三章

 学校の授業が始まってから最初の週末。
 柚子は玲夜とパーティーに出席することになった。
 今回はかなり規模の大きなパーティーのようで、たくさんのあやかしが集まってくるようだ。
 柚子はそんな玲夜のパートナーとして付き添う。
 これまでパーティーはいくつも参加してきて、ようやく上流階級の人たちのいる華麗なる雰囲気にも慣れてきてはいるが、だからといってまったく気後れしないわけではない。
 むしろ、玲夜と正式に夫婦となってからは、より一層柚子へ向けられる視線は強くなっている。
 鬼龍院の次期当主の伴侶として相応しいのかと見定めるような視線が、四方から集まるのだ。
 決して気が強いとは言い切れない柚子が、桜子のように堂々と振舞えるはずもなく……。
 しかし、玲夜に恥をかかせるわけにはいかないと、かくりよ学園で散々勉強したマナーを思い出すが、頭を駆け巡ってまとまってくれない。
 それでもパニック状態になっているのを悟らせないように、笑みを浮かべて話しかけてくる人たちに対応していた。
 玲夜のフォローもあってそれなりに熟せていたが、笑顔も作り続けるていると疲れはやってくる。
 途切れない人の波に、もう勘弁してくれと思っていると……。
「柚子、あちらで少し休もう」
 まるで柚子の心を読んだようなタイミングで、玲夜は柚子を食事のあるスペースに連れ出す。
 他にもまだ玲夜と話をしたそうな人はたくさんいたが、それがどうしたと言わんばかりに玲夜は周囲を視界から追いやった。
「玲夜、いいの?」
「俺がなにより優先するのは柚子だ。柚子以上に大事なものはない。それにどうせ媚びるためだけの上っ面の会話だ。さして重要じゃないしな」
 などと、表情を変えることなく傲慢にも思える言葉を口にして、柚子はぎょっとする。
 玲夜らしいといえばらしいが、あまりにも周りを気にしなさすぎて柚子は周囲の人たちの顔色をうかがう。
 今の玲夜の言葉が聞こえた者がちらほらいるようだ。
 なんとも気まずそうに、そっと離れていく者が見えた。
 もっとも強い一族とされる鬼ほどではないが、あやかしは総じて五感が優れている。
 今回貸切られている会場はとても広く、参加者もかなりの人数がいる。
 そのためかなり騒がしくて人間では到底聞き取れそうにない声量でも、ある程度近い距離にいたら、あやかしには聞こえていてもおかしくないのだ。
 それが分からない玲夜ではない。
 今回のパーティーはほとんどがあやかしだというのは、目がくらむほどの整った容姿の人たちを見ればなんとなく分かる。
 そんなあやかしたちに玲夜はあえて口にして牽制したのだろう。
 中には人間もいたが、近くにいた者には聞こえていたはずだ。
「高道と桜子もいるから問題ない」
「う、うん」
 玲夜が目を向けると高道と桜子の視線が交差する。
 それだけの仕草で心得たというように頷いたふたりは、代わりとでもいうように、玲夜と話したそうにしていた人たちに声をかけていった。
 その流れときたらなんともスムーズで、慣れているのが嫌でも分かる。
 いまだ社交をきちんと果たせない自分を思い知らされたようで落ち込む柚子からは、自然とため息が漏れる。
「気にするな。少しずつ慣れていけばいいんだ」
「でも、桜子さんは立派にこなしてるのに……」
 どう逆立ちしても桜子には遠く及ばないと、己の不甲斐なさを感じる柚子。
「桜子は幼少期より俺の婚約者候補として教育を受けてきたんだ。それに筆頭分家の娘でもあるしな。そもそものスタートからして違うのだから、今の柚子が桜子と同じことができなくても俺も父さんも母さんもなんとも思わない」
「うん……」
 それはつまり、それ以外の者の中には柚子と桜子とを比べる者がいると言っているようなものでもあった。
 それはかくりよ学園にいた時から何度となく陰口されていた内容なので今さらではある。
 もちろん目の前で悪口を言う勇者はいないが、きっと今も柚子が聞こえていないだけで、その時と同じように柚子をけなしている人が一定数いるのだろう。
 ただ、柚子自身も同じことを思っているので非難できないのがなんとも情けない。
 やはり自分に社交は不得手だと、パーティーへの苦手意識が募っていく。

 立食式のパーティーだが、ちゃんと食事スペースの近くにはテーブルと椅子も用意されていた。
