少し肌寒い、秋の終わりを感じる風が吹き抜ける。


町から賑やかな声が聞こえ、反射的に少し後ずさりフードを被った。


そして私はうつ向いて、近くの林へ走り出した。




時を戻せば、数十分前。


「葉月、ちょっと話がある」


そう言われ、私はリビングで母の目の前に座った。


母の手には一枚の紙。それが何か察した私は、今すぐにでも逃げ出したくなる。


「これ、昨日の病院の検査結果。"異常はなし。健康です。".....どういう事?」


そういう事だよ、と心の中で呟く。


母の声は冷静を装っているけど、震えを隠せていない。


「葉月、風邪引いたなんて嘘よね?薄々は気づいていたけど、検査結果を見て納得した」


私は何も言わずにうつ向く。母は苛立ったように怒鳴る。


「何でさっきから何も言わないのよ!黙ってばっかりで。こんな嘘ついてまでズル休みするような子を産んだ覚えはないわ!」


怒鳴り声に思わず肩を震わせたものの、私は立ち上がって言い返した。


黒い感情が、胸の中をうずく。


「私にだって事情があるの!どうせ、お母さんなんかには分からないでしょ!」


目を見開いた母は、すぐにその顔を歪ませと、病院の検査結果の紙を投げつけてきた。


ヒラリヒラリと、紙は虚しく踊りながら落ちていく。


「あんたなんか家の子じゃない、出ていきな」


私はその言葉を聞き終わる前にリビングを出た。


そして、玄関に掛けてあるジャンバーを着て、外へ飛び出したのだった。




林に行くには、賑やかな繁華街を通らないといけない。


私は更にフードを深く被って、人混みの中を慎重に進む。


カボチャの置物、橙や紫で彩られた景色、楽しそうな声...


