「呪われた子供」そう呼ばれることに凍華(とうか)はすっかり慣れていた。
 正確には慣れた、というより心を閉ざしたというほうが正しいかもしれないが、ともかく、物心ついたときからそう呼ばれ蔑まれてきた凍華にとってそれは、もはやべったりと自身に張り付いた言葉だった。

 母親のことはよく分からない。
 父親は軍の関係者だったが、凍華が五歳のとき、勤務中に殉職した。軍人ではない。軍の中では珍しい書記官のような仕事だったと聞いている。
 凍華を引き取った叔母は、気に入らないことがあればーーそれが凍華と全く関係ない理由であっても、頻繁に殴り罵ってきた。

「書記官なのに、脱走した凶悪犯にたまたま軍の敷地で遭遇し殺されるなんて、あんたの父親はとんだ間抜けよ! おまけにこんな気味の悪い忌み子を残すなんて。どれだけ私に迷惑かければ気が済むの! 聞いている、凍華、あんたの話よ!!」
「申し訳ありません」

 土間に額を押し付け、頭を下げることにもすっかり慣れた。
 顔を上げればまた殴られるのは目に見えている。
 叔母は凍華の青い目を殊更嫌い、そのせいか凍華はずっと俯いて暮らしていた。

 婚姻届けを出さなかった父と母。そのせいで母のことは調べようがないが、父とも叔母とも、この帝都に住む人とも違う海の底のような碧いは目、凍華が忌み子と呼ばれるのに充分な理由であった。



「お腹すいたなぁ」

 母屋の半地下に作られた座敷牢で凍華は膝を抱え飢えに耐えていた。
 季節は如月、この日本国で一番寒い季節にも関わらず、火鉢や湯たんぽといった暖をとれるものは何ひとつない。

 干すことさえままならないひしゃげた布団はじめりと湿り、身体を滑り込ませても温もることはない。
 おまけに、ひとつだけある窓は立て付けが悪く、風が吹く度にバタバタと煩い。
 そのせいで座敷牢の中は外と変わらないほど寒く、吐く息は白かった。

「木の実、これが最後か」
 袂から出した巾着の中には、秋の間にとっておいた木の実が入っている。
 腹が減ったときに食べていたけれど、それすらもうないのだ。
 今日は、ひと際寒く洗濯ものの渇きが悪かった。それが気に食わない叔母は、凍華のせいだと責め立て、夕食を抜かれてしまった。

 窓から、粉雪が部屋に舞い入ってきた。
 今日は一段と冷えると思っていたがどうやら降り始めたらしい。
 本来なら凍死してもおかしくない環境だが、なぜか凍華は今日まで風邪ひとつひいたことがなかった。

 舞い込む雪を手のひらで受け止めれば、それはすぐに水に変わる。
 その水にそっとく唇をよせ舐めれば、冷たさが心地よい。

「やっぱり私は人とは違う」

 寒いのは寒いが、歯の根がかみ合わないほど震えることはない。
 それより夏の暑さのほうが嫌だった。あまりの暑さに倒れたことは一度や二度ではない。

 その度にいらついた叔父に髪を掴まれ桶に顔を突っ込まれた。
 しかし、あるときから、叔父は桶の水を凍華の頭にぶっかけるだけになった。
 理由は、凍華が苦しまないからだ。

 その日、叔父は凍華の顔を桶に突っ込みながら意地の悪い声で数を数え始めた。どこで苦しくもだえるだろうかという猜疑心からだったのだが、それが百、二百となっても凍華が息苦しさから暴れることはなかった。
 三百になったとき、叔父は手を離し、平然と顔を上げた凍華を化け物だと罵り、手元にあった棒で何度も殴った。