「飲み物と軽食を持ってくる。そこで座ってじっとしているんだぞ」
「子供じゃないんだから……」
 親が小さな子に言い聞かせるような口調にあきれる柚子だが、玲夜の心配性は今に始まったことではない。
「お前たち、柚子を頼んだぞ。おかしな輩がやって来たら遠慮なく排除しろ」
 念を押していく玲夜に、柚子の肩に乗る子鬼は大きく手を振る。
「柚子守るー」
「龍もいるから大丈夫ー」
『ぬほほほほ! 任せておけ』
 うねうねと得意げに踊る龍は、柚子の腕にクルンと巻きついた。
 いつもの龍の定位置なので柚子も違和感なく受け入れている。
 龍の表面は見た目以上にツルツルスベスベで肌触りがいいのだが、きっと爬虫類が苦手な人ならば悲鳴をあげているかもしれない。
 そんなことを言おうものなら、爬虫類と一緒にされたと龍は憤慨しそうである。
「柚子~」
 名前を呼ばれそちらに目を向けると、柚子の顔がほころんだ。
「皆も来てたの?」
 最初に名前を呼んだのは透子。
 彼女の隣には東吉がおり、その一歩後ろには蛇塚柊斗と婚約者の白雪杏那がいる。
 透子以外は全員あやかし。
 あやかしは人間と比べると容姿が整っている者が多いので、その三人が並んでいるだけでもずいぶんと華やかだ。
 大きなパーティーということもあって、いつも以上に正装しているから余計にそう思うのかもしれない。
 あやかしではなく、柚子と同じ花嫁の透子も目一杯着飾っていて、気合いの入りようが分かる。
「透子、そのドレスかわいい」
「なに言ってるのよ、柚子もかわいいじゃない。まあ、かわいいより綺麗系ね。すごく似合ってる」
「ありがとう」
 はにかむ柚子はドレスが褒められたのがかなり嬉しかった。
 今回はいつもより大きなパーティーということで、レースを使った大人っぽさのある紺色のドレスをオーダーメイドしていた。
 実は玲夜のスーツにも同じ生地を使っており、おそろいとなっている。
 大学を卒業し既婚者となって、これからはかわいらしさより大人な女性を目指そうと、エレガントさ重視でデザインしてもらったものだ。
 玲夜とおそろいということもあり、かなり気に入っていた。
「杏那ちゃんは……」
 柚子は透子から視線を移し、杏那の姿をじっくりと見て言葉を止める。
 決して褒められないからではなく、その逆だ。
「うん。天使だね」
「あ、柚子もそう思った?」
「もしくは雪の妖精とか? 雪女だけに」
「ほんとそれ!」
 柚子と透子は真面目な顔で褒め称える。
 クリーム色のドレスを着ていた杏那は、社交辞令でなく本気で妖精と見まごうほどの可憐さで蛇塚の隣に立っている。
 蛇塚の体格がいいせいか、余計に杏那の儚げな美しさが際立っているようだ。
「聞いてよ、柚子。とうとうこのふたり同棲始めちゃったのよ」
「え、そうなの!?」
 蛇塚が杏那にプロ―ポーズしたのは友人間では周知の事実だが、同棲の話は初耳だった。
「ちち違います! 同棲といっても柊斗さんのご両親だっていらっしゃるんですから」
 うろたえる姿も愛らしい杏那から、わずかに冷気が漏れている。
 だが、それなりに付き合いのある柚子たちからしたら誤差の範囲であった。
「それに、毎日お泊りしてるわけではないので同棲とはまた違いますよ! 柊斗さんはお仕事で忙しくていらっしゃらなかったりするので、柊斗さんのお母様とお話したりしていることの方が多いですし」
「あー、つまり花嫁修業ってわけね〜。杏那ちゃんなら蛇塚君のいいお嫁さんになるわよ絶対。案外私みたいにできちゃった婚しちゃうんじゃない?」
 杏那の反応が楽しくてならない透子は、含み笑いをしながら茶化す。
 それに焦ったのは、たびたび杏那の被害を受ける柚子と東吉である。
 子鬼たちもアワアワしながら「あいあい!」と、透子に必死で訴えかけているが、気がつかない。
「ちょ、透子! それ以上はマズいって!」
「馬鹿! やめろ、透子!」
 しかし、止めるのが一歩遅かった。
「そそそそんな、でき、でき……。きゃあぁぁ!」
 杏那が恥ずかしそうに顔を手で覆い悲鳴をあげた瞬間、杏那からどっと冷気が噴き出した。
「ほらみろ! 馬鹿透子!」
「ごめぇぇん!」
 東吉に叱られ謝る透子は、ようやく己の失敗を悟る。
