玲夜との電話を切った柚子は芽衣に目を向ける。
「やっぱり玲夜じゃないみたい。心配してくれてありがとう、芽衣」
「別に心配なんてしてないわよっ」
一見すると怒っているようにも見えるが、芽衣がただ恥ずかしさを隠すために口調が強くなってしまっているだけだと、仲よくなって知ることができた。
いわゆるツンデレというやつで、これまで柚子の周りにはいなかったタイプの子だからか、柚子も新鮮な気持ちである。
芽衣からしたら不本意この上ないのだろうが、柚子にはその様子が微笑ましくてならなかった。
そんなニコニコとしている柚子の様子が恥ずかしいのか気に食わないのか、顔をわずかに赤くしながら文句を言うように口を開く。
「あやかしが花嫁を捨てるなんてありえないし、心配なんてしてないから!」
途端に柚子は切なげに視線を落とす。
それまで不機嫌そうな芽衣もこれにはすぐに気がついた。
「なんかあったの?」
「……うん」
柚子は一瞬言うべきか迷ったが、よくよく考えると芽衣も関係のない人間ではなかった。
「ここだけの話にしてね。あれだけ執着していた鎌崎が突然花嫁じゃなかったって、態度を急変してきたことあったでしょう?」
「ええ、そうね」
不快そうに芽衣の眉間にしわが寄った。
思い出すだけでも怒りが込み上げてきているのが、その表情で伝わってくる。
「そのくせ突然間違いだったなんて言って、さんざん振り回してくれたわよね。なにがしたかったんだか」
柚子は苦笑する。
「実はその理由が分かったのよ。詳細は話せないんだけど、あやかしの本能を絶って花嫁と認識できなくする方法があったの」
「そうなの!?」
気持ちいいほどの反応を見せる芽衣に、柚子は頷く。
「どうやら鎌崎はその方法によって芽衣を花嫁と認識しなくなったから、芽衣への興味を失ったみたい。だから、今後鎌崎が、芽衣に花嫁になるよう要求するために近づいてくることはないと思うから安心して」
「そうなんだ」
ほっと安堵の表情を浮かべる芽衣の様子を見るに、いまだどこかでまた鎌崎が接触してくるのではと不安だったのではないか。
早く教えてあげればよかっただろうかと、柚子は申し訳なく感じる。
しかし、一部の者しか知らない神器の存在を芽衣に教えるのはやめておいた方がいいと判断した。
あやかしとは関わりのない世界で生きることを選んだ芽衣には必要のない情報だと柚子は思ったのだ。
「ざっくりした説明になっちゃってごめんね。でも、聞かない方がいいでしょう?」
「そうね。もう鎌崎が近づいてこないなら、その方法がどうだろうと関係ないし、下手に首を突っ込むつもりもないわ。あやかしの世界の話に巻き込まれたくないし」
どストレートな言葉に、柚子も苦笑いを浮かべる。
飾るつもりは皆無のようだ。
それだけ鎌崎には苦労させられてきたということなのだろう。
いや、苦労という言葉で済ませられないほど苦しめられたのだ。
関わりたくないという気持ちが先に来る芽衣の気持ちを、柚子は尊重する。
「またあいつが気まぐれを起こして会いにこないか両親も警戒してたから、それを聞けただけで安心できるから十分よ」
「その時は対処するから、また私に相談して。……といっても、それをするのは玲夜なんだけどね」
柚子は己の無力さに情けなくなり、眉尻を下げる。
玲夜の庇護がなければなにもできないと言っているようなものだ。
玲夜という虎の威を借る柚子が、得意げになって助けると口にしていいものではない。
けれど、そんな他力本願であっても芽衣の力になりたいと柚子が思うのは、芽衣自身が柚子のバックについている鬼龍院の力を利用しようとしてこないからだろう。
かくりよ学園に通っていた頃は、ずいぶんと欲の孕んだ目で見られていたので、柚子もうんざりしているところがあったのかもしれない。
それは柚子の力ではないというのに、ずいぶんと傲慢である。