 そんなことから、凍華自身も漠然と自分が人とは違うと感じ始めた。
 だから忌み子と罵られることも仕方ないことだと思うようになったのだ。

 
 翌朝、雪の積もった地面に洗い桶を置き洗濯をしていた凍華の頭に、着物がばさりと放り投げられた。

「これも洗濯しておくのよ」

 それだけいうと、叔母は暖かそうな綿入れの襟を合わせ、早足で家に戻っていった。
 凍華は着物を頭からはぎ取ると、水の張った桶に入れる。
 追加で渡された着物も、伯母が着ていたものも綿がしっかり入った冬用の着物だ。
 それに対し、凍華が着ているのは夏と同じ単衣に少しだけ綿を入れた羽織。
 裄丈は何度も肩出しをして直したけれど、八分袖でみっともない。決して貧しい家ではないのに、凍華の姿は酷いものだった。
 
 凍華が住む(くすのき)の家は父親の生家でもある。養蚕で富をなし、帝都から馬車で半刻の場所にある名家が多いこの辺りでも有名な旧家だ。

 その家を継いだのが叔母の幸枝(さちえ)
 広い敷地の中には五つの建物があり、そのうち三つの倉では蚕が飼われていた。隣には糸を紡ぐ製糸工場があり、十人の従業員により日々糸が紡がれている。

「まだ洗濯をしているの。相変わらずどんくさいわね」
「……申し訳ありません」

 目線を少し上げた先にあるのは毛糸で編んだ暖かそうな足袋。顔を上げなくとも声の主がこの家の一人娘で凍華と同い年の雨香(あめか)だというこは分かっている。

 人形のようなぱっちりとした大きな目に白く透き通る肌、すっと通る鼻筋に小さな口はまるで作り物のように可憐で、この辺りでも有名な美人だ。

「さっさとしないと、今度は昼ごはんを抜くわよ」
「はい」
「本当、ぼさぼさの髪ね。どうにかならないの。その姿で間違っても近所をぶらつかないでね」
「畏まりました」

 雨香は見せつけるようにさらりと黒髪をかき上げる。
 艶々と光る濡れ羽根のようなその髪を、凍華は羨ましそうに見上げた。

(せめて私の髪が、こんなにくせ毛でうねっていなくて、さらさらなら良かったのに)

 細いくせ毛は絡まり、櫛を通すのもやっとで、いつも三つ編みにしてまとめているが、艶のない黒髪ではみすぼらしさが増すばかりだ。

 世間体を気にする叔母は兄の子である凍華を養女として引き取った。
 しあし、その扱いは、家に数人いる使用人以下のものだし、外出は殆ど禁止され製紙工場の従業員には会ったこともない。

「両親を亡くした養女は心を病み家に引きこもっているが、伯母家族はそんな彼女を暖かく保護している」というのが近所の人の認識である。
 だから表を歩くときは、その目の色を隠すことも含め頬かむりをすることを命じられていた。

 空っ風が雨香の持つ匂い袋の香りを凍華に運んでくる。
 数日前に凍華が作った匂い袋を身につけているようだ。
 それは、楠の家から半日歩いた場所にある山の上に咲く銀色の花で作られていて、甘くそれでいて妖艶な匂いがする。雨香はその匂いをことさら気に入っていた。

 山の持ち主は叔母で、麓には桑の木が植えられているが、花が咲くのは崖をよじ登った先にある湖のほとり。一年中いつ行っても咲くその花は、かつては凍華が匂い袋に入れて持っていたものだった。

(昔、お父様があの湖には人魚がいるって仰っていたわ)

 それは数少ない父親との思い出。
 人魚は男女の双子で生まれ番となる。その番との間にのみ子を授け命を繋いでいくのだとか。さらに人魚の声には男を惑わす妖しい力があるという。
 そんな人魚が人間に恋をしたら……父は寝物語に人魚と人間の道ならぬ恋を語ってくれた。
 そのとき、部屋の中には雨香が持つ匂い袋と同じ匂いの香がたかれていたが、凍華はうっすらとしか覚えていない。

「何をぼうっとしているの。さっさとしない」
「は、はい」

 匂い袋のせいか、遠い記憶の中を彷徨いかけていた。
 凍華が冷たい水の中に手を入れ洗濯を始めると、雨香はふふふ、と笑いながら凍華が行くことを許されなかった学校での出来事を楽しそうに語って聞かせ始める。
 それを、凍華はいつものように心を閉ざして聞き流し、手もとの洗濯物にだけ意識を向けやリ過ごすのだった。