今日がハロウィンだと、やっと気づいた。


足が自然に早まる。


知り合いに会いたくなかった。


繁華街をどうにか抜けて、私は細い道へ入る。


暗い道のその先に、小さな林があるのだ。


林に入り、迷わず歩を進める。


今日は満月だった。綺麗で、幻想的な月明かりが、私の行く先を照らしてくれている。


目的の場所は、沢山ある中でも飛び抜けて大きな木の根だ。


その木は根が曲がっていて、人が数人隠れられるようなスペースがある。


すぐに飛び込もうとした。


けど。


「わっ」


中から声がする。


驚いて息がつまった。私は飛び上がって木から距離をとる。


「だ....誰?」


やっと出せたか細い声で、私は問いかける。


でも反応はない。


ゆっくり木へ近づく。月明かりで、誰かが照らし出される。


仮装だろうか、銀色の耳と尻尾をつけた男子が座っていた。


年は、私と同じ中学生、って所だろうか。


男子は私と目が合うと、困ったように苦笑する。


「見つかっちゃったか」


低くてかすれた声だった。


男子は少し横にずれる。座れ、と言うことだろうか。


一瞬戸惑ったものの、結局座ることにした。


男子はじっとこちらを観察してくる。


気まずいし、と言うことで話しかける。


「君は...誰?ここらへんの中学なの?」


だったら困るな、と思いつつ、聞いてみる。


「俺は、レイ。数の0で零。お前は?」


「私は、葉月。葉っぱに月だよ」


そうか、と零が返し、また沈黙が訪れる。


「零...くんは何でここにいるの?」


なんとか話題を絞り出した私は聞く。


零はんー、と頭を掻く。


「ここ、よく俺来るんだよな。静かで落ち着けるし。今日騒がしいし」


「...その耳と尻尾は仮装?」


ああこれ?と零は頭をさわる。


銀色の耳が月明かりに輝いた。


「...ああ、仮装だ」


へぇ、と返事をし、まじまじと見つめる。


そんなに見ても変わらないから、と押し戻された。


沈黙、再び。


気まずい、また何か話題を出そうと考えていると、零が先に口を開いた。


「葉月は何でここに来た?」


ストレートだな。と思いつつ、私は事情を話すことにした。


「私は、家出。お母さんと喧嘩した、から」


「....」


零は無言で続きを促す。


干渉せす、ただ吐き出していいよと言ってくれている様で、安心して話してしまう。


「この一週間、私仮病で学校休んでたんだ。....学校に行きたくなくて」


「何で?」


「....いじめられてるから」


一瞬、あたりが静かになった気がしてドキリとする。


「だから休んでたら、昨日病院に行かされて、仮病だってばれて、喧嘩した」


「...そうか」


ただ一言答えた零は、月を見上げた。


月は綺麗で、澄んだ光を私達に浴びせている。


こんなに幻想的な景色なのに、私の心は暗いままだった。


「ただの独り言だけど」


突然声が聞こえて、隣を見る。


「お前は正しいよ」


何を言われたのか一瞬理解できなかったけど、私はすぐに言い返す。


「...なんで、だって仮病使ってずる休みしたし_」


「ずるじゃない」


多い被せるように言われて、言葉に詰まる。


「休みたいって思うまで、葉月は頑張ったって事だろ?今まで真正面から立ち向かってたって事だろ?じゃあ今自分を甘やかしたっていいんじゃねぇの?」


甘やかす?私は今、自分を甘やかしているのだろうか。


「ただ、親には事情説明した方がいいかもな。そうしたら、真正面からじゃない戦いかただって見つかるはずだ」


真正面じゃない、戦い方。


私なりに戦う方法が。


「....ありがとう」


ただ、ありがとうしか言えなかった。


自分のことを一生懸命、しかも初対面の自分のことを考えてくれている、なんて幸せなんだろう。


気づいたら涙が溢れていた。


驚いた零が、おい!?と声をかけてくれている。


零は戸惑った後、優しく私の背中を撫でてくれた。


自分の瞳から落ちた涙が、月明かりで煌めいく。



「いたぞ!!!!」



野太い、怒鳴り声が聞こえてドキッとした。


顔をあげると、人工的な光が目の前に広がる。


数秒後、それがライトの光だと理解した。


「人狼め、今日こそ捕まえてやる!」


数人のがたいのいい大人が私たちを取り囲む。


「人狼?なんですか、あなたたち....!」


驚いて掠れた声しか出ない。


大人が私を大きく見開いた目で見てきた。


「お前....危ないぞ!ソイツは人狼だ!離れろ!」


何を言っているのかわからず、キョロキョロと辺りを見回した。


そして、零と目が合う。


「零...」


「ごめん葉月、逃げろ」


焦った零の声と共に、大人達が近づいてくる。


「おとなしく捕まるんだな、人狼め!」


零は木を飛び出して、大きくジャンプする。


人を悠々と越える高さだった。驚いて声も出ない。


このまま逃走するのか、と思ったのもつかの間。


どうやらジャンプするのが想定内だったらしく、木の上から網が降ってきた。


一人、木に上っていた仲間がいたらしい。


「くっ....」


網に絡まって、零が着地に失敗する。


「いまだ!撃て!」


撃て、という単語に鳥肌がたち、私は視線を動かす。


大人一人の手には銃が握られている。


このままじゃ、零が撃たれる!


網の中の零と目があった。


静かで、凛とした瞳がそこにある。


本当に彼は狼なのだろうか?


でも、あのジャンプ、どんなに動いても取れない尻尾と耳を見れば、納得もできる。


どうすればいい?助ければいい?


でも逆に私がやられてしまうかもしれない。


でも、だけど、私は、


目の前で零が死ぬのは嫌だった。


「やめて!」


走って零の前に立ちはだかる。


大人がどよめいた。


「お前、邪魔だどけ!」


怒鳴り声に足が震えるけど、私は動かない。


「何で零を殺そうとするの?零は何をしたの!」


負けじと大声を張り上げると、大人達が一瞬怯んだ。


「零?こいつは人狼だぞ!?見たかさっきのジャンプ!そして鋭い爪もあり、尖った牙だって生えている。いつ人間に危害を及ぼすかわからない!」


「そ、そうだ!だから我々は人狼族を撲滅させようとしているんだ!そして最後の一匹、それがソイツだ!」


最後の一匹、と言う言葉に目を見開く。


後ろで、零が苦しそうに言った。


「俺で最後だと...!?仲間をどうした!」


それは...と言葉につまる大人たち。


「殺したのか?殺したんだろ!.....じゃあさっさと俺も殺せよ」


驚いて振り向く。零が目を閉じて、そこに座っていた。


「殺せって...何いってるの!?」


「お前もわかっただろ?俺はお前に嘘ついた。それに、いつかもしかしたら俺が人間を傷つけるかもしれない。そんな不安の種は早めに潰したほうがいいだろ」


グッと拳を握った。


意味がわからない。本当に、理解が追い付かない。


「どきな。お嬢さん、ソイツもそういってるんだから」


握った拳が震える。口も震えて、うまく言葉が出せない。


私は振り替えって、声の限り叫んだ。


「馬鹿じゃないの!?」


私の声が林に響いて、あたりは静まる。


みんなが黙り込んで、目を見開いている。


私は続けた。溢れ出した感情は止まらなかった。


「何が"危害を加えるかもしれない"よ!まだなにもしていないじゃん。あんた達、何もわかってないじゃん!可笑しいよ、こんなの。相手のことを知りもしないで、自分勝手に行動して!そんなの、ただのいじめと一緒だよ...」