 夏だというのにダウンコートが必要になるような冷気に、しばし柚子たちのいる周辺がざわつき人が離れていったが、蛇塚の奮闘により杏那はようやく落ち着きを取り戻した。
「すみません! すみません!」
 平謝りの杏那は、しゅんと落ち込む。
「気にするな。どう考えても今のは透子が悪い」
「面目ない。調子に乗りました……。ふたりの仲が進展したのが嬉しくて」
 透子もまた杏那に負けないほど肩を落としている。
 けれど、さすが透子というか、反省したのはほんの少しの間だけで、復活は早かった。
「ていうかさ、そんなんでよくお泊りできるわね? どうしてるの? 夏場はなんとかなりそうだけど、冬場は皆凍死しちゃうわよ」
 蛇塚と同じ屋根の下で寝食をともにするなど、蛇塚ラブの杏那が耐えられると思えないのは、透子だけでなく柚子も同じだ。
「夏場でも暖房が必要になりそう……」
 想像しただけでこれでは、結婚したらどうなるのか、考えるだけで恐ろしい。
 蛇塚の家族はもちろん、蛇塚家で働く人たちの身も心配である。
 しかし、蛇塚自身はさすが動じた様子はなく、表情も変えない。
「うん、ほぼ毎回興奮して極寒の地に変えるから、帰宅してすぐに気温で杏那がいるか分かるから便利だよ」
 などと、なんとものんびりとした言葉が返ってきた。
「便利で済ませる蛇塚君って、かなり懐大きいと思うのは私だけ?」
「大丈夫よ、柚子。たぶん百人中百人が柚子と同じこと思うから」
 透子の言葉に子鬼もうんうんと頷く。
「蛇塚君のご両親とは仲いいの?」
「いびられたりしてない?」
 またもやひと言多い透子に、東吉はこれ以上しゃべらせまいとするように後ろから口を押える。
「お前もう黙っとけ」
「むがむが……っ」
 透子がなにやら不満を訴えているが、それは言葉になってはいない。
 その様子をあきれた目で見る柚子は、透子を放置して杏那の話に戻った。
「大丈夫です。柊斗さんのご両親も屋敷で働く方々も、とてもよくしてくれていますから」
 はにかむ杏那は幸せそうに笑う。
 こちらにまで幸せのおすそ分けをもらうような微笑ましさに、柚子もほっこりする。
「そうなんだ。よかったね」
「はい」
 なんともほっこりした空気が流れる。
 すると、杏那が小さく「あっ」と声をあげた。
 柚子の背後を気にする杏那。
 柚子は振り返るが、そこにはたくさんの客がおのおの会話に興じているので、杏那がなにを気になったかは分からない。
「どうかした?」
 柚子が不思議そうに問う。
「あそこで私の両親と柊斗さんのご両親がお話しているのが見えて」
 しかし、ふたりの両親に会ったことがない柚子は、人が多すぎて誰なのか判別ができない。
「杏那、挨拶に行こう」
 そう蛇塚が杏那の手を引く。
 手を握っただけだというのに、冷凍庫を開けた時のようなわずかな冷気が足下を撫で、ぞくりとした。
「じゃあ、また後で」
「おう」
 気にした様子はなく離れようとする蛇塚に、東吉は軽く手を挙げて挨拶をした。
 そうして、人混みの中に消えていったふたりの背を見送ってから、柚子と透子と東吉の会議が始まる。
 最初に口を開いたのは透子だ。
「ねえ、あの状態で結婚式なんかして大丈夫だと思う?」
「たぶん無理そうかも……」
 お世辞にも大丈夫とは言えない柚子は苦笑いを浮かべる。
「蛇塚君には念押して対策練るように言っとかないとね」
「蛇塚家は結婚式場とかも経営してるらしくて、宣伝も兼ねて洋風の結婚式をするみたいよ。だから、チャペルでの誓いのキスは鬼門だわ」
「キスする前にチャペルごと凍らせかねねぇぞ」
 柚子、透子、東吉と、言いたい放題だが、それが想像できてしまうので怖いのだ。
「結婚式で集団凍死なんて、しゃれにならないね……」
「にゃん吉、全員分の毛布は絶対準備するように蛇塚君に言っときなさいよ。後、結婚するなら夏場よ」
「それはいいけど、毛布で足りるかぁ?」
 毛布以外の対策を講じるよう蛇塚にはきちんと言っておかなければならないようだと、三人の意見は一致した。
 そして、透子からは柚子の知らない情報がもたらされる。
「まあ、万が一結婚式をめちゃくちゃにして続行不可にしても、杏那ちゃんは蛇塚家では大事にされてるみたいだから問題ないでしょうねぇ。特に蛇塚君の母親にめちゃくちゃかわいがられてるんだって」
「そうなの?」
