最上階から隈なく探し回って3階の空き講義室のドアを押し開けたとき、窓際に黒い人影が見えた。それがすぐに希子だと気が付いたおれは、彼女のそばにある窓が大きく開け放たれていることに動揺してしまった。

「何してるの? 危ないよ」

 おれの声に反応した希子が、ゆっくりと振り返る。

「平気だよ。あたしはただ、外の空気を吸ってるだけ」
「でも……」

 たった一人で窓のそばに立つ希子の姿が、高校2年生のときの彼女と重なる。

「ユキちゃんのせいだよ」

 講義室に足を踏み入れるべきかどうか迷っていると、希子が笑った。

「あたしが窓枠を乗り越えても気にする人なんていない。ずっとそう思ってたはずなのに……。ユキちゃんのこと考えると、乗り越えるのが怖くなる」

 希子はそう言ったけれど、窓枠にかかっている彼女の手がおれを不安にさせた。

「だったら、こっちに来てよ」

 真っ直ぐに片手を伸ばすと、希子がおれの目をじっと見つめる。

「これからもユキちゃんがあたしだけのそばにいるって約束してくれるなら、そっち行く」

 震える手で窓枠を握りしめながら、おれが離れられないような言葉を突きつけてくる希子はずるい。しかもそれを了承させようとしてくるなんて、わがまますぎる。

 おれが希子だけのそばにいたからって、希子がおれだけのそばにいてくれるわけじゃないくせに。

 それでも、希子に求められれば両腕を広げてしまう自分がつくづく嫌になる。

 「いいよ、約束する。希子がおれを必要とするときは好きなだけそばにいてあげる。だから、おいで」

 ふっと息を漏らすと、希子が一直線におれの腕に飛び込んできた。おれが抱きとめるよりも先に、希子がおれの背中に腕を回してしがみつく。

「ユキちゃん、あたしのこと好き?」
「大好きだよ」
「あたしもユキちゃんが大好き」

 希子の「大好き」なんて、どうせその場限りの嘘のくせに。おれの「好き」とは違うのに。

 満足そうに笑う希子の顔を見たら、おれは結局全部を受け入れてしまう。たとえそれが、嘘にまみれていたとしても。

「ユキちゃん、あったかい」

 苦笑いを浮かべるおれの胸に、希子が甘えるように頬を擦り寄せてくる。

「希子がいつも冷えてるだけじゃん」
「ユキちゃんにあたためてもらうためだよ」

 希子の言葉に舞い上がりそうになる気持ちを押さえて、無言で奥歯を噛む。

 機嫌良く甘えているときの希子の言葉は、特に調子がいい。どうせほかの男やつにも似たようなことを言ってるんだろう。

 おれが無表情で見下ろしていると、何かを察して苦笑した希子がおれの胸に顔を押し付けてきた。

「ユキちゃん、知ってる? あたしはここがいちばん好きだって」

 希子が今、どんな表情を浮かべているのかはわからない。

 だけど、希子がくれる言葉はときどきおれの胸を熱くするから。今日も、ため息混じりに希子の細い身体を抱きしめる。

 嘘ばかりの希子の言葉に、少しくらいは愛があることを信じて。

Fin.