柚子は驕り高ぶった自分の心を律するように、ペチペチと軽く自身の頬を叩いた。
少し雑談していると、そこに澪がようやく登校してきた。
いつもは時間に余裕を持って動いている澪には珍しく、遅刻ギリギリの登校だ。
「おはよう、柚子」
「おはよう。今日は遅かったね」
「うん、まあ……」
すると、澪と芽衣の視線が交差する。
その瞬間、見えぬ火花が散った。
芽衣も途端に目付きが鋭くなり、澪も険しい顔をした。
「なに? また柚子に因縁つけてるの?」
「目が悪いの? こんなに仲良く話してるのに、それが分からないなんて眼鏡した方がいいんじゃない?」
作り笑顔で応酬するふたり。
やはり当初の印象が悪すぎるのが今も糸を引いていて、顔を合わせるたびに険悪な空気へとなってしまう。
「あの、落ち着いて、ふたりとも……」
困りきった顔で柚子が間に立つ。
「そ、それより、澪は寝坊でもしたの?」
どうにか話を変えようと柚子も必死である。
「あー、まあ、そんなとこ」
曖昧な澪の返事はあまり深く追求してほしくないという思いが透けて見えた。
そんな中に割り込む芽衣の声。
「夏休み明け初日に寝坊だなんて、たるんでる証拠じゃない? 一年しかないのに卒業する気あるの?」
「はあ!? 私に言ってるの?」
「他に誰がいるっていうの? あぁ、もしかしてそういうの見える人? それなら仕方ないわね」
「あんた、喧嘩売ってるわけ!?」
芽衣の嫌みを聞いて、今にも飛びかかっていきそうな澪に、柚子もヒヤヒヤする。
柚子が間に入って試行錯誤場を和ませようと努力はするのだが、その努力がこれまで実ったことはない。
龍からも『あれはもう修正不可だな』と言われる始末。
どうにか空気の悪さが和らげばいいのだが、悪化することはあれど、よくなる様子は今のところない。
柚子は澪の気持ちも分からないでもないのだ。
当初の芽衣の態度はかなりひどく、あれだけ突っかかってきておいて、何事もなかったかのように柚子と仲良くおしゃべりをしている。
柚子の間に入って守ろうとしてくれていた澪だからこそ、気に食わないのだろう。
柚子から見た澪はとても正義感が強いように思うから。
なにせ、学校でぼっちの柚子に話しかけてくれた人である。
芽衣からの嫌みからも庇ってくれた。
しかし、芽衣も鎌崎の一件などの問題を抱えていて、心に余裕がなかったのだ。
柚子は花嫁に選ばれた者の苦悩を多少なりとも分かっていたので、芽衣への怒りはほとんどない。
そんな理由があったのかと納得しただけである。
けれど、事情を知らない澪に分かるはずもなく……。
「あれだけ柚子に突っかかっておきながら仲良くだなんてよく言えるわね。面の皮が厚いこと」
「そんな大昔のことまだ言ってるの? 情報は常に更新しておかないと、世間から取り残されるわよ」
「ついこの間のことじゃない! 半年も経ってないわよ!」
どう間に割って入ったものかと柚子がオロオロしていると、ちょうど講師が入ってきた。
それにより、口喧嘩は強制終了となり、柚子はほっと息をついた。
けれど、また口喧嘩は繰り返されるだろうと考えると、柚子は困り果てた。
柚子の他にも間に入ってくれる人がいるといいのだが、相変わらず柚子は芽衣と澪以外の生徒から遠巻きにされている。
それどころか陰口は増える一方。
特になにかしたわけでもないので理不尽を感じてしまうが、陰口を言うような人たちになにを言っても響かないだろう。
無視をするのが一番だという結論にいたる。
どうせ、残り一年と経たず顔を合わせることもなくなってしまう他人だ。
芽衣と澪とはこれから先も付き合っていきたいと思っている。
「透子にも会わせたいなぁ」
芽衣の方はどんな化学反応が起こるか不明だが、きっと透子と澪は相性抜群だと柚子は感じている。
姉御気質な性格がよく似ているので、話が弾みそうである。
けれど今は少しでも知識をつけようと、勉強に勤しむ柚子だった。