声が涙ににじんで、体の震えがどんどん大きくなる。


「自分の方から共存しようとしないで、自分が、ただ自分達だけがいいようにって動いて!他人の笑顔も幸せも人生も奪っておいて、そんなのないよ!」


大人が銃を下ろす。


後ろから呻き声が聞こえ、振り向けば零が泣いていた。


そりゃそうだ。家族が居なくなったなんて、辛すぎる。


さっきのお返しだ、と私は零の背中を撫でる。


月が傾きかけ、少しずつ空は鮮やかさをましていった。


「葉月!?ここにいたの!心配したのよ!?......って、え」


「お母さん..!!」


林の奥からお母さんが走ってきた。


汗をかいている。そんなに一生懸命探してくれたのかと思い、涙が溢れた。


お母さんは、まわりに立ち尽くす大人たち、私の隣でなき続ける零を見て混乱状態だった。


「は、葉月....どういうこと?」


目を白黒させながらお母さんが問いかけてきて、私は曖昧に笑う。


「私なりに、戦った結果だよ」





その後かけつけた警察により、零を殺そうとした人達はつれていかれた。


殺人未遂には証拠がなくてならなかったけど、銃を勝手に持っていたから署で話をするらしい。


私は母とそのまま帰路につき、零は気づいたらいなくなっていた。


空は月が消え、太陽が燦々と輝いている。


まるでひとときの幻想のようだったけど、確かに零はあそこにいた。


それは、手に残った温もりが教えてくれている。




私は中学を無事卒業した。


母にいじめの事を正直に話し、先生や教育委員会に相談して、いじめは終わりを迎えた。


新しい戦い方で、ほかのみんなと。


卒業式の後、友達とショッピングに行っていた私は、帰ったときにはくたくただった。


外はもう薄暗く、満月がぽかんと浮かんでいる。


ふと思い付いて、私は外へ飛び出した。



林はまだあって、そしてあの曲がった木も生えていた。


月明かりが木を幻想的に浮かび上がらせて、ちょっと中に人が居ないか期待したけど、誰もいなさそう。


そっと掌を幹に当てて、語りかける。


あなたを想って。


「零、久しぶり」


馬鹿馬鹿しいって笑われるかもしれない。


でも、どこかで零が幸せに暮らしているって、私は信じたい。


「元気?私は元気だし、無事学校を卒業したよ」


月光に照らされた零の面影が、脳裏に浮かぶ。


「あの時はありがとう。零は確かに嘘ついてたけど、零がくれた言葉には嘘がなかったよね。まっすぐな言葉、本当に助かった」


私の暗い世界に差し込んだ一筋の光。


冷たかった世界を暖めて、光に満たしてくれた言葉。


「そうだね....ぶっちゃけ、本音を言うとね、私は、零が」


「待って」


風がさぁっと吹き抜けた。


ゆっくりと振り替える。


「その続き、木じゃなくて、俺に向かって聴かせて」


冬の星の煌めき、秋の優しい風、夏の明るい日差し、春の綺麗な花。


例えたらそんな風だろうか。そんな声が、存在が、私の求めていた姿が、目の前にある。


月明かりの角度で顔は見えないけど、私にはわかる。


だから、私は迷わず息を吸った。


「好きだよ」


私が駆け寄ると、彼もこちらに歩き始める。


月明かりが彼を捉え、浮かび上がらせた。


前よりちょっと背が伸びて、大人っぽくなったけど、あの凛とした瞳は昔と同じだ。


月の下、私たちは再開する。


「ごめん、日本中仲間を探してたら、なかなか帰ってこれなかった」


ちょっと申し訳なさそうな彼に、私は笑顔で首を振る。


嘘つきで、真っ直ぐで、月みたいに綺麗な君に。


嬉しさも喜びも、私の想いも、ぜんぶを詰め込んで、私は彼の手を握る。






「おかえりなさい」