隊が妖狩りだと知っているのは、隊を纏める総隊長と第一から第四までの隊長、それから国家機密を扱う高官のみ。

 無論、齋藤はそのことを知っていて、何かと理由を付けては正臣の執務室にやってくるのだ。
 他の隊員からは仲が良いと思われているが、実際、この二人の間に流れる空気は安穏としたものではない。