 最近は自分や玲夜のことで手いっぱいだった柚子は、少々蛇塚と杏那の話題に遅れていた。
 神に連れ去られたり神器を探す必要があったりと、いくつもの問題を抱えていたので仕方ない部分はある。
「まあ、なにせ元花嫁があれだったから」
 そう口にする透子の苦々しい表情といったらない。
 それを見た柚子も同じような顔になってしまう。
「梓ちゃんね……」
「あの女は家の援助してもらってるにもかかわらず、蛇塚君を毛嫌いして散々当たり散らしてたからね。蛇塚君の両親からも家人からも恨み買ってたみたいだし。そんな後に、あんな蛇塚君ラブを隠そうともしない健気な杏那ちゃんが現れたら、そりゃあご両親も家の人たちも大歓迎するわよね。親としたら我が子を大事に思ってくれる人の方がいいに決まってるもの」
 透子の言葉には莉子という娘を持った親だからこその、強い共感が含まれていた。
「あの女ときたら、まったく蛇塚家に馴染もうとしなかったみたいだからな。花嫁だから我慢してただけで、追い出したかった奴は結構いたみたいだぞ。そんな女と杏那を比べるのはかわいそうってもんだ」
 もちろん東吉がかわいそうと思っているのは杏那の方である。
 透子といい、東吉といい、梓への当たりが強い。
 あの一件から何年も経っているのに、まだ怒りは収まっていないように思う。
 柚子を含め蛇塚側に立ってものを見てしまうので、評価が厳しくなるのは仕方ないのだろうが。
「梓ちゃん、今どうしてるんだろ……」
「正直あんな恩知らずどうでもいいんだけど、蛇塚君にとってはそういうわけにもいかないんでしょうね?」
 遠子はチラッと東吉を見る。
 視線を感じた東吉は、せっかく正装に合わせて綺麗に整えられた髪を手で掻く。
 わずかに乱れた髪型は、東吉の複雑な心を表しているかのようだ。
「まあなぁ。一度出会った花嫁を忘れるなんてできると思えないし、杏那と結婚しても、この先ずっと花嫁への喪失感を持って生きていくしかないんだろうな」
 人間の柚子や透子には決して分からない感覚。
 けれど、東吉の表情を見ていれば、それがどれだけ辛いものなのか、わずかばかり感じることができた。
 それに、辛いのは蛇塚だけではない。
 そんな蛇塚を愛し、これから先をともに生きていく杏那もまた辛いはず。
 愛する人の心の中に別の女性がいるのだ。
 結婚したとしても決して己が一番になることはない悲しみ。
「杏那ちゃんは強いね」
 蛇塚の中から梓が消えないことを理解していながら、蛇塚を選んだ。
 すべてを受け入れる覚悟を持って隣に立っている。
 そこに杏那の深い愛情が見えるようだった。
「……なあ、柚子。例の神器って蛇塚に貸してやれねぇか?」
 突然の東吉の言葉に、柚子は目を丸くする。
「え?」
「それがあればあやかしの本能を消せるんだろ? そうしたらさ、蛇塚も苦しまなくて済むんじゃないかって思ったんだ。あいつはもう次に進もうとしている。そこに梓の存在は必要ないんだよ。できれば蛇塚のためにも杏那のためにもなくしてやりたい」
 それは友人を心から心配するからこその願い。
 けれど、柚子は即答できない。
「にゃん吉君の気持ちはすごくよく分かるけど、神器はもう神様に返しちゃったの。また使わしてくれるのかどうか……。それに、神器を使って無害ってわけにはいかないかもしれないの」
「そうなのか?」
「あったものを強制的に奪うわけだから、なにかしらの影響があってもおかしくないって神様が言ってたから」
「マジか……」
 東吉は思わず天を仰いだ。
「いい案だと思ったんだけどな」
「でもさ、若様は? 若様ピンピンしてるじゃない」
 透子の疑問に柚子は「たしかに……」とつぶやく。
 神器によって本能を奪われた玲夜だが、神器に刺された最初こそ倒れて少しの間意識不明ではあったが、その後体調を悪くするでもなく、精力的に働いている。
「もしかして私の知らないところで問題あったりしてるの?」
「ううん。そんなの聞いたことない、けど……」
 一瞬言葉を詰まらせたのは、玲夜の場合は簡単に柚子に弱い姿を見せようとしないからだ。
 なにかあったとしても、柚子には悟らせないようにしている可能性は捨てきれない。
「玲夜に聞いてみたらいいんだろうけど、素直に話してくれるかな……?」
「俺がどうした?」
 聞きなれた最愛の人の声に、柚子ははっとする。